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2016年12月31日 (土)

飛騨というだけで

Img_0028「今日も 暮れ行く 異国の丘で、、、」という歌があった。

シベリア抑留から引き上げてきた人たちが、ラジオの喉自慢でうたい、全国的に広がった歌である。

それほど悲惨な経験からではないが、いまも静岡人にはなりきれていない自分には、こちらでの生活が異国じみて感じる。

来年の十二月になれば、生まれ故郷で過ごした歳月と同じ期間を過ごすことになる。

いまの生活があるのも、静岡に来てから引き続き厚生年金が掛け続けられたのが大きい。

しかるに、生まれ故郷がいまだに忘れられないのである。

年に一~二度、、、ほとんどが法事がらみ、、、かえっても、世代代わりをしていて知った顔を見ることはまずなく、”浦島太郎”の心境であるが、それでも、古里に近づくにしたがって、大洞山、二十五山、漆山岳などが目に入り、高原川の清流の音を聞くと懐かしさがこみ上げてくる。

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今日も酒屋に行き、普段はビールが主で酒は買わないのだが、正月用の酒を品定めしていたら、「飛騨」という字が目に飛び込んできたので即座にお買い上げ、、、

多分、この習性は終生変わらないんだろうな。

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2016年12月30日 (金)

下界を眺めて

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一昨日は松飾を玄関に出し、餅を搗き、外回りの整理など男仕事が済んでしまうと連れ合いの掃除に、料理になり、居場所が無くなる。

(餅つきといったって人間がするのは鏡餅にしたり展ばして、切るだけのこと、、)

最近では、何をするにしても二人所帯ではむかしに比べれば、ままごと同様であり、たいしたことは無いが、すこしでも、メリハリというか区切りをつけないと、「今日は何日? 今日は何曜日?」と言っている続きになってしまうような気がして、正月支度をしている。

(そのうち、今年は何年? ここは何処? 私はだれ?、、、、)

そして、今日は、追い出されるようにして池ヶ谷の高みに昇り、師走で忙しそうな下界をながめていれば、サイレンが右から左へと鳴りわたっていく。。

今日も何処かで火事でもあったのだろうか。交通事故なのだろうか、いずれもこの時期になると多くなるが、、、、、、、こんなことの区切りは御免蒙る。

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それにしても、糸魚川市の大火は凄かった。

「昼火事は遠く、夜の火事は近い」というが、早めの避難勧告で犠牲者の無かったことだけが幸いであった。

どうやら、フエン現象による大火ということで自然災害としてある程度の援助も出ることになったようだ。

もちろん、失った財産や思い出と生活に比べれば微々たる物であるが、、、

しかし、いつも疑問に感じているのは、大きな災害だと、同情も集まり保証金や見舞い金も手厚い(?)のだが、個人だけになると何の支援も無いようだ。

火事の被害は、同じなのに、、、、、、

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2016年12月28日 (水)

隠しようも無い

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葉陰のしたの艶やかな赤い実。

真っ赤に熟れては隠しようも無い。

名前が先か、実のつき方が先かは知らねども、千両 万両は縁起物として正月の花に使われる。

金 金 金の世の中で、名前だけでもあやかろうと近くの山に登り採って来たが、先日まであれほど沢山あったこれらの木はかなり少なくなっていた。

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強制捜査が入った後、しばらく沈黙を守ってきた電通の記者会見で社長が、若手社員の過労死の責任を取る形で辞任することになった。

すこし前までなら、社長辞任までは行かなかった問題であったのかもしれないが、前の過労死で勧告を受けていながら何もしてこなかったことが、世論の反発を買ったためであろう。

電通と言えば、日本で一番大きな広告会社であり、そこに就職すると言うことは、よほど選抜されて人たちばかりだったに違いないが、そのことが、余計にギクシャクする要因になっていたのかもしれない。

