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2016年1月31日 (日)

麻機のカワセミ

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今日も今日とて出っ腹を引っ込めようと麻機周辺を徘徊する。

最近はこの腹がなかなかへっこまないどころかふくらみ気味で困る。

体重が増えれば歩いていてもすぐにくたびれる。腹が常に膨らんでいるので食事時でもそんなに腹が減ったと言う感覚が無いまま、三食きちんと食べているのが原因と分かっているのだが、、、、、、

それはさておいて、散歩途中で、浅機川の向こう岸に何か動く気配がしたので、目を凝らすと、カワセミが小魚を銜えていた。

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捕ってきたばかりのようでまだ魚のほうは暴れているが、放り上げて銜えなおし、とまっている木の枝に打ち付けて食べようとしている。

しかし、人間から見れば小魚でも、彼にとっては少し大きすぎたようでなかなか飲み込めない様子。

この時期、魚のほうは川底に潜ってじっとしているときだから、久々の獲物かもしれない。となると何が何でも食べなくっちゃとばかり、、、、、、、

結局、彼が飲みこまで暇人はしばらくお付き合いをしたが、カワセミでも肥満体なんてのはいるのだろうか????

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2016年1月30日 (土)

冬の土用

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土用といえば夏の土用ばかりと思っている人が多いが、各季節にそれぞれあり、いまが、冬の土用の真っ最中である。

夏の土用は暑さに負けてばててくる人が多いせいか、”うなぎを食べて”と言う江戸時代の宣伝に今でも呪縛されているが、ほかの季節には何も聞かない。

ただ、土用の間は土を弄らないというのは農家にまだ残っている風習のようで、土用の入りの前に耕運機で土の転地返しを済ませてしまっていた。

これは、田を鍬で掘り返していたころには、寒さの厳しい時期は骨休めをするためにか、身体を冷えで壊さないようにするための知恵ではなかったのだろうかと思う。

写真は土用入り前の16日に写したものだが、農家の高齢化は一足先にすすんでいるようで、最近では耕運機に引っ張られるようにして付いていく人をよく見かける。

TPPが発足すれば、米農家には多大な変化がおきるようだが、こんな風景もいつの間にかなくなるのだろうな。

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2016年1月28日 (木)

月と星

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Img_2210明け方の空に月が輝いていた。

満月から四日も経っているので大分欠けているがそれでも結構明るい。

そばに連れ添うような星がひとつ、、、、、しかし、星座にはうとい自分にはなんと言う名前の星かは分からない。

ただ言えることは星のほうが、月よりも格段に大きいことぐらいであろう。

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甘利大臣が公共工事の口利きで謝礼を受け取っていた問題で辞任することになった。

当然のことであるが、大臣を辞めればそれで済んだというような顔つきをしているように見えるところが垣間見えてしまうのは裏読みのしすぎか。

どうして、政治家と言う連中はこんなにお金をほしがるのだろうか。

菓子折りの下に現金が入っていたなんてのは、時代劇によく出てくる悪代官そのものであり「越後屋 おぬしも悪よな~」なんて、落語家に言われるほど古臭い。

先日話題になった元兵庫県会議員の野々村竜太郎、彼はただお金を懐に入れたかっただけであるが甘利大臣は行政に圧力をかけ捻じ曲げようとしたことで、罪は格段に重い。

ただ、「金を返せば良いんでしょう」で済む問題ではない。

聞けば、安部総理の側近中の側近と言うことだそうだが、今朝方の月と名も知らない星みたいな関係で、ほとぼりが冷めるまでしばらくは距離を置くか、、、、、、と言ったところ。

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おりしも、日本の政治の汚職度は世界で十八番目と言う記事を目にした。

この順位は、アメリカとどっこいどっこいの位置にあり、今朝方の夜空と一緒。

かのアメリカでも、ロビー活動が盛んで献金もそんなところからもらって動いているそうだが、これは、喜んで良いのか、悲しまなければならないのか、、、、

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2016年1月25日 (月)

