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2016年3月31日 (木)

山桜登山する

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今日もすっきりとは晴れなかった。

春を象徴する陽気のようで、これもまた乙である。

今年は、染井吉野がぐずぐずと手間取っている間に、山桜はどんどんと山を駆け上り、300mほどの山の頂にまで達っしてしまっている。

Img_2771古来桜と言えば山桜を言ったものだが明治になって染井吉野に変わられてしまい、新聞などの開花情報は染井吉野のみ、、、、

子供のころから慣れ親しんだ百人一首にはいくつかの桜を読み込んだ歌があるが、その中で一番すきなのが、”もろともに哀れと思へ山桜 花よりほかに知るひともなし”という歌である。

山の奥に行って、突然目の前に淡いピンクの花を見たときに、「誰も見てくれる人もいないのにお前さんはどうしてそんなに妖しくも綺麗なの?」ってつい言いたくなってしまう。

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2016年3月30日 (水)

春真っ盛り

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菜の花畑に入日薄れ 見渡す山の端かすみ深し

春風そよ吹く空を見れば 夕月かかりて 匂い深し 

今日の気温は二十二度。 

車を運転していても暑く感じられるのは、すこし寒かった最近の気温との差によるもであろう。

畑の菜の花は、数は沢山あるものの、やせ細っていて一本一本はすこし惨めな感が強い。

菜種を取るわけでもないようだし、蜜蜂のためとも思われない。

しかし、これだけ植えられていると、まさに春真っ盛りの感がつよく心踊る風景である。

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2016年3月28日 (月)

蓮華の花見に

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Img_2718静岡に来た三十数年前には家の傍の麻機田んぼは一面のじゅうたんを敷いたように赤紫の花で埋まっていた。

根が窒素を固定化するとかで、政府が補助金を出して蓮華栽培を行わせていたからである。

それが打ち切りになって、いまでは、ところどころにぽつんと残るのみ、、

一体、田んぼに蓮華が必要だったのかどうか。

ただ補助金を受けるためにだけ撒いていたとしたら、この美しい景色も日本の農業をだめにした見本のようで情けなくなる。

実際は、自然農薬であり、残しておきたいものの一つではなかっただろうか。

同じようなことかもしれないが、巴川の両岸を芥子菜の花で黄色く染まっているが、これは、ミツバチの養蜂家が種をまいたという話を聞いたことがある。

その伝で行けば蓮華の蜜もよい蜂蜜の原料となるので農家と話し合って何とか出来ないのか、とおもうのだが、仲介する農協が農家に対する影響がなくなくなり難しいと言う話しも聞いた。

ともあれ、赤紫の絨毯がすべてなくなったわけではないので、訪ね歩いて眺めることにしよう。 

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2016年3月27日 (日)

梶原山散策

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昨日は疲れがどっと出たようでグダグダと過ごし、今日もその続きをしそうだったので、近所の梶原山に入ってきた。

山頂は風もなく、うららかな日和ではあったが、低気圧が近づいてきている前触れの笠雲が薄く富士の山頂を覆っている。

そのさまは、まるで絹のスカーフに似て、薄ぼんやりとしている。

P3270010今年のさくらの開花予想は当初23日ころと言う話しだったが、いまだに標本木が咲かないようで開花宣言が遅れている。

しかし、ここ梶原山の染井吉野はどの木もわずかながら咲いており、ここに標準木があればとっくに開花宣言が出せていたはずである。

平地の桜より標高150mほどの山の頂上付近が早いのはなぜか、、、、。

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新幹線が津軽海峡の底を通って北海道に達した。

おもえば、昭和54年この工事をしていた鉄建公団に誘われたことがある。

当時、この工事は始まっていたが、なにぶんにも海底を掘削するだけに、湧水がおおく、工事の進捗状態が悪いこともあり、先進ボーリングで地質を調査し、周囲に薬液を注入しながら進むという工法を取っていた。

