希望的認識
百日紅と書いてサルスベリと読ませるのは、この花木を見た印象が違っていたことによる。
百日紅は夏から秋にかけて長い間花を咲かせると思ったことによるし、サルスベリは、表皮がおちてすべすべとした木の肌を見て、猿も滑って登れないのではないかと思ったことによる。
しかし、花が入れ替わり立替わりして咲いているだけで花そのものはそんなに永く咲いているわけではないし、猿もこの木ぐらいは気にもせず上ってしまう。
いずれも、見た人の希望的認識によるものでしかなかった。
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今日は土用の丑の日とかで、値上がりが激しく庶民の手に届きにくくなったうなぎを食べて精を付ける日である。
この日に、うなぎを食べるというのは、江戸時代に平賀源内が、売り上げの落ちている、うなぎ屋の宣伝のために作ったものだったというのは広く世間に知られている。
たしかに、夏ばてになっている江戸庶民に油気の多い食物を取らせようという魂胆は図に当たった。
しかし、うなぎのほうもこの時期は夏ばてを起こしているので、本当に美味いのは”食欲の秋”に餌を食べて太ったころである。
食べるものが豊富にある現代に至っても、なぜ、日本人は源内の呪縛から逃れられないのだろうか。
そこには、世間の波に押し流される人の希望的認識だけなのかもしれない。
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コメント
岡崎在住さま
いいことをしましたね。
愛知県では、香嵐渓と熱田神宮の傍の「ひつまぶし」を食べたことがありますが、味のほうは忘れました。
投稿: オラケタル | 2016年7月31日 (日) 21時22分
本日、豊川でうなぎ一匹2500円で買い、カミさんとで分けて食べたが、やっぱ旨かったな。歳やで半分で充分やさ(笑)また、今年の夏は涼しょーて云う事ないな。
投稿: 岡崎在住 | 2016年7月30日 (土) 21時42分