爺は見たり
そのなかでいま目立つのは、ノバラの花であろう。
白い五弁の花びら、一つ一つは単純な花であるが、その数の多さから白い雪が積もったような感じさえする。
童は見たりで始まる”野ばら”と言う歌を学校で習ったときは、二種類あると聞いていた。
ひとつはシューベルトが作曲し、その後、ウエルナー曲ができたと聞いた。
いずれもゲーテの詩につけたもので、日本では同じ歌を何人かの歌手が同時に歌っていることがあるが、同じ詩に複数の曲がつくのは、北原白秋の”砂山”に山田耕作と中山晋平くらいしか知らない。
しかし、野ばらに曲をつけたのは、ほかにもいて、かの有名なベートーベン、シューマン、ブラームスと言ったそうそうたる人たちを含めて154人以上になるそうだし、あなじ詩に複数の曲がつくのはほかにもたくさんあると聞いて驚くのみ。
野ばらの場合、154曲全部でなくても、有名な作曲家の歌を聴いてみたい気がしないでもない。
ドイツではいざ知らず、日本ではベートベンもシューマンもブラームスもすべて無視されてしまったが、かの国でもそうだったのだろうか。
面子を重んじる中国や日本ではヒット曲の詩に別な曲をつけて、、、なんてのは、名だたる人ならよほどの自信が無ければやらないのではなかろうか。
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ちなみに、自分はウエルナーのほうが好き。
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