四十七年まえ

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在りし日の父親

いまから四十七年前の今日も寒かった。

その二~三日まえから、寒波が襲来し鉱山病院の軒下におおきな氷柱(カネコリ)が下がっていた。

午前四時を回ったころ、その前日遅くに亡くなった父親を、担架に乗せ伯父さんとふたりで人気のない階段をくだり、霊安室まで長い廊下を移動するのはとてもつらかった。

とにかく当時は、病院と言えど冷暖房の設備はなく、患者を運ぶストレッチャーもない時代で、すべて人力に頼るしかなかった。

やけに重く感じ手がしびれたのは、零下十度を下回っていた、寒さのためか気落ちしていたせいか分からなかった、、、、

さっそく、葬儀の支度に入ったのだが、父親の親類関係がよく分からずにいたため知っている人に連絡して、「よく分からないのでよろしく」というと、夕方までに十人ほどの人が、猛吹雪の中”山の村”から雪をこざいて来てくれたが、深いところは腰までつかるくらいの積雪があり、前が見えないくらいの風で往生したと言っていた。

それほどまでにして来てくれた人にろくな御礼も出来ず今日を迎えている、、、

テレビで見る雪の映像を見ながらそんなことを考えていた一日である。

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2016年1月24日 (日)

ぬくぬくと湯に浸かる

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藁科川上流
にある市営の湯の島温泉に行ってきた。

今日は、今年一番底冷えのする寒さになり、こんな日はお湯に浸かってくるのが一番とばかりに、、、、

道路が凍っていないか、慎重に気を配りながら小一時間、向こうに着いたときの気温は1℃しかなかった。

早速湯に浸かったのであるが、外の気温との差が激しかったためか、浴室の中は湯煙が立って、小さな湯船にもかかわらず 3 mほど先の人影が分からないほどの状態。

たしか、8~9人の人がいるのにもかかわらず、会話もなく、押し黙ったままみんな顎から下を湯舟につけているようすで身動きもしない。

よく、寒修行というのがあるがこういう状態は湯修行とでも言うのか、、、いや、南アメリカに住むと言うカピバラ状態か、、、とにかく我慢比べのようにして湯に浸かっていた。

外は、風呂に入っている間に雪が舞っていたが、とても積もるような降り方もせず後半は太陽が眩しくさす日和になってしまった。

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Img_2202今日は大相撲の千秋楽、琴奨菊が日本人として十年ぶりの優勝をしたと言うことで大相撲ファンは大喜びをしていた。

そんな喜びに水を差すわけではないが、、、、差している。

こんな長い間日本人力士が優勝できずにいたのは大相撲自体が国際化というか、モンゴル勢にのっとられてしまったと言うことになり、国技と言う看板を下ろさざるを得ないのではないだろうか。

自転車競技にケイリンという種目があり、日本が発祥の競技にもかかわらず、国際大会で日本人が優勝したとは聞いていないので、国技とは言わない。のと同様にするしかないだろうと思っている。

国技なんて看板を下ろせば、柔道同様、もっと面白くなりそうだが頭の固い協会お偉いさんは、自分の身分保障もあるしこのまま何もしないでぬくぬくと湯に浸かっているほうがいいからね、、、、、、。

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2016年1月21日 (木)

おれって

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「おれって、案外 イケてんじゃない??」とばかり水面を覗き込んでいるサギ。

人間に見られているのも苦にしない様子は、ふだん警戒心の強いこの鳥にしては珍しい。

実際は足を小刻みに震わせて、獲物が動き出すのを狙っているのだが、獲物が動き出さないので、水面にくちばしを入れることがなかった。

何とか獲物を捕るところを写真にしようと粘っては見たが、こちらが根負け、、、、

それにしても、寒さが一段と厳しくなった大寒に水に浸からなければならないとは、因果な人生ならぬ、鷺生である。

物の本によると、彼らの足は寒さを感じないと言うが、、、、、、

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2016年1月20日 (水)

空不異色 色不異空

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今日の空は雲ひとつとして見当たらないほどの快晴になった。

そんな空を見上げていたら、般若心経でいう”空不異色 色不異空”とはこんなものかと言う気がしてきた。

雨で洗われ澄み切った青空に太陽がひとつ、そばに見える地上の木々は形があるようで無い世界を現している。

なかなか悟りはおろか、全ての雑念に心をからませている、、、、、

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ひよんなことから、食料品業界のパンドラの蓋が開けられてしまった。

