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2016年5月31日 (火)

よく似ていても不味い

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公園の生垣につつじの花がいまを盛んとして咲いている。

よく似た花にさつきがあるので、どちらともいえないが、子供のころ山に行くと咲いていたのはつつじであったことには間違いがない。

真っ赤な花は、ひときわ長く伸びた枝の先端に固まって咲いていたので、枝を折り摘んだ花びらをこの枝に次から次へと刺して串団子状にし、長さが10センチくらいになると、まとめて食べたものだった。

程よく酸っぱさが残り、水気の多い花びらは子供心にも美味しかった。

その記憶から、花をまとめてむしり口に入れてみたが、幾分苦味があるだけで味も素っ気も感じず、思い出が空回りしてしまった。

目黒の秋刀魚ではないが、つつじは大津山のものにかぎる。

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.自動車のデーター改造で三菱自動車が、日産自動車の傘下に入ることになった。

この件について、いくつもの疑問がある。

ひとつには、相手先ブランドを引き受けた日産がまず口火を切ったことである。

なぜ、公表する前に三菱自動車に対策を相談しなかったのか。そして、三菱と名乗る会社(旧三菱財閥系)から支援を受けられないことを前提に、乗っ取る時期を探っていたのではなかっただろうか、と言う疑問。

日産自動車は数十年前プリンス自動車を併合したことがあり、その、遺伝子が今に残っていたのか、カルロス ゴーン会長の欧米式経営がそうさせたのか。

とにかく、ひとつの会社を傘下にするということは、人事面で難しいものであり、対等合併でも社長の座を襷がけで交代しないと収まらないものである。

自分の記憶でも、三菱と名のつく会社はかなりプライドが高く、ほかの企業の傘下に入ることにはかなり抵抗感があるはずである。

プリンス自動車の場合、従業員の処遇などもあって、ひとつの企業の中にあって組合の合併がすすまず、しこりが残っていた。

この先どうなっていくのか、見ものである。

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2016年5月29日 (日)

照る葉

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朝日を浴びて、庭の椿の葉が乱反射を起こしている。

家々の隙間から差し込む太陽のめぐみを、葉っぱの傾きによって、惜しげもなく四方八方に散らしているさまは、まさに照葉樹の名前をそのままに表現している。

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むかし、黒いダイヤと言えば石炭のことを言ったのに対して、赤いダイヤといえば小豆(アズキ)を意味し、その作柄が投機の対象になり、小説に書かれるまでも無く危険きわまりの無い投資であり、破産をしたり自殺する人まで出る騒ぎがあった。

これは、アズキを自家用に消費する人には関係の無い話ではあったが、大量に生産する北海道の気候が不安定なことが原因で、これを儲け話にもっていった投資家が大騒ぎしたことによる。

そしていま、国際的な投機の前にはごく小さな投機でしかないようで、話しの片隅にも出てこなくなった。

かわっていま話題になっている国際的な投資の対象は通貨であり、石油であり、その資金力は、小さな国の経済をを翻弄している。

石油の場合、二月に1バーレル25ドルまで下がっていたのが、最近では1バーレル50ドルと倍増している。

生産高はそんなに変化がないのだが、カナダの火事などいくつかの要因を先取りし、大量の資金を持つはげたかファンドなど投機筋がゆさぶっていると見てよいだろう。

また通貨も、実体経済を無視し些細なことに反応して乱高下するが、これは各国が輸出を有利にするため、お金を増刷し、ドル安に誘導しようとしたことで、行き先の無いお金が、フアンドに流れた結果だと聞く、、、、、

今回のサミットでも、経済が停滞したままの安倍政権は、前段の蔵相会議で更なる介入を打ち出したが受け入れられず、それに懲りもしないでサミットでも模索したが結局だめで、10%増税を再延期するなどしっちゃかめっちゃかを繰り返している。

もちろん、われわれ庶民は、これ以上弱者につらい間接税の増税はしてもらいたくない。

ただ、とっくの昔から物価が値上がりしているが、なぜだか政府統計では、物価が上昇していないと言う。

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今日はダービーめでたいな、、、、、追いつき 追い越せ 引っこ抜いてもらわないと、おいらの生活ままならない。

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2016年5月28日 (土)

八重の苞

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八重咲きのどくだみの花。と思っていたら、白い部分は花びらでなく花を包み込む苞だそうで、花は先端にある黄色い部分だとあった。

ドクダミ、漢字では毒溜めとも毒矯みとも書くそうで、いずれも毒を押さえ込む意味をもっている。

先日も指先を怪我したとき、なかなか血が止まらなかったので、そばにあったどくだみの葉を二~三枚引きむしり、傷の上にかぶせた後、細い紐で上からぐるぐるっと縛ったところたちまち出血が止まり、”がまの油”匹敵するんではないかと思ったくらい。

改めて薬効を確認させられた。

ただ、その匂いの臭さから中国やベトナムでは魚の生臭さを意味する名前が付けられているそうで、子供のころはこの草の臭いとクサギ(臭木)の臭いが嫌で見たら近寄らないようにしていた。

