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2016年11月27日 (日)

木の葉をはらう

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今日は暦の上では「北風 木の葉をはらう」とある。

確かに暦どおり、近所の花水木の赤く紅葉した葉がここ二~三日の風で舞い散り、ほとんど木の枝先に残っていない状態になった。

しかし、木の葉をふるい落とした枝先には、来年の葉を包む硬い蕾が出来ており、世代交代は順調に進んでいるかのようだ。

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.先日、滋賀県でおにぎりの早食い競争で、喉にご飯が詰まってなくなった人がいたそうだ。

喉に食べ物を詰まらせてなくなる人は、例年だと年寄りが餅を詰まらせて、、、という話しで聞く。

しかし、今回のは二十八歳だとか、、、、、

親はどんな思いで、この知らせを聞いたことだろう。

戦後の食糧難を過ごし、いまでも、茶碗に米粒を残すことが出来ない自分から見ると、飽食の時代と言われる昨今、食べたくも無いのに大食いなど食べ物をおもちゃにするのは罰当たりなこととおもう。

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自分が鉱山(栃洞坑)で働いていたとき住んでいた南平社宅は、上の大富というところから江戸時代に大雨で崩落した土砂の堆積の上に建てられていると聞いた。

江戸時代、この大富というところは鉱山に入る人たちが沢山入っている飯場があったが、稼ぎの良い坑内夫は贅沢の限りをしていたそうだ(当時では)が、大雨で山抜けで一瞬にして全ての人が飲み込まれて死んだとそうだ。

しかし、このとき、飯場にいた飯炊き女だけは、つましく釜に残ったご飯を食べていたため助かった。という。因果応報の話しがのこっている。

食料自給率の少ない日本。くれぐれも食べ物を粗末にしないで欲しいと思う。

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コメント

岡崎在住さま
すこし訂正いたします。
大富で抜けた土砂は、和佐保から上がったところで大曲りをして上の段に上がりますが、そこまで押し出して来たと言われています。
お寺の下に今でも赤松が残っていますが、ここで3m以上埋まっているようですし、第一浴場や購買部の付近では人骨も出たそうで、光円寺に大きな石碑が立っていますが、そのときの骨を埋めたとも、弔ったともいわれていました。
通洞というのは、坑内の入り口に付けられる名前で、栃洞選鉱につながるメイン線路があり、その上にあるため付けられたものです。
また、言い伝えでしたが、巣の内本屋の下あたりに大きな池があり湿地帯になっていたとも言われていますが、ここからグラウンドにかけて断層があり、学校下の地すべりが進めばこのあたりまで危ないのではないかと聞いています。
その流れで、グラウンドは一部山を削って埋め立てたものの前から平らな場所だったと聞いています。
いずれも、聞いた話の集積ですので、どこまで本当やら、、、

投稿: オラケタル | 2016年11月30日 (水) 17時09分

南平は名前の割に平な所が無いなと思っとったが、そっか昔は平やったんやな。前平は市山の坂から銀嶺会館、学校辺りは結構な平やったな。通洞は平という名前は付かなんだが、鉱山高校や購買部、丸山の辺りは平な地形やったね。鉱山グランドはどうやったか(削ったかどうか)は全く覚えはないな。

投稿: 岡崎在住 | 2016年11月29日 (火) 21時35分

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