きっかけはcoco壱番屋の廃棄した商品がスーパーの店頭に並んでいたことによる。

異物混入の疑いで廃棄業者に廃棄を依頼した食べ物がどうしてこんなことになったのか。

以前、中国の毒入り餃子やマクドナルドのカビが生えた鶏肉騒動のときは、日本では起こりえないと口をそろえていっていたのだが、、、、、そうではなかった。

ほとんど変わりないようなやり方が永年まかり通っていたらしいことが分かってきた。

廃棄を依頼した業者は一様に被害者のふりをしているが、本来なら再利用できないように処置をして渡すべきではなかったろうか。

それにしても、日本は食料自給率が低いのに、廃棄する食料が多すぎると言う話しを聞いた。

と、いうことは、あまりにも生産工程に異常があるのではないだろうか。

結局のところ捨てた食料品の価格も上乗せして消費者が買わされていることになる。

たぶんこの方式は、食料品に限ったことではなく衣食住をはじめ工業製品などすべて商品においておこなわれていることになる。

テレビでは、性懲りもなく「ここがすごい日本」などと、持ち上げているが、世間知らずもいい加減せい!と言っておこう。

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2016年1月19日 (火)

雲の種がきれた

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おとといの夜から久しぶりの雨が降り、それが止んだあと今朝方になって風が強くなってきた。

静岡はその程度で済んだが、東京はわずかな雪で大混乱となり、北日本では猛烈な雪と風に悩まされているようだ。

かなり前になるが雪が降った翌々日東京に行ったことがあるが、あそこの雪はまた格別なものがあると知った。

何しろ、積雪量は少ないのだが人に踏まれた雪が凍ってアイスバーン状態になっている。

人の量も多いのでたちまち踏み固められるのだろうが、道路の雪かきをする人がいない。

田舎などでは自分の家の前はおろか近所までせっせと雪かきをするのだが、、、みんな忙しいのだろうな

そんなどうろを革靴で歩くのだから滑って転ぶのは当たり前。これを何年やっても懲りないのだから東京の人って、、、、、、、

とにかく、静岡を出るときから生ゴム底の長靴を履いて出かけた自分は、新幹線の中で奇異に見られていたかもしれないが、街中では革靴の人に対して優越感を持って見回してやった。

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夕方になって空飛ぶ雲も種がきれたようになくなり青空が戻り、東の山の端から富士山が酒を飲んだかのように赤い顔を出していた。

明日も寒さが残るようだが晴れることを約しているかのように、、、、、

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2016年1月18日 (月)

エオキ

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以前に聞いた話しであるが、プロゴルファーの青木選手は、アメリカで”エオキー”と呼ばれていたそうだ。

AOKI を英語読みにするとそうなるのだろうか。

そのかわり、外国人が日本に来れば、本人の想像以外の呼ばれ方をして戸惑っているとも聞いた。

なかなか、日本人では発音しにくい音があることは、中学のとき「ジス イズ ア ペン」以来何度も直されたが習得できずに来ているのでわかる。

上の植物にも英語名はあるのだろうが、日本名は青木である。

まさか、エオキとは言わないはずだが、、、、、、、、、

常緑の葉っぱはもちろん、枝や幹までも青いところから名づけられた。

その実がようやく赤くなりかけた。この冬は何でも遅いようだ。

雪国ではこの艶々とした赤さが、葉っぱなどに積もった雪に映えてそれはそれは綺麗に見えた。

ただ、惜しむらくは、枝などを折った際にあまり芳しくない臭いがして、とても家にまで持って帰る気がしなかったことである。

        「綺麗なものには裏がある」

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2016年1月17日 (日)

大物を口にしてうろたえる

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ひさびさに大物を捕まえた小鷺。

まわりの仲間も気になるし、ほかの鳥のように千切って食べることが出来ないので丸呑みにするしかないのだが、ちょっと獲物が大きすぎるのと、はさみや足が邪魔をして、一気に飲み込むわけにはいかないようだ。

結局は捕まえた場所にとどまることが出来ず、、、、、、うろたえまくっていた。

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軽井沢で起きたバスの事故。

マスコミは、なんだか運転手の責任にしたがっているように見えて仕方が無い。

いわく、居眠りしていたのではないか、いわく、こんなに大きな車体のバスを運転したことがなかったのでは、いわく、歳をとっていたから、会社が設定したルートを走っていなかった(後になって運行表などなかったことが分かった)、、などなど、と。

しかし、自分が疑問に思うのは、なだらかな下り坂に入ってスピードが出すぎて車体をふらつかせ、ガードレールにこすっていたという話しもあることである。

もし、それが本当ならバスの整備が十分ではなかったのではないだろうか。

大体下り坂にはいって、アクセルを踏むというのはあまりないことで、エンジンブレーキを利かせながら走り、スピードが出すぎたらブレーキを踏むと言うのが、自動車の大小にかかわらずすることであろう。