しかし、自分のおばあさんは”十薬”だといって、毎年背負えるだけ担いで持って帰っていた。

いま、家の庭や山の畑に雑草としてはこびっているが、以前のようにこの臭いが気にならなくなったどころか、好ましい感じさえするから不思議である。

ただ、はこびり過ぎるのも良し悪しで畑から絶やそうとしても、すこし根が残っているとすぐに繁茂してしまい、なかなか駆除することができない。

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今もやっているが、テレビで「夜行性のスッポン、食いついたら話さないスッポン」とスッポンを含んだ精力剤のコマーシャルが流れていた。「夜行性や噛み付く習性と精力なんて関係ないはずなのに、、」とこのコマーシャルを出す会社を馬鹿にしていたが、、、、、、

どくだみのしぶとさは、ひょっとして薬の効用と関係があるのかしら、なんて思うこのごろである。

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2016年5月27日 (金)

ジュエリーのように

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Img_3432_2昨夜来の激しい雨も収まって、朝がたになってあがったような気配がしたので、外の出てみると、細かい霧雨のような雨がまだ降り続いていた。

その雨が南天の花の蕾の間にくっつき、きらきらと輝いていたので近寄ってみると、まるで宝石細工のような感じに仕上がっていた。

白い蕾と透明な水玉はプラチナとダイヤモンドか、、、、、、本物だとしたら宝石店でしか見られないが、これも、儚いながら天然のジュエリーである。

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大騒ぎをした伊勢志摩サミットも終了し、オバマ大統領がアメリカ大統領としてはじめて広島に行ったのが今回唯一の収穫であった。

サミット直前、沖縄で米軍関係者による殺人事件が大きく影を落としたが、安倍総理の「断固抗議」ということでおさめようとするなど、サミットを無事終えようとした姿勢だけが浮き立って見えた会議であった。

多分、この「断固抗議」もかの国の許可を得て発表したものだろうし、英訳ではどんな言葉になっているのか知りたいものだ。

とにかく、沖縄県知事の面会も地位協定も取り上げず、ただアメリカへの気遣いだけに終わり、サミット自体では何の成果も無いのは、各国の首脳が来ていたのに何の報道も無く終わったことからも読み取れる。

とにかく気の抜けたサイダーのようにただ甘い砂糖水といったサミットであった。

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2016年5月26日 (木)

葉っぱが証明

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常盤露草、別名をノハカタノカラクサという長ったらしく覚えにくい名前を持つこの草は、一見しただけで、露草の仲間と言うことが分かる。

花だけを見ると、日本の露草とは色も形も全然違うようだが、葉っぱの形が、すこし丸っこいだけで、地面を這う様子や地面を覆いつくすほど繁殖している様子からの印象のほうが強く、もう別種だとは言わせない。

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朝から空一面に広がった雲は今にも降りそうな気配を見せていたので、裏の畑にいってほうれん草の種をまいてきた。

この春以来、何も植えていなかったところなので土は固くしまり、鍬を打ち込むにも力がいって、あまり暑くないと思っていたが一坪ほどの場所を耕すだけで、汗をびっしょりとかいてしまった。

苦土石灰をすきこみ、再度細かく土を砕いて四筋の溝に植えてきたが、いつまでたっても予定していた雨が降らないので、午後になって水撒きをしてきたが、、、

袋に書いてあった暑さに強いはどこまで信用していいのやら、、、、

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2016年5月25日 (水)

ふるさと納税

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午後になって花を咲かせるところから未草という名がついたという。

未とは十二支の未の刻をいい、いまの時代なら午後二時ということになるが、いくらなんでもそんなには遅くない。とにかく、睡蓮属の中では唯一日本古来の種である。

真っ白な花を、静かな水面にうかべ、おすましをしているようなポーズはさしづめ、まだ大人になりきれていない少女と言ったところか、、、、、

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”ふるさと納税”が始まって何年になるのか覚えが無いが、最近はその金額がとみに増えているそうだ。

昨日の新聞によると、静岡の各市町に99億円余が収められれ、その中で焼津市が断トツの一位で40億円、ついで西伊豆市が11億円、小山町が約10億円となっている。

税収の乏しい小さな市町村では、願っても無い財源で喜ばしい限りかもしれない。

もともとは、ふるさとを応援するため趣旨で始まった制度であったが、今ではどれだけ豪華なものを景品というかお礼が帰ってくるのかで差が出てきたようで、もらう側の各自治体間の競争が異常な様相を示している。

一方でふるさと納税で、入るべき税金がほかの自治体に持っていかれる金額もあり、静岡の場合も差し引きいくらになっているのかと言うことの発表は無い。

先日のテレビによると、ふるさと納税で入った金額の半分くらいをお返しに使っていいると聞くと、なんだか不思議な気がしてしまう。

本来入るべき税収が日本全体で見るとどれだけ減って、そのために問題になっている保育園などにしわ寄せが来ているとすると、御礼の金額の上限をふくめて制度の見直しが必要ではないだろうか。

本当にふるさとを応援したいと言うなら見返りを求めるのは邪道だと言うことを明確にしなければなるまい。

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2016年5月23日 (月)

いや~暑い

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いやぁ~まったく暑い。

Img_3393まだ、午前十時だと言うのに気温は31℃を表示している。

ダルマガエルも達磨大師のように悟りきったのか、はたまた、うだったのか、公園の池の中で手足を広げたまま、身動きひとつしないで、通りかかる親子遠足の幼児を眺めていた。

