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2016年10月31日 (月)

秋はもの悲しい

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夕方になって例のごとく麻機田んぼの中へ散歩に出かけた。

ひさしぶりに綺麗な夕焼けに出会えるかもしれないと言う期待を胸に、、、

秋の陽はつるべ落としというように、歩き出して20分とは立たないうちに、浅機山に連なる山の向こうに沈んでいった。

しかし、山の向こうにある見えない雲が邪魔をしていたようで、真っ赤な夕焼けを見ることが出来なかった。

ただ、日が沈んだ直後、蓮の葉っぱの向こうに輝く夕景がなんとも言えずもの悲しいのは、役目を終えたといわんばかりの傷だらけ 穴あきの葉っぱが物語っているような気がしてしまった。

百人一首に「寂しさに 宿を立ちいでて ながむれば いずこも同じあきの夕暮れ」というのがあるが、秋は物悲しいものである。

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今日のテレビは、韓国のテレビではないかと思うほど、韓国の女性大統領の話しで持ちっきりだった。

詳しい事情は分からないが、韓国という国はよくよくトップに立つと不祥事が頻発する国である。

これも偉くなるとお金が集まるという儒教の国柄が影響してくるのか、歴代の大統領が職を去ったあと、本人はもちろん家族が収賄などで逮捕起訴されている。

どうも、儒教の本家、中国でも同様なことが起きているこのは、習近平主席の権力固めの手段ばかりとはいえないようである。

同じ東洋の日本でもテレビドラマでは「越後屋 おぬしも悪よなぁ!」と賄賂が横行していたように書かれているし、富裕層の脱税はかなりなものらしい。

だから、日本でも発覚しないだけで裏で何が行われているのかわからない。

富山県議ばかりでなく、性善説は疑がわなくてはならない。

三年前、韓国の大統領選挙のとき、韓国人の知り合いに「今度の選挙はだれに?」って聞いたら、今の大統領に投票するといっていた。

その理由は、「父親が大統領だったときお金には綺麗だったから」というものだったが、、、、、、、先日会ったときには、この話しが露見する前であったが「何も出来ない大統領」ということで失望していた。

この調子では、さらに失望感が増大するであろう。秋はつくづくともの悲しい。

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ところで、韓国でも海苔弁はあるのか知らん。

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2016年10月30日 (日)

赤く弾けた吊り花

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ツリバナの木実が熟れて弾けてた。

この木は全国どこにでもあるが、花は小さな上葉っぱと同じような色をし、弾けるまで実を包んだ白い実はも目立たない。

そのため、実が弾けて始めて存在を知るという、かわいそうな木である。

直径一センチほどの実がはじけると中から小さな種が三つ四つぶら下がって見える。

それが特徴なのか名前が”吊り花”という、本来なら吊り実とでも名づけられなければならないのに、、、、、、

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昨日今日と渋谷辺りではハロウィンとかで大混雑し、おまわりさんも多数動員して警戒しているそうだ、また、ボジョレヌーボとかでワインとはいえない今年収穫したぶどう酒も昨年より量が減ったとはいえ、大量に輸入されているそうだ。

これらを見ていると流行に乗せて、大もうけをしたい業者やそれに乗せられて単に騒ぎたいだけ人が多すぎる。

むかし流行った歌に「夜霧のハウスマヌカン」というのがあった。

その歌詞は”流行すたりに命をかけた 浅はか女の、、、”  

まさにいつになっても日本人の浮ついた生活行動がおさまることがない。

と、いう自分も、今日は何年ぶりかでうなぎ屋に招待してもらって、ものすごく高いうな重をご馳走になったが、秋に入って油の乗り始めたうなぎは本当に美味かった。

このあとは、何年先になるのだろうか。

色ボケ 欲ボケ 食い気ボケ、、、人間最後は食い気だけで生きる。

 

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2016年10月28日 (金)

年寄りの冷や水

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野葡萄の実が色づいてきた。

艶があるが、くすんだ青い色はトルコ石を思わせる。

この色も次第に紫になり、七宝焼きへと変化する。

葡萄の仲間というが、山葡萄などとは趣が違うので子供のころから口にしたことが無いが、漢方薬などに使われると言うから、毒は無いようだ。

実をつぶしても、葡萄のように濃い紫の果汁もにおいも無い、いずれにしろ、見るだけの植物でしかない。

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今日は注文していたたまねぎの苗が入荷したと言う電話があったので、受け取りに行った。

