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2015年12月31日 (木)

落ち葉のうえに黒真珠

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木漏れ日を受けてヤブランの実が黒い真珠珠のように横たわっていた。

夏に薄紫の花をつけて起立しているが、黒い実が重たいようで、落ち葉の上で臥せっている。

いずれ近いうちに、ヒヨドリなどが来て綺麗に運び去ってくれることになるのだろうが、その艶々した美しさは、あの大食いで意地悪な鳥に食べさすのは勿体無いような気がする。

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あと少しで今年も終わる、普段の日に比べるとビールが酒になり、ご馳走が二人所帯には多すぎるほど食卓に乗っているが、気持ち的には子供が小さかったころと違って、何の変哲も無い年の暮れである。

その典型がNHKの紅白歌合戦であるが、ここしばらく見たことがない。対する民放も最初から負け意識が強いらしく、相変わらずのおちゃらけ馴れ合いの番組しか流さないので見る気がしない。

例年のように陽が沈む前に風呂に入り、早めに食事を済ませたところで何もすることも見る番組を無いと来ては、夜が長くて手持ち無沙汰になってしまう。

  あぁ~あ あぁ~あで早寝することにしよう

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2015年12月30日 (水)

擬(もどき)

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冬になると俄然目立ってくるのがツルウメモドキ。

黄色い上着を脱ぎ捨てると、そこには真っ赤な実が現れて「ここに我あり」と言わんばかりに自己主張をする。

花は緑色の小さな花なので何時咲いたか分からないほど地味で、実も黄色くなるまで本当に目立たない。

ツルウメモドキ、漢字で書けば蔓梅擬と書くのだが蔓梅という植物はないようなので、つる性の梅もどきということになる。

”擬”と言う言葉は、偽物ということだから、どこが梅に似ているかと言うことになると、、、、、、、、、、分からない。

とにかく、この実の赤さがうけて正月のお飾りとしてめでたく使われている。

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鎌倉時代に武士は自分の領地を守ることに命を掛けて戦い、争そった。

そのため、一所懸命と言う言葉が出来たと聞いた、それが転化して最近では”一生懸命”と言う字でかかれることが多く、一部では声高に「間違っている」人も居るようだ。

しかし、言葉は時代によって変遷するものであるし、北方領土や竹島、尖閣諸島などはあっても、一つところに命をかけて戦う時代でもなくなってきているので、一所懸命の擬として、人生に命を掛けている(そんな人も少ないだろうけれど)と言う意味で一生懸命は認められるのではないだろうか。

将棋の世界でも雪隠詰めをセンチ詰めと言ってももよいようだし、ほかにも、、、、、

だが、今年の話題になったく東芝の不適切会計、東洋ゴムの免震偽装問題、旭化成建材のくい打ちデーターの流用など、大きな会社で擬は許されるものではないのだが、、、。

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2015年12月28日 (月)

こんなんでいいの?

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a昨日、地元の新聞が浜岡原発の防潮堤が完成したと書いていた。

東北の地震のあと、原発の地下に活断層があるのではないかと、という疑念あったことで、政府が運転を休止させたことがあり、それ以来動いていない原発である。

この断層疑惑のあと、東北並みの地震が起きると津波の高さがこのあたりで、19mにもなることが予想されたため、急遽それに応じた高さの防潮堤が建設されていた。

そして、完成したのが上の写真であるが、その壁の薄さと敷地に沿って蛇行している様子を見て、まるで、田んぼの境に水漏れを防ぐために波トタンを差してあるがそれによく似ているように見えてしまう。

本当にこんなんで大丈夫なのかなという気がしてしまった。

実際に現場で見たわけでないのだが、高潮とちがって津波は一過性のものでなく後ろに何キロと続く海面が押し寄せてきているので、その圧力は高潮の何倍もあるそうだ。

黒部ダムなどのアーチ式ダムは山の両岸に突っ張るようにして水圧を支えるので薄くてすむそうだが、この堤防は突っ張るところがない。

いま政府と電気業界は無しくづしに原発を再開させようとしているが、長期的に見て安定した発電所になりうるのか。

一度災害が起きれば、季節風の加減によっては50kmほど離れた静岡市もたちまち放射性物質が降りかかるとしであり、原発廃棄物の始末さえ立てられない、つまり、トイレのない住宅みたいと揶揄される設備である。

