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2015年11月30日 (月)

疑心暗鬼

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”幽霊の正体見たり 枯れ尾花”

何事も疑心暗鬼でものを見ると、悪いほうに、怖いほうにものを見てしまうことをたとえた言葉だと聞いた。

幽霊と化け物は違うものだが魑魅魍魎でくくればおなじなのかもかもしれない。むかしは照明がすくなく、おまけに戦争中は灯火管制で街灯はなかった。

戦後になって電球はついたものの、100m置きくらいの電柱にぐらぐらになった笠がカタカタと風にあおられて恐ろしい雰囲気を作ったため、幽霊や化け物の話しは真実性がこもっていた。

狐の嫁入り、狐にだまされて一晩中うろついた挙句肥溜めに入っていたとか、蛇や岩魚が古びると人間に化ける、河童が子供の尻こだまを抜くなど人に悪さをする化け物が沢山いた。

物心がつくかつかないうちから、囲炉裏でこんな話しを大人から聞かされた。

とくに、同じ家に住んでいた、茂住小学校の先生吉田吉佐ェ門さんは飛騨の昔話に詳しく、後に分厚い本まで出された人だったが、よくお化けの話しが出て、聞かされていたそうだ。

そんなこともあって、日がくれてからはどこの家でも子供が外に出て遊ぶなんてことはなかった。

実際に怪しげなものを見たのは、向かいの山を一列になって移動する火で、通称”狐の嫁入り”だけであるが、今になって見ると果たして本当に見たかどうかさだかではない。

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きょう、ゲゲゲの鬼太郎をはじめ、お化けを書いた漫画家の水木しげるさんが亡くなった。

太平洋戦争の生き残り、部隊でただ一人の生還者だといっていた。そして、上官から死んで来いといわれた話しなど、日本軍の理不尽さを語った人でもあった。

国会が狐と狸の化かしあいの場といわれるが、現代の妖怪は、軍隊というもの、国というものの中に住んでいる、と言っている。

と、思うのは我輩の疑心暗鬼から、、、、、早計なんだろうね。

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2015年11月28日 (土)

冬桜咲く

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冬桜の清楚な花が枝先にポツリポツリと咲いていて、比較的多い場所でこの程度の咲き方になっている。

寒くなってから咲き出す桜の仲間は、春の桜の華やかさに比べるべきも無いが、これはこれで見ごたえがある。

このほかにこのころ咲く桜に八重の十月桜というのがあるが、花弁の数が多いという区別の仕方以外分からない。

枝先に咲いていても、注意して見ていなくては見過ごしてしまいそうなこの桜、見つけたときには、寒風吹きすさぶ中でも、何だかほっこりとしてしまいそうな雰囲気が漂っている。

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参院自民党が執行部に小さな声で公明党と消費税の軽減税率でもめないよう、要望しているという新聞記事を目にした。

(大きな声で言う度胸の無い議員)

なんでも公明党を支持している人の支持票が減ることを心配しているからだそうだ。

最近の自民党は、国会でこそ最大多数の議席を誇っているが、公明党からの支持が無ければ、かなりの人が危うくなるそうで、、、、、、、

つまり、消費税の削減品目のことなんかどうでもよく、とにかく御身安泰を願っているだけのはなしである。

こんな議員を当選させても、あとは野となれ山となれ、ろくな活動をするはずが無い。

また、肝心の公明党支持者は上から指示された人を無条件で投票する人、つまり、字を書くマシーン、ロボットと一緒というふうに見なしていることになる。

そんなに馬鹿にされても入れるものなのだろうか。

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2015年11月27日 (金)

