元いたところを見上げて
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子供のころはセキレイというとこの鳥だとばかり思っていたが、静岡ではハクセキレイかセグロセキレイがほとんどで、キセキレイを見ることは稀である。
標高の違いか、土地柄の違いなのかよく分からないが、気温が温かくなったためか念入りに化粧をしていた。
セキレイはその尾を振って飛び回るところから、石叩きなんて呼ばれる地方もあるが、飛騨ではチンチンドリで通っており、いじめると「親死ぬ 子死ぬ 鍋も茶碗も割れてしまえ」と鳴いて呪うとか、火事になるとか言ってツバメ同様この鳥に手出しをするものがいなかった。
これは、ほかの土地でも同様な言い伝えがあることから、古来特別な目で見られていたのだろう。
そのためか、人を怖がるという風がなく一定の距離を保ちながら人の身近で飛び回っている。
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自分の周りで、”てるみ”といえば、保育園か美容室にそんな名前のところがある。
今回の新聞記事になるまでそんな旅行会社があるとは知らなんだ。
それにしても、こんな無責任な会社がよくいままで存在していたもんだ。
この旅行会社に申し込んで海外に行っている旅行者が2,500人とか、、、、、帰ってくるのは自分の費用でと言われるとそれだけのお金を持っている人がいるのだろうか、見知らぬ国で言葉が通じるのだろうか、、、
自分も、初めての海外出張では、英語もろくに話せずスペイン語にいたっては挨拶と数を数えるだけしか知らずに、一人で放り出されたのだが現地で同級生が待ち受けていてくれたおかげでその夜の宿にスムースに行けた。
多分この会社の格安料金で行く人は何回か海外旅行を経験していることと思うが、こんなはた迷惑な会社の社長は破産した後、のうのうと暮らしていくのは、いくつかの倒産会社で目にしている。
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高原川を挟んだ向かいの山、呼べば届くほどちかい
いまでこそスーパーカミオカンデで有名になったが、自分の通った小中学校はこの施設のほぼ真上にある鉱山社宅の子供だけが入っている大津山小中学校である。
標高800mと言う高地にあって、毎年雪が4m以上は積もるこの土地で、春一番の響きと言えば、400m下を流れる高原川を挟んだ向かいの山雪崩の音であった。
さすがに高山とはいえ、この時期になると地面も温められて、谷の上部から崩れた雪が地表の土砂を巻き込んで流れ下る音は、直線で3kmほど離れた社宅まで聞こえ、谷筋は茶色く染まった。
被害は人家も無いような急斜面なのでなかったが、その上流では雪崩の出る場所にはコンクリート製のスノーシェッドで半分トンネル状になった道路が続いている。
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那須のスキー場で雪山訓練をしていた高校生と先生が雪崩にやられて八人も亡くなったというニュースがはいった。
ワイドショーは、これが原因とか、あれができていなかったとか言っていたが、雪のことを知らない連中がどう言ってみてもと言う感が免れない。
雪崩には大きく分けて地面を削りながら崩れてくる”地こすり”と雪の上を滑ってくる”泡(表層雪崩)”があり、上記の雪崩は地こすりで今回の雪崩は泡である。
威力は落ちらがどちらとも言えず、山に登ると直径1mほどのモミの木が枝を綺麗に折り取られて雪の斜面に転がっているのを見たが、これは泡のせいであった。
この泡は、条件が整えば簡単に発生することがあり、自分も中学のとき、学校の上の山で雪だるまをつくろうと、雪を転がしていたときに暑さ4~50センチの雪の層が幅30mほど、亀裂が入って流れ下ったことがあるし、高校生のときスキーハイキングで大富の鉱山後に行ったときスキーの先端から雪が切れて滑り出し、下にいた同級生がその雪で押し流されてしまったことがある。
これらは、いずれも立ち木などの無いやまであったが、今回のは木の間をすり抜けてきたような説明だったので傾斜がよほど急だったかと推測される。
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いずれにしろ、事故の究明は地元のよく事情を知った人や専門家の意見で解明されるのだろうが、遺族の一人が言っていた「いい子だったが、親より先に子供が逝くという親不孝をした」と言うのを聞いて、その嘆きに涙してしまった。
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昨日に比べれば幾分気温はあがったものの、一日中小雨が降ったり止んだりを繰り返す一日であった。
そして、午後になって鳴り出した雷も納まって日差しが出てきたので、これでおしまいかと思い散歩に出かけたら、西の方は青空が出ていたが、頭上は雨雲が去らず時折細かい雨を降らし続ける。
虹が出ていないかと東の雲の下に目を凝らすが傘をさすほどの雨でないためか一向に現れる気配は無い。
一時間あまり歩いて帰れば、上着はしっぽりと、肌シャツは中からしっぽりと、、、、汗臭いと叱られる。
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「よこしまな考えを持った支那人や在日朝鮮人は 云々」と言う文書を保護者に送ったと言う籠池淳子さん?