そのため、これらの経験があるものを探しており、一応声ががかかってきたようであった。

もしこの誘いを受けていたら、現在どうなっていただろうか。と、元トンネルマンという人が説明している画面を見ながら思った。

先日の同級会でも話の中に出てきていたが、完全に就職できると言うことで地元の鉱山高校に受験者が押し寄せ、四倍ほどの倍率なっていたが、その高校の受験に失敗して、ほかの高校に行った仲間のものが、その後社会にでて活躍し、鉱山では考えられないような仕事をした。

人それぞれではあるが、自分も途中で鉱山を退職し静岡に流れ着き何とか現在の状況を作ることが出来た。

その間、二度会社を変え、三度目に自営業となったが、職種のボーリング関係から離れることはなかった。

とは言うものの、転職のときとか、ほかからの誘いがあったとき、どちらを選択してきたかで、現在の生活が違っていたんだろうなと思う。

ともあれ、人間は棺のふたを覆って、はじめて幸せだったかどうかが決まると言うが、この先どんなことが待ち受けているんだろうか。

多分このまま、そう長くない時期に棺おけの蓋に釘を打つ音が聞こえるのだと思っているのだが、、、、、、

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2016年3月25日 (金)

うっすらと白く

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昨夜は遅くまで飲んでいたので、寒さも気にしていなかった。

着替えもせずに寝ていた衣服を交換しようと外に出てみたら、一面うっすらと雪が積もっていた。

飛騨地方は、屋根を軽くするためコールタールを塗った黒い屋根が多いのに、今朝の家々の屋根は真っ白。

宝の山であった二十五山につづく山襞も白くみえ、この時点で今日山の村に行くのを早々に断念した。

朝の食事を済ませ、墓参りをしたあと従兄弟の家に行き、念のため山の村に電話して見ると、日当たりの部分は問題ないが、山陰のカーブしたところが慣れないものには危ないかもしれないと言う。

いつものようにふるさとの忘れがたき味を買い込み、早飯を食べて帰途につく。

ゆっくり休み休みの運転ながら、五時間弱、まだ日のあるうちに静岡に帰り着く、、、以前に比べて格段の近さになっている。

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2016年3月24日 (木)

なんて幸せものよと

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高山陣屋の中庭

同級会は宿の好意もあってか昼ごはんまで滞在することが出来た。

朝の冷え込みは厳しく、零下八度まで下がったとか、おかげで自動車のフロントグラスはガビガビに凍りつき、道路の各所で凍って足元が危うかった。

それでも天気がよく、太陽で地面の氷が解けたころを見計らって、何回も見慣れた朝市にみんなで出かけることにした。

そこで正式名を荏胡麻(エゴマ)飛騨ではアブラエというが、いま人気の穀物を買ったきりであとは、徳川時代の政庁であった陣屋と立派な石垣を持つ"高山 まちの博物館”を見物し昼ごはんに戻った。

食事のあとほとんどのものが、宿の送迎バスで向かうのを見送ったあと、自分は古川に住む、むかしの友人を訪ねて車を走らせた。

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神原峠から下り坂でも降っていた雪

その途中、積もることはないが激しい吹雪に出会い、思わず車を止めて見とれてしまった。

友人はタイミングよく在宅、むかしの職場や機関紙の編集などを語り合い、一辺にここでも昔の若いころにタイムスリップしたような体験を得ることが出来た。

泊まって行け、と言う友人の言葉もありがたかったが、今晩の宿も決めていることだし、と、断わり、神原峠を越えて神岡へ、、、、

神岡に着いたのが午後四時ころ、ここでも、むかしの職場仲間であり、先輩でもあった人に電話したところ、気持ちよく応対してくれこコーヒーを飲みながら語り合っていたが、「今日は調子がよいから飲みに行こうよ」といってくれた。

じつはコーヒータイムの話の中で、心臓が時々細胞振動を起すので、近ぢか手術をすることになっており、いまその順番待ちだと聞いていただけに思わぬお誘い、大丈夫?と心配しながらも嬉しくなってしまい、ビジネスホテルにチェックインをしたあと二人で長年通いなれた町の中を歩き回った。

