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2016年2月29日 (月)

野生の厳しさ

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麻機にすむサギ、餌の小魚やザリガニなどを足先をゆすって追い出し捕まえている姿は、遠目には優雅に見える。

しかし、カメラで引き寄せて顔つきを見ると、眼力のすさましいことこのうえもない。

自力で食べ物を得る野生の動物は人間に餌をもらっている犬や猫をはじめ、牛馬などのやさしさは薬にしたくてもない厳しさがある。

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今日になって今年がうるう年であることに気がついた。

そういえば、オリンピックのある年はうるう年だったな、と

午前中に家に訪ねてきた人とそんな話をしていたが、話がついそれて「そう言えば、この日生まれた人の誕生日は4年に一回だよね。どのくらいいるんだろう?」

「周りにそんな人がいないから分からんけんど、誕生祝は4年に一回」

「歳も4年で一歳とすると百年生きて25歳か」   

バカこいて笑った。

北海道は激しい嵐というが、午後になってうつつの中で春雷を聞くこと二度、、、

天下泰平はわが身の回りだけ、、、、、、、

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2016年2月28日 (日)

飲み込まれる木

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Img_2462杉の巨木に一本の木が飲み込まれていくような光景を見た。

周囲をがっちりと包み込まれて身動きも出来ないような状態になっている木は直径が30センチを超えている広葉樹であり、まるで、大国に併合されんとする小国を見る思いである。

小さな木とはいえここまで大きくなるには三~四十年は経っているのではなかろうか、杉の木のほうは立ててある説明書では700年だと言う。

小さな木がここに根を下ろしたときは杉の木と少し離れていたのだろうか、この太さの杉の木が三~四十年の間に急に太るとは思えないので、、、、

しかし、杉の木の根ノ上では育つための水分が無いはずだし、、、、

とにかく、こんな状態になってこれから生きながらえるものだろうか。

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「天気も良いし、することもないし、何かうまいもでも食べに行こうか」ってんで、一番お金のかからない有東木までそばを食べに行くことにした。

日曜なので人出が多いのかなと思っていたが、そうでもなく順調に到着しいつものように、一人前800円のもり天そばを食べた。

そのあと腹ごなしと散歩をかねて、近くの白髭神社の境内まで行く。

有東木は、この土地のいわれとして、わさびを一番速く栽培し始めた集落であるといい、そのいわれを書いた石碑も建てられている。

そこの鎮守の社が白髭神社であり、樹齢700年とも言われている杉の巨木が十本あまりやしろを覆っている。

そして、そのそばに立てられている、杉の説明書によれば、この地に集落が出来たのは500年位前のことであり、集落が出来たときにはすでに200年くらいの自然の杉が立っていたことになるそうだ。

200年の杉といえば、すでに巨木となっており信仰の対象をこの地に定めたのはなんとなく分かる。

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2016年2月27日 (土)

一期一会

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自分のカメラは、散歩中のお供であり、これが起きるからと辛抱強くカメラ構えて待っているということはない。

そのため行きづりの写真がほとんどで、一分でもその場に行くのが遅れたり早かったりすると写せないものばかり。

すなわち”一期一会”的なものばかりである。

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一度、麻機の小さな丘から降りたが、見忘れていたこぶしの花の様子を見るため、再度反対側から上がって見ると、草むらから一羽のキジバトに似た鳥がもつれるようにもう一羽の鳥を掴んで飛び出してきた。

こちらは鳥の大きさと色合いからキジバトとばかり思っていたので、キジバトがほかの鳥を食べることあるのかと不思議に思っていた。

しかし、押さえられている鳥がもがいたので、ひょっとしたら糸か何かが絡んでいるのだろうかとそばによって行ったら、飛び上がれないまま引きずるようにして逃げていった。

帰ってから図鑑をみると、チョウゲンボウが椋鳥を仕留めたところだったようで、とんだ邪魔をしてしまったことになる。

それにしても、いつもは空を飛んでいるところしか見たことのない、チョウゲンボウを地上で見たのははじめてである。

こんなに小さな鳥だということは知らなかった。写真にしてみればキジバトに比べておおきな頭をしていて精悍な顔つきは、立派な猛禽類である。

多分こんなことは二度と見る機会のないできごとなんだろう。

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2016年2月26日 (金)

