森将軍塚古墳は
長野県のパンフレットだったかに、綺麗に石を敷き詰めた前方後円墳が載っているのを見たことがあって、一度は見てみたいと言う思いがあったので、今回出かけてみた。
じつは、そこに行くまで森将軍というひとの古墳だとばかり思っていたが、どうやら、千曲市森と言うところの地名を取り、将軍塚は長野県あちこちにあるそうで、ただ偉い人に対する称号だったようだ。
古墳に埋葬されている人で、名前が分かっているのは天皇家だけ、それもずいぶんとあやふやなそうで、地方の古墳は名前が分からないとのこと。
ただ古墳時代というのは、四世紀の一時期だけというから、いまから1,600年余むかしのことになる。
まず、麓にある科野の里歴史公園にある文化財センターによって出土品を見たあとバスに乗って山の中腹にある古墳まで連れて行ってもらうのだが、文化財センター見学とバス往復が500円で一人でも随時送り迎えしてもらえるという格安料金であった。
バスは曲がりくねった細い道を登り、駐車場に降りると目の前に開けた場所がありそこが古墳であった。
「帰り時間を指定してもらえれば、いつでも来ます」というので、30分後をお願いし、前方部分から上っていくのだが、後円部分につくと眼下に千曲市の市街地がそして、遠くには北アルプス、戸隠飯綱の山々が一望できる絶景の地であった。
空は快晴、そよ風が心地よく吹くこの場所は、ここに葬られている人が望んだのもうなづける気がする。
さて、古墳であるが、文化財センターでも気がついたのだが、全体を葺き石で綺麗に包んでいることであった。
これだけの石を敷き詰めると言うのは、」人力しかなかった古代では一大事業であったことと思うが、前方部分は川原から持って上がったらしい丸砂利となると、、、、気が遠くなるくらいの労力である。
これまで古墳は、いくつか見て来たがこれほど綺麗に敷き詰めたものは知らない。そして、古墳の周りに並べてある埴輪も一風変わっていると見た。
いままで、埴輪と言えば、目の部分をくりぬいた人型のものが種であると思っていたが、ここにはそれが一体もなく、かわって、家型埴輪、円筒埴輪、朝顔形は二派などどれも高さ80センチくらいの大型のものしか見当たらない。
かえり、迎えに来たバスの運転手と話したが、文化財センターにある出土品をモデルにしたレプリカであるが、九州のほうの窯で焼き上げているため、ひとつ、30万円から100万円もするとそうだ。
この日も設置する業者が来ていたが、円頂部などで甕に石を投げないでくださいという立て札を見たとき、いくつかが壊されてのだなとと察してしまった。
いま、隣の上田市などではテレビの「真田丸」で観光客が殺到し、自動車が渋滞している中ここらは観光客も無し、ふもとの芝生は地元の人たちしかいないような雰囲気であり、文化財センターなども貸しきり状態。
「どうしてここにきたの?」と聞かれたので、「真田丸の主役のにやけた顔が嫌いで見ていないから、興味が無いの」といったら、「わたしもそうなの」と答えた人がいたので、、、、、
世の中、自分みたいなのが結構いるんだなって、うれしくなった。
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