天気晴朗なれど

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数少ない紅葉のひとつ

「天気晴朗なれど 浪高し」  日本海海戦の際に使われた有名な言葉だが、その文句がすっぽりとはまる一日だった。

朝がた幾分風が強いかなと思ったが、天気もよいし久しぶりに修善寺から峠を越えて戸田に行って見ようと思った。

最初、新東名を走るときから車が時々ゆすられるような感触があり、沼津のサービスエリアに入れたとき改めて風の強さに驚いた。

そのあと、注意して走ったものの、修善寺までの間時折不規則に車体をゆすられながら、紅葉がきれいだというテレビで言っていた”虹の里”にむかった。

ここでも風は強い。しかし、その風が冷たいものの湿気を吹き払ってくれたようで、新しく化粧直しをした富士山をはじめ周りの山々の輪郭をすっきりさせてくれている。

ただ、紅葉のほうはどちらかというと、いまひとつ、、、、、ではあったが。

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ぐるりを山に囲まれた戸田港から

峠を越えて戸田に入り、海岸沿いに食べ物屋に入って遅い昼食にかかったが、普段はぐるりを山に囲まれ、穏やかな湾内が白兎が跳ね回っているかのように、波立っており、ブイにつながれた小船はシーソーのように前後左右に揺れている。

海岸に面した食堂だったので、一時間ほどの駐車の間に、浪しぶきが飛んできたようで帰り際に見ると、白い粉を振りまいたように点々と模様がついている。

「これは、帰ってから早々に水洗いをしないと自動車が錆びてしまう」そんなことを思うながら帰り道につく、、、、

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2015年11月25日 (水)

文明病

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最近のブログを見ると、赤い色合いのものが多くなっている。

今日もその続きで、クコの実を取り上げようと思う。

クコは中国から持ち込まれた外来種だというが、野山の道路わきなど草や低木など日当たりのよい場所に繁茂しているため、あまり違和感はない。

少し前まで「薬になる草」、ということで回りでも採取する人が多かったが、これも流行だったのか最近は茂り放題に茂っている。

クコは全草、血圧や血糖値の高い人などによいとされているが、クコの実も血圧や血糖値のほか精神が萎えた人の強壮剤としても効果があるとされていた。

小さなとげを避けながら実だけを採って、そのまま食べて見たことがあるが独特のぬめり感があり糖分も少ないため、決してうまいものとは言いづらい。

もっとも果糖が多かったら血糖値は下がらないか、、、、、、とにかく、赤い実の多い季節である。

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五日まえ、前からいためていたふくらはぎをさらに痛めてしまった。

違和感があるものの歩くには支障が無かったのだが、交差点の信号が点滅しそうだったので、少し早足で向かったところ。横断歩道の10mほど手前でギクッとした痛みが走り歩けなくなった。

どうにかふくらはぎをさすって、足を引きづりながら帰ってきたものの、痛みはあまり改善しないので近所のスポーツ治療院に行って診てもらったところ、軽い肉離れだということが分かった。

足をマッサージしてもらったあとリハビリの仕方を習って帰ってきたが、なかなか一気に直るということは無く、いまだに違和感が残っているし、習ったストレッチをすると痛みが強い。

こうなった原因は足の冷えもあるが、またしても「歳のせい」といわれてしまった。

最近この症状が多くなってきたそうだが、そのひとつにふくらはぎの筋肉を伸ばすことが少なくなってことにもあるそうで、原因のひとつとして洋式便所にもあると意外な話を聞いた。

つまり、和式便所の股を開いて、踵をつけてしゃがむという動作がよいそうで、洋式の腰掛けては楽なんだが、ふくらはぎの筋肉を伸び縮みさせるという動作が必要ないため、筋肉が固まってしまうそうだ。

便所がストレッチの場所とは知らなかった。

人間は自然の中で運動していることが多いのだが、生活が便利になるにしたがって、身体を動かす機会が無くなり機能が衰えていく。

そのため、高い金を払ってジムへ通って運動したり、カロリーの高い食べ物で肥っったのを、エステで落とすなどかなり矛盾した生活を送っている。

結局のところ便利とか贅沢が講じてできた病であり、こういう病気は”文明病”というしかないないのだろう。

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2015年11月24日 (火)

富士の白雪ゃ

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Img_1831明け方まで降ってはいたが、最低気温が十度を超えていたのでそんなに寒くはないと思っていた。