古新聞

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断捨離と言うわけでもないが、戸棚の中に皿、茶碗、花立など、買ったり祝いなどにもらった陶器や銅製の花瓶など一度も使わないまましまっておいたものがかなり沢山ある。

もったいないことだが、これの始末を考えないといけない歳頃になり引っ張り出して見た。

綺麗な桐など木製の箱に入ったままのものもあるが、そのほとんどは二十年前に亡くなった母親が新聞で包み縛っておいたものが多く、それをほどいては中身を確かめ捨てる箱に移した。

しかし、そのうちに包み紙の古新聞に目が移ってしまって、片付けは中断してしまった。

よく大掃除をしているとき、畳の下に敷いていた新聞に目移りがするように、、、今回の場合、全部ではないが一番古かったのは三十七年前の今月の新聞が出てきた。

見ると中国がベトナムに侵攻し、精鋭部隊ではなかったベトナム軍に大敗して引き上げたのだが、所期の目的を達成したとする負け惜しみの弁が載っていた。

そもそも、この戦いの原点になったのはベトナム戦争終結以降ベトナムがソ連と仲良くしたのが気に入らなかったことと、当時中国がカンボジアのポルポト政権に肩入れしていたのに、ベトナムが介入しポルポト政権を二週間で壊滅したことに対する意地であったようだ。

どの国そうであろうが、特に面子を重んじる中国が面目丸つぶしにあった戦争でもあった。

その中国が、最近になって何度も北朝鮮に面目をつぶされている。

このままで放っておくのだろうか、金正恩の首をすげ替えればよいのだが、代わりがいない。

中越戦争のあとのように、強がりの声明を出そうにも実績がなんにもない。。

北朝鮮に何もしないでおいては、国内外から批判も強まりそうなので、南沙諸島に軍事基地を作り、目をそちらに向けさせようとしているなら迷惑この上もないのだが、、。

古新聞がとんだ方向に妄想を広げてしまう。

ともあれ、昭和40年代にトンコ節という歌があって大流行したが、その歌の最後にこんな歌詞があった。

三日前の古新聞 

読む気があったら買ったとくれ 

トコトンのヤットントン

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2016年2月24日 (水)

脳は魔物

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三寒四温のこのごろ、周期的に降る雨とあいまって春の兆しはあちこちに見えてきた。

今日も今日とて麻機周りの散歩で、柳の花 ”ねこねこおんぼ”が膨らみだしていた。

柔らかな白い綿毛をかぶって枝から対こになって春をつげている。

言葉の元になった猫の尻尾には少し短すぎるかな?と思っていたが、最近は途中で切れたような短い尻尾の猫もいるようで、動物のほうが言葉に近寄ってくれている。

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連日の清原報道を見ていると、なんだか可哀想になってきた。

普通の人なら逮捕されてそれでお終い、と言うことなのだが、こうも面白おかしくワイドショー(とくにミヤネヤ)で何日も放送されると、彼の子供たちへの影響も多大なものになっているのだろうことは想像できる。

多分彼も何度か止めようと努力したに違いないが、その努力を打ち消す脳の要求にあがらい切れなかったようだ。

話は変わるが、体重を減らすため”糖質制限ダイエット”なるものがあって、それを推奨していた人が急に亡くなったそうだ。

体重を減らすのは、仕事や運動で消費するものと思っていたが、炭水化物や糖分を減らすことがそんなにダイエットに効くとは知らなかった。

今までにも、紅茶きのこに始まっていくつものダイエット方法があったが、そのどれも効果はもちろん、長続きをさせるのが難しく、相当の覚悟が必要だった。

子供のころから、炭水化物は三大栄養素のひとつときいていたし、戦後の飢えを経験しているものにとっては、米やイモ類を腹いっぱい食べることは法悦であり究極の喜びであった。

その糖質食料が、太らせる原因であることは充分に分かっているのだが、飢餓を経験した脳みそは目の前に食べ物があれば、要求して手を伸ばさせる。

”せめて間食を我慢”という誓いさえも「一回くらいいいじゃない」と言って破らさせようとする。

麻薬ばかりでなく、脳みそは自分の主張を通させようとする魔物である。

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2016年2月22日 (月)

三角関係?