神岡を離れて三十七年、アポなしで突然訪れたのに、いまだにこんなに歓迎してくれるものがいるなんて、なんて幸せ者かと思いながら、十一時半まで三軒の店を変えながら食べて飲んで、、、

宿に帰ったものの、シングルベットひとつだけの部屋に入り、きがえもせずにそのまま眠りについた。

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2016年3月23日 (水)

歌って笑って同級会

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平湯から乗鞍四つ岳を臨む、鉛色の空に黒々と浮かぶ

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平湯峠途中から見るスキー場

トンネルを抜けるとそこは雪国だった。を文字通り表現した景色である。

中央道をおりて、梓川沿いをさかのぼる間上高地との分かれ道がある県境まではなだれて落ちた雪を谷あいに見る程度だったが、安房トンネルを抜けて飛騨側に出ると道路以外はまだ雪が50センチ程度は積もっている。

高山に向かうため平湯峠へ行く前、左手にある平湯スキー場はまだリフトが動いており、スキーが可能であった。

今夜は待ちに待っていた中学校の同級会。

「これが最後かもしれない」と言う幹事の脅かし文句も手伝って、九人が参加した。

卒業当時で二十二人という小さな学校だったため、亡くなった人や病気のためどうしても動けないとして参加できない人を除くと、出席率90%にもなりほぼ全員参加といっても差し支えない。

卒業して六十一年ずいぶんと古びてしまった仲間は、もともと親しかったのだがさらに気兼ねのない仲になり、相手を前にして「太ったね」「ボケたね」と言っても笑って受け入れるほど、、、、

話は尽きず、午後二時半に宿の集まってから夜が更けてほかの部屋に迷惑をかけては悪いと十一時に区切りをつけるまで、九人が一部屋に集まり、歌って笑ってのひと時をすごした。

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2016年3月22日 (火)

艶かしく

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Img_2589ボケの花がいまを盛りと咲いている。

すこし風が強かったためもあってか、真っ赤な花びらの上に黄色い花粉を散らしているさまは、なんとなく艶かしさを感じないでもない。

古くから低木の庭木として植えられていることから、種類も多く一重から八重咲きまでいろいろあるし、色合いもさまざまである。

名前の由来は、変形した卵のような実をつけるところから、木の瓜と書いてボクコウと呼ばれていたがしだいにボケになったそうで、認知症から来たのではない。

また、日本特有の家紋と言うものがあるが、木瓜紋というのが五大紋所のひとつに数えられているが、字が同じながらボケの木瓜とは違うようで、家紋のほうは鳥に巣を表しているのではないかという。

そうでなければ、木瓜の紋所を出して、「このボケが目にはいらぬか」といってもしまりがつかないだろうな。

ちなみに花言葉は”平凡”というそうだが、平凡とは優れたところも変わったところもない、つまりその他大勢の中に埋もれてしまっていると言う感じがするのだが、、、、、この花はそう見えるかい?。

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高山で開かれる同級会を明日にひかえて、ついでの寄ることにしていた神岡の天気予報を検索して見たら、曇り空の下気温がまだかなり低くて、23~25日にかけて、最低気温が零下三~五度になる予想である。

最高気温も10度がやっとという、この調子では雪が降らなくても朝は道路の水溜りが凍っていること間違いなしとみて、タイヤをスタッドレスに履き替えることにした。

いつも世話になっている自動車屋に「タイヤ交換をしたいので、、」と電話したら、スタッドレスから普通タイヤに変えることと思っていただけに、びっくりされてしまった。

なにしろ、岐阜と長野の県境を通って、平湯峠を越え、数河峠、そして伊西峠、山吹峠といずれも1,000m級以上の峠越えをする予定なので、、、、

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2016年3月20日 (日)

庭の雪柳

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早いもので暑さ寒さの分かれ目である立春も過ぎ、春真っ盛りの春分の日とあいなった。

