「物価」のあとは「高」
最近めっきり減った山葡萄のように、単一の色でなく青から紫がっかた色など、一房の中にもさまざまな色合いで、七宝焼きの玉のように散らばっている。
子供のころは、毒があるといわれていたが、薬効はともかくとして肝臓などの病気に効くとして、民間薬に使われていると聞く。
毒も薄めれば薬となる。しかし、あのころはそんな話しをかけらにも聞かなかった。
多分、余計なものを口にさせないための口実だったものであろう。
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一億総活躍とすべての国民に何か仕事をさせたがっている政府の掛け声も、自分のほうには届いていないようで、ひねもすのたりのたりとすごしている。
こんなことでは早晩ボケになって、周りの人たちを無駄に総活躍させかねないので少しばかりの散歩と、漢字のパズルをやっているが、その中で感じたのは決まり文句のひとつとして、物価と書くとその後には決まって「高」という字がつき、人手という字の後ろには「不足」という字がつく。
つまり、漢字の使い方としては物価が安く感じたことはないし、人手が余ったことはない世の中だってこと、、、、
安部政権になってから物価を2%上げたいのだが、その目標はなかなか達成できないという。
しかし、実際に生活しているものとしては一万円札を崩してしまうと、「あっ」という間になくなってしまうくらい値打ちがなくなってしまった。
値段が同じでも物が小さくなってしまったなど、物価の値上がりは身にしみて分かっている。
人手の方も、安く働かせたいから足りない。
内部留保をタンと溜め込んで吐き出そうとしない企業に、労働組合も資本家の味方である自民党政府に助けを借りなければ賃上げもできないようじゃ、力不足もいいとこだけどね。
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