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のどかな春の午後、田んぼのケリも春を感じて舞い始めた。

早々に相手を探し、早々に巣作りをし、卵を産まなければ、田んぼや畔は水浸しになってしまう。

そのためには人間並みに三角関係もやぶさかではないのだろうか。

散歩道からカメラを構えた野次馬を見かけたケリは、報道される前に「なんにもなかったよ」って言いたげにそそくさと三方に散らばっていった。

下司のきわみか、文枝かは知らねども苦しい言い訳をしないでも良いだけ、鳥は幸せ、、、、、、

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2016年2月21日 (日)

あれはまぼろし?

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朝から南の方角で打ち上げる昼花火の音が聞こえてきた。例によって池ヶ谷の上の畑で車座になって話していたご同輩が「何の花火だろう」というので、沓谷の愛宕山が今日お祭りだと言うことを思い出したて言った。

池ヶ谷の山からは、直線で3kmほど離れているか、、、、その上に白い煙が二つ三つ浮かんでいる。

聞けば、午後一時から祭礼が始まると言うので行って見ることにした。

ところが家に帰って見ると、連れ合いは息子と墓に行くと書置きをしていない。

そこで、一人で食事を済ませてテレビを見ていたら、ついうとうととしてしまい目が覚めたらすでに一時半になっていた。

行くか、行かないか 迷った末運動不足の解消を含めてと自転車で愛宕さんの麓に行って見た。

どうやら、祭りのほうは済んでしまったらしく、登りかけたら神主や関係者まで下って来始めていた。

それでもここまで来たのだからと、山頂まで登る。

この愛宕山は、戦国時代まで駿府城の鬼門に当たる位置とされ、城があったところで、今でもその遺構がはっきりと残されている。

十五分ほど石段の山道を上り、ひと気も少なくなった愛宕山をお参りして、中ほどにまで降りると、両手に杖を持ったお年寄りがゆっくり下っていくのに追いついた。

「気をつけて」と声をかけると「まだ登れると思ってきたけれど、、、情けないね」という「がんばって」と声をかけて道の端から追い抜こうとしたら、すぐ下の休み場にお婆さんを休ませていた女の人から「ありがとう」と声をかけられた。

「いや、自分は何にもしていないんです」というと「声をかけてもらっただけで嬉しいんです」とのこと、、、普段コタツの子守をしていて他人と口を利かない生活をしていると、こんなことでも嬉しいとのこと。

この人も良く見ると髪の毛が半分ほど白い、その親だと言うことになれば九十歳前後ということになるか、、、

近所のひとなんだろうけれど、一人でも大変な老人をふたりも見ていることになるのかな、、、、、

老老介護と言うのがあるけれど娘(多分)が白髪になるくらいの年頃だとすると、老老老介護っていうことになり、長生きするのも大変なことになるんだなって、思ってしまった。

ふりかえれば、参道の両側の木や竹の間を透かして入ってくる逆光の中に三人は溶け込んでしまい、「あれはひょっとしてまぼろし?」

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2016年2月20日 (土)

ツグミの思春期

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昨日、暦の上では雪が雨に変わるころを意味する雨水であり、春もそろそろ本格的になってきていることを感じさせる。

その雨水を一日遅れで実現するかのように午後から雨が降りだし、いま激しく降っている。

その雨を予想して散歩も午前中に済ませておこうと出かけてみると、道路わきの空き地に、二羽のツグミが飛んできて、激しく空中で絡み合うようなうごきを始めた。

一見、喧嘩でもしているような激しいからみあいだが、頬辺りの色の具合から雄雌の求愛ダンスだと分かる。

ツグミたちも、春の兆しを感じてつがいを求めあっているのかもしれない、これぞまさしく”思春期”といったところ。

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”綸言汗の如し”とは、天子が一度口にしたことは、汗と同様引っ込めることが出来ない。という中国古代のことわざである。