鶯の初音はやっと三~四日前、そして、昨日あたりから染井吉野の開花も聞こえ始めてなんとなくうきうきしてきた昨今であるが、華やかな花とは一線を画したように咲く雪柳もまた風情がある。

この花本来ならもっと早く咲く花なのだが、あいにくと育つ環境が悪い。

塀にさえぎられ太陽光線もあまり当たらず、地味も悪いためか、名前の由来となった沢山の白い花が、雪を連想させるほどに咲かせることが出来ない。

枝先にぱらぱらっと咲いているさまは、この花の別名である”小米花”というのが当てはまるくらいである。

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2016年3月19日 (土)

そわそわと

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多分こういう性質のチューリップだと思うのだが、芽を出したと思ったら、一週間ほどで咲き出した。

こんなに背丈が低いチューリップなら親指姫も簡単に飛び降りれそう。

久しぶりの雨も午後から日差しが出てきて、あったかくなってきた。

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a二十三日は中学の同級会、幹事がこれで最後になると思うと書いたものだから、生き残っているものの殆どが参加することになったそうだ。

と、いっても、参加者は十名ほど、もともとが二十二名ほどしかいなかったのが、ひとり欠け二人欠けして、、、、、、、、

とにかく、同級会のどこが面白いの?と言う人を尻目にして、いまからわくわくしている。

開催地は、ふるさと近くの高山市なので、天気はどうだろう。雨ならよいが雪が降らないかとやきもきしている。

幸い天気予報は、上々とは言わないまでも、まあまあだとでている。

こんなにも前からそわそわしているのは、本当にこれが最後になるためだろうか。

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2016年3月17日 (木)

寝坊するなよ

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ぽかぽかとした春日和の中、孫むすめの学校の卒業式がグランシップでおこなわれた。

大体、孫の卒業式に顔を出したのは、一番上の孫が小学校を卒業したとき以外、小学校の運動会だけで、卒業式はもちろんほかの学校行事にも出かけたことがなかったので本当に久々のことである。

しかし、孫の父方のおばあちゃんがぜひ行きたいと言うので、その付き添いをかねて出かけてみたのだが、会場に着くとその人数の多さにはびっくりした。

こんなに卒業生がいるんだ。

そして、それぞれが振袖にはかま姿の女性が多い。

ただ、成人式と違うのは派手な衣装の男がいないことであろう。

もちろん男性もいるのだけれど、色彩豊かな女性陣の華やかさの影に隠れてしまって目立たない。

開会時間になって、会場の二階から式典を見ていたが、ここでも各学部代表が一角にいて、卒業生代表として壇上に上がるのだが、かなりの人数が女性であったことにおどろいた。

どうやら、女性のほうが成績のよい人が多いのではないかとおもわせる光景が続く。

多分まじめに授業を受けているのは女性なんだろうな。

ただ、成績だけで合格する公務員などで、近い将来女性上位社会が到来しそうでなんだか怖いような気がし、男子学生がんばれとエールを送りたい気持ちになった。

ともあれ、孫むすめは浜松に就職口を見つけ、あすから借家に入るそうだが、いままで親元を離れて暮らしたことが無いだけに、じいじのはげましの言葉は「寝坊して遅刻が原因のクビにだけはなるなよ」だった。

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2016年3月16日 (水)

ゆらゆらゆれて

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Img_2618「くしゃくしゃするから、花が咲いているとこ、、、どっか行って来ようよ」っていうんで、とりあえず当てもなかったけれど車を西に向かっては知らせた。

一号バイパスを走りながら、岡部を過ぎたあたりで、吉田公園へ行けば何か花が咲いているんではないか「新聞では何も言っていないけど、うまくするとチューリップなんてことでも、、、」

そのため島田で一般道に降り、大井川を渡って南下する。

このあたりも道がすっかり変わり、仕事していたときの面影はない。

それでも、吉田漁港から東に向かって走ったところの公園に着いた。

催しごとがあったり、チューリップなどの花が咲く時期になると、駐車料金を取る駐車場も、何もない時期は無料開放しているので、このがらがら状況はそんなに花が咲いていない感じ取られる。