時間がちょうど出勤時間に合致してしまったため、静岡市を南北に走る道路はどれも渋滞していて難儀する。

これがいやで、仕事をしているときは毎朝七時にトラックに乗っていたんだよな。なんていいながら普段の倍ほどの時間をかけて店に着く。

午後から雨が降るという予報だったので、それ前に植えておこうと裏の畑に出かけてみたが、穴あきのマルチシートを広げたところでポツポツ小さな雨粒が、、、

せっかくここまでやったのだからと、100本の苗を植え終わったときには、頭から下着までびっしょりと濡れてしまい、家に帰ったら叱られた。

「年寄りの冷や水ってこのことだよ!」

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2016年10月26日 (水)

富士山初冠雪

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朝まだ明けやらぬ東の山奥に初冠雪をみる

先日甲府気象台から見えなかったとして無効になった富士山の初冠雪。

今日はこれでもかと言わんばかりに山頂を白く染めていた。

今年の初冠雪は例年よりかなり遅く、六十年前の初冠雪とタイ記録で観測史上最も遅かったとテレビは言う。

これが、これから来る冬とどういう関係になるのか分からないが、良い兆しであってくれることを祈っている。

”良い兆し”って?   暖かくても寒くても、、、、、まあどうでも良いことだが

ここ静岡では昨日の寒さとは打って変わって、気温が二十五度越えの夏日になったが山頂は気温が低いままだったらしく、夕方になっても白さは確認できた。

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日本有数の大企業と言われる電通で、過労自殺者が出て刑事事件がらみで臨検されているそうだ。

前にも過労死がらみで最高裁判決が出て高額の賠償をはらった電通であるがそれを教訓としていなかったことになる。

電通と言えば、かなりの競争率を突破した成績優秀(学業)な人だったとおもわれ、自殺の原因も労働時間ばかりでなく人間関係(特に上司のいじめなど)も原因しているのかもしれないが、、

時間外の労働時間は労働基準法36条に基ずき労働組合と協議しなければならないのだが、最近の労働組合は労働者の団体ではなく、会社の意向をおもんばかって会社の代わりに労働者を締め付けるようなものが多くなってきている。

ちなみに、2,015年一年で、過労自殺者が2,115人という統計もあるそうで、電通に限ったことではなく、日本全土でこんなことが毎日何十人も起きていることになる。

今朝の新聞にも載っていたが、大学を卒業して三年以内に退職する人23%にもなり、サービス業にいたっては50%を超えているとか。

この中にはあんまり仕事をすると過労死をしてしまうと退職する人がかなりいるのではないかと想像してしまう。

大学を出た以上、就職するときには将来への希望を持っていたと思うが、こんなかたちで仕事を続けられなくなると言うのは、国家的損失と思うが、政府や経団連はその辺の事情を知ろうともしないでいるようだ。

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2016年10月25日 (火)

「なにしてるの?」

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子供のころ、寝床から見上げた天井に、木の節が三つ三角形になっていると並んだ二つを目に、一つを口になぞらえて人の顔のように見えてしまったものだった。

しかし、これは自分だけのことではなくほとんどの人がそう見るようで、心霊写真などでもほとんどがこの手である。

今日も散歩途中に見たシュウメイギクは、そんな感じに花が並んでいた。

裏の貸し農園に行って畑を耕していると、隣接した保育園の幼児が必ず寄ってきてフェンス越しに「おじさん、何しているの?」って毎回聞いてくるときがちょうどこんな感じである。

そんなときは、かならず「遊んでいるの」って答えているが、暇人のおじいさんはすることが無いので、鍬をふるうのは遊びの一種である。

「老人閑居して不善をなす」というが、爆発物を作るより農作物をつくって配るほうが何ぼか益しである。と、自己満足。

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午後になって、NHKの長野放送局から電話が来た。

先日長野へ行ったとき写した写真の一枚を、長野放送局が公開している「撮るしん」と言うコーナーに投稿したからであったが、何か問題点があったのかと思って出たら、夕方の”イブニング信州”という番組の中で、写真をテレビで放送したいので、そのとき電話でインタビューしたいとのこと、、、、

「恥ずかしいから」とことわったが、一応、そのときの様子を聞かせてくれというので、いくつかの質問に答えておいた。

となりで、そのときの応対を聞いていた連れ合いが長野の妹に電話してしまったらしく「短い時間だったけれど放送していたよ」とのこと。

そして、「なんでインタビューを受けなかったか」と言っていたが、最近一段の耳が遠くなっているようで、話していることがわからず、適当に返事をすると、的外れになって叱られることも多い。

