飛騨というだけで
シベリア抑留から引き上げてきた人たちが、ラジオの喉自慢でうたい、全国的に広がった歌である。
それほど悲惨な経験からではないが、いまも静岡人にはなりきれていない自分には、こちらでの生活が異国じみて感じる。
来年の十二月になれば、生まれ故郷で過ごした歳月と同じ期間を過ごすことになる。
いまの生活があるのも、静岡に来てから引き続き厚生年金が掛け続けられたのが大きい。
しかるに、生まれ故郷がいまだに忘れられないのである。
年に一~二度、、、ほとんどが法事がらみ、、、かえっても、世代代わりをしていて知った顔を見ることはまずなく、”浦島太郎”の心境であるが、それでも、古里に近づくにしたがって、大洞山、二十五山、漆山岳などが目に入り、高原川の清流の音を聞くと懐かしさがこみ上げてくる。
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今日も酒屋に行き、普段はビールが主で酒は買わないのだが、正月用の酒を品定めしていたら、「飛騨」という字が目に飛び込んできたので即座にお買い上げ、、、
多分、この習性は終生変わらないんだろうな。
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