日本では、戦時中天皇の言葉として使われたが、それだけ、上に立つものは、言葉を慎重に選んで口にしなければならない。

天子とは言わないが、国会議員たるものその言にもそれなりに気を使って当然なのではないだろうか。

しかるに、今年に入って自民党の大臣が軽々しく物議をかもす言葉を発し、指摘されるとあっさりと撤回して悪びれるところが無い。いわく、放射能1マイクロシーベルトに科学的根拠がないと環境大臣、消費税引き上げで100や1000の店がつぶれても、と財務大臣、歯舞を読めなかった北方領土担当大臣。

あっさりと「誤解を招くなら撤回する、、」といって、それで打ち切り

与党多数のたるみは、弁護士で国会議員の丸山和也の「オバマ大統領は奴隷の子孫、、、日本はアメリカの51番目の州、、、」などととどまるところを知らない。

こんな人たちにまかせておいて良いのか、と、ごまめの歯軋りはとどまるところを知らない。

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2016年2月19日 (金)

こぶし咲くあの丘

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Img_2404麻機沼の中央に土を盛り上げて作った小さな丘があり、そのてっぺん近くに辛夷(コブシ)が植えてある。

高さは5~6mといったところだから、巨木とはいいがたいがいつも、一月末には花を咲かせ始めるので、行って見ると満開もいいとこだった。

北国では雪解けを待って真っ先に咲く花だが、雪のない静岡では「暑さ寒さも彼岸まで」ではないが、立春がひとつの区切りでもある。

この真っ白な花は、同じ仲間でもある朴の木や泰山木同様、ちょっとしたことで花に傷がつくと、その場所が茶色に変色するため、遠目では白く見えても、いざ間近で写そうとすると、良い花が見当たらない。

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人間 歳をとるとまあるくなると言った人がいたが、性格が災いしてか、なかなかまあるくなれない。それどころか、近年ますます我侭になって尖ってきたのが自分でも分かる。

テレビを見ていても、相手にされないのを分かっていてもキャスターに毒づいてみたり、いやな人(安部総理やマチャミというタレントなど)やくどいコマーシャル(サプリメント、法律事務所)が出てくるとチャンネルを切り替えてしまう。

こういうのをザッピングというらしいが、こんな言葉があるってことは世の中に自分みたいな人がかなりいるらしい。

今日も今日とて切り替えていたら、連れ合いが、「そんなに切り替えていては流れが分からないでしょう。」と言われたが、「こちらが金を払って見ているのだから、いやなものを見る必要が無い」と言っては喧嘩になる。

先日、弟が来ていたときも「最近はニュースを見ると腹が立つから、、、、、」と切り替えた。

いまでは、動物の出る映像とか、外国の風景などが主だけど、下手なタレントが出演してキャキャー大げさに騒ぎ立てるのは敬遠する。

この調子で行くと、近い将来テレビは見なくなりそうだが、社会のことに関心がなくなったり、動くのが億劫になるとうつ病やボケになりやすいとも言われている。

なんとか、年寄りをキイキイと喜ばせてくれる番組を編成してくれんものかね。

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2016年2月18日 (木)

池田二十世紀美術館

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十四日は本来なら、大室山の山焼きをするはずの日であったので、我われが着いた十五日は真っ黒な山体を見るはずであったが、春一番の激しい風と雨で延期となっており、ふもとの桜公園から見る大室山はまだ、真茶色のままたっていた。

公園には、濃い桃色の寒桜が春一番の風にあおられてか花びらを散らしてしまったものが目立っている。

Img_2422さて、大室山から下っては来たものの、まだ少し時間があるので相談の上池田二十世紀美術館に行って見ようと言うことで話しが決まった。

以前から気にはなっていたこの美術館は一碧湖のすぐそばにあり、仕事などでよく通った道の脇にあったが、あまり大きくは見えなかったので入って見たことがなかった。

ところが、案内所で見たパンフレットにはピカソやダリなど有名な画家の絵が展示されていると言うので、「この歳になっても勉強しなければ」などといって入ることにした。

入って見てかなりの展示品があることに驚いた。ピカソ、ダリはもとより、ルノワール、ミロ、シャガールにムンク、、、、、等々

むかし、ピカソの絵を見たときには何が描いてあるか分からず驚いたものだったが、時代が追いついたためか、絵のよさが分かるようになってきたから不思議。

しかし、キリンの絵の六部作で展示されていたダリにはまだ追いつけないでいる自分がいることに気がついた。

とにかく、二~三十分ほどで出てくる予定だったが、まるで貸しきり状態だったためも手伝ってか、人波に押されるような歩き方をしなくても良いため、一時間以上館内にいたため外に出たら、すでに薄暗くなっていた。