地震だけなら「クワバラクワバラ」と言って過ごせるかもしれないが、東北地震から5年近く立ったいまでも家に帰れない人々が居ることを忘れない。

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2015年12月27日 (日)

つるべ落とし

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”秋の陽は釣瓶落とし”というが、今の時期の日没も早い。

先日、この言葉を言ったら、釣瓶が何か分からなかった。

説明しても分からないだろうとおもって話を先に進めたが、加賀の千代女の句で有名な「朝顔に つるべとられて もらい水」もいまにわけの分からない句になるのも近い将来かな。

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まだ暖かいうちにといつものコースで散歩に出かけても、すこしすると山の端に沈む陽が、影を大きくしていくので、影と競争しながら家路を急ぐ、、、、、

そんななか、低くかげってきて直射日光が目にまぶしく感じられる道を歩いていると、遠く遠くに輝くものを目にした。

そこだけ光るものにレンズを向ければ、ススキの穂が取り残されたかのように、、、、、

白髪あたまもこんな風に見えたら、もう少し尊敬の念がまして来るのではないかと思うがその数も増えすぎると厄介も扱いになりかねない。

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2015年12月26日 (土)

いざよいの月が

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十六夜の月というにはあまりにも明るく、丸い月が中天に懸かっている。

”月にむら雲”という言葉があるが、一片の雲もない空に浮かぶ月は愛想がない。

今日も一日暖かい日が続き、世界の中で日本だけ、いや、自分の頭の上だけがのほほんと平和に過ぎ去っていくような感じがする。

病院も床屋も済ませ、いまや、長い正月休みにも耐えうる体制が出来上がっている。

と、いっても最近では、ほとんどの商店は正月休みを取らずにいるので、健康なら何の不便もない。

ただ、あまり平々凡々と日をすごすというのは、足腰や精神面での刺激がないことでもありあまりよいことではないような気がしないでもない。

おりしも、静岡県の男性の健康寿命は七十二歳と少しとか、この場合の健康というのは自分の身の回りのことを人の助けがなくても出来ることを言うそうだから、自分の場合平均以上ということになりそうだ。

平均ということだから、この反対に若くして不自由な人がいるということだが、身の回りにそんな人がいないと、つい不満が出てくる。

なんでもないことが最上の幸せだったと、後になって気がつくそうだから感謝 感謝で、、、、、、、、

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2015年12月25日 (金)

もういくつ寝ると

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今日も今日とて暖かく穏やかな日和になった。

久しぶりに駿府城公園に行きまだ真新しい未申櫓のほうから富士山をみた。

家康最後の居住地になった駿府城は当時いたるところから富士山が見られたことと思うが、いまでは、高い樹が邪魔をしてこのあたりからしか見えない。

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もういくつ寝るとお正月、、、、今年もあとわずかになってしまった。

こどものころこんな歌があったはずだが歌ったかどうかは覚えがない。しかし、正月は楽しみだった。

食糧事情の悪いさなか、親の苦労はどんなものだったかは知る由もなかったが、ただただ、普段食べられないものが食卓に乗せられてくるのが嬉しくて仕様がなかった。

飛騨では大晦日の夜は年越しの魚といって、ぶりの塩焼きがみんなに一切れづつ割り当てられ、油のよく乗った魚を頬ばると口の中でとろけだすように感じて「頬っぺたが落ちる」ってのはこんなことかと思ったものだった。

おせち料理とかいって、今ではスーパーやデパートで買ってくるものになっているが、そんなもののない時代では全部各家の台所で作るため、正月も間近になると家中に香ばしい香りが充満し、それでなくても一日中腹ペコ状態だった子供には期待と一種拷問に近い状態に置かれたものだった。

いま飽食の時代になって、食べ物は年がら年中当時の正月状態であり、作り置きのおせちなんぞには目もいかないため買いはしない。

家には年寄り夫婦二人だけ、食べ物以外にも大掃除のような大掛かりなものをはじめ、正月支度は一切ない。

したがって、正月への期待はさらになく、もういくつ寝ると、、、は悪いほうを考えてしまいそう。

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2015年12月24日 (木)

不恰好なサンタ

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今日も暖かな一日で、気温も日中は二十度まであがり暑いくらいの一日となった。