藤枝 蓮華寺公園の藤はすでに実をつけ、花菖蒲とつつじの花に移っていた。

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昨日、一昨日と宇都宮で餃子サミットなるものが行われていたそうでテレビに映し出されていた。

なんだか、各都市ごとに王国を名乗って、手を握り合った市長なのかそうでないのか知らないが、各国の大統領を名のって壇上に勢ぞろいし、どこの餃子が美味しいのか競い合っているようだった。

そして、静岡からは浜松餃子が出ていたようだが、どうもこの選考基準は、どの都市の市民が餃子に支出しているかが焦点のようで、いまのところ一位が浜松で二位が宇都宮、、、そして、宇都宮代表がここしばらく首位を取れないと大げさと思えるような口調で悔しがっていた。

関係の無い自分から見ればなんともまあのどかなと言うか、馬鹿げたイベントかなぁ、と思ってみていた。

暗い世相の中で、明るい話題をと言う意味をもたせるつもりで、企画したのだろうけれど、このイベントって自分の家で作って食べるのは一切統計に入っていないんだから、餃子をつくる業者のお先棒であり、そんなことに市の関係者が出て行くことも無いような、、、、、、

おりしも、枡添知事の公私混同に敏感になりすぎて感じてしまったのかな、、、。

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2016年5月22日 (日)

卯月の満月は

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今日は旧暦で言う四月十六日であり、”卯月の満月 朧月夜”である。

空に一片の雲も無いが、ここしばらくの晴天続きで塵が空に舞っているためか、幾分霞がちの月はおぼろに霞んでいるようにも見え情緒がある。

さらに、聞き書きであるが、金星、太陽、地球、月、火星がほぼ直列に並んでいるため、敏感な人はパワーを感じるそうだ。

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八重咲きの空木

卯月といえば、卯の花の匂う季節であり、定番どおり白い花を惜しげもなく咲き乱れさせている。

卯の花とは、空木の花のことを言い、四月に咲くからとも、空木の”う”から来たとも言うが、ホトトギスと相性がよいらしく、この両方を重ねて歌った歌も数多くある。

ただ、ここしばらくホトトギスの声は聞いていないので、、、、、、

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2016年5月21日 (土)

テイカカズラは

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テイカカズラが白いプロペラのような花を一斉に咲かせている。

その繁殖力は旺盛で、這い登った木を覆いつくすかのようにからまっている。

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来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 

  焼くや藻塩の みも焦がれつつ 

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百人一首にこの歌を採用したのは、ほかならぬ選者である藤原定家である。

鎌倉時代初期に、天智天皇をはじめとする歌人百人を選び、その代表とする歌を一人一首づつを選んだのだが、その一人を自分にするという、自負心の旺盛な人である。

もちろん、当時の宮中では歌に書に政治力と優れた才能を持っていた人であるから、周りはどうあれ、いまでなら東大卒業のあと。官僚なり知事や大臣になったことを自慢し一般人を高みから見下ろしている人を想像してしまう。

この人が式子内親王に恋焦がれ、亡くなった後内親王の墓に撒きついた蔦を藤原定家の怨念に見立てて、テイカカズラ(定家蔓)と名づけた。と言われている。

当の定家は当時としては超長生きをして八十歳まで生きたと言うから、内親王が亡くなって何年してからか知らないが、そういう風に言われるほどの怨念をその歳まで持ち続けたのだろうか。

今で言うストーカーの気もあったのか、げに恐ろしきは老いらくの恋かな。

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2016年5月20日 (金)

雛を引き連れて

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日が落ちてあたりが薄暗くなってから裏の川にカルガモが雛を連れて出てきた。

連れ合いは、二~三日前に見たときは「十羽ほどを引き連れたいたのに、、、」という。

「この辺はカラスが多いから襲撃されたかしら?」「鴨の親同士がぶつかると喧嘩して、負けたほうが子供を捨てて逃げるので、そんなに多くの雛をつれていたのかも知れない!」

とにかく、鴨という鳥は親が餌を口移しで与えると言うことがないので、親は外敵から雛を守ることに専念している。と言っても過言ではない。

それにしても、二~三日で半減したというのはどういうことだったんだろう。

先日の雨で増水したから、流されたんだろうか、、、、、

元の親に取り返されたのならいいのだけど、

自然の掟とはいえ、カラスがねぇ~

今日も鴨の親は、いなくなった雛を探す気配も無くのこった雛を引き連れて流れを遡っていった。

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2016年5月18日 (水)

青葉若葉に

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”あらたうと 青葉若葉に ひのひかり”とか、、、、、

きのうの雨に洗われた真澄の空から強い光が差し込み、若葉の上に残った露はは宝石のように輝き、柔らかな青葉には早くも虫食いのあとが残る。

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Img_3344四年後に開かれる東京オリンピックは、よほど祟られられているのか次から次と不祥事がでてくる。

もともと、オリンピックを東京でやるということに国民が余り熱心でなかったことから、立候補してもなかなか決まらなかった経緯があるだけに、当然のような気がしないでもない。

とにかく規模が大きくなりすぎたオリンピックと言う行事は、選手やこれを機会に儲けたり、国威発揚など上手くしようとする人には嬉しいことかもしれないが、自分を含めた一般国民からは手の届かない存在になってしまったのではないだろうか。