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2016年2月16日 (火)

河津桜を見に

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昨夜音もなく降っていた雨も上がって今朝は絶好の行楽日和といった感じの朝になった。

路面が凍っているから気をつけて、といわれるまで気がつかなかったが、宿から本館の食堂まで行くバスに乗るまでの短い距離を注意して歩く。

食事を早く済ませて、この時間なら大丈夫とばかりに伊豆の東海岸を南下し、河津町に車を走らせた。一番川下の駐車場は九時半だというのにはや半分以上が埋まっている。

何年か前にちょうどこの町を通過しようとして渋滞に巻き込まれたことがあったが、今でもそんなんだろうか。

とにかく、河津町の河津桜は今回が始めてである。川の土手二kmに渡って植えられているという濃いピンクの桜は、足弱の連れ合いがいるわれわれには長すぎる。

と、いうことで道半ばで引き返すことにしたが、別に悔いはなかった。

なにしろ満開に近い一番見ごろの花と菜の花、そして、いくつも並ぶみやげ物を売る屋台の群れは幻灯映画のように、繰り返し繰り返し同じような景色を提供し、足に不自由のない自分にも飽きが来て途中で引き返したくなり、素直に連れ合いを置いてきたところに戻ってきた。

写真は駐車場に戻る出会ったお坊さん。

観光客の邪魔にならない場所で托鉢を行っていたが、”花と地蔵さん”同様違和感のない風景を見たような気がした。

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2016年2月15日 (月)

日本画のような

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豊田から出来立ての新東名を使ってやって来た弟夫婦と連れ立って伊東の伊豆高原に向かうことになった。

今の時期、伊豆半島の尾根沿いの道はしばしば雪が積もるため、電車でもいける場所として選んではいたので、昨日の”春一番”といわれた激しい風と雨は想定どおりといえば格好良すぎる言い分か。

とにかく、空は晴れ、車の運転にはなんら差し支えのない陽気になった。

午後一時近くになって宿の近くに着いたが、まだ入るには早すぎるので、大室山をリフトで登り頂上のお鉢めぐりをした。

前回登ったのは何年前だったか覚えはないが、途中で出会った五智如来地蔵と言う五体の地蔵さんは以前より顔の彫りが低くなっているような気がした。

これは、いまから350年ほど前の運び上げられたものだと言うから、ここ五年程の間に彫りが低くなったわけではないだろうし、あくまでこちらの印象であるが、、、、、、

そんなことを思いながら、一番高い場所から四方を眺めれば、霞はしているが、伊豆諸島をはじめ、真鶴半島の先東京らしきものもみえた。

また、雲の切れ間から顔を出した富士山は真っ白に雪化粧をし、墨で描いた日本画を思わせるような姿で立っている。

下山したもののまだ時間がある、行き当たりばったりで特別見たいところもないので、観光案内所にいき、パンフレットをみて、池田二十世紀美術館に、、、

この項はまたのちほど

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2016年2月14日 (日)

ストーカー?

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朝方風を交えて激しく降った雨も昼にはあがり、午後になってすっかりと晴れ上がったのを期に散歩に出かけてみたが、気温が高く上着を一枚脱いで出かけてみたが、下着を濡らすほど汗をかいてしまった。

カルガモのつがいが遊水地にするため掘った貯水池を遊弋していた。

どちらがオスでどちらがメスかは分からないが、多分先を行くのがメスであり、後ろから付き添っているのがオスなんだろうとおもう。

動物の世界は、人間同様オスメスの比率はほとんど同じと思うが、たいていオスのほうが雌を追い掛け回し、気に入ってもらって初めてつがいになることが出来るようで、その時点ではメスのほうが優位に立っている。

しかし、このつがいは自分の目から見て同じような顔つきに見えるだけに、美男美女なのか、スタイル  容姿が良くて一緒になったのか。

はたまた、しつっこく付きまとった結果なのだろうか。となると、ストーカー?

