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2015年10月30日 (金)

羊の如し

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Img_1672静岡の奥座敷、梅が島温泉と近くまで紅葉は降りてきた。集落から少し上ったところ三段の滝近くに車を止めれば、人気もなくただ谷川の轟々と言う音だけが鳴り響く。

足ものと落葉は、ここしばらくの晴天続きで乾ききり、香ばしい香りを漂わせている。

ふと、何十年も前、こけ取り(きのこ取り)に山に入ったときもこんな情景だったことを思い出し、道の上下に心を配って散策した。

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まえに、「日本人の本質は羊の如し」  羊は牧羊犬に追われて一匹が右に行けばすべてが右にいく、行かないと不安で仕様がない、ところが一緒だという。

いま世間はハロウィンというわけの分からないものに大騒ぎをしているそうだ。

なんでも、西洋でやっているからといって、その本質を知ろうともしないでただ仮装して騒ぎ立てるのが面白いということで、マスコミが取り上げたところ、遅れてはならじとはじめているようで、衣装を買ったりすることで、その経済効果はバレンタインを上回っているとか、、、、、うまく乗せられているとも知らないで、

 ばっかみたい!

池谷の畑に集まる仲間の一人に”仙人”と言う愛称を奉られる人が居る。元大学で教鞭をとった知識人であり、近所に先祖からの屋敷や貸地をもっている資産家だそうだ。

しかし、畑に来るときは年中着たきり雀のごとく服装は洗濯はしているものの同じものでとおし、秋口になってようやく擦り切れたひざによく似た布で膝当てを縫い付けたくらい。ぼろ自転車に乗って飄々とやってくる。

話しの輪に入っているときはあまり自分のことは話さず、ニコニコと相槌を打ちながら応対しているので、よき仲間である。

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今日はその仙人が、こなかったので噂話しの種にされた「あの人は、奥さんから宇宙人みたいと言われているそうだって」「和して同ぜずって言うけれど、人と一緒の行動はいやみたいね」「大多数の人から見ると変人なんだろうか」

「けれど、あの人から見ると世間の風潮に何にも考えず、流されていく人の方がよっぽど変人なんだろうね」

さて、変人はどっちかな、  チャンチャン!

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2015年10月29日 (木)

途中で見るのをやめた

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高原川を挟んで立ち並ぶ神岡の中心街、正面霧に包まれたほうと右上に鉱山がある。

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自分が生まれ育って、39歳までいた神岡町はノーベル賞に関与したカミオカンデがあることで、明るい話題になっているが、その前はイタイイタイ病の公害を出したということで、悪名をはせていた。

そのもとは、いずれも町の北側にある鉱山である。

鉱山の最盛期には、27,000人余の人がいて、町から市になるのも間近と思われていたが、非鉄金属が国際商品となってからは、鉱物の含有品位がたかい世界の鉱山に太刀打ちができず次第に寂れていき、坑内での採掘をやめてから人口も半減してしまった。

それだけに、昨夜は神岡町を主題にしたドラマ「ガッタンガッタン それでもゴー」がNHKで放送されるというので、期待をして見ていた。

しかし、あまりにも予想とはなれたストーリーと背景の画面にあきれてしまい一時間ドラマの半分でスイッチを切ってしまった。

前半しか見ていないのだが、20数キロはなれた隣村の一重が根の本陣という温泉旅館や下流15キロほどのところにある、カミオカンデの坑口がまるでひとつところにあるような設定。

そして、坑内を走るバッテリー電車を何も知らない素人が運転したがるなど、荒唐無稽もいいとこ、、、、、

多分、このドラマの自分以外のも神岡にいる人や居たことのある人が期待し、見ていた人は何万人といたことと思うが、感想はどうだったんだろうか、、、

聞いて見たい気がする。

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2015年10月28日 (水)

高嶺ルビー

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一面に広がる紅い絨毯のような花畑。

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Img_1692その細かい花は、高嶺ルビーと呼ばれるそばの花。

もともとはヒマラヤの山麓に植えられていた蕎麦だそうだが、品種改良の上日本でも花を咲かせ、実を結ぶことが可能になったとのこと、、、。

長野ではかなり前から咲かせていたが、静岡ではここ二~三年のことで、まだ試験栽培だとのこと。

そのためか、まだこの実で作った蕎麦を食べたことがない。

同じ蕎麦にしても、食感と味が少し違うらしいので、一度は食味してみたいとは思っている。

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2015年10月27日 (火)