今年開かれるリオデジャネイロのオリンピックは準備が遅れているようだし、入場券の販売が少ないようで、政府が買い上げて、子供に見させると言う案もあると言われているが、これでは、経済効果が持ち出しになりかねない。

ここらが、オリンピックと言うものを見直す時期ではないのだろうか。

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2016年5月17日 (火)

アロエベラは

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アロエベラの花が咲き出した。

だいだい色の筒状の花は、その先端からちょこっと雄しべを出しているが、昨夜からの雨が花びらを伝って雄しべに水玉を作っている。

一般にアロエと言えばキダチアロエを思い出し、冬場に花を咲かせるのだが、アロエベラは寒さに弱いため路地に置くと、葉の中の水分が凍って萎れてしまうため、難しいと言われてきた。

しかし、我が家のものは、椿の木の下にあってロゼット状の葉を広げているが霜がかからないらしく、今年も10日ほど前から花芽をのばし、ようやく開花した。

キダチアロエは傷に効き、アロエベラは内臓に効くといわれ、通称”医者要らず”と言われているが、民間伝承であり、効果のほどは分からないと言うのが実情だそうだ。

しかし、インターネットで検索してみるといろんなメーカーが民間伝承そのままに宣伝している。

そして、小さく「紹介している人の感想です」とテレビ同様、効かなかった場合、責任逃れの言い訳が書いてある。

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2016年5月16日 (月)

浜の真砂は尽きるとも

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ヒナゲシの真っ赤な花がわずかな風を感じ取ってゆ~らゆらと揺れている。

細い茎に似合わず大きな花びらのせいだが、花びらも薄く、まるで紙細工を思わせる。

ヒナゲシの別名を虞美人草と言うのは、項羽の愛人だった虞さんに雰囲気が似ているとも、項羽に準じて自害した虞さんの墓に咲いた、とも言われている。

ちなみにこの芥子からは阿片は取れないので、どこに植えてもよいし、種は食べると粟粒に似てこりこりとした感触を楽しめる。

ケシツブ(芥子粒)といえば、小さなものの代表だがアンパンの上に点々と撒いたように乗っかっていると、これは美味しいアンパンと思ってしまうのは、なぜだろう。

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「嘘つきは泥棒の始まり」と小さいころよく言われたが、誤魔化し誤魔化しのしながらこの歳になってしまった。

ただ、小者だったため泥棒にはならずにすんだが、政治家、、、いや、政治屋と言われる連中はなぜあんなに税金をくすねることに熱心なのだろうか。

普段から口先だけの嘘を積み重ねているため、公金と自分の金の区別がつかなくなってしまうのだろうか。

最近も、猪瀬元東京都知事、野々村岡山県県議、甘利元大臣とでてきて、枡添東京都知事と、、、、、かの人たちの説明をそのまま信じなさいと言われて「はいそうですか」と言う人は、おめでたい人と言われても仕様が無い。

そして、これらの人ばかりで済まない政治屋がこのほかにもたくさんいるのは明らかで、ただ、経理を上手くごまかしたかどうかにすぎない。

かって、総理大臣を務め、その後大勲位という勲章をもらった人も、刑務所の塀の上で転ばなかったから貰えたというに至っては、ブラックジョークも極まれり、と言ったところ。

どんなに法律を作っても、泥棒に縄をなわせるようで抜け道だらけ。

「浜の真砂は尽きるとも、、、、」でしょうな。

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2016年5月15日 (日)

赤かなぁ、、、いや

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薔薇が咲いた 薔薇が咲いた 真っ赤な薔薇が

バラの花ほど人間にいじられた花は無いのかもしれない。

花の色、形はそれぞれ多岐にわたり、その種類の多さは、自分の知る限りチューリップとどっこいどっこいかかそれ以上だと思う。

そして、花言葉の多さは、色ごとにそれぞれ違う。

ただ、その大半に愛と言う字が入っているところを見ると、人間はこの改造された花に愛を感じているのだろうか。

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人によって、好きな色が異なるのだろうが、自分の場合、赤がいいのかなぁ。バラ色と言うくらいだからぴんくがいいのかなぁ。いや待てよ、白も捨てがたいし、黄色も、、、結局なんでも良いや。

いま各地のバラ園では、馥郁とした香りが漂っている。ここ、島田のバラ園でも

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2016年5月14日 (土)

加茂の庄 菖蒲園

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江戸時代から豪農庄屋としてこの地にあった加茂屋敷を基盤にした広大な屋敷地を花菖蒲園として人々に見せ始めたのはいつのころからかしら無いが、自分が静岡に来た三十数年前にはすでに人に知られていたようで、電車とバスに揺られて、そのころまだ小中学生だった子供と母親を連れてきたことがあり、それから何度この地を訪れたものだろうか。

こういう施設は、一度訪れたあとたびたび来る人がいると長続きするそうだが、三十数年のあいだに、あちこちに花鳥園を作ってきたことを考えると、自分のような客がたくさんいたことになる。