先日来花を咲かせていた姫リンゴもいまを春と間違えて満開となったが、間違えて当然の陽気になった。

そんななか、先月長野からもって帰ったリンゴも、どうやら暑さボケをしたようで、中に入っていた蜜も抜け出し、表面がカスカスしだしたので、すべてをワインで煮て、知り合いの家に持っていって配った。

先祖代々の曹洞宗で耶蘇ではないが、各家に「クリスマスプレゼントです」と言って届けた。

似ているところは太っているとこだけ、上着を脱ぎ捨て、チャリンコに乗り、ちゃちなプレゼントを持った不恰好なサンタクロースはあちこちで長話ししながら歩く、、、

今朝方まで降っていた雨で空が拭われたのか、富士山も子供が書いた絵のように、稜線をくっきりと冴えわたらせて宙に浮かんでいる。

ホワイトクリスマスを望むべきもない静岡でも、この暖かさは、、、、、、、

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2015年12月22日 (火)

冬至かぼちゃもゆず湯も

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今日は冬至、”冬生じ 夏枯れる”というが、
今年の異常はこの言葉からは程遠いような感じがする。

なかなか夏が枯れないのだ。今日も普通なら冬眠しているはずの黄蝶が花の間を飛び回っていた。

おかげでもないだろうが、今年の我が家では冬至かぼちゃもなければ、ゆず湯もなかった。

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何でも地球の平均気温が昨年より0.4度とか高いそうだ。

数字だけを見るとわずかな違いのようだが、産業革命以来地球の温度が2度ほどしか上がっていないと聞くと、その上がり方は以上とも言うべきことのようだ。

地球が誕生してから45億年、その間何度も冷えたり熱くなったりを繰り返してきたが、ここ一万年ほどの間穏やかな気候で来たのでそろそろ変動期に入ったという説と、人間由来の温暖化だという説があるが、ふるさとの飛騨では雪の降らない正月になりそうである。

降れば降ったで屋根雪をはじめ雪またじの仕事が年寄りに重くのしかかってくるし、車の運転には難儀する。

しかし、降らなければ流葉スキー場の運営が出来なくなって、民宿をはじめ観光での収益が悪くなる。

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2015年12月19日 (土)

甘夏の木の下で

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こんな日を小春日和というかのような気持ちがよい一日になった。

朝方は少し寒かったもののいつものように池ヶ谷の山の上の畑に集まったご同輩。

種屋かもらってきたという売れ残りのインゲンを大根を抜いて空き地になっていた場所に植え込み、手を洗ったあとのんびりと世間話、、、というより、黄色味を増した甘夏みかんの木の下で日向ぼっこを始めた。

すぐそばの尾根が風除けになっているくぼ地の畑は、風もなく暖かい日差しだけがふりそそいでいるため、なんだか気だるくなり眠気さえ襲ってきた。

しかし、十二時近くになると、昼ごはんを食べるため腰をあげ、いそいそと山を下る。

騒がしい世間の風もこの陽だまりまでは届かない。  ”日日是好日”。

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今夜のテレビで大分発地域ドラマという番組で豊後高田市の商店街をテーマにしたドラマをやっていた。

まえに、岐阜放送局が飛騨のドラマをやっていたのとおなじものだった。どうも各局持ち回りシリーズでやっているようだ。

多分地元の人が見れば、自分が岐阜放送局を見たときの感想と同じような意見を言うのだろうが、大分県そのもを知らない自分にとっては、監督が役者を使いこなしていなため、演技が下手だなって言う感想以外には、何も感じなかった。

ただ、台詞の中で「頑固で無口な昭和の男です」とか「昭和の匂いが漂ってくる」なんて言葉を聴くと、以前には昭和の変わりに明治という言葉を使っていたように、自分たちが生きた昭和が、今の人たちにとって大昔になってしまったんだな、ということを、目の前に突きつけたれたような気がしてしまった。

平成も27年が暮れようとしているいま、”十年ひと昔”という言葉が本当ならもう少しで三昔にならんとしていることになる。

         あ~あ

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2015年12月18日 (金)