今日はバレンタインデーとかで、人間のメスがオスに贈り物をして気を引く日だという。

この動物界の常識に反した行いは、義理チョコという隠れ蓑を交えて行われている。

その結果、人間世界だけにある富の偏在化同様、沢山もらえるオスと、全然もらえないオスが出来てしまう。

ともあれ、今朝方の雨風は春一番だとテレビは言い、家の寒暖計は23度にも上がっていた。

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2016年2月12日 (金)

流感の脅威

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近所の医者に向かう途中、富士山をレッカーで吊り上げようと

「かかりつけの医者を作っておいたら」という娘の言葉で、否応なしに近所の病院に行ったら最高血圧で140台だったが、娘が手を回していたためか即座に高血圧の患者にされてしまった。

それからから六年ほどになる。

薬のせいもあってか最近では上が130ミリ台、下が70ミリ台と安定しているが、根気よく毎月一回のペースで通っている。

薬は、毎回28日分もらってはいるが、飲み忘れの日もあるので、どうしてもそれ以上の日数になる。

「毎月、この日に来てください」という予約もないので、適当に行くのだが向こうは何も言わないで診察してくれる。

こちらもずぼらだが、向こうも、、、、まあ、医者というものは相性が良いか悪いかで、名医でなくても良いと思っているのが、ここまで通いつめているのかな。

その医者へ、今日は二回も行ってきた。

はじめは、午前中だったが、いつもの時間に行くと、駐車場が自動車と自転車で入りきれないほどの盛況ぶり、待合室は全席満杯で座れない人までいた。

受付に「出直してくるわ」と告げて、午後、診察開始十五分ほど前に行くとすでに七~八人が待っていた。

半分以上がマスクをして咳き込んでいる。「うわ~ひどいところに来た。俺は今年も流感の予防注射をしていないんだが、、、」

そんなことを思っていたためだと思うが、診察室での血圧は170ミリ台と近年ない状態、、、、、、五分後の計り直したが150ミリ台近く、、、、、、

「まあ、こんなときもあるでしょう」といつものように一番軽い錠剤を処方してくれてチャンチャン。

しかし、流感の心配は消えず、病院を出たところで肺の空気をすべて吐き出しておこうと深呼吸を繰り返して帰途に着く。

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2016年2月11日 (木)

年年歳歳

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富士市の岩本山公園。

園内の梅がいま見ごろを迎えている。

あまりの天気のよさに誘われて朝早く出かけてみたが、同じ年頃のご同輩も朝が早いようで、駐車場は早くも満杯を迎えていた。

西南隅の高みに植えられている紅梅白梅の間には、高級なカメラと三脚を立てた人でいっぱい。

どの人も目指すは、花と富士山、これがはまる梅の周りは一山の黒だかり。

しかし、今日は空が晴れ渡りすぎて愛想が無い。

そのうち、かたすみからカメラの写し方について講釈する人があらわれたり、「何枚も写したけんど、結局は同じもんばっかり」なんて声も聞こえてきた。

”年年歳歳花相似たり、歳歳年々人同じからず”という言葉がある。

気象条件が幸いしてか、このあたりの梅の木は苔がついた木が多く、若木の割には風格を持った木を前にして人の成長(精神)の遅さを見るような気がした。

帰り際に駐車場近くに出ていた屋台で例年通り焼肉を買って頬張る。

風もなくぽかぽか陽気の青空のした、ほどよい塩加減の肉を串から引き抜いて、、、、、

花より団子を絵に描いたような風景は、年年歳歳年寄り相似たり。

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2016年2月 9日 (火)

百合のめしべ

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このあいだテレビを見ていたら、西洋の絵画で百合の花を描く場合、中世まではおしべを描かないことになっていたそうだ。

百合の花には特別な感情が入っていたようで、おしべは汚らわしいという思いがあったとのこと、いっていた。

そして、それをはじめて描いたのはかの有名なレオナルドダビンチさんが受胎告知に百合の花を正確に描いて、、、、とのことだった。

”色即是空”とは、般若心経の一説だが、西洋の宗教は汚らわしいと決めたものは消し、ガリレオが地球が廻っているというのをヤット最近まで赦さなかった。

ところが先日になって、花屋で買ってくる百合の花は、めしべがご丁寧に切ってあるのを発見して、自慢げに話したら、そんなのはずっと以前からの常識であるといわれた。

なんでも百合の花の花粉は、一度衣服につくと洗っても落ちないから、というのが理由だそうで、それを知らなかったのは長い間百合の花を見ていなかったことになる。

それにしても、自然をありのままにしておくということがなぜ出来ないか。

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日銀が逆金利を発表して、実施の当日から株価が急落し、円相場が上昇したとテレビは報じていた。