過労自殺の原因は、100時間の残業を含む長時間労働とパワハラだといわれているが、毎年いろいろな会社で沢山の人が亡くなっているのにめぼしい対策が採られなかった。

今回の事例から、会社を経営する人たちにはかなりの衝撃があり、儲け一本やりの経営に変化が来るかもしれない。

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2016年12月27日 (火)

トイレの故障

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五年ほど前に買い換えた水洗トイレがまた故障した。

当時TOTOの一番最新型で、トイレのドアを開くだけで便座の蓋が開き、終われば自動で流れ、蓋を閉めると言うもので尻を拭くのだけは手動というものだった。

「これでボケても流し忘れは無く、大丈夫!」なんて言っていたが、これが飛んだ食わせ物であり、この五年間に四度も修理業者を呼ばなければならない代物であった。

いままで、幸いというか五年保障の保険に入っていたので、修理代金は支払わなくて良かったが、この先どうなるのか、毎年今のようにあちこちで故障が続けば、修理代金がかなりの額になるに違いない。

初めての修理に来たとき、故障箇所を調べるため蓋をはぐったのを見て、びっくりしたのは、赤や青などいろんな配線の束がびっしりと詰まっているのを見たときであった。

「これは、大変なものを買ってしまったぞ」と、、、、後悔先に立たずとはこのことである。

それにしても、近所の水道屋さんを通じて買ったものだが、製造したTOTOや販売店の無責任さはいい加減なもので、水道屋さんも嘆いていた。

電化製品や自動車なんかとは、アフターケアの仕方に雲泥の差があり、消費者の言い分には聞く耳を持たない。といった感じである。

これからも、こんな故障が続くとすれば故障の少ないシンプルなものに買い換えるしかない。

そのほうが、あちこち考えるのでボケ予防には良いのではないかと考えている昨今である。

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追*次は安い便器を買おうかなといったら、水道屋さん曰く「安い便器のほうが機能も簡単なので故障が少ないし、万一故障しても俺たちで直せるもんな」って、、、        

いわれてみればその通り。 だけど、カタログもって来て進めたのはその水道屋さん。       とんだブラックジョーク並みの話を聞いた。

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2016年12月26日 (月)

三年は

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紅葉というのは何も見上げるものばかりではない。

霜が降りる今ごろは、草皆枯れるものだが、なかには寒さに強いものがかなりあり、ゲンノショウコなどもかなりがんばって耐えているようだ。

しかし、中には耐え切れなくなって赤く変色し始めるものも出てきて、緑の葉に遠慮しながら赤く染まって行くのがある。

あたかも、忘年会の酒席で同じように飲みながら、真っ赤に染まって恥ずかしげに隅に隠れる下戸のように、、、

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aはやいもので、今年もカレンダーの一番下一列を残すだけになった。

年末、世間が休みになると市場が買いだし客で混雑し、物の値段が上がるので、いまのうちに行って来ようかと、清水港の”河岸の市”に物を見に行ってきた。

どうせ、正月と言ったって、前のように客も限られているし、この歳になるとあまり食べられるわけではないので「大したものはいらないよ!」ってんで、半ば冷やかし気分で行くことにした。

人ごみは、早く行ったこともあって予想通り隙隙であり、ゆっくりと見て歩けたが、特に欲しいと言うものも無く、数の子と冷凍の魚など日持ちのするものをいくつか買った程度で帰ろうとしたが、、、、、、

ふと、海胆の売ってある店先で足を止めたのが運のつき、高いと思いながら値段の交渉をしてみると、「解凍したところだから長持ちはしないよ」とのこと、、、、

しかし、値段は、、、、思い切って買ってしまった。

帰ってから、「どうする?」「明日の命も保障されないんだから食べてしまおうよ」とまとまり、豪勢に海胆丼で綺麗に食べてしまった。

「美味かったね」「これでいつ死んでもいいよ」ってんで、三年(?)は長生きした気分に浸る。

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2016年12月24日 (土)