とにかく情報が少ない中で、余計なことを言う資格が無いが、仕事を辞めてから自分の自動車運転は、暗くなったら控えること、真夜中の運転はしないことにしている。

人間は、長い間よる行動をするということはしていなかったのだから、そう、急には夜行性にはなりえない。

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2016年1月16日 (土)

抽象画ではない

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一見抽象画のように見えるこの風景、散歩の途中蒲の穂に低い夕日が当たって、綿毛の部分が浮かび上がって見えたもの。

蒲の穂も、いまごろになると雨に打たれたり、自動車の排気ガスにさらされたりで、なんだか薄汚くなって、因幡の白兎に寝てくれとはいいがたい状況になっている。

ともあれ、雲ひとつない空からの夕日は、夕焼けを演出できないので、こんな風景を作り出している。

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今日行われた台湾の総統選挙で、野党の候補が当選した。

多分議会でも多数派になる見込みのようで、中国に寄り添う政策を採ってきた現政権と交代することになるのだろうが、くれぐれも、日本の民主党のようにならないでほしいものだ。

それにしても、現行憲法を変えようとしている自民党政権の支持率が、40数%と言うのは、どういうことだろうか。

舞い上がった民主党が下手な政治を行ったつけが、いまだに尾を引いているのだろうけれど、、、、

民主党につける薬は、、、蒲の穂にくるまっている時間はないような気がするのだが。

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2016年1月15日 (金)

お先棒を担ぐ

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この花の名前が分からなかったが、花の格好からナス科の植物だと確信して、「ナス科、蔓」で入力して見たら、その名もツルハナナスだと言うことが分かった。

漢字で書けば、蔓花茄子であり、ごく単純に名づけられていた。

しかし、この花のおかしなところは、一年中あちこちに花を咲かせているくせに、この株では実をつけたのを見たことが無いことだ。

「親の意見と茄子の花は 千にひとつの無駄もない」と言うのだが、この花に限って当てはまらないようだ。

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昭和50年代ころまで、現場の仕事と言えば人力が主で力自慢が幅をきかしており、人に負けじとがんばったおかげで、肩の付け根の筋肉がこぶのように盛り上がっていた。

それでも、会社に入りたてのころ重いものを運ぶ場合、荷物をロープで縛り丸太を通して前後ろで担いだものだが、前を担ぐ先棒は手元のものが担当し、後棒は親方と言う決まりになっていた。

この方式は、江戸時代の駕籠かきと同じ方式だが、前を担ぐ者はどうしてもよろけてしまい右に左にとふらふらとしてしまうものである。

それを後棒の親方がからかい半分、叱り半分で声をかける。

映画で見る早駕籠のばあい、縄を先棒のそばにくくりつけ引っ張るように走るのは、このよろけを防ぐ意味もあるんだなと感じてしまった記憶がある。

と、同時に、ふつうの町駕籠では映画のように「えいほう えいほう」と掛け声勇ましく走るのは無理なことだと言うことも知った。

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今日も国会の中継を少し見たが、与党議員の質問は政府に対するおべんちゃらにしか見えず、すぐにほかの番組に切り替えてしまった。

あんな質問をするのは、首相に認めてもらって、何か肩書きのつく役職をもらい次の選挙に使いたいため、右往左往しているのが見え見えである。

とにかく”お先棒を担ぐ”と言う言葉がそのまま当てはまる。   

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2016年1月14日 (木)

桜はまだかいな

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梅は咲いたか 桜はまだかいな 

柳ゃなよなよ 風しだい 

山吹ゃ浮気で 色ばっかり しょんがいな

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河津ざくらもちらほらと

最近あちこちから梅の花が見ごろになった、と言う話しを聞く。

今朝方は今季一番の寒さで、、、と聞けば、桜はまだまだだろうと思って、池ヶ谷の山の階段を登っていけば、河津桜がちらほらと咲き出していた。

本家、伊豆の河津町ではどうなんだろうか。

そういえば、西伊豆の土肥ざくらは、、、、、新聞に載っていたな、、、、、

春はどこか知らないが、あまり早すぎるのもよくないような気がする。

それでなくても、温室や土を使わない工場野菜の出回りで、日本から季節感がなくなってしまいそうで、、、、、、恐ろしい。

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報道によると、日本では刑法犯罪が減っており、調査を始めてから最低を記録しているそうだ。