しかし、今朝の富士山は六合目あたりから上が白く化粧をしていたということは、それなりに寒かったのだろう

まだ、本格的に積もっていないようで地肌が透けて見えるのは、お白粉の乗りが悪い女郎衆のようで痛ましい。

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富士の白雪ゃ ノーェ  富士の白雪ゃ ノーェ

富士のサイサイ  白雪ゃ朝日にとける

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昨日の試合でジュビロ磐田がサッカーJ 2を2位で通過して、J 1に返り咲くことが決まったと速報でテロップが流れた。

清水エスパルスがふがいなく降格しただけに、ジュビロが希望の星となって期待されていたが、ほんの少しの幸運に恵まれたという感じだった。

おもえば、30数年前、静岡に来た当時、野球なみにサッカーが人気だったのをみて不思議だった。

その後のサッカー人気を見れば、静岡の人の先取性には感心するところがあり、Jリーグが発足すると、静岡出身の選手がずば抜けて多かったことから、その層の厚さに驚いた。

しかし、これは異常だと思う面もあった。

静岡の人がこんなに多いということは、身体能力が特別高いからで無く、全国的に競技が普及していないから、、、、、ほかでも盛んになれば当然淘汰されることになるだろう、、、と。

近い将来、J 2に転落した清水が、ジュビロのように復帰できるかどうかと見る場合、今期の最後の連敗振りを見るとどうなんだろうかと疑問を持ってしまう。

こんな予想が当たらなければよいのだが、、、、

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2015年11月23日 (月)

見かけとは違う

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ヒヨドリジョウゴの実が赤く輝いている。

その透き通った色合いからいかにもうまそうに見えるが、毒があるため食べられることが無く、真冬の遅い時期まで蔓からぶら下がっている。

またその大きさも5mm程度と小さく、眺めるだけの草の実でしかない。

名前の由来は、ヒヨドリが好んで食べるからという話もあるが、ヒヨドリだけに免疫があるのではなく、えさが無い時期に食べて、その毒によりふらふらしているさまを酔っ払っていると見て名づけたのが本当らしい。

以前、由比のみかん畑で地面でもがいているヒヨドリを見たことがあるが、この実のせいか農薬のせいか分からなかったので、触らなかったことがある。

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今日は勤労感謝の日である。

最近では畑をチョッコといじるだけの仕事しかしていないが、動けることに感謝しなければならない日と思っている。

この祭日の元になったのは、宮中において秋の収穫を神に感謝する新嘗祭だそうだが、さしづめ、日本版ハロウィンである。

日本の祝日は、どれもこれも形骸化し、ただの休みの日になっているのだが、どこかで、本来の意味を教えたり、金儲けの道具にしてもよいからイベントを企画してほしいと思っているが、若者受けはむつかしい?。

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2015年11月22日 (日)

燃えるような赤

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紅葉も低地まで降りてきて、本格的冬も間近に迫ってきたことを知らせている。

とは言うものの今日は気温も20度に近く、風もないので穏やかな日の光を受けていると、まだまだっていう感じがしてしまう。

そんななか、落葉樹の下に植えられているドウダンツツジが葉を落とした高木のしたで木漏れ日を受け、燃えるように紅く染まっている。

ドウダンツツジ、漢字で書くと”灯台躑躅”とも書くので、この赤さを灯台に見立ててのことかと思ったら枝ぶりからだという、どこがどうなのかさっぱり分からない。

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今日は、安部奥に住む知人に、長野から持ってきたリンゴのおすそ分けを持って出かけてきた。

三連休とかで道路は混雑している。

曲がりくねった川沿いの狭い道を無茶振りの運転手が結構いて危ない。

道路の中央を走ってくる人、駐車場があるのにそこに入れないで路上駐車するひと、やたらにゆっくりとは知って後ろに長い行列を作る人など、、、、そのほかにも数え上げたらきりがないほど、、、、、、、

こちらは、運転がうまいなどといっているつもりではない、逆に下手だから予期せぬ行動を取られるととっさの場合困るのだ。

とにかく、あまりにも自分勝手な運転が多いのにあきれてるやら、腹が立つやら、、、、、

やっぱり普段運転しない人が多い休日に運転するのは考え物だね。

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2015年11月21日 (土)