それでも入り口近くのポピーは綺麗だった、細い茎の上に直径6センチくらいの薄い羽根のような花びらをゆらゆらと揺するさまは死後の世界に行くとき綺麗なお花畑を見るそうだが、こんな光景かと思えるほどの咲き方である。

赤 白 黄色と色とりどりの花びらながら、中心部のおしべめしべはどの花も同じ色、この色が昆虫にとって一番魅力的なのだろうか。

そんなことを考えながら外周をゆっくり一週、散歩もかねて、少ない花を捜し歩いた。

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2016年3月15日 (火)

フユアオイ

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このはな冬葵という雑草。

見てのとおり葉っぱの形、花の形はタチアオイに似ていて、その仲間だそうだが、一年中葉は枯れないし、穴の大きさも6mmほどしかない小さなもので注意していないとほかの草にまぎれて見落としてしまう。

しかし、もともとは中国から入ってきた薬草で、便秘や膀胱炎の薬に使われてきたそうだ。

前々から咲いていたので、そのうちそのうちと思っている間に過ぎてしまっていた花である。

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a言っても仕様のないことながら、民社党と維新の会が合併して、民進党という名前にすることになりそうだ。

ただ、なぜその党名なのかというと、アンケートで多かったというだけだそうだ。

そのうち、党の方針も決まってどんな方向を目指す党なのかということになるのだが、まず名前ありきというのもいただけない。

もう少しで参院選が行われ、衆院選も何時なのか分からない状態でこの党がどっちに行くのか分からないと言うのも変な話である。

民主党が先の選挙で大敗した原因に対する反省と今後その教訓をどうして行くかと言う方針が示さなければ、自民党がどんなにおごりと暴挙をしても一般大衆は付いて来ない。

一+一が何倍にもなることもあるが、増えないどころか減ることもあることを覚悟してかかって欲しいものだ。

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2016年3月14日 (月)

水かさ増しても

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一日中冷たい雨が、より寒さを感じさせてくれる。

寒の戻りというやつか。

これでは、冬鳥のオオバンもまだまだこの地を離れるわけには行かないだろう。

ただ、腹が減っては戦というか恋もままなら無いようで、水かさの増した川に入って、腹ごしらえにはげんでいる。

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2016年3月12日 (土)

林立

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”土筆誰の子杉菜の子”とはよく言ったもので、地面からすくすくと育ったツクシは毛筆を思わせる。

しかし、土筆はその形態からいている言葉なので、ツクシとは、と検索して見たら船の航路を示す「みおつくし」からでないかとか「突く突くし」からではないということであり、いずれも突っ立っている状態かららしい。

ともあれ、寒い寒いと言っていたが、ここ二~三日の雨で急に目覚めたようだ。

また春が一歩を踏み出した。

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タイの観光地の海岸で、日本人が30人ほど全裸で騒いだと言う記事を一週間ほど前に見た。

傍にはタイ王室の関連施設ものもあって、日本で言えば御用邸のある須崎海岸みたいなとこになるそうだ。

ガイドが止めるのも聞かないで騒ぎ立てたそうだから、まさに国辱ものであろう。

こんな事件が起きればすぐに中国人といっていたが、、、、、、

この団体は、株式会社DYMというそうだが、どんな会社だったのか、ホームページを閉じていて、さっぱり分からない。

それにしても、ホームページを閉じれば、不祥事もチャラになるとでも思っているのだろうか。

土筆の林立はそれなりに見られるが、オチンチンの林立はあまりいただけない。

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2016年3月11日 (金)

月さま雨が

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「月様 雨が」「うむ 春雨じゃ濡れてまいろう」我われ世代なら誰でも知っているこの名文句も現代娘の孫には通じなかった。