「ほんとかいな」と言うのが実感である。

毎日の新聞には殺人事件、強盗や窃盗、詐欺などがかかれていない日が無い。

それでは、以前はそんなに事件が多かったのだろうか、、、、、

まえは、事件が起きなければ警察は動かない。と言う立場から、最近ではかなり積極的に動いていると言うが、これらに派生して起きる検挙などで今まで隠れていた犯罪が増えているような気がするのだが、、、、、 

まさか、千葉県であったように交通違反件数を少なく報告していたように、数字を細工しているのではないだろうか。

基礎杭のデーター偽造のように、、、、、、、、、、、、

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2016年1月12日 (火)

空蝉や

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我が家の庭に何本かの万両が最近になって実を真っ赤にさせてきた。

今冬は、なんだか赤くなるのが遅いとおもっていたが、その実が目立ち始めると、あまりの多さにまだびっくり、、、、、

南天や千両などとともに、赤い木の実はめでたいと言うのだが、こんなに盛りだくさんの実のつけ方は、ちょっと無理をしすぎているのではなかろうか、と心配になってきた。

Img_2108そんなわけで裏を見て見たら、空蝉がまだしっかりと葉っぱに掴まっていた。

夏、人目につかぬところでこっそりと脱皮したようだが、中身は命を全うして土に返っていることだろうにその衣は、遺産のように何時まで残るのだろうか。

ふと、源氏物語に空蝉と言う箇所があるのを思い出して、検索して見たら、

”空蝉の身をかへてける 木のもとに なほ人からの なつかしきかな”というのがあり、源氏が二度と会おうとしない空蝉という女性の衣を抱きしめて人柄をしのんでいる(多分間違っているだろうが、、、)歌があった。

自分が作れば”空蝉や 身はとっくに 土のした”くらいにしかならない。

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2016年1月11日 (月)

鏡開き

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今日は鏡開き。

仏壇に供えておいたお鏡をを降ろして食べることにした。

例年のように、硬くなってしまったお鏡は包丁が立たないので、そのまま石油ストーブの上に枠を置いて離れたところじっくりと熱をかければ、狐色に焼け中身をやわらかくなり、硬い皮も香ばしく焼けておいしく食べることが出来た。

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テレビは今日が成人の日だと、あちこちで取り上げていたが奇抜な衣装は別として、比較的平穏な成人式だったようだ。

ただ、各局のインタビューでは、成人した若者が比較的模範解答が多く、好感度が高いような気がしたが、反面、いまどきの若者は上手に裏表を使い分けているのかなって気がしないでもない。

最近の若者は、上から言われなければやらないとか、上昇志向がないとか消極的な言葉で語られていただけに、「社会に貢献したい」と言う言葉が何度も聞かれてたのも不思議だった。

五十五年も前の話しになるが、自分らのときも景気が悪く、高卒くらいで就職する人たちは、かなり臨時工をしなければ就職できなかった時代であったが、社会に貢献しようなんて人は周りにいなかった。

ただ、自分の力で食べられるようになりたい。一心だった。

で、なければ親や周りから白い目で見られる、、、、、もちろん、細い親のすねをかじるニートなんて言葉もなかった。

あのとき、インタビューを受けていたら、なんと答えただろう。

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2016年1月10日 (日)

春菜つまむと

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明日よりは 春菜つまむと しめし野に  

   昨日も今日も  雪はふりつつ

                 山部赤人 

万葉集に載っていた歌だと学校で聞いた覚えがある。

少々覚え違いがあるかと調べて見たが、、、、、、、

子供のころ覚えたものはすぐに覚えいつまでも、引き出しは錆びないでいる。

それに比べると何度唱えても、般若心経は覚えきれないでいる自分にやっきり(静岡弁)している。

つくづくと脳みその劣化思い知らされる昨今である。

ところで、上の歌であるが、春菜とは蕗の薹のことだと聞かされ、そのときは納得した。

雪深いふるさとでは、春の雪解けを待って小川のほとりなどから、みずみずしい蕗の薹が顔を出し、それを摘んできてお湯をかけ、細かく刻んで味噌和えにし、そのほろ苦い味を味わうのが春一番のご馳走であった。