案に相違して

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今日は満月。前線が近寄っているため見られないかも、、、と思っていたが、案に相違して中天高く煌々と輝いている。

先の満月は中秋の名月言われ、地球から近くなったためスーパームーンなどともてはやされたが、今月今夜のこの月は何の音沙汰もない。

ただ、いまでこそ素人でもこれほどの月を写すことができるようになりクレーターなどがはっきり分かるようになってしまった結果、

#月が鏡であったなら、、、は、もとより、そのむかし、”兎の餅つき”や”かぐや姫”でロマンチックだったつきの印象も様変わりしてしまった。

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きのう、刑務所に20年服役していた人が、冤罪の疑いがあるとして計の執行停止がなされた。

検察は再度抗告をしたが受け入れられないほど、明白なものだったようだ。

なぜこんなに冤罪事件が起こるのだろうか。

袴田事件もそうであるが、明確な証拠もなしに、心理的圧迫で自白に追い込んで裁いてきたことが、原因であるという。

と、なればこのほかにも冤罪はかなり沢山あるということか。

権力者による発表に追随しそれを叩くマスコミ、情報過多といわれながら形を変えただけで一面しか見せない報道に誘導される一般市民、、、、、

くどいようだが、傾いたマンションのくい打ち工事も、設計者の言うとおりにした現場責任者だけを槍玉に挙げているが、地盤に届かない杭をしか用意しなかった会社の責任は全然出てこない。

本当の責任者は、この工事を設計した設計士にあり、ほかにも基礎地盤をいい加減にした建物が今問題になっている現場責任者の担当以外にもあるはずである。

太陽に比べれば、弱い月の光では、明々白々になる部分は少ないのだろうが、、、、、、。

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2015年10月26日 (月)

葉っぱがなくても

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ヤマジノホトトギス、日本には十六種類ほど自生のホトトギスがあるが、静岡あたりで一番目に付くのが、このホトトギスだと思う。

夏鳥の不如帰(ほととぎす)の胸の斑点にこの花弁の斑点が似ていることから付けられた名前だということは容易にわかる。

今年はこの葉っぱを食べる虫が沢山発生したらしく、庭に植えてあるホトトギスの葉はすこし見ていない間にきれいさっぱりと食われてしまっていた。

しかし、そこは野生のすごさというか、種を残さないと、という使命感からか、棒のような茎の脇から花芽を出し開花をし始めた。

「親はなくとも子は育つ」をもじって「葉っぱはなくても花は咲く」

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2015年10月24日 (土)

もちゃげて落とす

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この時期山道を歩くと、蜘蛛の巣が顔にネッチャッと張り付き、いやな思いをすることが多々ある。

こんなに粘り気のある蜘蛛の巣になぜ蜘蛛だけが絡め捕れないのだろうか。

前にも書いたことがあるが、酒の席で人望のない上司を胴上げし、何回目かに二~三人が示し合わせて手を引くなりして、落としてしまったことがある。

これを称して「もちゃげて落とす」といったが、今回の巨人監督の交代で、最初に新聞辞令が出ていた江川卓さんはこの例でなかっただろうか。

多分本人もやる気になっていたのでないかと想像していたのだが、、、、

こういう話しはよくあることで、毎年のように芥川賞候補の作家の家に報道陣が集まって固唾を呑んでいると、ほかの人に賞が決まり、、、、、詰め掛けていた記者連中は目立たないように一人また一人姿を消す。

帰りそびれた最後の記者と候補者の心境やいかに、、、、、当選すればこれでもかと騒ぎ立てたはずのお調子者は真っ先に要領よく姿を消している。

そういえば、ノーベル文学賞候補と毎年のように騒がれている人がいるが、もう慣れっこになっているかしらん。

自分は、まだこの人の本を一冊も見ていないので、どんなにすごい作家なのかは知らないのだが、ノーベル賞予想は周りが勝手に予想して騒ぎ立てているだけの話しで、選考委員会から漏れてきている話ではない。

それなのに”もっちゃげて落とす”を何度も行っている連中は人間的に見てどうなんだろう。

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2015年10月21日 (水)