七色の玉

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陽だまりのコンクリートに七色の光が落ちていた。

どこが原因なのかと手のひらを当てた後、手甲に光を当てながら上のかざして上げて見るとアルミのドア枠の角っこに行きあたった。

「へぇ こんなところでプリズム現象が起きるんだぁ」太陽の角度と微妙な関係で出来たと見えて、まもなく消えてしまった。

今までも気がつかなかったことであったが、この一瞬を得したような気がして写真に収めてみた。

ただそれだけのこと、、、、

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今日はクリスマスイブである。

もう何十年もまえのことだが、子供たちがサンタクロースを信じていたころは、サンタクロースの代行としておもちゃ屋に行き、あれこれと希望の品物を探して歩いたものだった。

そのころは、70年代バブルの前だったのでそれほどの出費ではなかったが、キリスト教徒ではない自分には、内心良い迷惑だった。(正月のお年玉も控えて、、)

孫の代になると、お年玉以外は無責任状態になり、、、どころか、おすそ分けにイチゴの乗ったケーキをご相伴にあづかった、。

そして、いま、クリスマスソングも耳に入らなくなって、静かな夜を迎えている。

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2016年12月22日 (木)

明鏡止水

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風も無く穏やかな水面は鏡のように青鷺を映し出していた。

周りはすっかりと冬化粧、葦は冬枯れして金髪めいた茶色、青鷺も朝の食事を終えた後のようで微動だにしないため、水面を乱す波さえない。

”明鏡止水”とはこういう風景を言う。

この陽だまりも朝のうち、この辺りだけ、雲たちまちにして全天を覆い、昼前には雨が降り出してきた。

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ひさしぶりに珍しい文字を新聞で見た。

「同一労働 同一賃金」

若いころ組合運動の中で聞かれた言葉である。

当時は年功序列賃金が主体であり若い者からは不満の種になっていた。

ただ、坑内で働く我々は能率給という出来高払いがかなりの比重を占めていたので、実感が無かったものの、世間的には納得できるものがあった。

それがいつの間にか労働組合の主眼点からなくなって死語扱いにされ無くなってしまった。

近年若い人たちが、正規社員になれず、結婚も考えられないほど低賃金にあえいでいても、労働組合はその実情を見ようともしなかった。

それが、自民党政権の政府が温度を取って唱えだしたのは、単に人気取りだけなのだろうか。

アメリカの大統領選挙に民主党が敗れたのは、長年政権をとりながら支持基盤の工場労働者の苦境に目を向けなかったこと原因と言われている。

ただ、政府がこういうことを言う場合裏があると見るのは、僻目だけであろうか。

もしかしたら、上に合せず下の揃えたいとでも、、、、

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2016年12月21日 (水)

の~んびりと

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暖かい晴れ間も今日限りということなのと、富士宮の道の駅にわさび漬けの美味しいものがあるというので、朝霧高原へ出かけてきた。

昨夜も冷え込んだようで道路際の日陰には白いものが目立ち、富士山も五合目から上の植物が無いところは真っ白に輝いている。

あちこちと寄り道をし、軽い食事を済ませて帰ってきたのだが、途中の牧草地には運動をかねて屋外に出てきた牛たちが草原に座り込んでいた。

多分、朝の搾乳のあと屋外に出され、腹いっぱい食べた後反芻を楽しんでいるのだろう。

こんな光景は、牛のほうもストレス解消に良いのだろうが、見ているこちらも気分が良い。

正月前の気ぜわしい一日をのんび~りと ネ

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本日は北半球では一番昼間の短い冬至。

冬至かぼちゃをたべ、ゆず湯に浸かって    ああ 極楽ごくらく

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2016年12月20日 (火)

棕櫚の葉陰でうらうらと

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常緑の棕櫚のむこうに厚化粧をした富士山。

静岡ならではの風景なんだと思う。

今日もうらうらと暖かい一日となり、池ヶ谷の上の山の陽だまりで寝転がってうとうとと過ごして帰った。

背中に枯れ草、足元はせんだん草の種をいっぱいつけてのご帰宅は、なんとも怪しい雰囲気である。

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アメリカ人というか、白色系欧米人のものの考え方の根本に、他民族に対する優越感がいつまでたっても消えることは無いようだ。