長野限定で見ることはないと思っていても、恥をかきたくないというのが本音。

ある作家が言っていたが、書いたものは読み返しておかしなところがあれば、消しゴムで修正すればよいが、口に出したことは難しい。

だから、講演は苦手です。と、、、、、、自分もそんな心境

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2016年10月24日 (月)

過ぎたるは

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秋も深まり、晩秋のいり口に香るキンモクセイ。

ちいさな四弁の花を枝先にびっしりとつけて咲いている。

ひとつひとつはそんなでも無いのだろうが、一本の木に何千 何万と付けているさまは見事というしかない。

しかし、過ぎたるはなんとやら、エレベータであった香水の強い人のように鼻をつまみたくなる。

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天高く馬肥ゆる秋。

読書の秋、スポーツの秋など、秋に冠した言葉は数限りなくあるが、今年の自分は、まさにこの肥ゆる秋である。

昨年夏以来、散歩も少なくなるなど運動量が少なくなっているところへ、九月の長雨はさらに身体を動かさせなかった。

そこへもってきて、胃腸のほうが丈夫なのと暇に任せて食べたのが身体に蓄えられたようで、体重計は2kgも増えてしまった。

何とか減らそうと思っているが、思っているだけでなんにもできない。

天は今日も高い。

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2016年10月22日 (土)

東雲(しののめ)

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昨日だったか、朝のテレビを見ていたら、朝の状況を表す言葉を”東雲”という。のがあった。

いままで、東雲とは#東雲のストライキ さりとはつらいね てなことおっしゃいましかね。という歌が思い出される。

明治33年、熊本の東雲楼という娼妓館で起きた日本最初のストライキを風刺した歌であるが、どんな気持ちでやっていたのだろうか。

東雲と書いて”しののめ”とよませる根拠ははっきりとしないそうだが、語源は「篠の目」からきており、夜明け前に空が茜色に染まるころをいうそうだ。

先日、長野の科野の里歴史公園で復元の小屋を見たとき懐かしい感じがしたが、それは、自分の先祖が代々暮らしていた集落にもよく似た建物があったことによる。

屋根はもちろんだが、壁も萱や薄など丈の高い草を束ねて編みこみ、縄で柱にくくりつけてあり、そんなところにいれば萱の隙間から朝を感じ取れたのかもしれない。

縄文時代、人の住居は立て穴式だったので、この小屋は何に使われていたか説明書きを見ていなかったのでわからなかったが、鋸などの鉄器はまだ無かったはずなので壁は板というわけには行かなかったに違いない。

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ちなみに、自分が住んでいた神岡町には東雲とかいて、”あずも”と言う集落があったが、しののめ、となんか関係があったのだろうか。

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2016年10月21日 (金)

ホトトギス

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Img_0006相良町で仕事していた現場から持ち持ち帰ったホトトギスが移植してから二十年以上たった今でも枯れずに毎年花を咲かせている。

その間なんども苛酷な環境にあわせたのだが、耐えることなく生きつづけている、これが野生の強さなんだろうな。

この花、正確には”山路の不如帰”と言うが、次から次へと十一月半ばまで咲き続けることから、”ひたむき”と、とられたそうで花言葉は「ひめた意思」というそうだ。

ただ、昨日から何度もカメラを向けてみたのだが、案外と恥かしがり屋だと見えて、焦点を合わせてくれず、昨日のは全て失敗、今日も手を買え品を変え、ようやく機嫌を直して応じてくれたのがこれである。

そこで、さらに図に載せて、どアップにしてみたら蘂の先端に涙のような水滴ならぬ蜜を蓄えていた。

こんなに虫を歓迎しているのに、蝶やアブが寄ってきているのを見たことが無いのは、、、、、、ほかの小鳥に卵を預けて育てさせる託卵で嫌われている杜鵑に似ている生徒は思われないのだが、、、

                 これ如何に

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2016年10月19日 (水)

ボブディラン

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石榴の実が弾けて、中の種が赤いみずみずしい色を見せていた。

石榴の実、高校生になるまで見たことが無く、本で知っていた程度だったが、地中海文明の象徴みたいに見え、なんだか美味しそうに書いてあったので食べてみたい果物のひとつであった。

はじめて見たのは他人様の庭であり、初めて口に入れたのはそれから何年もたってからのことであった。

そのときの印象は、ただ酸っぱいだけ、、、、何でこんなものがというがっかりとした思い出しか残っていないし、いまでも、このときの印象が変わっていない。

それから何十年もたつが、もう二度と口にすることが無いだろう。

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今年のノーベル文学賞は往年の歌手 ボブ ディランに決まったと言うことを聞いたときにはびっくりした。