「雨が降れば月なんて出ないじゃない」っていう。

月さまとその月とは違うっていっても、明治維新は新撰組土方フアンにとっては興味のないこと。

昨日今日とかすかながら小粒の雨が降っていて、傘を持って散歩に出たものの、広げるほどの降りではなかった。

多分、月形半平太もこんな雨であったのだろう。

そんな雨でも、椿の花には堪えたらしく通りすがりに、ボタッと言う感じ赤いじゅうたんでも敷いたような落花の中に埋没していった。

そのさまを見て、”春眠暁を覚えず、、、、、花落ちることを知る多少”てな句を思い出し、これをもじって”二度寝暁を覚えず、、、、ただ朝から不調を知る多少”

歳をとると、最近の機械には対応できなくて、過去にすがりつき、なにかにつけて古い昔を思い出に埋もれることを好む。

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今日は東北の地震から五年目の当たる。

当時、テレビの画面を見ながらこれがテレビの中だけの出来事ならよいのだけど、と思い、何も出来ないことをもどかしく思ったものだった。

そして、そのときのそれぞれの被災者がどんな状況だったのかを聞くと涙もろくなった昨今、連れ合いに顔を見せないようにそっぽを向けている。

それにしても昨日滋賀県であった、敦賀原発の判決は、久しぶりに聞く耳に心地よい判決であった。

原発再稼動に前のめりの政府や電力会社は反発しているようだが、原発事故の解明もないままに、闇雲に再稼動を進めることが本当に国益にかなうことではないはずである。

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2016年3月10日 (木)

目くそ鼻くそを笑う!

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近所の遅咲きの梅の花にシジュウカラの群れがやってきた。

昆虫などを常食にしている鳥が何だって梅の花に群がっているんだろうと思っていたら、梅の木についた苔の中にいる虫を探しているようだった。

この騒ぎを聞きつけたのか、今度はメジロまでが来ていっそう梅の木はにぎやかになった。

憎たらしいヒヨドリなら早速他の鳥を蹴散らすのだろうが、身体の大きさがそんなない違わないためか、食べ物が違うせいか、入り乱れてはいるが喧嘩をすることが無い。

しかし、なかなかひとつのファインダーの中には入ってくれないのは、心を赦しあっているわけではなさそうだ。

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プロ野球 巨人軍の選手から四人目の賭博者が出た。

本人も認めていることから前の二人同様の処分が下され、野球界から追放になることになりそうだ。

狭き門をくぐった野球漬けの彼らはこの先どうなっていくのかと思うと、もう少し先を考える人であってほしかった。

以前にも大相撲の力士が同じ賭博で何人も追放になっているが、彼らもその後の生活がままならない状況になっている。

それを他山の石とするだけの、教養がなかったのだろう。

最近卓球の選手が国際的に活躍できるようになったのは、幼いころから能力のありそうな子供を選抜し、トップクラスの選手は親元を離れ合宿しながら強化したしたためだそうだ。

ただ、その中でただ鍛錬するだけでなく、一般教養やプレゼンテーションなどの教育もしているそうで、一流選手は20歳前の人が多いのに、”文武両道”を兼ね備えているそうだ。

それに引き換え野球や相撲界には筋力だけで頭は空っぽと言う人が多すぎる。

今回の報道を聞いて、これら賭博容疑は巨人の選手だけなのだろうか。そうだとするとなぜなのかと言った疑問もある。

ただ、このことから野球界の老害というか、巨人軍の独裁者が引責辞任したことだけが取り柄ということだろう。

ついでに言わせてもらえれば、ほかのスポーツ団体、とりわけ、責任逃れの船頭が多すぎるオリンピックの関係者の老害も合わせて始末してほしいのだが、、、、、

おっとあまり書きすぎると「目くそ鼻くそを笑う」って言葉があるのだぞって言われかねない。

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2016年3月 9日 (水)

吾輩は猫である

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「我輩は猫である。 まだ名前はない。 それは野良猫だから、、、」