赤い絨毯の上で

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もう盛りの過ぎた鶏頭の赤い花の上に、カマキリの雌がいた。

大きなおなかをしているところを見ると、そろそろ卵を産む場所を探しているのだろうか、雪の降る土地では雪の多い年は高いところに、少ない年には低いところに産み付けるといわれ、豪雪地帯ではその高さに一喜一憂している。

実際はどうなのかは知らないが、生きている虫は何でも食べるようで交尾の後には相手のオスさえ食べてしまうという。

さしづめ、このメスカマキリも、、、、、、、、とにかく人怖じをしないというか、おなかが大きくて動けないのかカメラを近づけても、顔をこちらに向けたきりで動かない。

なんだか、鶏頭の紅い絨毯に身を横たえているのが心地よさそうにさえ見える。

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a昨日夕方になってテレビを見ていたら、相撲の北の海理事長が急死したとテロップが流れた、やっとおととい横綱白鵬の相撲に辛口の批判をするなど元気だと思っていたが、大腸がんと多臓器不全で余命いくばくもなかったのを自覚していたのだろうか。

それにしても、六十二歳というのは今の時代早すぎる。

まさに、太く短く生きたのだろうが、スポーツ選手、とりわけ相撲取りは寿命が短いように思う。

大きな身体を作りすぎたためか、極限までがんばる激しい仕合いが身体を壊していくのだろうか。

がんとスポーツは関係ないのかもしれないが、がん治療もかなり進んできたようで、末期がんでもその前日まで動けるのは、自分の娘も同様でわかっていた。

むかしは麻薬を使うことも制限され、その苦しみようから決してがんで死ぬことがないよう願っていたものだが、、、、、、、、、、

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2015年11月18日 (水)

ほのぐらい北向観音

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暗いしじまを縫って北向き観音の鐘の音が聞こえてきた。

曇り空のためか、外は暗いので明け六つというにはまだ真があるような気がしてしまう。

それでも、ようやく朝になったかと眠られなかった宿の布団の中で聞いていた。

外に出るとこの時期にしては暖かい空気が温泉街に淀んでいる。

宿の下駄を履き、昨夜降ったらしく、ぬれた地面を踏みながら境内に向かった。

ここには何度来たことか、川口松太郎が泊まって執筆したというかしわや本店脇の道から本堂に向かう。

ようやく明け染めてものの形が見えてきたその向こうに、”花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道、、、、、、”で有名になった愛染桂と鐘楼が音もなくたっている。

おととい、善光寺を訪ね、今朝は別所の北向き観音と両参りを果たす。

このような言い伝えを作ったのは、善光寺の反映に少しでもあやかろうとした先人の知恵なのは分かっているが、りんご狩りに事寄せて兄弟とその連れ合いの集まりに、この温泉が格好な距離にある。

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2015年11月17日 (火)

こんなもんさ

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Img_1767昨日は善光寺により立科町の義弟の家まで戻ってきたが、
久しぶりに星屑の多いそらをみることができた。

夜明けを迎えきれいな朝日が見られると思い、六時になるのを待って東御市の明神池のほとりに向かった。

朝日が出る方向の空は赤みが増し、池についたときには水面を真っ赤に染め、期待に胸躍らせ、写真によい風景を求めてあるく。

少々山際の低い雲が気になったが、、、、、、、、

そのうち、浅間山の噴煙が朱に染まってこれからの予感を、、、、、

しかし、紅い噴煙はわずかな間だけで次第に赤みを失っていく。山際の雲が邪魔をしているようだ。

神ならぬ身、この雲を移動させることはままならず、期待が一瞬にしてさめた。

人生もこんなところなんだろうな。

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2015年11月15日 (日)

テロとは

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#美しい山 懐かしい川 

追われおわれて 果てしなきたびよ 

道連れは涙 幸せはない 

国のうちにも 国の外にも

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そのむかし、うたごえ運動が盛んだったころ歌われた歌で、”流亡の民”だったか”流浪の民”のどっちかと思っている。

どこの国の歌か、何時のころのことを歌った歌なのかは知らないが、今のシリアの人たちが国内の内乱によって国から逃げ出したものの、ヨーロッパ各国に受け入れる余裕がなく、彷徨っている状態をそのまま歌にしたような状況である。