だから、もうそろそろあの辺に出ているので採りに行こうと思った矢先、雪が降り積もって、蕗の薹を隠してしまう、歌の内容はいまでもありそうな光景として捉えられていた。

しかるに、ほとんど雪を見たことの無い静岡では、冬でも蕗の葉が枯れないで残っており、まったく風情がない。

あの香りとみずみずしくふっくらとした苞がなつかしい。

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2016年1月 9日 (土)

蠟梅咲く

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蠟梅の花が太陽の光を透き通して溶けそうな感じで花開いていた。

名前の由来は、見たとおり蠟細工を思わせる花びらのせいだと言うことは言うまでもない。

冬の寒い時期に咲く花だが、今年は例年より早いのだろうか、自分としてはここ二~三日の間に咲いたとしか思えないので、それならば例年通り、、、、、、なのかも

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今日は麻機のあちこちから淡い煙が上がっていた。

どうも、正月のお飾りを持ち寄って燃やす”どんど焼き”のようだが、いずれも量が少なかったのか、大きな煙には見えなかった。

正月は他の祝日を含めて特別な存在でなくなった昨今、お飾りをする家も少なくなってしまったのか。

ただ、テレビだけはお笑い芸能人を助ける会のように朝から大騒ぎをしていた。

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2016年1月 7日 (木)

春の小川は

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春の小川は さらさら流る 

岸のすみれや蓮華の花に

姿やさしく 色美しく

咲けよ 咲けよと ささやきながら 

新年早々”初春”とか”迎春”とか言うのは年賀葉書の中でのことだと思っていたが、どうも今年はそうではなかったようだ。

午後になって、それまで刻々とあがっていた気温は二十度近くになった上、風もなかったので、麻機の田んぼ周りの散歩は汗がにじんできた。

ここ半月の間、ぜんぜん雨も降らなかった影響で細くはなっていたが、水路の脇には蓮華やタンポポの花も咲きだしており、この場所で見る限り冬は過ぎ去って早春まっさかり、、、、、、、

なんだか冬の無い一年になりそうな気配すらする。

日本は四季のある国なので、、、と、言われてきたが、このまま冬なしの国になっては生活様式もずいぶんと変わっていくことになる。

昨年を一時であらわすと「安」だと言っていたが、今年はすでに決まっているような気がする。自分流に思うのは混沌の「混」である。

とにかく先が見えない、北朝鮮が核の実験を行った翌日には、サウジアラビアがイラン大使館を空爆したと言うニュースが流れる。

なんだか突然に国ぐるみの事件が起きる、国の行く末と言うことをその国の指導者がどう考えているのかまったく分からない。

この調子では、衝動で人殺しをする若者となんら変わりない。

指導者の幼稚化なのだろうか

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2016年1月 6日 (水)

寒雀

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寒雀 枯れた田んぼに 隠れけり 

こんなざれ歌を作って見た。

ほんらい寒雀とは、食べるとおいしいこの時期のすずめを言ったもので子供のころはよく捕まえて食べたし、焼き鳥屋で出される焼き鳥は、一番がツグミ、ついでスズメというのが当たり前であった。

しかし、ツグミもスズメも取りすぎやムクドリ、ヒヨドリなどの競争相手に負けて数を減らし、法律で守られて以来、食べると言う対象から外れてしまった最近では、寒さの中で健気に飛び交う可愛いスズメ、と言った感じで歌われることのほうが多い。

人の周りで生活してきたスズメは長年人間と言うか、日本人に苛められたのがDNAに染み込んでいるようで、警戒心は容易に解けず、人の気配がすると一斉に飛び上がり電線に群がる。

(種類は違うのかもしれないが、ヨーロッパでのスズメやリスはよく人の手から餌を取っているのは、いじめ度の違いかな?)

何事もそうであるが、苛めたほうはけろっとして忘れてしまうが、苛められたほうは何時までも記憶のそこに残していて、久しぶりの同窓会、同級会などの折によみがえるようだ。

雀 百まで踊り忘れず  は意味が違うようで違わないのかも、、、、

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2016年1月 5日 (火)

かすみ立つ

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かすみ立つ 春の山辺の遠けれど 

     吹き来る風は 花の香ぞする

古今和歌集にある在原元方の歌にある。

人出の多いときに暇人は邪魔をしてはいけないと、ここしばらく家の周りでしか動いていなかったが、今日も晴れ間の多い行楽日和とて、近所のおばあさんを誘って富士山見物に出かけた。