今回のアメリカ大統領選挙をかじめ、ヨーロッパの極右翼の台頭はそんなところを如実に示しているように見える。

沖縄で今回墜落したオスプレイについても、アメリカ軍の将軍が沖縄県民の心を逆なでするような発言をしたのもその現われであろう。

自分たちは、小さなころから作られた民主主義を教育されてきたためもあって、どちらかというと中国やロシアのような一党独裁の国に対して嫌悪感を持って眺めているが、実際のところはどうなんだろうか。

アメリカの言い分には、まったく反論したり、諌めたり出来ない日本の政府に対して、54%もの支持あたえる日本人。

なんか、世の中の歯車が狂っているのでは、、、、、、

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2016年12月18日 (日)

さねかづら

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名にしおはば 逢坂山のさねかづら 

   人に知られで くるよしもかな

1,100年も前の平安貴族の歌った歌であるが、子供のころ家族ぐるみで行った百人一首なかで良く意味が分からない歌のひとつである。

さねかづらの真っ赤に熟れた実はほかに木の葉が散り始めてはっきりと分かるようになった。

艶々とした5mmほどの球形に実を中心の花台の周りに散りばめてその存在感を誇っている。

一見美味そうな実であるが、まだこの実を食べたと言う人を見たことが無いし、遅くまでこのままの状態でぶら下がっているところから、鳥たちも食べないようだ。

しかし、木の実などの事典を見ても毒だとは書いてないと言うか、無視されているかのように取り上げられていない。

むかしは、この実を潰すとねばねばした果汁が出てくるところから、びんつけ油の代わりをしたとも言われているのだから、、、、、食べた人もいるのかもしれないと思うのだが、、、、、、。

とにかく、歌同様にわからない蔦の実である。

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2016年12月17日 (土)

去り行くものは

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今日も寒さが厳しい朝になって一面霜が降りていたようだ。

その霜も穏やかな朝日にあってたちまちのうちに消えうせ、水蒸気となって草っぱらから立ち上る。

いかにも穏やかな朝を象徴しているかのようだ。

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昨日一昨日と、ロシアのプーチン大統領が日本にまねかれ、安倍首相と会談した。

二日間じっくりと話したようだが、結局のところ目玉にしていた北方領土の進展も無く、プーチン大統領が要求していた経済支援だけの完敗である。

まさに、百戦練磨の大統領にお坊ちゃん首相が手玉に取られた、というところ。

かの国の大統領にしてみれば、欧米各国から経済制裁を受けているさなか、G7の一員である日本と交渉している姿を見せるだけで効果があったはずである。

アメリカなどが、この会談にけん制したそうだが、”去り行くものは日々に疎し”と思ったかどうか、あまりにもあからさまな態度は後々の禍根になりかねないと思うのは素人目なのだろうか。

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2016年12月15日 (木)

銀シャリ

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Img_0026_2今日は今年一番の寒さだったのか、ここしばらく早朝の散歩をしていなかったので、久しぶりの日の出前の散歩は冷たく感じた。

昨夜来の放射冷却で田んぼの縁に咲き出した蓮華の花には、霜というよりまぁるい水滴が凍って着いている。

いずれ、朝日が当たればものの一~二分とはもたずに解けてしまうものだが、ダメージはかなりなものではないのだろうか。

それとも、この時期に花を咲かせるということは、この寒さも織り込み済みなのだろうか、、、、、、。

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ことしの漫才界の頂点を極めたコンビの名は”銀シャリ”というそうだ。