人間は何時までたっても進歩はしない。

独裁者といわれる人たちは自分とその周りのことだけしか考えず、反対されれば即座に武力を使って自国民を守るのではなく、平気で弾圧し、殺害する。(どこかの国もこうなって行きそう、、、)

こんなことにつけこんで、もともと不安定な中東の中にあって、こんにちのシリヤが混沌としてしまったようだ。

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昨日フランスのパリで無差別テロがあり、沢山の人が負傷し殺害された。

各国の首脳は即座に声明を発表し、非難した。

当然のことと思ってはいるが、例のへそ曲がりが、違和感を感じている。

つまり、テロとは何ぞやということにある。

アメリカ軍が無人機で特定の人を殺したり、パキスタン国の承諾もなく軍人を送り込みビンラディンを殺害したり、イスラエルがガザ地区を圧倒的な軍事力で戦争布告もなしに攻撃しているのは、テロとは言わないか、、、、、、

フランスがナチスドイツに占領されたときのレジスタンスは、ドイツ軍から見るとテロではなかったか。

これがテロでないとするとレジスタンスや、スペインで起きたゲリラ戦とイスラム国のテロとどう区別をするべきか。

後になって戦勝国に協力した人々に対する称号なのだろうか。

レジスタンなどは、軍隊同士の戦いと違って戦線というものを作るほどの力はない。

したがって、現れては消え、現れては消えをくりかえす。

いまイスラム国と自称している団体?にヨーロッパ各国から沢山の若者が入っていて、そのほとんどは、自国で金銭的や仕事面で浮かぶ瀬もない人が多いと新聞などで報じられている。

つまり、貧富の差が拡大し、固定化されていることにも原因があるという。

自分の将来に絶望した若者が、間違っているかもしれないが簡単に自爆テロに走るのは、ただ単にジハードをすれば天国に行けるだけでは無いように思う。

特攻隊の大義名分だった「国を守るため」とも違っているように見える。

なんとか、イスラム国などができないような社会がくるのは、「百年河清」を俟つなんだろうな

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2015年11月14日 (土)

「物価」のあとは「高」

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野ブドウの実が色づいてきた。

最近めっきり減った山葡萄のように、単一の色でなく青から紫がっかた色など、一房の中にもさまざまな色合いで、七宝焼きの玉のように散らばっている。

子供のころは、毒があるといわれていたが、薬効はともかくとして肝臓などの病気に効くとして、民間薬に使われていると聞く。

毒も薄めれば薬となる。しかし、あのころはそんな話しをかけらにも聞かなかった。

多分、余計なものを口にさせないための口実だったものであろう。

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一億総活躍とすべての国民に何か仕事をさせたがっている政府の掛け声も、自分のほうには届いていないようで、ひねもすのたりのたりとすごしている。

こんなことでは早晩ボケになって、周りの人たちを無駄に総活躍させかねないので少しばかりの散歩と、漢字のパズルをやっているが、その中で感じたのは決まり文句のひとつとして、物価と書くとその後には決まって「高」という字がつき、人手という字の後ろには「不足」という字がつく。

つまり、漢字の使い方としては物価が安く感じたことはないし、人手が余ったことはない世の中だってこと、、、、

安部政権になってから物価を2%上げたいのだが、その目標はなかなか達成できないという。

しかし、実際に生活しているものとしては一万円札を崩してしまうと、「あっ」という間になくなってしまうくらい値打ちがなくなってしまった。

値段が同じでも物が小さくなってしまったなど、物価の値上がりは身にしみて分かっている。

人手の方も、安く働かせたいから足りない。

内部留保をタンと溜め込んで吐き出そうとしない企業に、労働組合も資本家の味方である自民党政府に助けを借りなければ賃上げもできないようじゃ、力不足もいいとこだけどね。

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2015年11月12日 (木)