掛川駅近くの花鳥園や朝霧高原の花鳥園にも行ったことがあるが、なんだかここが一番落ち着くようで、一番回数が多い。

今回は、前に来たときに比べて、鴨を園内に放し、孔雀や雉の仲間、そして、別の場所で水鳥を柵で囲った場所を設置していたが、、、、、これはすこしやりすぎの感がある。

さて、目当ての花菖蒲であるが、まだすこし早かったようで早咲きのものが蕾の無いほかの株の間にあると言った感じだったが、幸いのウイークディでもあり、同じような年齢層の人々が10組程度しかいなくてゆっくりと観賞できた。

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そして、昔の庄屋の面影を残す座敷をみながら、これだけの屋敷を建てるにはどのくらいの田んぼなり財産があったのだろうかと想像してみた。

多分、戦後の農地解放以前は、貧富の差が激しく、この家の所有地は目の届く限りどころか、もっと広大な地面を所有していたに違いない。

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2016年5月13日 (金)

懐かしい感じさへ

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写真は禁止とのことなので概観のみ

こんなところにと驚くほど山奥にその美術館があった。

今日の天気に誘われて、中遠掛川へ行ってみようと言うことになり、まず、花菖蒲の咲き出したと言う掛川市加茂の庄に行き、ついで、ねむの木学園の子供美術館によって見た。

花菖蒲のほうは後日において、ねむの木学園子供美術館は本当に分かりにくいところにあった。

学園脇の道路を谷沿いに遡っていくと、乗用車でもすれ違いがままならないほどの細い道の奥にあり、この時点でまた道を間違えたかと思ったが、突然広い駐車場が左側にあったので、反対側を見たら写真で見た建物が目にはいった。

むかし、宮中でかぶった平烏帽子のような形の黒い屋根の建物が大きな芝生のその向こうに建っている。

受付に入って入場料を払うと、受付の人がそのホールを突き抜けて、裏側の芝生の中に折り返しのついた歩道を指差して、行けば二階の入り口になるのでという。

このプロムナードのような道も、美術館への期待させる道具立てかなと、ゆっくりと歩を運ぶ。

中にはいって驚いた、数十点はあるであろう絵はどれも新鮮な感覚をもって彩られている。

大胆な絵、緻密な絵、これが、身体障害者の世界なのだろうか。それとも、自分が失った感覚を持った人の見方なのか、、、一種懐かしいような感じさえもたらしている。

いま、東京のほうでもねむの木学園の展覧会が催されているとかで、何点もの絵が外されていたが、一番奥に大作があったようでその絵を見ることができなかったのが残念であった。

また、時期をあらためて、あの絵が戻ってきたときにでも行ってみるか。

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2016年5月12日 (木)

山桑がいろんで

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山桑の実が黒くいろんでくる季節になった。

日当たりのよい山地の外縁部に自生する桑の木で、蚕のえさになる桑の木と同じ種類だが、葉っぱも小さく実も小さい。

しかし、味のほうは山桑のほうがこくがあると感じるのは、蚕のえさになる桑は葉っぱの効率をよくするために特化したためなのかもしれない。

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今日は、レントゲンによる集団検診に行ってきた。

昨年はこの検診でひっかかり、七月になって県立総合病院でMRIの写真を撮る騒ぎになったのだが、、、、、、

この検査は、仕事をやめ国民健康保険に転換してから毎年受けてきたのだが、「そろそろやめにしてもよいかな」っていう気になってきた。

これから、癌になったとしても、この歳になると進み方が遅いだろうし、余計ながん治療で延命を図るのも無駄かな?と言うのが理由である。

山の畑に集まるご同輩も、病院に行ったら「手遅れです」っていわれ、二~三ヶ月でご臨終ってのも悪く無いな、ってのが大方の意見。

ただ、結核になって人にうつすのだけはやめておきたいのだが、BCGはいつまで効き目があるんかいな。

      誰も知らなくて沈黙

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2016年5月11日 (水)

雨に立ち向かう

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昨夜から午前中にかけて激しい雨が降り続いた。

その雨も午後になって上がり、日没時には夕焼けがきれいに広がった。

今日も変化の大きい一日となった。

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そんななか山法師の花が、雨に向かって敢然とした格好で立ち向かっていたが、花本人が希望したことかどうかは定かではない。

この山法師、街路樹の水木とはよく似た花を咲かせるが、ごく近縁種ということである。

しかし、花の格好は似ていても実は外見からも全然違うもができ、子供のころは夏休み前になると真っ赤な一から二センチほどの実をつけ絶好なおやつであった。

そのとき覚えた名前はイツキであったが、あれは、大人の誰かが水木だと言ったのを間違って伝えたのだろうか。

山法師の名前の由来は、白い布で頭を包んだ僧兵辺りから付けられたものらしい。

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それにしても、情けないなあと思ったのは、昨今の新聞やテレビ局である。

彼らは完全に権力側に対するチエック機能を失ってしまったとしか言いようが無い。

今回の枡添東京都知事の税金無駄遣いや政治資金不実記載に対して週刊誌報道したのを見て、ようやく追求を始めた。

甘利元大臣の追及はどうなったのか、選挙法や政治資金規正法の矛盾など、総務省の免許剥奪と言う脅しに屈服し、権力に対して都合の悪い報道を自主規制している見るしかない。