業界がガラパゴス化

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30年ほど前地すべり工の現場で、鋼管杭を立込む作業の現場、建築現場のくい打ちとは違うが、、、、、

最近テレビで”支持層”という懐かしい言葉をよく耳にするようになった。

大手の建設会社が建てて販売するマンションをブランドマンションというそうで、その信頼度はこれまで最高であった。

その信頼度が、今回の”支持層”でもろくくも崩れ去ってしまった。

自分もやっと十年ほど前までは、この支持層を探るため、ボーリングマシーンを動かし、地すべり地帯でのくい打ち工事の現場で働いてきた。

自分たちのくい打ちはは主に工事関係のものであり、建築関係のものとはよく似ていても違う工事であったが、支持層を探るボーリングは、建築関係のものが多くあった。

ただ、静岡に来た当事耳にしたなかに、「大きな地震が来たら、かなりダメージの出る建物があるのではないか」という、話しがあったことはたしかである。

今回のくい打ち工事の不手際にたいして、基礎工事を担当した現場にすべての責任を押し付けようとしているみえ、今日の新聞によると現場のくい打ち記録をとった人は、契約社員ということになっていた。

自分が見聞きした中で、大きな工事現場の作業を直接請け負った会社の社員が働いているのはほとんどなく、二次、三次、四次の会社に丸投げしているのがほとんどである。

「餅は餅屋に」という言葉があるが、中間に名前だけで利益を得る会社が挟まれていては、実際に働く人のもとには搾り滓しかまわってこない。

また、モラルを隠れ蓑にして、元受の監督は現場を知ろうとしない。

よくテレビで、諸外国、特に中国などを引き合いに出して日本はいかに優秀かを喧伝しているが、まえに、耐震設計をごまかした姉歯問題忘れている。

今回は旭化成が立て直し費用を負担するといっているが、前回のときは不動産会社の中には倒産して被害者が費用をすべて負担した例もあった。

建設業界の体質というか、島国日本が独りよがりのガラパゴス化しているのが心配である。

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2015年10月19日 (月)

人と言う字は

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裾野市千福を流れる黄瀬川中流にかかる五竜の滝。

約一万年前に富士山から流れ下った溶岩の先端部だと案内板に記されいる。

滝の高さはおよそ13mといわれているが、その流量は結構大きくて、迫力は満点である。 。

人と言う字は人と人が支えあっている形からできたと金八先生がドラマの中で言った。

今朝のテレビの中で、最近の若者が結婚どころか、男女間の付き合いさえ興味のない人が沢山いると報じていた。

そのわけの中には、「相手との付き合いが面倒くさい」「自由な時間が減る」などがあり、一人で好きなゲームに没頭したり、アニメを見ているなど、個人の興味を中心に生きていくことのほうがよいとのことである。

たしかに、テレビの番組ひとつとっても、スポーツ好き、ドラマ好き、ドキュメンタリーが好きなど同じ夫婦でも見たい番組がちがい、なかなか「亭主の好きな赤烏帽子」というわけには行かない。

そして、楽しむ方法が多様化していく中で、若者の自動車離れ、結婚という形をとっても、セックスレスという夫婦が多いいらしく、我われおじいさんの与太話の中でも聞こえてくるようになり、若い人の無気力化がドンドンと進行していくような気配が感じられる昨今である。

それでは、”一億総活躍”などと旗を振っても生まれてくる子供の数は減るばかり、日本は亡国の道にはまってしまったのだろうか。

ちなみに、人という字の語源は、うなだれて手をブランと下げている人を横から見たのが始まりと聞くと、なんだか戦後「働け はたらけ」と尻をたたかれて突き進んだ我われ世代の日本人は異常だったのかもしれない。

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2015年10月17日 (土)

気持ちも切り替えたはずだが、、、、

身体に異常は感じない。しかし、日常の話題には興味がない。

同級生からも「壊れていないか」と心配する電話があった。

一種の”欝”なのだろうか。

九月十四日、清水港の沖合いで娘の骨の大半を、遺言どおり散骨した。

そして、10月九日はふるさとの寺で四十九日の法事を営み”忌明け”を済ませ、

気持ちも切り替えたはずなのだが、、、、、、、

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