「うそ、彼はまだ生きていたの?」と、言うのが正直な感想だった。

1,941年うまれと聞けば自分よりすこし下なのだから、生きていても不思議ない歳なのだが、70年安保のすこし前のとき、”風に吹かれて”と言う歌が流行り、反戦歌として、学生を中心に大流行した。

その後しばらくして秋から冬に移行するかのように学生運動も下火になっていった。

ゲバ棒をもってばれるだけ暴れた連中はその後始末もしないで、”学生街の喫茶店”や”イチゴ白書をもう一度”などを歌って変節し今では「そんなことあったっけ」といった顔をして、すこしの落伍者を残して出世街道をひたすら走り、バブル景気を盛り上げた。

あの年代に学生時代をすごした連中は今でも信用できないでいる。

それはさておき、昨年も書いたが村上春樹さんは今年も梯子をはずされた。

自分は彼の作品と言えば「ノルウエイの森」をすこししか読んでいない。

流行が済んでから古本屋で手にとってパラパラと拾い読みしただけなので、読んでいないに等しいのだが、、、、そのときは、買う気がしなかった。

ただ、拾い読みした中での感想から言えば、なんだかメリハリが無く文学的価値を見出せなかったことにある。

出版社もいい加減持ち上げるのは止めにできないものなのだろうか。

ノーベル賞、大もうけを目論んでいるだけのことにしか見えない。

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2016年10月18日 (火)

肥後の守

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Img_0018信州松代城は、そのむかし、川中島の合戦のとき武田信玄の本拠地のなり、重要な役目を果たしたが、江戸時代になって真田氏が上田からここに移されてから松代城となのった。

川中島の合戦の折は、千曲川の川岸にあったそうだが、川筋の改修によって、ただの平城となり、その後水害などにより、堀もなくなり、いまでは本丸の周りにある堀のみの小さな城になってしまった。

かっては勇猛を誇った真田氏も、歴史に名を残した海津城も戦いのなくなった長い徳川時代に牙を抜かれ、平凡な一大名と小城となって明治維新を迎えた。

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東京の私立高校で生徒同士の喧嘩で、折りたたみナイフを持ち出した傷害事件が発生した。

どんな理由が発端となったのかしら無いが、どうも、日ごろのいじめが積もり積もっての凶行だったような感じである。

さしづめ、播州赤穂の浅野匠守に似た後先を考えない行動だったのか、、、、

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長野に行く前の雨の日、髪の毛がうざったくなって床屋へ行ってきた。

れいによって、そのときの床屋談義で「この間ショッピンセンターに行ったら、新潟燕の金属製品売り場があって、昔の折りたたみナイフ(肥後の守)があったけんど、1,800円もしたんで手が出なかったよ」

「おれら子供ころはみんな持っていたよな」「だけんどいまの物価に直してもそんなに高く無かったはずだよ。」

床屋のかあさんも割って入って「そうよ、女の子ももっていたよ。鉛筆を削るのに必要だったもん」

「おれなんかポケットにいつも入れておいたけど、だれもなんにも言わなんだな」

「俺も肥後の守と小さな砥石を持ち歩いて、暇さえあれば研いでいたからよく切れたもんよ。おかげで、いまでも包丁研ぎはプロ級さ、、」

「時代は変わった。いまでは、言い訳が立たなきゃ自動車に刃物を入れておいただけで警察がチョットコイっていうんだから、、、。」

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いつのころからか、生活が便利になって、刃物を持つことが無くなり、使い方を知らなくなった。

刃物で小さな傷をし、痛みを知ると言うこともなくなった。

床屋の主人が最後に「刃物の研ぎ方も今では重要でなく、床屋でも使い捨ての剃刀がある」

切れ味を自分の手で作り出すことも無く、便利さが不器用に変わっていく。

いつか、どんでん返しがくるんだろうな。

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2016年10月15日 (土)

森将軍塚古墳は

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Img_0064千曲市にある森将軍塚古墳と言うものを見に行ってきた。

長野県のパンフレットだったかに、綺麗に石を敷き詰めた前方後円墳が載っているのを見たことがあって、一度は見てみたいと言う思いがあったので、今回出かけてみた。

じつは、そこに行くまで森将軍というひとの古墳だとばかり思っていたが、どうやら、千曲市森と言うところの地名を取り、将軍塚は長野県あちこちにあるそうで、ただ偉い人に対する称号だったようだ。