名の知れた経歴の豊富なコンビを含む、四千組とかいう中を勝ち抜いての勝利は賞金一千万円以上に価値のある栄誉であろう。

ところで、銀シャリとはわれわれ世代にとって、若いころ憧れの言葉であった。

こんな名前を考え付いたのは、当人たちではないような気がするが、どうなんだろう。

銀シャリ、それは、米だけで炊いたご飯で銀色をした舎利(骨)に見立てて呼ばれた名前である。

当然、彼ら世代では白いご飯は子供のころから当たり前のことであり、まわりの若い人に聞いてみたが、グループの名前というだけの認識しかなかった。

物心がついた戦後に育ったわれわれは、野草などで量を増やしたおかゆをが精一杯であった。

そのおかゆに入れる米は、配給が月に10日分もあったか、、、、残りは、母親の着物などと交換した闇米でしのいだ。

本当に銀シャリが食べられたのは、昭和30年代に入ってからのことで、腹持ちのしない雑草おかゆは育ち盛りの子供にとっては、ご飯が済んだそのときも腹が減っていた。

そのため、「昭和は良かった」という言葉を聞くと、「ひもじかった」チャチャを入れることにしている。

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ちなみに、海外では米は野菜に位置づけられているためか、スペイン語では白い米を煮た物は”ブランコ デ アロス”といい、銀舎利の弁当は珍しがられた。

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2016年12月13日 (火)

静かな一日

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十一時ころから降り出した雨は、小雨のままいまになっても降り続いている。

小さな雨粒は風も無い雨脚のため、南天の葉っぱの縁にそっと着いたまま動こうとはしない。

雨が周囲の音を吸い取っているのか、静かな 静かな一日が過ぎ去っていく、世のなかもこんな風に平穏無事で行けばよいのだが、テレビは殺人だのテロだのと騒々しくわめきたてている。

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2016年12月12日 (月)

そんな前触れかも

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今年一番の寒気が入ったようで静岡気象台で初氷を観測したと言う記事があった。

東の山の端にも子供の書いた絵のような富士山が見られる。

まだ小学校に入っていなかったころから、富士山と言えば台形の真ん中あたりにビザビザの線を入れて、上半分は白く塗ったもので、その脇には日の丸を翼をつけた戦闘機を書くのが常であった。

もちろん、富士山も戦闘機も一度も見たことが無く、全ては想像の産物だったか、絵本から仕入れた物だったかは定かではない。

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今日は、ノーベル賞の授賞式があったと、新聞で報じられた。

日本もここ三年連続して受賞者が出て目出度い限りと思っているが、結果を求める最近の情勢から基礎科学では受賞者が途絶えることが予想されるとか。

今年の受賞者のなかで、一番話題になったのがシンガーソングライターのボブディランが文学賞を受賞したことではなかっただろうか。

how many taimes 砲弾が飛び交えば、 how many taimes 人が死んだら と

歌が文学賞?と疑問を呈する人もいる中で、「風に吹かれて」という曲からずっと姿勢の変わらない彼が世界に与えた影響は、日本の万年候補者よりは筋が通っていると思う。

前にも書いたことがあるが、日本では70年安保を前にして馬鹿みたいな学生運動を指導してきた連中はこの歌手を持ち上げておいて、卒業した途端、「そんなことあったっけ」と言わんばかりに権力に擦り寄ったのに比べれば、、、、、、、、

おりしも、夕方になってから高曇りの空に出た月は、おぼろに霞んでいる。

明日は西から雨になるそうで、そんな前触れかも、、、、、

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2016年12月10日 (土)

さる

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水仙の花が早くも咲いていた。

水仙はギリシャ神話では、自分の姿に見ほれたナルシスに見立ててつけられたが、日本では中国から伝えられた名前をそのまま使っているそうで、水仙の名前の由来は、天にいる仙人を天人、地にいる仙人を地人、水にいる仙人を水仙と言った、とある。

ということは、洋の東西を問わず、この花を人に見立てていることになる。

おっと、仙人は人なのかどうかとなると、、、、、、それにしても、こんなに沢山いると、仙界も賑やかなんだろうな。

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申年もあと半月と少々で去っていくことになる。

時間は万人ともに同じように過ぎるものであるが、歳を取るにつれて、加速度的に早くなっていくような気がするのはなぜなんだろう。

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「サルー デ サルー」スペイン語圏にいった人ならこの言葉を一度は聞いていると思うが、初めて聞いたときには動物の猿を想像して変な気がしたものである。