いまさら引っ込めない

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今年の異常気象は、今に始まったことではなかったようだ。

近所にひまわりの花が満開を迎えていた。

背丈は2m近くにもなっているので、先日来の暖かさだけでなく、少なくとも九月ころに芽を吹いて、草丈を伸ばしてきたものようだ。

地元テレビによると、静岡市でも今朝がた初霜が見られたとのことだが、ここまで育ったものは「いまさら引っ込めるわけには行かない」とばかりに花弁を風にそよがせていた。

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2015年12月17日 (木)

百舌の高鳴き 止む

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「人のうわさも七十五日」になぞらえたのか百舌の高鳴きも七十五日だそうだ。

九月にはいるとキチキチキチッと甲高い声で秋が来たのを知らせる百舌も、最近ではその声を聞くこともなくなった。

なんでも高い声で鳴くのは、縄張りを確定するための行動だそうだが、この時期になると国境線が決まってしまうようだ。

雀の仲間だというが、雀に比べると一回り大きいし、昆虫やかえるなどを食べる肉食のせいか鋭いくちばしを持っていて、かまれると結構痛くて手の甲などは血が出るほどつよく噛む。

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2015年12月15日 (火)

清流の宝石

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清流の宝石とも言われているカワセミが目の下のみなもすれすれに飛び去っていった。

そのいく先を見ると、すぐそばの護岸の上で一休みをしていた。

カメラ構えたこちらをあまり気にする風でもなく水面を見つめている。

いつ獲物目がけて飛び込むのか。と思って期待していたが、おなかが満腹なのかしばらくして、また下流を目指して飛び去った。

しかし、飛距離のほうはいつもどおりそんなに遠くまで飛ぶことはない。

写真でも分かるように、身体に比べて嘴がかなり大きいうえ尾羽と首が短いときては、スズメやセキレイ、ツバメのように長い距離、高い空は難しい体形である。

ただ、武器は水の中に突っ込んでも、すぐに飛び上がれることにある。

こんなカワセミがなぜ鳥の中でもずば抜けた色合いの羽根を身につけることが出来たのだろうか?。

見る角度や日によって色合いが変わってくるのは、羽根の色がヒスイを思わせる色なのではなく、光を反射させる条件によって違うからだそうだ。

ともあれ、カワセミは絶滅危惧種に指定している県もある中で、静岡市の”市の鳥”とされているのは、あちこちで見られることにもあるのではないだろうか。

清流の宝石というからには、清流が多いのだろうけれど、このあたりが清流かといわれればちょっと首を傾げたくないこともない。

麻機沼のダイオキシンも沼の底の土を入れ替えたものの周りの土はどうなのか。

きれいになくなったという報道はいまだない。

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2015年12月14日 (月)

幸か不幸か

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Img_1949 先日来の気温の上昇は、植物界にも大きな影響を与えたようで、庭の姫リンゴにつぼみが出てきたほか、捨てようと思っていたシイタケのほだ木からいっせいにシイタケが吹きだしてきた。

姫リンゴは鉢に入れておいたものだが、九月の末に水遣りを忘れていたら、葉っぱを落とし、小さなリンゴに似た実を黒く干からびさせてしまった。

それをみて、「今年も終わったな」と思っていた姫リンゴだったのだが、、、、、

こういうのを唱歌では上品に”返り咲き”言っているが、”狂い咲き”というのが本当なんだろうな。

なにしろ、寒さが強くなっていく時期に”三寒四温”のような気候になっているのだからしようがないね。

とにかく、今週は寒気が張り出してきて冬型になるそうだが、姫リンゴのほうも、いったん咲かせようとしたのだから、引っ込めるわけには行かないだろう。

このさい自然に任せるべきか、手を貸してビニール袋でも掛けてやるべきか迷っている。

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今年の年末ジャンボは前後賞をあわせて10億円になるそうで、テレビのコマーシャルを通じてあおっている。

なんでも、当たりくじが27本も出るそうだ。

自分は籤運が悪い男なので、いままで、「憑いているな」と思ったとき三度買ってみたことがあるが、連番で買えば当たる籤のひとつ上が一回当たっただけなので、以後買ったことがない。

ただ、うわさで聞く限りでは、この籤に当たると金銭感覚が狂ってしまい、身を持ち崩すことが多いとそうなので、当たったときの幸福感のあと不幸がどっと押し寄せるという筋書きになるという。