古墳に埋葬されている人で、名前が分かっているのは天皇家だけ、それもずいぶんとあやふやなそうで、地方の古墳は名前が分からないとのこと。

ただ古墳時代というのは、四世紀の一時期だけというから、いまから1,600年余むかしのことになる。

まず、麓にある科野の里歴史公園にある文化財センターによって出土品を見たあとバスに乗って山の中腹にある古墳まで連れて行ってもらうのだが、文化財センター見学とバス往復が500円で一人でも随時送り迎えしてもらえるという格安料金であった。

バスは曲がりくねった細い道を登り、駐車場に降りると目の前に開けた場所がありそこが古墳であった。

「帰り時間を指定してもらえれば、いつでも来ます」というので、30分後をお願いし、前方部分から上っていくのだが、後円部分につくと眼下に千曲市の市街地がそして、遠くには北アルプス、戸隠飯綱の山々が一望できる絶景の地であった。

空は快晴、そよ風が心地よく吹くこの場所は、ここに葬られている人が望んだのもうなづける気がする。

さて、古墳であるが、文化財センターでも気がついたのだが、全体を葺き石で綺麗に包んでいることであった。

これだけの石を敷き詰めると言うのは、」人力しかなかった古代では一大事業であったことと思うが、前方部分は川原から持って上がったらしい丸砂利となると、、、、気が遠くなるくらいの労力である。

これまで古墳は、いくつか見て来たがこれほど綺麗に敷き詰めたものは知らない。そして、古墳の周りに並べてある埴輪も一風変わっていると見た。

いままで、埴輪と言えば、目の部分をくりぬいた人型のものが種であると思っていたが、ここにはそれが一体もなく、かわって、家型埴輪、円筒埴輪、朝顔形は二派などどれも高さ80センチくらいの大型のものしか見当たらない。

かえり、迎えに来たバスの運転手と話したが、文化財センターにある出土品をモデルにしたレプリカであるが、九州のほうの窯で焼き上げているため、ひとつ、30万円から100万円もするとそうだ。

この日も設置する業者が来ていたが、円頂部などで甕に石を投げないでくださいという立て札を見たとき、いくつかが壊されてのだなとと察してしまった。

いま、隣の上田市などではテレビの「真田丸」で観光客が殺到し、自動車が渋滞している中ここらは観光客も無し、ふもとの芝生は地元の人たちしかいないような雰囲気であり、文化財センターなども貸しきり状態。

「どうしてここにきたの?」と聞かれたので、「真田丸の主役のにやけた顔が嫌いで見ていないから、興味が無いの」といったら、「わたしもそうなの」と答えた人がいたので、、、、、

世の中、自分みたいなのが結構いるんだなって、うれしくなった。

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2016年10月14日 (金)

”うつかる”の湯から

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Img_0104朝まだ明けやらぬころに、露天風呂に向かう。

白々とした空の向こうに、浅間山が湯気の向こうで黒く煙を立てているのがみえ、ほかの入浴者がいないのを見透かしてカメラを持ち込む。

気温は標高が1,450mという四阿山の中腹にあるため、三度と低いが、首まで”うつかる”の湯に沈めて朝日が上がるのを待ち構えている。

”うつかる”とは、信州の方言で「もたれかかる」という意味だと立て札に書いてあり、ちょうど越し掛けの背もたれくらいの角度で傾斜しており、湯の温度が低めに設定されているため長風呂が出来るようになっていた。

昨夜は、雲ひとつ無い空に十三夜の月が煌々と輝いていたたので、それを風呂から眺めていたが、月が明るすぎて星の数がかなり少なかったのが残念と言えば残念であった。

なんでも両方が良いということはないという見本のような月夜であった。

そして、六時過ぎ煙が赤くなり、浅間が濃い紫になる。

なんだか自然と一体になったような気がして至福のひと時と言った感じ、、、、、

しかし、そのころになると、さすがのぬるい露天風呂でも長湯の影響が出てきてのぼせ気味になるとともに、ほかの人も入ってきたので上がることにした。

至福は長く続かないものである。

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2016年10月13日 (木)

実るほど

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実りの少ない稲穂は浅間山の噴煙を眺めている

三ヶ月ぶりに長野へ行った。

九月の長雨のため田んぼに入れなかったとのことで、稲刈りが遅れ、晴天率の高い佐久地方でも、まだ田んぼの稲刈りが出来ていないところが結構ある。

しかし、秋も深まってきたため、田んぼは見事なほど黄金色に輝き、まぶしいくらいである。

じつは、九月はじめに「去年植えてよいのが採れたから、植えてみたら」とニンニクをもらっていたのに買い足して、植えようと思っていたが、長野から「連日、雨もよいの日が続くので、畑には入れない」と言う連絡が来ていた。