田んぼの水路からこちらの様子を伺う猫。

可愛らしい顔つきをし、毛並みもよいので飼い猫かと思っていたら野良猫だと言う。

どうりで、人に対する警戒心が強く、いつでも逃げ出せる体制をとっている。

その猫が、こんなに綺麗なのは、猫好きの人が餌を持って通ってきていて、栄養状態が良いかららしい。

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最近、飼い犬より飼い猫のほうが増えているそうだ。

なんでも歳をとってくると犬は散歩に連れて歩かなければならないのが減った原因だとも言われている。

傍に身寄りがなかったりすると、こういう動物に慰めを求めたりするそうだが、歳をとって飼いだした動物は、それこそ猫っ可愛がりをしているため、しつけが成っていない。

犬は無駄吠えで近所に迷惑をかけ、猫は花壇に小便をして草木を枯らすなどトラブルをかもすうえ、日本人の死生観からか捨て猫 捨て犬があとを絶たない。

我が家では長い間、動物を飼ったことが無い。

古女房と毎日のように小競り合いをしている身にとっては、まだ犬猫を飼いたいという気分にはならない。

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2016年3月 8日 (火)

一斉開花

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Img_2543_2先日来すこしづつ咲いてはいたが、まだ早いと思っていたら、昨日の雨から今日の暖かさで、一気に花が開いてしまった。

つぼみのうちは赤紫の濃い色をしているが、内側が白いので、開花すると白い花のボンボンみたいになるのだが、今年は一気に開花したためかいつもより色鮮やかに見えるのは気のせいか、、、、、。

とにかく、一斉開花の影響は離れたところまで花の香りが馥郁を通り越している。

香水と一緒であまりきついのは日本人向きではない。

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2016年3月 6日 (日)

あきらめたんだ!

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むかし見た雪中のやぶ椿にはおよびもないが、木漏れ日を受けて花弁を輝かせている今日のやぶ椿も綺麗である。

伸び放題に伸びてはいるが、ほかの木に比べるとどうしても寸が足りなくて日陰の花になってしまう。

これも宿命と言うべきなんだろうが、精一杯真っ赤な花を咲かせて、存在感をアッピールしている。

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年末に行ったきりの床屋へ久しぶりに行ってきた。

午後から雨もよいに天気になるという予報があたって湿気が強くなってきた時点で髪の毛がやたらに重く感じてきたのが、行く気になった動機である。

しかし、日曜日と言うこともあって、しばらく待たされての散髪は年寄りの気短さも手伝って、少しおかんむりので出しになったが、店主の上手な床屋談義にほだされて気持ちよく帰ることが出来た。

あらためて、人間は歳をとるごとにまあるくなるのは難しいと悟った。

そこで、床屋談義になったが「以前、娘の安産を願って霊験あらたかと言われるお寺に行ってお札を授かってきたのだが、和尚が曰くには本堂の修理のため屋根瓦の寄付をお願いできませんかいわれた、檀家でもないし、安産のお札もそれ相応に払っているので、出来ませんと言ったらとたんに態度が豹変して、ぶっきらぼうになってしまった」という。

「そんなことくらいで態度が変わるなんて和尚も修行が出来ていないって言ってやったら、、、」

「和尚でさえそうなら、我われ煩悩の塊みたいなものはなかなか仏様のようにはなれるはずが無い」

「ある頑固親父が年老いて下の世話をされるまでになったら、好々爺になったそうやぜ」

「それは人間が出来たのではなく、あきらめたんだよ」って隣で頭をあたってもらっていた親父が横槍を入れてきた。

        さもありなん!