ローマ字に直すと「Salud de saludo」であり、”健康に乾杯”という意味となる。

この言葉が出ると、ペルーではピスコのはいったコップを揚げて一気飲みしたものだが、たびたび、誰かがこの言葉を発すると、アルコール度数のかなり高い酒なので大概の人は酔いつぶれることとなる。

ちなみに、坑内では「さる」という言葉は去るにつながるとして禁句のひとつになっていた。

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2016年12月 8日 (木)

レールが敷かれた

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空に日本の飛行機雲がレールのように並行に山陰まで続いている。

どちらも崩れていないので多分時間的にはほんのわずかな時間帯で西の空に飛んでいったものであろう。

このレールに台車を乗せて行く先も分からない遠いところに飛んで行きたい?。

いや分からないところへは行きたくない。

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75年前の十二月八日は日本軍の奇襲で太平洋戦争が始まった日である。

自分は戦争に負けた昭和二十年はいくらか記憶にあるが、ようやく三歳になった、この日のことは憶えていない。

人に聞いた話では、その日ほとんどの人は異様に高揚感につつまれ、異論などさしはさめるような状態ではなかったと言う。

世界情勢や国力の違いも知ろうとしない軍部に引きずられ無謀な戦いを始めたのだ。

この点では、なってもらいたくないが、いまの北朝鮮のほうがよほど利口に立ち回っているとしか言いようが無い。

戦争も終わってみれば、なんて馬鹿な戦争をしたものだと付きが落ちたようにしょぼくれてしまっていた。

自分としては、戦争に負けて曲がりなりにも民主国家になって良かったとおもっている。

もし、あの体制が残っていたら、貧富の格差はもっと大きく、言いたいことも言えず、したいことも出来ない、生きにくい世のなかっだたに違いない。

しかし、そんな世を懐かしむ人たちが、復活しようとしているような気配があり、世界中の指導者が、国民の耳に心地よく響く言葉で煽り、民族の対立、貧富の差を拡大など威勢のいいことばかり言う人に代わりつつある。

選ぶ国民も悪いのだが、この連中に引きずられて敷かれたレールの上を走り出そうとしているのではないかという疑惑に駆られてしようが無いのだが、、、、

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2016年12月 7日 (水)

大雪

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今日は暦の上では大雪という。

いよいよ、冬も本格的になり各地からは、雪や氷の便りが入ってくるころである。

そうはいうものの、今日の天気は朝方幾分寒いかなという程度で日中は雲がほとんど無い好天のため、ぽかぽかと暖かく裏の畑に行ってみるとブロッコリーの葉の裏側に小さなデンデンムシがしがみついていた。

葉っぱの虫食い穴はデンデンムシではないと思うが、見つけた以上はそっとつまんで捨てた。

潰してはいないので、運がよければ冬を越すことだろう。

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今日も朝から各局のワイドショーは韓国のことばかり、ちょっとはしゃぎ過ぎではなかろうか。

おかげで、朴大統領を取り巻く人たちは韓流スター並みに日本に知れ渡ってしまった。

もっとも、韓流ドラマは一切見ていないので、韓流狂い(失礼)のかかりつけ歯医者女医さんから、何度聞かされても憶えられないでいるのだが、、、、

とにかく、こちらに時間をとられすぎて、国内の話題、特に政治に関してほとんど放送されることが無い。

業界のお先棒を担いだカジノ法案や扶養控除の税変更など知らない間に通過していきそうなのは、政府が民放に指示しているのでは、と、韓国政治を見ていて感じてしまう。

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2016年12月 5日 (月)

雪虫舞飛ぶ

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日が山の陰に入ると急に雪虫が目立ってくる。

今年は例年より多いのか時折固まって舞い飛ぶと風花(かざはな)のように見えてしまうことがある。

飛翔力が弱く、風のまにまに漂っている感じがいかにも雪を連想させて良い名前を付けたものだと思うが、公式の名前はトドネオオワタムシというわけの分からない名前がついている。