アベノミクスも何本もの矢を放ってきたそうだが、その効果は依然として現れることがなく、生活感は石油が安くなっている以外に苦しさは日々募ってくるのを感じている。

ひとっころ、株価上昇でホクホク顔をしていた人はどうなっているだろうか。

株は野菜のカブしか持っていないので暴落してもしばらくは関係ないが、儲け口のなくなった銀行は、預金につく臍のゴマのような金利がさがり、手数料を上げる気配を示しているそうだ。

二~三日前、ある信用金庫から電話が来て、「年金の受け取りを私どものほうに切り替えてもらえないものでしょうか」という。

「時間外の手数料を一回108円も取っているけんど、どれだけ貯金をしたらこの手数料を利子でもらえるのかね」と断わった。

火事や泥棒の心配さえなければ手元に置いとくんだけんどなぁ~

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2016年2月 8日 (月)

え~と

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Img_2305_2今日は旧暦の元旦。

いまだにこの日を大事にしている中国は、西暦との関係をどう折り合いをつけているのだろうか。

日本の元号と同様、両使いをしていて矛盾を感じていないのかもしれない。

と、なると、西暦の元旦は普段どおりに働いているんだろうか、、、、、(なぞ大き国 中国)

ともあれ、日本の正月同様海外に出かけて、目いっぱいの買い物を楽しみ、買ってもらっている人たちを喜ばせている。

それにしても、あの集団が押し寄せれば、声高に話す声が大きくて、一種の騒音公害みたいになってしまうのは何度か経験しているが、自分には耐えられない。

この時期は観光地に出かけるのはためらわないといけない。

近場の海岸から見る”春の海”

てらてらと光る海面にごま塩をまいたように見えるのは、釣り船の群れか。

最近では、どの船にも魚群探知機が備え付けてあるので、あのあたりに魚が群れているのが分かるんだろうな。

「距離にしてどのくらい沖にいるのかな?」なんてつぶやいたら、隣の日焼けしたおっさんが「14~5海里」と答えてくれたが、頭のなかで「え~と1海里は大雑把に言って1600m?いや、それはマイル、海里は1800mちょっと」すると、、、、頭の中はこんがらがってくる。

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2016年2月 7日 (日)

ふるさと

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あたたかい日差しの中、時折吹き抜ける風はひんやりとした冷たさをもっている

しかし、狭苦しい車からは解放された子供たちには帰って心地よいらしく、芝生の丘を駆けていく。

こんな芝生の丘はなかったが、ちょうど今頃から雪の表面は日中の太陽に照らされたあと、夜中の冷気で凍るため雪の表面が硬くなり、長靴だけでもゴボル(めり込む)ことがなくなり、自由に走り回れるようになり、この子供たちのように雪山を走り回ったことを思い出した。

あの風景はいまでも健在だろうか。

先年の同級会では”兎追いし かのやま 岩魚釣りし長棟川 夢はいまもめぐりて  忘れ難き ふるさと、、、、”なんて替え歌を歌ったものだった。

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2016年2月 5日 (金)

春を満喫

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「そういえば、薩埵峠の寒桜が咲いているはずなんだけど、今年はテレビも新聞も何にも言っていないよね

「そんじゃ ちょっと行って見るか」ってんで向かって見た。清水側の駐車場まで車で二十分ほど、、、駐車場に着いてみると一台しか停まっていない。

今日はウイークデーなのは分かっているがそれにしても少ない。

そこから、細い道を登って峠に着く。

この道は広重書くところの東海道は由比の場面だというが浮世絵ほどは急な坂でもない。

ものの10分足らずで登りきる峠近くに植えられている寒桜はもう散り加減。

花の寿命が長い花がこの調子だとかなり早くから咲いていたんだな。

雲ひとつない空に富士山が浮かび、桜の花が色を添えており、花の間をミツバチやメジロが蜜を求めて飛び交い、それを邪魔するかのようにヒヨドリが傍若無人振りを発揮している。

