肥後の守
信州松代城は、そのむかし、川中島の合戦のとき武田信玄の本拠地のなり、重要な役目を果たしたが、江戸時代になって真田氏が上田からここに移されてから松代城となのった。
川中島の合戦の折は、千曲川の川岸にあったそうだが、川筋の改修によって、ただの平城となり、その後水害などにより、堀もなくなり、いまでは本丸の周りにある堀のみの小さな城になってしまった。
かっては勇猛を誇った真田氏も、歴史に名を残した海津城も戦いのなくなった長い徳川時代に牙を抜かれ、平凡な一大名と小城となって明治維新を迎えた。
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東京の私立高校で生徒同士の喧嘩で、折りたたみナイフを持ち出した傷害事件が発生した。
どんな理由が発端となったのかしら無いが、どうも、日ごろのいじめが積もり積もっての凶行だったような感じである。
さしづめ、播州赤穂の浅野匠守に似た後先を考えない行動だったのか、、、、
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長野に行く前の雨の日、髪の毛がうざったくなって床屋へ行ってきた。
れいによって、そのときの床屋談義で「この間ショッピンセンターに行ったら、新潟燕の金属製品売り場があって、昔の折りたたみナイフ(肥後の守)があったけんど、1,800円もしたんで手が出なかったよ」
「おれら子供ころはみんな持っていたよな」「だけんどいまの物価に直してもそんなに高く無かったはずだよ。」
床屋のかあさんも割って入って「そうよ、女の子ももっていたよ。鉛筆を削るのに必要だったもん」
「おれなんかポケットにいつも入れておいたけど、だれもなんにも言わなんだな」
「俺も肥後の守と小さな砥石を持ち歩いて、暇さえあれば研いでいたからよく切れたもんよ。おかげで、いまでも包丁研ぎはプロ級さ、、」
「時代は変わった。いまでは、言い訳が立たなきゃ自動車に刃物を入れておいただけで警察がチョットコイっていうんだから、、、。」
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いつのころからか、生活が便利になって、刃物を持つことが無くなり、使い方を知らなくなった。
刃物で小さな傷をし、痛みを知ると言うこともなくなった。
床屋の主人が最後に「刃物の研ぎ方も今では重要でなく、床屋でも使い捨ての剃刀がある」
切れ味を自分の手で作り出すことも無く、便利さが不器用に変わっていく。
いつか、どんでん返しがくるんだろうな。
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