行く先は迷ったが、一番富士山に近くて見栄えのする朝霧高原にでも行ってみよう、ということになり、車を走らせた。

途中から気づいたのだが、昨日までのように富士山がすっきりとは見えない。

どうやらここしばらくの天気で、霞が立っているようだ。

今朝のテレビのニュースで「中国からのPM2.5とは言って無かったよな」なんて話しをしながら 、、、、、、、、

穏やかな日和の中で発生した春の霞に疑問を抱かせるようないまの世相をうらむ。

田貫湖まで来ると、湖面に波が立っていないのだが、富士山が薄く翳っているため湖面に映るはずの逆さ富士がぜんぜん見えない。

そして、このあたりでもあったかいようで、榛の木の枝先のふくらみをかなり大きくなっていた。

これ以上大きくなると本格的な寒さが来たとき、霜に会って萎れてしまいそうなほどである。

こんな調子では同じ歌人が歌った

  年の内に 春は来にけり 

       一年を去年とや言はむ 今年と言はむ

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当時の暦の上での歌であるが、我が家の姫リンゴを見ると、この歌が当てはまりそうな雰囲気である。

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2016年1月 3日 (日)

さねかずら

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名にしおば 逢坂山のさねかずら 

   人に知られで来るよしもがな

携帯電話が発達した今の世では考えられないことだが、我われの若いころの逢引き(なんて古い言葉なんだろう)は苦労したもんだ。

それよりもっとむかし、平安時代には、こんな歌まであって今の世に残っている。

この歌に出てくる”さねかずら”がこの実である。赤く艶々とした実はつぶしたことが無いので分からないのだが、おいしいようで鳥たちがよく食べていくようだ。

大きなものになると、直径が5センチくらいになって藪の中にあっても目立っている。

別名を美男かずらというのは、蔓をつぶすとねばねばの樹液が取れて、それを髪の毛に擦り付けて整えたことによるらしい。

今で言えばリキッドよりポマードと言った感じのもののようだが、、、、、、、

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今日は孫たちを肉で誘って(釣って)家に呼んだ。

ちょうどしゃぶしゃぶ用にいただいた肉があったので、それに安い肉を付け足してはじめたが、「うまいうまい」と言って次から次へと口に運ぶさまを見ていたら、こちらが手を出す前に食べきってしまった。

食べ盛りの年頃で、自分のこのころを思い出してしまった。

戦後、しばらくは牛肉なんて見ることも出来なかった。

「月に一回鯨肉があたればよいほうだった」。と言えば、あんな高級なものを、、、、という。が、筋だらけで噛んでも噛んでもという部位だったことは知らない。

時代は変わってしまった。

あのとき、鯨を食べ過ぎて捕鯨禁止条約が出来たのだが、自然の動物はいかに脆弱ものか思い知らされている。

ともあれ、久しぶりの来訪で、酒がすすみ頬の筋肉が緩んだ。

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2016年1月 2日 (土)

狂い咲き

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Img_2071やっぱりこの冬は狂っている。

今頃になって一番暑い季節に咲く高砂百合が咲いていた。

白い富士山を眺めて、この花はどう思っているのか知らん。

今頃咲く花は以前から時たまあり、春と間違えて咲く花を、優しい気持ちで返り咲きなどと言っていたが、これは完全に狂い咲きと言うしかないだろう。

昨日、初日の出を見て今年はよい年になるようにと祈ったが、出だしからこれでは先が危ぶまれてきた。

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2016年1月 1日 (金)

よい年でありますように、と

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一月一日の替え歌に

年の初めのためしとて 

尾張名古屋のめでたさは 

松竹ひっくり返して 大騒ぎ 

後の始末は誰がする

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例年通り池ヶ谷の上の山に登る。

毎年300段を越す階段を登っての初日の出の参加者は減っていく。

最盛期には20人を超えた仲間も、今年はたった3人。

今日7時少し前から腰を降ろし、酒酌み交わして日の出を待つ。

上空には一片の雲も無く、風も無く、穏やかに夜が明けていく。

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Img_2046空にかかる半月の月も淡くなり始めると、北東の富士山が赤く染まりだすと、

南東の山はしの雑木越しから燃え上がる陽が登りだした。

陽光を回りに撒き散らしたご来光は、仏様の後光を思わせる、、、、、

2,016年今年も明けていく、「どうか、よい年でありますように」と手を合わせる。

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