また、ものすごい美人を妻にした場合にも通用する、という、幸か不幸か、そのどちらにも浴したことがないのでわからない。

ただ、言えることは、我が家の姫リンゴ同様、”狂い咲き”には、あとの手立てによほどの工夫が必要であろう。

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2015年12月13日 (日)

生気を取り戻したかのように

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今日は”正月事始め」の日。

むかしは、この日から正月の用意を始めたとかで、正月用の餅つきにつかう薪を集めたり、大きなお寺などでは煤払いをしたりする日であった。

それに、こと掛けてではないが、頭がうざったく感じるようになったので、床屋へ行ってさっぱりしようと思って出かけて見たが、あいにく雨の日曜日と来てはすることもない人が沢山来ているようで、店は満員状態。

店のおかみさんが出てきて小さな声で「ちょっと時間がかかりそう」っていうんで、中を見たら知っている人いし、床屋談義も出来そうにもなかったので「またにするよ」って店を出た。

日曜日っていうのを忘れるくらいの暇人、今日でなくてはならない理由はなにもない。

年よりは、ほかの人に迷惑をかけてはいけないことを肝に瞑すべし。

午後になって、少し陽が雲間から出てきたので、出かけて見たが枯れてた櫨(ハゼ)の葉っぱ雨に打たれて生気を取り戻したように、日の光を透かして真っ赤に燃えていた。

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2015年12月11日 (金)

茶番劇と見る

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昨夜遅くから降り出したと思われる雨は、朝になって豪雨状態になり、裏の川の水位は道路と同じくらいになってきた。

九時ころになって雨が小止みになったとき、先日取り付けた防災ラジオが、ピコピコピコと鳴った後、「中部南に、豪雨と暴風高波の警報が出ましたので注意してください」という。ほとんど同時にテレビのテロップにも同じ注意報がでたので、まだこの調子以上の雨が降るのかと身構えてしまった。

ところが、雨のほうは小止みになったまま降るのをやめ、十時半ころには陽が差し始めた。

さっきの放送は、何だったのだろうというのが正直な感想である。

まあ、大過がなかったので良しとするか、、、、、

道路にはこの雨と風であちこちに落ち葉の吹き溜まりがぬれ落ち葉になってかたまっていた。

そして、陽が差し始めると気温はどんどん上がり、上着を脱いで出かけた散歩だったが、二十度越えの暖かさは、たちまち汗をもよおし帰ってきたときには下着といわず着ていたものすべてをとっかえなければならなかった。

テレビは、記録的な暑さといっていたが、一日の中で、気温の変化が大きすぎることに、これも温暖化のせい?。

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政府与党の中でもめていた食品の軽減税率が加工食品も含めることでほぼ決着したそうだ。

しかし、ひねくれものの自分から言うと、はじめから決まっていた茶番劇に過ぎないと思っている。

自民党にとっては、財務省の立場を代弁したことになるし、公明党にとっては国民の生活を思って頑張った。という大義名分を手に入れたことになり、いずれも選挙を見据えた動きでしかなかった。

やっと二日前に自民党の幹部が生鮮食料品だけを8%にしようと決めたことを、首相の一声で撤廃すれば、首相も庶民の味方という印象付けができる。

減税分が一兆円を越すいって、その穴埋めという声も出ているとあるが、これも官僚にたいする口先だけのおべんちゃらと見る。

それにしても、与党の国会議員諸氏の声が、どんな局面でも、全然聞こえてこないのはいかがなものだろうか、ただ、採決の際に手を上げるだけの機械に成り下がってしまったのだろうか。

とにかく今回の消費税をはじめ、最近の国会は首相の独走であり、審議は出来レース、茶番劇なのは見え見えである。

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2015年12月10日 (木)

PM2.5考

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朝日が立ち上る霧を通して昇ってくる。

谷間の露が上空の冷たい空気に引っ張り上げられているのだろう。

こんな日は、胸いっぱいにこの霧を吸い込んで肺の奥の隅々まで行きわたらせて見たいような気分にさせられてしまう。

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鉱山にはむかしから鉱山特有の病気がいくつかあった、その中で一番怖かったのは、当時の言葉で”けい肺”という病気であり、江戸時代には”よろけ”と呼ばれていたやまいであった。

大工を三年すりゃよろけて死んでしまう。といわれたこの病気は、削岩機などで岩盤に穴を掘る際や発破をかけた際に出る細かい石の粉で、肺胞の先端、空気が血液に取り込まれる部分の小さな出入り口をふさぐことによって起きる病気であった。