ちなみに伊豆のほうではシロバンバという名前で呼ばれているようで、井上靖のおさないころの自伝小説とも言うべき「しろばんば」はこの虫からきている。

自分らの土地では、雪の降るすこし前に見られることから、冬の前兆もかねて雪虫と呼ばれているようだが、この虫は、夏の間はアブラムシだそうで、主に草の柔らかいところにびっしりと張り付いて栄養分を横取りするところから、嫌われ者であり、天道虫が食べても食べても一向に減らない厄介者である。

この虫が、越冬するためこの時期になると羽が生え身体に細かい羽のような蝋物質を生えさせて交尾し、卵を産むそうだが、何せ小さい。

白い蝋のような羽で目立つのだが、体長は2mmもあるだろうか、目には見えるがカメラの焦点には合わないようで、何度シャッターを切っても跳んでいる姿は写せない。

そうっと手で包み草の上におろして写したものが上の写真、傷つきやすく、人の体温でも弱ってしまうと言う可憐な生き物だが、夏場の姿をおもうとあまり増えてもらいたくない昆虫である。

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2016年12月 3日 (土)

今年最後の紅葉狩り

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多分今年最後の紅葉見物になるであろう。

四月に孫娘が就職し、一人住まいをしている浜松へ様子見がてら連れ合いと出かけてきた。

部屋を見て、何とか一人暮らしも慣れてきた様子に安心したあと、どこかへでかけることにした。

フラワーパークなど花のある公園なども考えたが、花の一番少ない季節でありそんなところを見て歩いても、、、と考えた末に、天気も良いし、舘山寺に行ってロープウエイにでも乗ろうか、ということで話がまとまった。

しばらくぶり、という言葉が当てはまるくらい    浜松の市外に入ったのは十数年ぶりになるのだが、すっかり街中の道路状況は変わってしまい、かっては細い裏道まで覚えていたのだが、浦島太郎になった気分で街中をさまよったすえ、ようやく見覚えのある山を見つけてほうこうかんかくをとりもどし、ようやくたどり着いた。

ここまで来たのなら、今年一番の贅沢かもしれないが誕生祝をかねてうなぎを食べようということになり、腹ごしらえをすることにした。

「夏の土用のうなぎは暑さ負けをしており、冬に入ったいまが旬なのだ」なんていらぬ講釈をを聞き流して「おいしい」といって食べだす孫娘。

窓の外には、浜名湖とロープウエイとマガモやバンなどの水鳥を眺めることが出来るうなぎ屋。

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Img_0006腹がくちくなってまぶたが重くなるが、予定のロープウエイで山頂に上がると、丁度紅葉が待ちかねていたかのように輝いていた。

風も無く、ぽかぽかとした陽気の中、季節がいっぺんに一ヶ月くらい逆戻りしたような雰囲気のなか、3人で紅葉狩りの散策を楽しんだ。

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2016年12月 1日 (木)

また齢を

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昨夜来の雨は粒が小さかったようで、まばらにつけた南天の実に小さく点々と水玉をつけていた。

南天の実なんてどう見積もっても5mmとは無いのだから、その雨粒がそっくりついたとしても1mmあるかないか、、、、、つまり、霧雨状態で、降るというより漂っていたとしか言いようが無いだろう。

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またひとつ齢を重ねた、自分にとっては毎年の新記録である。

これで、父親の歳を十三年上回ったことになるのだが、いまのところこれといった内臓の障害は起きていない。

そのためもあって、体重ばかりが増えていくのはだんだん身体を動かすことが少なくなって行くのに反して、身の回りにはりんごと蜜柑がとても食べきれないほどあるところにもってきて、今日は富有柿と蜂蜜が届いた。

好物を身の回りにおいて、食欲はさらに増す。

これを消化してしまったら、、、、、、さらに恐ろしいことになると言う贅沢感で一杯。

とにかくあり難いのだが、、、、、どう節制したらよいのやら

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