そして、ようやく昨日になって、雨も上がり、畑には入れるようになったとの知らせで向かったわけ、、、、、

長野に着いて「見事な田んぼを見たよ。風も吹かなかったようで倒れて発芽しているかと思っていたが、、、」といったら「穂が軽いから倒れていないんだよ!、昨年よりかなり収量が落ちている」とのことだった。

これは初耳だが、言われてみればそうなんだとわかる。

よく実るとひとつの穂に120粒ほども実がつき垂れ下がり、すこしの風などで倒れるのだが今年は80~100くらいかな、、、、、、、

”実るほど頭がさがる稲穂かな”という言葉がそのまま当てはまるのだ。

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2016年10月12日 (水)

枯れ鬼灯

枯れ鬼灯(カレホウズキ)を作ってみた。

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お盆の飾りに買った鬼灯を軒につるし、枯れたところで外に出して雨に打たせたら、鬼灯の外苞が洗われ繊維だけが残ってかごのようになり、中の赤い実が透けて見えるようになった。

自然界で、こうなるのは早くて十一月末であり、俳句の季語では冬である。

今回出来た枯れ鬼灯は園芸用で時期に合わせて出荷したため、中の赤い実が充分に成長しておらず、すこし味気ないのは仕方ないことである。

子供のころこの赤い実を上手に口の中で転がして、中身を吸出し小さな風船を作る子がいたので、真似をしてみたが一度として成功したことが無かった。

こういうものはかなりの根気とあせらない人でないと出来ないので、男の子にはほとんどいなかったが、良く熟れた赤い実はすこし酸味と甘味があって失敗と決まった瞬間、外の皮ごと噛み潰して食べたものである。

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今年になってりんごの丸かじりが出来なくなった。

以前から歯医者には、「まだ齧られる?無理しなさんな」と言われていた。

それに対して、上の前歯でなく、下の前歯で齧っているからしばらくは大丈夫と言っていたが、ぐらぐらに揺れていた上の前歯がついに二本なくなり、入れ歯になったとたんだめになった。

男がいやおうなしに歳を思い知らされるのは、歯 目 臍下三寸と言われてきた。

筋肉は、最近流行のジムなどで鍛えれば復活するが、目、臍下三寸などは一度落ちればなかなか元には戻ることが出来ない。

特に歯にいたっては、復活と言うことは無理なので入れ歯ということになるが、どうしても紛い物といった感は免れずなかなか慣れないでいる。

「遠い将来オートファジーで再生するなんてことがありそうですかね?」と聞いたら「無いでしょう」とつれない返事。

もっともそれまで生きているわけ無いか。

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2016年10月10日 (月)

心身とも疲れて

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出ては見たけど、お姉ちゃんたちとはちょっと合わない。このポーズでしばらく立っていました。



三年に一度の島田帯祭りが先日来行われていたが、連日の雨降りで行くのをためらっていた。

しかし、今日は雨が降らないと言う予報もあったので出かけてみたが、人ごみに弱くなった身にはひどくこたえた。

祭りの行列は道の真ん中を練り歩くので早くから見物の人が歩道脇に座り込み、その後ろを抜けて歩くのだが、まさにかき分けかき分けのの連続である。

この祭り始めてきたのが三十数年前で、その間五回ほど来ているのだが、以前はこんなに込んでいなかったような気がする。

たぶん、自分ら同様この三日間、出て来れなかった分の反動だったのだろうと思う。

とにかく、見たい出し物を探して歩いてみたが、最後は足もだが、気疲れが大きく二時間ほどで会場を出ることにした。

会場を出た後、ここまで来たのだから掛川へと足を伸ばしてみたが、どこも三連休の晴れ間、と言うことで駐車場は満杯。

引き上げてきて、家に戻ったが疲れが出て二時間も昼寝する。

今日は体育の日、日ごろの運動不足ばかりではないと思うのだが、、、、、

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2016年10月 9日 (日)

コスモス

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コスモスの花が盛りを迎えている。

短日植物だと言うが、品種改良(?)と言うのか、七月に見たこともある。

花の色も以前はコスモス色というと、ピンクが多く、秋桜なんて名前まであったが、濃い赤、純白などの三色しか見なかった。

しかし、最近では黄色いものやチョコレート色と言うものまであり、「花の色はうつろいけりないたずらに、、、、」なんて状態になってしまった。

ともあれ、荒れ地でも簡単に花を咲かせるため、手っ取り早い花園としてあちこちで即席の名所を作ることができる。

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2016年10月 7日 (金)