人間の身体はこの異物を包み込み結節となって無害化しようとする、しかし、けい肺の怖いのは、結節が増大することであり、ほかの粉塵に比べると粉塵職場から離れても増大すると聞いた。

その大きさは、肺胞にある小さな穴と同じくらい0.5ミクロンだとされており、この病気で亡くなる人は、その末期を相当苦しむ上、火葬しても結節が焼け残っているとも聞いた。

さらに、昭和も40年代後期になると、鉱山にもジーゼルで動く機械が入ってきてその排気ガスが切羽に充満し、作業環境は更に悪化しため、マスクをしたが、フイルターはたちまち油煙で真っ黒状態、、、、、、、

そんな中で、20年ほど仕事をしてきたのだが、何が幸いしたのか、自分は免れてきた。

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いま中国の首都がPM2.5 とやらで、昼でもライトをつけて自動車が走っているのをテレビが放送していた。

自動車の排気ガスもだが、悪質の石炭を燃やすことが原因だといわれている。

経済を動かしていくには、どうしても限界があるそうで、環境悪化に対して「外に出ないで」という、おそまつな対策しかないようだが、家の中にもPM2.5は入り込んでくる。

日本でも、経済成長期の昭和30年代からあちこち工場から煙でスモッグが発生し、喘息など呼吸器の病気、そして、河川の汚染で川が泡だったり、水銀中毒患者がでたのをみると、いまの中国はちょうどそのころに匹敵している。

政治体系のちがう中国では国民の声はとどかない。

この先どの位すればこの騒動は収まるのだろうか。

まさか、”百年 河が澄むのを待つ”とは言わないだろうけれど。

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2015年12月 9日 (水)

根が残っていると、、

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庭の片すみで咲く明日葉の花。

緑色の細かい花はあまり目立つ存在ではないが、結構種になって周囲にばら撒くと見えて、なかなか絶えない。

放っておくとあちこちで芽をふかせ、大きくなりすぎてしまうため、かなり抜いたり切ったりして捨ててはいるが根が残っているだけで、初冬になると花を咲かせ出す。

明日葉の名前の起こりは、切っても次の日にははが伸びてくる、という意味で名づけられたようだし、一時期は栄養豊富な山野草として人気があったものだった。

最近では、このブームも去って自由にのびのびと葉を茂らせる環境になったのだが、我が家の庭だけは例外である。

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先日パリーで130人が殺されたテロのあと、オランド大統領が報復の空爆をイスラム国に行ない、さらに各国に働きかけ有志連合の各国にも戦闘に参加するよう働きかけている。

また、その少し前のロシアの旅客機墜落事故の結果、プーチン大統領がアサド政権に加担するお墨付きを公式に得て、体制反対派すべてを攻撃している。

その背景には、国民の目を気にしている以上に、自分の国で開発した兵器の実験をしようとしているようにも見えてしまう。

テロのあと、穏便な行動をとると、国民から弱腰といわれかなないのを気にしてこぶしを振り上げたのだろうが、この結果、シリアでどれだけの無辜の人々が殺されるのだろうか。

オランド大統領の顔だけを見ていると人柄のよさそうな感じがするが、ニューヨークの貿易ビルセンターのテロのときのブッシュアメリカ大統領と同じ手法を使っている。

武力に武力を使っても解決できないことは、ベトナム戦争以来幾つもの戦争で分かっていることなのだが、、、、、、世界は今混沌の中にいる。

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2015年12月 7日 (月)

一人遅れて

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庭の千草も 虫の音も 
絶えて寂しくなりにける 

ああ白菊 ああ白菊よ ひとり 遅れて咲きにけり

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今日は大雪、暦の上では里のほうにも雪が降り積もるころ、ということだが、季節にそむくかのように、おだやかな日の光がふりそそいでいる。

こんな日には、隠れて冬をやり過ごそうとしていた虫たちも、どこからかでてきて、最後かも知れない白菊の蜜を吸いに這い出してきたようだ。

気象庁は、これから一週間ほどの間は、この冬を象徴するかのように温かい日和が続くと、言っているとお天気姉さんは得意げに話す。

めっきり寒さに弱くなったと感じる昨今、ありがたい予報ではあるが、気温の寒暖差が激しいためか、夜中に口をあけて寝ているためか、朝起きたとき、喉の奥がなんとなくいがらっぽいような違和感を感じている。