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2016年3月 4日 (金)

ぽかぽか陽気に誘われて

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あまりのぽかぽか陽気に誘われてでかけてみたが、富士山は裾からかすんでいて見えない。

春霞で見えないのなら風雅であるが、自動車のフロングラスについたほこりの様子からして黄砂に違いないだろう。

富士山直下の山梨県鳴沢村の道の駅から見ても霞んでいるのだから、、、、

ここまで来たのならついでに、節分草が咲いていないかと精進湖から上九一色村に下って見たが、どこも季節の到来が早いようでいつも咲いていた畑の通路は立ち入り禁止の札が下がっており、覗いてみたが花の気配はなかった。

結局のところ、ぐるっと一回りしただけで帰ってきた。

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2016年3月 3日 (木)

これも紅一点

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浅間神社から連なる賎機山の北側に、一本の緋寒桜がようやく満開を迎えているらしく、ふもとから見ても鮮やかな色合いで眺められる。

ふもとではすでに、この桜は終わり河津桜のピンクに変わられているが、少し山を登ったところにあるためか、北東向きの斜面で気温が上がらなかったためか、開花が遅れていたようでいまが満開である。

いずれにしろ、毎年この場所は常緑樹に囲まれた、元蜜柑小屋の脇に植えられているのでよく目立つ。

中国の詩人王安石が詠った”万緑叢中紅一点”がそのまま当てはまる光景である。

もっとも王安石が歌ったのは、ざくろの花であるが、この際緋寒桜に変えて解釈しても差し支えないだろう。

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いま、「保育園落ちた 日本死ね」というインパクトの強いブログが評判になり、国会でも取り上げらた。

記事の書き方は乱暴だが、働きたくても働けない状態を訴えるにはこんな書き方をするしかないだろうと言うのはわかる。

と、同時に、最近では老老介護以上とともに、働きたくても働けない介護離職というのもある。

働ける世代の人口が減っていると言う現状から見ればもったいないことであり、離職した人の年金減額で将来生活苦になることは目に見えている。

しかし、「一億層活躍」と大臣まで作っておきながら総理大臣は、ブログの切実な声に匿名の記事だから、と、歯牙にもかけない。

その一方で大阪では、保育園の経営者夫婦が、保育園の修繕費など税金からの補助金を一億三千万とかを本来の目的に使わないで、指摘に流用していたことが分かり、告発されそうになっていると言う記事があった。

強いもの富めるものに手厚い施策ばかりの打ち出す政府にアメリカ大統領選の泡沫候補だといわれた人たちに支持が集まっているように、近い将来日本でも起きないかな、、、、

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2016年3月 1日 (火)

木蓮も咲いて

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昨日の雨で洗われた空はすっきりと澄み渡り、富士山の稜線をくっきりと浮き上がらせていた。

今日は散歩がてらにいつもは自転車で麓まで行く池ヶ谷の山まで、ずっと歩いて向かった。

麓からは350段余の階段を登り、さらに急な山道を登ると初日の出を迎える丘があるが、その傍に咲く白木蓮が開花しており、富士山の白さを際立たせている。

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今日最高裁で、認知症の老人が愛知県の駅で電車に轢かれ、その責任を家族に請求した裁判の判決があった。

一審ではJRの要求どおりの判決があり、二審では半額になっていたのを、最高裁は無罪とした。

自分なりに一審の判決は過酷なもの度と思っていただけに、最高裁の判決は当然と言う気持ちが強い。

何でも聞いたところによると、85歳の連れ合いが少しうたた寝している間に家を抜け出し、最寄の駅から電車に乗って、次の駅で降り、ホームの端から戸をあけて線路に降りての事故だと言う。

認知症の老人が、改札口を切符も買わずに通り抜け、ホームから戸をあけて降りたその行為にJRはまったく責任がなかったのだろうか。

市民感覚を持って裁判員制度が発足したはずなのに、この裁判ではJRの言い分どおりの判決が出たというのはなんとも解せない。

認知症の介護がどれほど大変なのか、聞いているだけで想像以上というのは分かる。

もし、この判決で有罪になったとしたら、認知症患者は座敷牢に閉じ込めておくしかなくなってしまうだろう。

いずれ近いうちに認知症になりかねない身にとっては、座敷牢に入るくらいなら殺してくれと言いたいのだが、それを言えるうちは認知症ではないのだし、、、、、

   はてさて  年老いていくと言うのも大変なものである。

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