すぐ赤くなる

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スイフヨウの花が咲いていた。

咲き初めの午前中は白い花びらが、午後になると次第に赤くなるところから酒を飲んで赤くなる人にたとえて酔芙蓉となづけたとか、、、

一本の木に赤白両方の花が咲いていたのは、昨日の花がまだ萎れもせずに咲いていたためであろう。

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親の遺伝をついでか、酒を飲むとすぐ顔に出るたちの自分は、嫌な席では下戸で通したが、すぐにばれてしまった。

「顔が赤くなる人は弱い」と一般に言われているが、生来の負けず嫌いの性格もあって、若いころ職場の宴会などではずいぶんと飲んだものであった。

また、そのころの職場と言えば飲めるものがえらい、重いものを担げるものがえらい、、、、などという風潮があったためがぶ飲みに近い状態が常であった。

それでも、不思議と二日酔いとか、吐き気、そして「昨日何をしたっけ」などというほど酔っ払ったことが無いので、案外強かったのかもしれない。

ただ、父親と違って酒そのものはあまり好きでなかったため、家では晩酌もめったにしないできた。

そのためもあってか、仕事を離れて十余年しだいに飲む量自体も少なくなり、子供家族や兄弟などの集まりでも、よく飲んで生ビール二杯が精一杯と言う状態になった。

しかし、飲めばすぐ赤くなるのはいままでと一緒。

そのおかげで飲酒運転だけはすることが無い。

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2016年10月 6日 (木)

夕焼け雲に誘われて

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Img_0051夕焼け雲に誘われて、、、、、、

久しぶりに夕焼け雲に会えそうな雰囲気になってきたので、近所の田んぼの畦道を歩いてみた。

空は秋の空を代表するかのように高層雲と中層雲そして、低い雲の三層をなしており、低い雲はすでに沈む太陽の光を受けられないようで、黒くなっていたが、風が無いようで同じ位置にとどまって動かないでいる。

中層の雲と高層の雲はまだ、夕日で無いようで白く見えるが、動きの早い中層、遠いためか、形を変えないでゆっくりと動く高層の雲とは趣が違う。

そして、五時を回ってからいよいよ今日最後の見せ場を作ろうと、空は真っ赤に染まり、それも、十分とは立たずに終焉を迎え始める。

と、その幕引きを見計らって、夜空の花形六日の月が雲間から浮かび上がり、光を失う夕焼けに変わって輝きを増していく。

子供のころは、一番星があちらにポツン、ついで二番星がこちらにと輝き、瞬く間に夜空一杯星が輝くのが常であり文字通りスターであったが、最近では満天星を見ることがなくなった。

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今日も今日とてテレビは豊洲新市場の問題を取り上げている。

小池都知事もこれだけ問題がふくらみ、際限なく広がるとは思っていなかったに違いない。

そうした中で、戦犯をあくまで追求していくといわざるを得なくなってしまったようで、これがさらに進むと、誰か自殺などをして闇に証拠を持っていくと言うような事態になりかねないのだろうか。

東京都の技術系職員を称して、関東軍と言った人がいたが、第二次大戦の直接の引き金になった旧満州の関東軍が、本国の意向や命令を無視して暴走したのが始まりであったと聞く。

結局は、統制が取れなくなった軍と言う組織が国を危うくしてしてしまった(自分としては戦争に負けてよかったと思っているが、そのために、命と言う代償は高すぎた)

東京都は、他の自治体に比して潤沢な資金を持っているので、夕張市のようなことにはならないのだろうが、統制が取れなくなっていると言う点では旧軍隊と変わらなくなっているのではないだろうか。

この問題をいつどのように収めることができるのか、一度開けたパンドラの箱は中途半端な形で閉めることはできない。

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2016年10月 4日 (火)

南天色づく

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なかなか気温が下がらない。

台風の影響もあってか湿度も高く、まるで夏に戻ったかのような感じがする今日であったが、植物は秋を感じているようだ。

秋の七草もそれぞれに花を咲かせているが、庭の南天は実を赤くする前に、葉を緑から赤に変えはじめている。

季節は体感を通り越して、粛々と進んでいるようだ。

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先日安倍総理の演説の中で自民党がスタンディングオペレーションをしたことが話題になっている。