いつも書いていることだが、静岡に来て30有余年、流感の予防注射なしで過ごしてきている上、風邪のほうもろくに引いてこなかったのは、仕事柄人ごみに接する機会が少なかったことが大きかったのかなと思う。

しかし、よる年浪を考えるとそろそろ観念の潮時かとおもっていたら、今からしても体内に免疫ができるのはかなり先なので効果がないと、テレビ番組で病気のほうに詳しい連れ合いの友達が言う。

それもそうだ、信用できない医薬会社の作った予防注射ではね。

       一人遅れて、、、、、、、、、、、、

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2015年12月 6日 (日)

単色の富士山

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山梨県本栖湖ほとりの食堂に入って、ほうとうを頼み待っていたら、店の人に「どこのチームを応援に来たね」と聞かれた。

聞かれたこっちはしばし唖然。話しを聞くと今日は山梨県一周駅伝の二日目で、少し前にこの近所を走っていったとのこと、その応援団と間違われた様子だった。

昨日は、静岡でも市町の対抗駅伝があったところだが、最近はどこの県でもこんな催しがはやっているのだろうか。

それにしても二日がかりで走るというのも珍しいのではないだろうか、何区間あるのか知らないが、かなりの選手がいなくてはなりたたない。

昨日と変わって空一面に雲が張り付き日差しはないものの風がないので走るには好都合の日和。

しかし、山梨県側から見る富士山は、まるで単色の銅版画のように色彩を失って空に張り付いたように冷たく見える。

”ほうとう”とは一見、具沢山の煮込みうどんを思わせるが、いくつかの決まりがあり、うどんと違うところは粉を練ったあと包丁で細かく切ってそのまま、鍋に放り込んで食べるもので、ほかの具はいろいろ変わっていても、かぼちゃだけが必ず入るもの。

そして、ほとんどの店では鍋にいれてぐつぐつと煮えた状態で出してくれる。

また、富士川沿いの一帯では、練った粉を指で千切って入れる場合があるが、これは”みみ”といい、すいとんを思わせる食べ物で、戦国時代ころには、いずれもこの方法で食べていたとか、、、、

舌もやけどしそうな熱いのほうとうを、鍋からすくいあげ、はふはふと言いながらたべると、からだの内側から暖めてくれるようで、気分までほっかほっかと、、、、

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2015年12月 5日 (土)

本当にすばらしいの?

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くちなしのオレンジがかった実が色づいてきた。

沢庵や餅などの色付けに使われるのは、静岡に来てから知った。

名前の由来は実っても割れて中身が出ないところから、口無しとも、蛇くらいしか食べないということで、蛇の古名であるクチナワからきているとも書いてあるが定かではないそうだ。

とにかく、白くて芳香をもった花から、奇妙な実がつくものだ。

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いま、日本の社会は何を信用してよいのか分からない混乱に陥っている。建物の基礎杭がごまかしていると思ったら、薬の世界でもでたらめな製薬が出ていたり、橋脚と橋をつなぐ金具の溶接が、検査機関ぐるみでごまかしていたなど、、、、人名にかかわりのある業界で不祥事が勃発している。

性善説の強い日本の社会では、みんなが誠実な仕事をしてくれるという幻想を抱いており、もし不祥事が起きても、「なあなあ」済ませてきたことにあるのではないだろうか。

いままでは、中国の工事現場の手抜き工事や、腐った肉の再処理など衛生面を悪い見本のように言ってきたが、負けず劣らず日本にもモラル崩壊の手抜きが散見するようになってきた。

今日もテレビで「日本のここがすばらしいんです」的な放送をやって、外国から来た人を感心させる番組をやっていけれど、「本当にそんなこと言って大丈夫なんですか」って聞きたいのだけど、、、、、、

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2015年12月 4日 (金)

寒さに慣れる?