同じようなことだが、北朝鮮の党大会もほかのテレビ局と歩調を合わせてしか動けないと言うへっぴり腰を見せ付けている。

報道の中で、北朝鮮に入った報道陣は、13カ国108人といっていたが、1クルー5人と見ても日本のテレビ局五社と新聞社で大半を占めたことになり、他の国からはほとんど行っていないことになる。

そんな国の報道にどうして行かなければならないのか。

どこの放送局も横並びに同じ報道を同じ目線でしかしないのであればこんなにテレビや新聞社はいらない。

以前なら、他の新聞社を出し抜いてあっと言わせる記事をめざし、切磋琢磨したものだが、いまでは、芸能誌がだれそれと誰が一緒になったとか、離婚したと言うゴシップでしか見られなくなってしまった。

    ああ 情けないこっちゃ

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2016年5月10日 (火)

爺は見たり

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Img_3218麻機の放棄された田んぼが見る見る原野の帰りつつある。

そのなかでいま目立つのは、ノバラの花であろう。

白い五弁の花びら、一つ一つは単純な花であるが、その数の多さから白い雪が積もったような感じさえする。

童は見たりで始まる”野ばら”と言う歌を学校で習ったときは、二種類あると聞いていた。

ひとつはシューベルトが作曲し、その後、ウエルナー曲ができたと聞いた。

いずれもゲーテの詩につけたもので、日本では同じ歌を何人かの歌手が同時に歌っていることがあるが、同じ詩に複数の曲がつくのは、北原白秋の”砂山”に山田耕作と中山晋平くらいしか知らない。

しかし、野ばらに曲をつけたのは、ほかにもいて、かの有名なベートーベン、シューマン、ブラームスと言ったそうそうたる人たちを含めて154人以上になるそうだし、あなじ詩に複数の曲がつくのはほかにもたくさんあると聞いて驚くのみ。

野ばらの場合、154曲全部でなくても、有名な作曲家の歌を聴いてみたい気がしないでもない。

ドイツではいざ知らず、日本ではベートベンもシューマンもブラームスもすべて無視されてしまったが、かの国でもそうだったのだろうか。

面子を重んじる中国や日本ではヒット曲の詩に別な曲をつけて、、、なんてのは、名だたる人ならよほどの自信が無ければやらないのではなかろうか。

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ちなみに、自分はウエルナーのほうが好き。

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2016年5月 9日 (月)

身体がだるい

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Img_3212昨日から、まわりの山々を霞ませていた黄砂を思わせるうす曇りが午前中までその状態を保っていた。

その空を思わすように、朝起きたときから気分もうす曇り。

二度寝をしたように、だるい身体に濃厚な花の匂いが染み込んでくるようだ。

これは、先日来の気温の変化に身体が対応しきれなくなったため、、、、、

花のせいではないと分かっているのだが、つい責任を転嫁したくなって、、、、、。

時あたかも、今日は長い連休も終わって連休疲れのサラリーマンもだるくてだるくて、首を右左にコキコキと鳴らしているんではないだろうか。。

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ニオイバンマツリの花が、咲き出して狭い我が家の庭中に香りを充満させている。

いつのころか覚えていないが、母親が植木市で買ってきたもので、樹高50センチくらいになったころ、鉢から開放したとたん急激に成長し、毎年花が終わってからかなり刈り込みをしているのにもかかわらず、それを苦にしていないような繁茂ぶりを示している。

ニオイバンマツリ、漢字で書くと匂蕃茉莉と難しい名前を当てているが、香りのある外国のジャスミンと言う意味になるそうだ。

しかし、ジャスミンとは縁もゆかりも無い種類であり、外国を意味するのに蕃と言う字を使うなどなんとも古めかしい名前をもらったものである。

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2016年5月 8日 (日)

ベサメムチョ

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全国至るとこと言ってもよいくらい繁茂しているスイカズラに花が咲き出した。

つぼみのうちは先端がすこし赤紫がかった色をしているが、開花時には唇状に上下に分かれた白い花が咲き、その後黄色くなっていく、そのさまから金銀花と言ったり、冬も葉が落ちない常緑の蔓であるため、忍冬とも呼ぶ。

スイカヅラを漢字で書くと吸蔓と書くが、唇状の花から来るのではなく付け根の部分に蜜があることから、花を取って吸うことから来ている。

ちなみに江戸時代はこの花から作った”忍冬酒”は浜松の名物だったようで、参勤交代の大名衆が楽しみにしていたとか、、、、どこでも作れそうなのだが、そんな話が残っていると、遠州で聞いたことがある。

自分は花の形状からこの花を見ると、ラテン音楽のベサメムチョを思い出してしまう。

besame besame mucho

como si fuera esta moche la ultima voz

キスしてよ キスしてよ もっといっぱい

今夜が 最後かもしれないから 

と、狂おしいセニョリーターの愛の告白である。

この歌の意味を知ったのは、アンデスの山中で仕事をしていたときであった。

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1,975年ペルーの標高4,000m付近で仕事をしていたとき、先輩がよく宿舎に訪ねてきてくれ、励ましてくれた。

