テロとは
追われおわれて 果てしなきたびよ
道連れは涙 幸せはない
国のうちにも 国の外にも
.
そのむかし、うたごえ運動が盛んだったころ歌われた歌で、”流亡の民”だったか”流浪の民”のどっちかと思っている。
どこの国の歌か、何時のころのことを歌った歌なのかは知らないが、今のシリアの人たちが国内の内乱によって国から逃げ出したものの、ヨーロッパ各国に受け入れる余裕がなく、彷徨っている状態をそのまま歌にしたような状況である。
人間は何時までたっても進歩はしない。
独裁者といわれる人たちは自分とその周りのことだけしか考えず、反対されれば即座に武力を使って自国民を守るのではなく、平気で弾圧し、殺害する。(どこかの国もこうなって行きそう、、、)
こんなことにつけこんで、もともと不安定な中東の中にあって、こんにちのシリヤが混沌としてしまったようだ。
.
.
昨日フランスのパリで無差別テロがあり、沢山の人が負傷し殺害された。
各国の首脳は即座に声明を発表し、非難した。
当然のことと思ってはいるが、例のへそ曲がりが、違和感を感じている。
つまり、テロとは何ぞやということにある。
アメリカ軍が無人機で特定の人を殺したり、パキスタン国の承諾もなく軍人を送り込みビンラディンを殺害したり、イスラエルがガザ地区を圧倒的な軍事力で戦争布告もなしに攻撃しているのは、テロとは言わないか、、、、、、
フランスがナチスドイツに占領されたときのレジスタンスは、ドイツ軍から見るとテロではなかったか。
これがテロでないとするとレジスタンスや、スペインで起きたゲリラ戦とイスラム国のテロとどう区別をするべきか。
後になって戦勝国に協力した人々に対する称号なのだろうか。
レジスタンなどは、軍隊同士の戦いと違って戦線というものを作るほどの力はない。
したがって、現れては消え、現れては消えをくりかえす。
いまイスラム国と自称している団体?にヨーロッパ各国から沢山の若者が入っていて、そのほとんどは、自国で金銭的や仕事面で浮かぶ瀬もない人が多いと新聞などで報じられている。
つまり、貧富の差が拡大し、固定化されていることにも原因があるという。
自分の将来に絶望した若者が、間違っているかもしれないが簡単に自爆テロに走るのは、ただ単にジハードをすれば天国に行けるだけでは無いように思う。
特攻隊の大義名分だった「国を守るため」とも違っているように見える。
なんとか、イスラム国などができないような社会がくるのは、「百年河清」を俟つなんだろうな
| 固定リンク
コメント