最近の乙女は

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隣の家の木立ダリアが花を咲かせ始めた。

青空を背景にすっくと聳え立った薄紫の花は、とても手が届かない高さでゆらめいている。

その大きさから皇帝ダリアとも言われているが、生命力が強いのか繁殖させるときは、茎にある節を境に、いくつにも切りわけて、挿しておくだけで芽が出てくる。

隣人は「一本あげようか」というが、狭い我が家にこんな大きなものはいらない。

しかし、花言葉が「乙女の純潔」だの「乙女の真心」だ、などといわれるとどうして?と聞きたくなるが、、、、、、

「最近の乙女は背が高いからかな」なんて変に納得させるところがある。

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2015年11月11日 (水)

いつやめるか

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Img_1739海抜10m前後の麻機にも紅葉前線が降りてきたような感じがする。

外来植物として伐採していたはずだったが、格好付けに何本か切り倒すだけのイベントだったので、このような木があちこちで葉を紅くしている。

そばによって見れば、種の皮もわれ白くて固い実が出ていた。

生命力の強い外来種は、この実をヒヨドリなどに食べさせて、違う場所での繁殖を狙っている。

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高齢ドライバーに事故がクローズアップされて、連日のように報道されている。

自分自身もいつの間にか高齢者の仲間入りをしていて、耳の痛い思いをしている。

運がよいというか、夜中の運転などは原則しないというためか、ここ20数年は事故もなく、ゴールド免許でここまで来たが、「さて、いつまで運転をするか」となるとなかなか踏ん切りがつかない。

自営業の仕事をやめ、小さな会社をたたむときは社会情勢を見、会社が赤字になる前にと、あっさりとやめられたのに、、、、、、

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2015年11月 9日 (月)

引き継いで

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畑の中にほんの少し空き地ができたので、去年の残り物のエンドウを撒いておいた。

空いていたから植えたもので、最初から期待していなかったのだが、あんに相違して結構立派な枝振りを示し、実をつけ始めている。

その花にウラナミシジミがじっと掴まっていた。南方系のこのシジミ蝶は冬越しが難しいいと聞いていたが、今日の曇り空ながら二十五度を超える気温に誘い出されたかのように出てきたものと思われる。

ウラナミシジミとは、羽に波をを思わせる縞模様と後ろの羽に小さな尻尾か紐を思わせるものがついている。

これがなんの役に立つものかわからない。ただ、単に飾りなのなら「よっ! 粋だね」って声でもかけようか。

とにかく、暖冬なら静岡あたりでも冬越しできるのかもしれないそうだが、、、、、

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引き継いで引き継いで自分はこの世にある。

戦争や病気、飢饉で亡くなった人の隙き間を縫って生き抜いてきたものの子孫である。

もちろん、危険な鉱山づとめの間にも、今になって考えればあの時、彼のとき、よく切り抜けられたものだというできごとがいくつかる。

人間は万物の霊長であり、生物の頂点にたっているという自負がある。

そして、他の生物には用事のない経済というものを発展させ、なんでもカネカネカネの世の中にしてしまい、”失われ10年”などという言葉まで作ってしまったが、そんなものは、種を引き継いでいくということから見るとなんでもないことである。

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2015年11月 7日 (土)

もう少し待っていよう

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軒につるした干し柿が、斜めに当たる陽光に答えるように紅く輝いてきた。

みずみずしいその赤さは、食欲を誘う。

吊るしてまだ間もないのだから、まだ渋みが残っているはずであり、その渋みは子供のころから、さんざん経験済みなので舌は覚えている。

太陽の光を思う存分吸って、干し柿は甘く甘く育っていくのを今しばらく待っていよう。

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動物のように天敵から逃げ回ることができない植物は、苦味とかえぐみなどの、いわゆる灰汁という自衛手段で身を守っている。

白菜やキャベツなどの野菜は長い間、人間に栽培される過程でその苦味やえぐみを消されてきたが、山菜と言われる植物はその苦味が珍重されて「これが分かるのは大人になったしるし」などと逆に喜ばれている。

独活や野蒜などの植物はたまったものではない。

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2015年11月 5日 (木)

泣く子と歳には

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「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉があるが、鎌倉幕府ができて地頭の任命職を握った頼朝は、各地に自分の家来になった御家人を多数各地に地頭として派遣した。