先輩とは同じ鉱山で仕事をしたこともあったが、ペルーには鉱山出資の子会社があり、そこへ採鉱を指導するということで派遣されていた。 

その後、自分は金属鉱業事業団から、鉱床探査のボーリングをするため国の予算がついた時点で行くことになった。

当然、一年ごとの短期派遣なので、会社派遣の人たちからはうらやましがられたものだった。

派遣先が違うため、宿舎は別であったがすぐ近くだと言うことで、髪が伸びたときなど交代にはさみを持って床屋さんをし合ったこともあった。

昨日、その人の姪御さんと言う人から別のブログで照会があり、よく知っていると答えたところ、先輩は20年も前になくなっていたことが分かった。

気配りの長けた人で誰にでも好かれる人であったが、それだけに苦労をしたのではなかったのだろうか。

自分の数少ない同級生の中にもすでに鬼籍に入った人は1/3に及ぶが、事業所採用の社員が本社採用扱いになるにはそれぞれに苦労したようで、亡くなったすべてがそんな人である。

幸いと言うか、海外派遣から早急に脱落し、静岡に流れてきた自分はいまだに健在である。

それにしても、企業戦士として、会社の花形として、身を粉にして働きづめに働いた”地上の星”はみんな散りじりになり、見送られることも無く散って逝きつつある。

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2016年5月 6日 (金)

日本人も変わった

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たぶん風呂にはいったことがないアンデスの住人(作業員たち)

四十年余も昔のことであるが、アンデスの山中、標高4,000m付近で仕事をしていたとき、現場の作業員のなかに何人か襲われることが無いなとおもっていた。

そのわけは、生まれてこの方ほとんどのものが風呂はおろかシャワーもろくに浴びていないため、体臭が匂っていたからである。

そういう自分たちもシャワーつきの建物にいたが、水が冷たいためあまり身体を洗うことも無く、毎食オリーブオイルで炒めた鶏や魚を食べていたため、日本に帰ってきてから、一週間ほど「臭い臭い」と言われたものだ。

おかげで、向こうにいる間たびたび思って口にしたのが、じゅうじゅうと油がたれる塩焼きの秋刀魚をたべ、首まで風呂に使って「極楽 極楽」と言ってみたい。と言うことであった。

ところが、今朝ほどのテレビで、最近の若い人の四人に三人が風呂に入らず、シャワーで済ましているとのことだった。

その理由として、面倒くさい、もったいない、パソコンや携帯を持ち込めない、忙しいなどと言うことらしい。

このほかにも、二十代の20%は米を食べないと言う報告もあるそうだ。

日本人の意識はずいぶんと変わってきてしまったらしい。

これまで、米は主食であり、胴長短足が日本人の特徴だったが、背が高くなり顔のほりが深くなった昔風で言う日本人離れをした若者が、こういう食生活や風呂などの文化からも生まれてきているようだ。

欧米ではバランスのよい日本食に美味しさだけでなく健康面から人気が集まっていると聞くだけに、本家がその食生活を手放している。

また、江戸時代末期に日本に来た外国人はその清潔感漂う日本人驚いたそうだが、その源は風呂にあり、温泉ならずとも首までお湯に浸かって「よくぞ 日本に生まれける」なんていっていた時代も、、、、、、、、

たしか、二人住まいの我が家でも風呂はもったいないと言う気がしないでもないが、残り湯で洗濯しているので「仕様が無いかな、、、」なんて納得させている。

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2016年5月 5日 (木)

屋根より高い鯉のぼり

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屋根より高い こいのぼり

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こんな童謡のような景色は、家の周りでは見かけなくなり、最近では、川の上にワイヤーで吊り下げられた目刺しののような鯉のぼりばかりになってしまった。

原因はいろいろあるのだろうけれど、一番の要素は子供の数が減ってきたことにあり、今日のテレビでは50年前に比べると、子供の数が半減していると言っていた。

五十年まえといえば、自分たちの子供世代の年であり、そのころでも子供二人程度が標準で少子化していたはずである。

それが半減したとなると一人子ばかり、、、、いや、結婚しない人がたくさんいることになるらしい。

いま、街中を歩いてみても、子供が屋外で遊んでいる風景は姿はまれになった。

その子供たちに「声がうるさいから保育園は作らないで」という大人、その一方で「大人は不審者だから返事をしないで」と教え込んでいる。

今の年金制度から言えば、子供が大人たちを支えることになっているのだが、この調子で行くと近い将来、年金や健康保険は年寄りに食い尽くされて崩壊しかねない。

今日も年寄りが山の畑に集まって長談義。「おれらの子供たちのころは、保育園には入ることができない子はいなかったような気がするが、、、」「子供の数が減ったのに入れない子が沢山いる、というのはどういうこっちゃ」

「共働きが増えただけではない、、、人口の偏りらしいよ」「水は低きに流れると言うからね」

「年寄りが長生きしすぎるんだよ」「むかし、サンガー婦人と言う人がいて、産児制限を提唱した、俺たちのころは五人兄弟が普通で、、、まんだ一人もかけていないんよ」

           とどまるところを知らない。

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2016年5月 4日 (水)

会いたかった 会いたかった 君に~

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朝方まで激しく降っていた雨もやんで、塵を払い落とした空はすっきりと澄みかえっていた。

