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2016年12月31日 (土)

飛騨というだけで

Img_0028「今日も 暮れ行く 異国の丘で、、、」という歌があった。

シベリア抑留から引き上げてきた人たちが、ラジオの喉自慢でうたい、全国的に広がった歌である。

それほど悲惨な経験からではないが、いまも静岡人にはなりきれていない自分には、こちらでの生活が異国じみて感じる。

来年の十二月になれば、生まれ故郷で過ごした歳月と同じ期間を過ごすことになる。

いまの生活があるのも、静岡に来てから引き続き厚生年金が掛け続けられたのが大きい。

しかるに、生まれ故郷がいまだに忘れられないのである。

年に一~二度、、、ほとんどが法事がらみ、、、かえっても、世代代わりをしていて知った顔を見ることはまずなく、”浦島太郎”の心境であるが、それでも、古里に近づくにしたがって、大洞山、二十五山、漆山岳などが目に入り、高原川の清流の音を聞くと懐かしさがこみ上げてくる。

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今日も酒屋に行き、普段はビールが主で酒は買わないのだが、正月用の酒を品定めしていたら、「飛騨」という字が目に飛び込んできたので即座にお買い上げ、、、

多分、この習性は終生変わらないんだろうな。

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コメント

星さま
故郷というものには、いつまで経っても特別な感情があります。
向こうは気にしてもいないのに、一方的な片思いなのですが。
そして、中学卒業と同時に離れ離れとなったものたちの同級会は、やはり、旧姓でチャン付けです。

来る年は、なんだか波乱が予想されますが、せめて個人には影響の無いことを祈ります。
ありがとうございました。

投稿: オラケタル | 2017年1月 1日 (日) 21時17分

岡崎在住さま
いろいろと話題を提供していただいてありがとうございました。
高校卒業と同時に神岡を離れたあなたも、飛騨は懐かしいことでしょうね。

投稿: オラケタル | 2017年1月 1日 (日) 21時10分

 故郷は遠きにありて思ふもの・・・なんでしょうか。
家内は小学校から女学校の半ばまで但馬の山奥で過ごし、あとは大阪、そして空襲で焼け出され父祖の地に帰ったのですがいまだに但馬のことばかり。氷ノ山に初冠雪とか セコガニきょうまで。とか  、旧友との交流を続けています。「小代」何万回聞いたことか 四駆にスパイクで何度訪ねたことか 初めのころは旧友との会話がわからない部分もありました 今でも何とかさんならまだしもナントカちゃんと電話で話しています

 私はここ有田で生まれ 育ち何の感慨もなくぼさーと四季の移ろいを眺めているだけです 幼馴染と出合っても「おう」「やあ」「どう」「まあまあ」くらいです

今年も一年 写真やコメントで楽しませていただきました
来年も楽しみにしております 
よいお年をお迎えください。

投稿: 星 | 2016年12月31日 (土) 23時07分

オラケタ様
お世話になりました。良いお年を。来年も。あんばよーやらまいか。

投稿: 岡崎在住 | 2016年12月31日 (土) 23時01分

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