吾亦紅
この花の名前が好きである。
人はこの花を決して紅色だとは思わない。
しかし、花は私は紅色だと主張している。
誰がなんと言おうとも、私は紅色なんだと、、、、、
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むかし、「石原裕次郎の歌は好きだが、人柄が嫌いだ」「巨人が嫌いだ」というと、「お前は変わっている」と非難された。
大勢の人が好きなタレントやチームが嫌いだというと、変人扱いにし仲間はずれにしたがるのは、当時気にもしていなかったが学校で問題になっているいじめに近いものがあるのかもしれない。
日本人は仲間はずれを怖がる。
初めて就職した会社の社是とは言わなかったかもしれないが、職場の目立つところに「以和為貴」と言う書が額縁に納まっていた。
和を以って貴しとなす。つまり、異論があっても体制に従えという言葉である。
この言葉の怖さは、これを作ったと言う聖徳太子が、仏教導入などに際して豪腕を振るったあげく”俺について来い”と言ったところにあろう。
今日九月十一日は、ニューヨークで高層ビルに旅客機が突っ込んだ9,11から十五年目に当たる。
当時のブッシュ大統領は、思考能力を停止させ、国民を煽り、目を吊り上げてイラクのフセイン体制を叩き潰した。
その結果、世界にテロは拡散し毎日のようにあちこちで何の関係も無い人たちが殺されている。
体制に無批判で従うことの怖さ、一度崩れた社会が元に戻るのはいつのことか、なんだか永遠に続きそうな気がしてならないのだが、、、、、。
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コメント
YASUさま
こどものころ、壊れたおもちゃを分解したまでは良かったけれど、結局は組み立てられず捨ててしまったのとよく似ていませんか?
テロをなくすには、貧富や教育の格差をなくすことしかできませんが、思想教育で政治家の望む国民を作ろうとする限り、、、、
百年河清むのを待つでしょうね。
投稿: オラケタル | 2016年9月12日 (月) 22時11分
壊すことは一夜にして壊れますが、修復は長い年月を掛けても同じようには戻らないでしょうね。
投稿: yasu | 2016年9月12日 (月) 20時59分