今日は、浜松へ行った孫娘が、一ヶ月とすこしで帰ってきて、初月給で爺婆に昼ごはんをご馳走するというので、今日の空のような気持ちで待ちかねていた。

ところが、あいにくの連休でどこも予約が取れなかったというので、デパートから弁当を買ってきて、梶原山に変更するからね。という。

天気もよいしそれも一興と返事して迎えを待つ。

山頂は、穴場だったらしく、ほんのわずかなハイキング客が来ているだけ、富士山はこの時期にしては珍しいほどの稜線を見せており、鶯も鳴いてのどかな気分で弁当を広げた。

この一ヶ月、どうだったなどと連れ合いは矢継ぎばやに聞いている。

どうやら、職場環境もよくたまの休みには友達の父親が海釣りなどに連れ出しているようで、結構楽しく暮らしているようだ。

Img_3163それに引き換え、急にいなくなった娘から音沙汰もなくなって少々落ち込んでいる父親の代弁し、もう少し家に帰ってくるようになどと言っている話しを横で聞いていて、時代が変わったのかなあ。なんて、じいじはおもっている。

その点、中学のころから部活だ、遊びだと、我が家に来る回数は激減していたので、我々のほうが幾分ショックは少ないのかもしれない。

社会人としてやっと一ヶ月ながら、すこし成長したように見受けられる、孫に対してじいじは、「会いたかった 会いたかった 君に~」とふざけて言ってみたが、、、、、

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2016年5月 3日 (火)

春はあけぼの

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そのむかし、清少納言と言う人は、”春はあけぼの”と喝破した。

春はあけぼの やうやうしろくなりゆく やまぎはすこしあかりて むらさき立ちたる 雲のほそくなびきたる 

いつもよりすこし早めに目が覚めてしまった。

今朝の新聞に依れば日の出は四時五十三分とのこと、、、、、、すこし間があるので麻機まわりまで行って日の出を見ようと家を出た。

最近、なまくら癖が出て、日の出は元旦以来である。

季節はうつろい、日の出の時間は二時間あまり早くなっている。

しかし、あのころに比べれば朝の冷え込みは緩んでしまい、天頂は晴れているのに周りの山々はかすんでいる。

このかすみようを清少納言が春の景色と取ったのだろう。

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麻機沼の北側に着いたときが日の出の時間であったが、かすんだ彼方は日の出を隠しており、寝ぼけたような太陽が見れたのは、予定の時刻から五分あまりすぎてからだった。

風もなく穏やかな水面は、銅版画のように太陽光を映し出している。

冬場には群れをなしていた鴨もおらず、鷺と鵜は静かにして、物音ひとつ聞こえない世界を作り上げて、有限の世界を作り上げている。

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今日は憲法発布記念日。憲法が出来て69年になると言う。

前々から憲法を変えようと言う自民党保守派の願いが、今年おかなわれる参議院選挙の結果で決まりそうな雰囲気になってきた。

国の根幹法である憲法は、進化する社会状況によって対応しきれないと自民党保守派は改憲をいうが、どこをどんな風にしたいのか明確には言わない。

論点をはっきりさせず、国民的議論もなしに一気呵成に可決しようとする姿勢は、今までもたびたび見てきている。

もし2/3の勢力を得たら、戦争前の息苦しい社会に逆戻りしてしまうこと間違いないだろう。

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2016年5月 2日 (月)

民は馬鹿

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ユキノシタの花。大きく両手を広げたように太陽に花を向けている。

半日陰の地を好む性格の草だが、それでも花の季節には光を浴びて虫を誘う。

この花の形が漢字の”大”という字に似ているところから、おなじ仲間にダイモンジソウという草があるくらい。

この草の名前の由来は、雪ノ下になっても枯れることがない。という意味だと聞いたことがあるが、常緑の葉は火傷や切り傷、胃腸にもよいということで、昔から人家の脇に植えられてきている。

また、葉っぱはてんぷらなどにしても厚手の柔らかい感触が美味く、てんぷらを揚げるときには、これと三つ葉を庭先から採ってきて加えている。

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民主主義の民という字は、古代の中国で戦争した後捕虜にした敵方の人間の目を針で刺して奴隷にしたことによると聞いたことがある。また、奴隷ほしさに戦ったことさえあるというから、人間というものの本性は恐ろしいものがある。

論語には「民は依らしむべし 知らしむべからず」という一説がある。

この言葉に意味は、民と言うものは、こちらの方針に依らせることは出来るが、こちらの考えをよく飲み込ませるのは難しい」   もっと簡単に言うと民というものは馬鹿だから、と言っている。

と、なると「民主主義って、目の見えない奴隷やおばかさんが主人公」ってことになるが、為政者は御しやすいことだろうな、、、、、

国会では、何が国家秘密か分からないようにして「特定秘密保護法」を成立させTPPでは、戦後の教科書のように墨で塗りつぶした議定書(?)を承認せよと言っている。

つまり、民は馬鹿だから、自分たち一部の指導に黙って下おけばいいんだから、といっている。

本来は、政府の暴走をチエックしなければならない国会議員はろくな審議も出来ないでおしきられているし、新聞やテレビもびびりまくってろくな批判を加えず、週刊誌に先を越されているが、その週刊誌もいずれ猿轡をかまされるのは目に見えている。

それでも、右傾化する安部政権がよいと思う国民が半数ちかくいると言うことは、孔子が二千数百年も前に言ったことが当たっているということなのか、、、、、

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