仮面考
人間が面をつけると別人格になれるそうで、ときには神仏が降臨してお告げを述べたりするのは世界共通のことである。
面をつけてその役を演じていくと言うことは、心理的に同化して行くのだろうか。
お祭りの時には時としておかめやひょっとこの面をつけ、ひょげた役が出てくる地方があるが、この役についたものは周りの観衆に抱きついたり叩いたりしても何も言われない。
また、髭を生やすのはコンプレックスの現れというが、これも一種の仮面であろうし、いつまでも童顔の人には効果がありそうだし、、、、
そして、色の濃いサングラスは、目の動きが分からなくする仮面で、相手を威圧するのに効果的で、商売道具にしている人もいる。
元東京都知事が選挙運動の応援中に、「化粧の濃いおばさんが、、」と言ってひいきの引き倒しをしてしまったことがあるが、化粧の濃い薄いは別にして、これも一種の面と言ってもよいかもしれない。
そして、化粧をしていない女性をスッピンというらしいが、女優がこの手の言葉を使うと「私は何もしていなくてもこんなに美しいのよ!」と言うことを暗に言っている。
こちとら、70有余年まだ化粧をしたことが無く、平気で世間にスッピンをさらしている。
しかし、よる年波は隠しようも無く、皺と染みで、、、、、、これも仮面なのだろう、かなりずうずうしくなってきたのはそのためとしておこう。
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ところで、面と言うものは”つける”ものなのか、”かぶる”ものなのか、そういえば”かける”と言うのもあったが使い分けは難しい。
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