比較的冷静にものを見ると思われた小泉ジュニァも遅ればせながら立ち上がって拍手し、そのあとの会見でまわりが立ったのでつられて、、、なんて言っていた。

スタンディングオペレーションは、よくアメリカのニュースを見ていると、大統領が何か言うたびにワーッと拍手しながら歓声を上げているのを見て、やってみたかったのかもしれないが、日本ではまず公式の場では見たことが無い。

それを、あれほど整然とできたのは、裏で「この言葉が出たらやりなさい」と言う指示が出ていたに違いないと思う。

小選挙区制になってから、党執行部の権力が大幅に強くなって、議員のすることに有無を言わせない体制ができあがってしまった。

そうなると、党首の周りには”おべんちゃらこき”が群がり何とか点数を稼ごうといろいろ画策する。

今回のスタンディングオペレーションもそのひとつだろうが、もしここで立ちあがらなければ「あれは言うことを聞かなかった」とばかりに告げ口の材料にし、後々の選挙にも影響を及ぼすとなれば言うことを聞かざるを得ない。

首相の政治姿勢から言って、このことは将来全体主義の糸口になりかねないとすれば、、、、、、、、

余計な勘繰りならばよいが、   「まぁ、いいか、俺の生きているうちは、、、」と言っていいのかどうか。

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2016年10月 2日 (日)

仮面考

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人間が面をつけると別人格になれるそうで、ときには神仏が降臨してお告げを述べたりするのは世界共通のことである。

面をつけてその役を演じていくと言うことは、心理的に同化して行くのだろうか。

お祭りの時には時としておかめやひょっとこの面をつけ、ひょげた役が出てくる地方があるが、この役についたものは周りの観衆に抱きついたり叩いたりしても何も言われない。

また、髭を生やすのはコンプレックスの現れというが、これも一種の仮面であろうし、いつまでも童顔の人には効果がありそうだし、、、、

そして、色の濃いサングラスは、目の動きが分からなくする仮面で、相手を威圧するのに効果的で、商売道具にしている人もいる。

元東京都知事が選挙運動の応援中に、「化粧の濃いおばさんが、、」と言ってひいきの引き倒しをしてしまったことがあるが、化粧の濃い薄いは別にして、これも一種の面と言ってもよいかもしれない。

そして、化粧をしていない女性をスッピンというらしいが、女優がこの手の言葉を使うと「私は何もしていなくてもこんなに美しいのよ!」と言うことを暗に言っている。

こちとら、70有余年まだ化粧をしたことが無く、平気で世間にスッピンをさらしている。

しかし、よる年波は隠しようも無く、皺と染みで、、、、、、これも仮面なのだろう、かなりずうずうしくなってきたのはそのためとしておこう。

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ところで、面と言うものは”つける”ものなのか、”かぶる”ものなのか、そういえば”かける”と言うのもあったが使い分けは難しい。

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2016年10月 1日 (土)

大神楽祭りを見て

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きょうは静岡浅間神社で大神楽祭りがあると聞いていたので早くから楽しみにしていた。

古いことを捨て去るのに躊躇しない静岡でも、山間部に入ると昔ながらの伝統芸能が残っている。

今日の大神楽祭りは、市内の安倍川筋と藁科川筋、そして、大井川の上流井川地区から集まった神楽舞十九演目が催される。

午後一時に始まった神楽は夜の八時まで延々と行われたが、自分が見たのは最初の六演目だけである。

生まれ故郷の神楽とはまた違った節回しや踊り方であるが、懐かしい気持ちで見ることができた。

静岡の神楽の特徴は、鈴を持った舞妓が踊るのと、剣を持った剣舞のようなものが多いが、今日自分が見た範囲の中では剣を持った踊りはなく、鈴と扇だけであった。

その中で、到着したときに耳にした清沢集落の”順の舞”と言うのは小学生九人の舞であったが、横笛の囃子がむかし聞いたペルーでのケーナによく似ていて、目を瞑って聞いているとこんなメロディーがあったような気がして懐かしく聞いた。

もちろん、踊り手の女の子もよほど練習したと見えて、くりかえし同じような節の流れに対応していた。

ただ、舞のはじめにまとめ役にインタビューし、その舞の意味の説明などがあったが、どの責任者も集落の人口減で踊り手はもちろん囃し方の不足感を訴え、中には近隣の集落と合同でやらなければ維持できないところまで出てきているようだ。

過疎化集落での祭りはすでに限界となれば、いつまで維持できるのか、、、、、いまのうちに記録をしておいても、復活は相当難しくなってきそうである。

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