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昨夜来激しい風で電線の鳴る音を夢うつつの中で聞いた。

北海道に強い低気圧ができ、台風波の風が吹いているためだと、お天気ねぇさんは言う。

北陸地方からも雪の映像が来ているところを見ると、ふるさと飛騨の豪雪地帯も雪まみれになっているのは、聞かないでも分かる。

静岡では冬型の気圧配置になると、北風は中央アルプスや、南アルプスに妨害されて北風ではなく、伊吹山脈を越えて愛知県から吹いてくる西風が冬の風になる。

と、いうことは、よそに比べるとごく穏やかな風のはずである。

静岡に来た当事は屁でもない風や寒さも、30数年、慣れてくれば寒く感じてしまうこのごろになり、今年は意気地もなくズボン下を買ってはいてしまった。

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午後になって風も収まったので、例によって足慣らしの散歩に出れば、かぐわしい匂いが漂ってきた。

ヒイラギの木にいつの間にか、真っ白な花が密集して咲いていた。

よくみると、米粒くらいの四枚の花弁と長く突き出た二本のめしべ、虫の少ない季節にはこれほど芳香を出さないとならないのだろうか。

葉っぱは鋭いとげをたてて、虫や動物に食べられるのを拒否しておきながら、花は虫を誘う。

なんだか、人間にもこんなのがいたなぁ~

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2015年12月 3日 (木)

かなり長命なんだけど

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夜明けとともに雨も小降りになり、午後になると青空も見えてきたので麻機沼のほうまで散歩に出かけた。

もう12月に入ったというのに、気温が高く、沼についたころには下着が汗ばんできたことが分かった。

今年は、気温の変動が激しいようでいつもならナンキンハゼが赤くなった葉をおとしかけ、白い実がデコレーションのように枝いっぱいについているのが見えてもいいはずなのに、まだ青い葉をつけている。

そして、赤とんぼの群れさえ見えるではないか。

ただ、彼らも夏の暑さではないことを知っているのか、交尾も済んで余命を楽しんでいるのか、高い木の枝先に止まって縄張りを主張するのではなく、低い枯れ草のあいだや人が踏んで固めた道沿いから離れることがない。

初夏の六月ころ羽化して、暑さ逃れに高い山に登って秋に田んぼなどに降りてきて産卵をする。

虫としてはかなり長命なほうだが、この時期になってもこんないるのは、、、、、、、どうなんだろうね。

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a先日テレビで80歳以上の人口が一千万人を超えているといっていた。

自分もここに仲間入りするのは、あと四年となっている。

いつも言うのだが、子供のころ五十五歳で定年退職する人の姿は、とてもこれ以上仕事ができないだろうと思われるほど老人 老人していた。

戦争が終わって間もないころの男の平均寿命は戦争で若い人がいなくなったせいもあって五十歳くらいだったとはいえ、今では考えられないほど年寄り気であった。

いずれどころか、近い将来年寄りの人口圧が社会を狂わせて行くのだろうが、トンボとちがって長命が多いのもなんだな、、、、、、、、

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2015年12月 1日 (火)

出動を前にして

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Img_1883巴川の岸辺にゴイサギが夕日を浴びてじぃっと立っていた。

羽根の色の具合から見て、まだ完全に親になりきっていない今年うまれの幼鳥とみた。

ゴイサギは、夕方か夜にかけて餌を探しに川べりに出て来るそうだから、どこかのねぐらからここに出かけてきたと見るべきか。

人間で言えば、職場に来て出勤時間までの一服といったところなんだろうな。

宙を見据えたその鋭いまなざしは、これからの餌探しを前にして精神力を集中させているように見えんでもない、、、、、

ひょっとして、足の格好は五郎丸かぶれかぁ?。

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孫娘が就職の内定をもらったそうで、家中で大騒ぎをしている。そのとばっちりで、毎年誰かが気に掛けてくれている、じいじの誕生日はどっかへ吹っ飛んでしまった。

もうこの歳になれば誕生日なんて関係ないし、歳は忘れることにしよう。と、少しひがんでいたら、郵便局員が「○○さんですね。マイナンバーです」と手紙を持ってきて、サインをしてという。

中を見れば何の脈略もない数字が並んでおり、夫婦というのに全然関係のない数字になっている。

それはともかく、死ぬまでこの番号が何かと必要になるのだろうか   ウザッタイかぎり。

そういえば住基カードというのもあったが、ぜんぜん使わずに済んだがあんなふうになれば、税金の無駄遣いということにもなる。

果たしてどうなのか。

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