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眼下には日本の大動脈である、東名高速道路と国道一号、そして、山際を東海道本線が並んで走っている。

往復2キロほどの山道をゆっくり歩き春を満喫してきた。

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2016年2月 4日 (木)

春 たちぬ 

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昨日が節分で今日が立春。

例年なら”早春賦”の歌が似合うのだが、今年は童謡の”春が来た”に近い状況になった。

今日も今日とて、麻機沼へ散歩にでかければ、気温十三度。上着を一枚脱いでも汗ばんでくる。

沼のほとりの陽だまりに生えている猫柳の花芽も膨らみ、外周の産毛が日の光を通してもやっとした輪郭になっていた。

いよいよ 春たちぬ

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野球の清原元選手が麻薬で逮捕された。

以前から週刊誌で疑問視されていたのだからそれを期に止めればよかったのだが出来なかった。

それが麻薬の恐ろしいところであろう。

高校野球で一躍有名になり、周りからおだてあげられてきた半生は、いわゆる野球しか知らない専門馬鹿になってしまったとしかいいようがない。

先日もテレビを見ていたらタレントの松本人志が甘利元大臣の収賄疑惑にからんで「自分たちも知らない人から金をもらうことがあるけれど、それも罪になるの?」なんて馬鹿を言っていたが、あまり周りからちやほやされると自分も大臣並の偉い人なったと思ってしまうのだろうか。

そして、これらの事件に関して思うのは、週刊誌の記事がそもそもの口切りであったことである。

一説によると、甘利事件は最初ある新聞社に持ち込まれたそうだが、取り上げられなかったそうだ。

以前なら、新聞社が率先してこういう記事を物にしたものだが、最近では政府の顔色を伺うあまり週刊誌に先を起されてしまうまでに成り下がってしまった。

こんな状態が続くようになると、政府は次に週刊誌を脅かしと法律で報道を黙らせてしまい、今の中国のような状態になりさがること、必定であろう。

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2016年2月 2日 (火)

間違える

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ウグイスのことを春告げ鳥と言うのは、春一番に例の”ホーホケキョッ”って啼くところから付けらた名前だが、普段は藪の中にいてなかなか出てこない。

そこで間違えらたのは、色が少し似ていてよく見かけるメジロである。

相当以前から間違えられていたようで、日本古来の花札にも梅の枝に掴まっている鳥を鶯に見立てて「梅に鶯 ホーホケキョ」といってきた。

今年は山に餌が豊富なのか、庭の蜜柑に目白がやって来ないとと思っていたら、山のツルウメモドキに群れを成してメジロが来ていた。

正月前後には艶々と輝いていた真っ赤な実も、すっかり干しあがって皺皺になっているのを夢中になって食べている。

餌がなくなって群がっているのか、このくらいになってからが旨いのか知らないが

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アメリカの大統領選挙の予備選挙で、共和党の候補者であるトランプ氏が首位を取れなかった。

事前の人気度ではトップだったのだが、アメリカの良識が動いたのか、応援していた人の投票率が低かったのか、、、、、、

まずこの人の名前を聞いて驚いたのは、カードだけでなくトランプと言う姓があったことだった。(トランプタワーってのがあることは聞いていたが、、、)

次に、歯に衣を着せぬと言ったらよい言い方だが、思ったことをそのまま口にしたのが共感を呼んだらしく人気が出たそうだ。

一国の指導者なり、権力者になろうかと言う人がこれで決まるとすれば、アメリカの国民性が疑われることになるのだが、支持率が高いと言うことは、面白半分のジョークでなかったようにも見受けられて怖いなと思う。

しかし、日本はもとより世界の情勢は、自分の国だけしか見ない孤立化、右傾化の指導者が増えてきているし、大衆もそんな方向に向かっているようにも見える。

前の大戦まえにも、民衆の不満が高まって、全体主義化していくなどの情勢から始まっているのを考えると、案外近いのかも知れない。

鶯とメジロを間違えるくらいなら罪はないが、ハートのキングとスペードのキングを間違えるととんでもないことが起こりそう。

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