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2016年12月15日 (木)

銀シャリ

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Img_0026_2今日は今年一番の寒さだったのか、ここしばらく早朝の散歩をしていなかったので、久しぶりの日の出前の散歩は冷たく感じた。

昨夜来の放射冷却で田んぼの縁に咲き出した蓮華の花には、霜というよりまぁるい水滴が凍って着いている。

いずれ、朝日が当たればものの一~二分とはもたずに解けてしまうものだが、ダメージはかなりなものではないのだろうか。

それとも、この時期に花を咲かせるということは、この寒さも織り込み済みなのだろうか、、、、、、。

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ことしの漫才界の頂点を極めたコンビの名は”銀シャリ”というそうだ。

名の知れた経歴の豊富なコンビを含む、四千組とかいう中を勝ち抜いての勝利は賞金一千万円以上に価値のある栄誉であろう。

ところで、銀シャリとはわれわれ世代にとって、若いころ憧れの言葉であった。

こんな名前を考え付いたのは、当人たちではないような気がするが、どうなんだろう。

銀シャリ、それは、米だけで炊いたご飯で銀色をした舎利(骨)に見立てて呼ばれた名前である。

当然、彼ら世代では白いご飯は子供のころから当たり前のことであり、まわりの若い人に聞いてみたが、グループの名前というだけの認識しかなかった。

物心がついた戦後に育ったわれわれは、野草などで量を増やしたおかゆをが精一杯であった。

そのおかゆに入れる米は、配給が月に10日分もあったか、、、、残りは、母親の着物などと交換した闇米でしのいだ。

本当に銀シャリが食べられたのは、昭和30年代に入ってからのことで、腹持ちのしない雑草おかゆは育ち盛りの子供にとっては、ご飯が済んだそのときも腹が減っていた。

そのため、「昭和は良かった」という言葉を聞くと、「ひもじかった」チャチャを入れることにしている。

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ちなみに、海外では米は野菜に位置づけられているためか、スペイン語では白い米を煮た物は”ブランコ デ アロス”といい、銀舎利の弁当は珍しがられた。

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