地頭は荘園などを管理したが、その直前まで関東方面の野伏せりみたいな人も居て管理のしかたも分からないまま、徴税権や警察権などの権力だけを握ったことでずいぶんと無茶なこともしでかしたようで、上のような言葉ができた。

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今日、陽が沈んだすぐあとに散歩に出て見た。

西の空を旅客機が飛行機雲を引いて同じ方向に三機飛んで行く、、、、、まるで沈む太陽を追っかけるようにして。

地上でははや夕暮れが始まっているが、上空一万メートルではまだ陽の光が届いているようで紅い飛行機雲と陽光を反射してきらきらと光る機体が印象的である。

カメラがぶれないようにとガードレールに押し付けて固定していたのだが、姿勢が悪かったのか右足のふくらはぎが、からすがい(こむら返り)になってしまった。

ずいぶんと久しぶりなことだったが、子供のころ覚えたつま先を内側にひきつける方法で直してきたので、あわてることもなくやってみた。

からすがい(こむら返り)は予想通り直った。しかし、足の違和感は残り、何度やっても痛みが残る、、、、、、、、

しかたなく、その場で散歩は中止し、半ば足を気遣いながらゆっくりと家に戻り、風呂で揉み解して見たがすっきりしない。

どうも歳のせいなのかと思ってしまった。

気持ちではそんな歳のつもりはないのだが、「泣く子と歳には勝てぬ」といったところかな。

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2015年11月 4日 (水)

日々に疎し

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今日も穏やかに晴れ上がった小春日和。

再び富士山は化粧前の素顔に戻り、真っ黒な容姿を恥ずかしげもなくさらし、「それがどうした?」といわんばかり、なんだか居直っているように見えんでもない。

早咲きの山茶花は、薄桃色に頬を染めて恥ずかしげなのに、、、、、

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少し早いかなとは思ったが出来上がったので、喪中の挨拶状を郵便局に持っていった。

年賀葉書も発売されたことだし、気が早い年寄りはもう書き出しているのとしたら、書き損じが出ないようにと思って、、、、

なにしろ、娘の遺言もあって葬式も内々にすませ、知らせを出したのはごくごくわずかだったので、、、、、

「去るもの日々に疎し」というように、時というものは亡くなった人のことも急速に忘れさせ、悲しみを癒してくれるようで、このごろは、朝仏壇の前に座る時間も”お義理”のようになり、般若心経と二、三の短いお経を読むだけになった。

でも、両親のときよりは、、、、、

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2015年11月 2日 (月)

ラッキョウの花

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庭の片隅に咲く一輪のラッキョウの花。

淡い青紫の小さな花を線香花火の火花のように四方に飛び散らせている。

ここに一輪だけ咲いているのは、春 知人からもらってきたラッキョウを、漬け込むため捌いたとき、あまり小さいので、ごみと一緒に捨てたものの生き残りだと思う。

地上に放り出され夏の暑い日ざしにもまけず、この時期まで生き残り花を咲かせるというのはたいしたものである。

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明け方から降り出した雨は一時かなりの降りになり乾ききった地面を潤したようだ。

裏の川も、ほこりのように舞い上がった砂埃を集めたようで、濃い茶色になって流れ下っていった。

このあと、気温も少し緩むそうだが、季節は一歩また一歩と冬に向かっていく。

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2015年11月 1日 (日)

天気もよいのに

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初冬の花、つわぶきが花を咲かせ始めた。

花を見るまでは艶のある蕗と名前の由来になった草の形だが、およそ蕗とは似つかない花を咲かせている。

どこかでこの草の茎の佃煮を食べた記憶があるが、どこで食べたのか思い出せない。なんだかしゃきしゃきとした歯ざわりでおいしかったのを覚えている。

今日から11月、月別のカレンダーもあと二枚を残すのみになり、街中は今年も大道芸でにぎわっている様子だが、天気もよいのに出かける気がしない。

ただ、窓から吹き込む風に大判のカレンダーが時折揺らめくのを見ていると、今年も残り少ないことを思い知らされている。

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