一体、保守系と言われる人はどうしてこんなに器量が狭いのだろうか。
彼らは、日本人は単一民族であると言うが、古くから日本に住んでいたと言われる南方系の縄文人と朝鮮半島を経由した弥生人、そして、東北以北に住んでいたアイヌ系が入り混じった民族である。
何年か前、郷土史の講義を受講した際に、縄文人と弥生人が争った形跡が見当たらないと言うのを聞いた。
そのころは、人口も少なかったのだろうが接触の仕方が徐々に広がったのか、同じ人間とみたのか、大陸渡来の弥生人のほうが文化レベルが高くて差がありすぎたのかとにかく融和して日本人が出来たようだ。
そのため、いまでも四角い顔つきの縄文型のっぺり細顔の弥生人型なんていわれることがある。
そんな祖先を持つ民族がいまさら、「支那人は嫌い、朝鮮人は、、」と言えた義理だろうか。
ひょっとすると四角い顔を持ち頭の毛がぼさぼさな籠池淳子さんは南方系の縄文人の血が強いため、「弥生系が嫌い!」って言っているのだとしたら面白いかもしれない。
確かに島国で育った人と大陸で葛藤を繰り返した人たちとは社会状況が違い考え方も違うのは致し方ないが、日本人の考え方の根幹を成す仏教や儒教は中国から入ってきたものであることを肝に銘しておかねばなるまい。
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道かたに植えられている低木の生垣の間にムスカリの花が咲いていた。
生垣のしたとはいえ、南向きのその場所はムスカリにとって居心地のよい場所らしく元気に育っていたが、園芸品種で球根で広がる花だけに、自分から逃げ出したものではなく、誰かがそっとこの場所に持ってきたものに違いない。
濃い紫のその花は、茶褐色の味気ない場所だけにひときわ目立っている。
ムスカリとは麝香のことであるが、その匂いはかいだことが無いのでわからない、そして、形状からつけられた名前はブドウヒヤシンスだと言うが、、、、、、、、
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今日は孫の父方の八十四歳になるおばあさんが訪ねてきた。
いろいろと話をしたが、その中ですでにひ孫が六人もいることを話した上で、いろいろと行事があるたびお祝いをしているのだが、年金なので大変だと言う。
本当は孫やひ孫に何かしてやれるのがうれしいのだろうが、それを隠して言っているらしいのはよく分かる。
しかし、根がひねくれものの自分は「大学行くことになった最後の孫はべつにして「働いて給料を貰うようになった孫たちにお年玉くらいくれ」と常々言ってプレッシャーをかけている。
願い事は言わなければ叶わない。
黙っていては、神さまも気づかないはず、、、、そんな例をなんどか見て来た。
日本人は、小さな島の中でくらしてきただけに、阿吽の呼吸とか、俺の目を見ろ、、で通ってきたが、新人類と言われる今の若者には通じない。
相手が相手ならこちらもこちらで行かないと、世の中回らないよ。
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今年のソメイヨシノは、東京が一番早く開花宣言を出すようだが、静岡は珍しくと言うか例年よりかなり遅れているようで、まだ”つぼみ硬し”といった状況で、いつ咲くのか見当も付かない感じである。
写真の桜は、近所でいま満開を迎えているのだが、名前が分からない。
下向きに咲いたその花は色も白っぽくたおやかな感じがし好感が持てる。
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今度高校を卒業する孫が、地元の大学をすべり心配していたが、福井の大学に合格したとメールが入った。
地元の大学は父親が親元から通わせたくて薦めていたが、本人は福井か秋田に好きな学部があるとかで希望していた。
結果的には、親の意向を退けて希望する科目を選んだことになるのだが、地元の受験に失敗したときにはかなり落ち込んでいた。
人間挫折を繰り返しながら生きていくものと、この歳になれば思うのだが、失敗したときには身も世もあらぬといった感じだったこととおもう。
とにかく、遅れてきた「サクラ サク」にお祝いをしてあげなくてはならない。
最近は黒い熨斗の付いた袋ばかりだっただけに、明るい色の熨斗袋は新鮮な感じがする
ただ、親には多大な出費と労力をさせることを肝に銘じさせる一言を付け加えようと思うが、余計な一言かもしれない。
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低い位置から写すと杉木立ならぬ土筆木立と言えそう
近年遊水地にするため県が買い上げた空き地にびっしりとツクシが生えそろっていた。
ツクシはスギナの子供であるが、一度畑に入るとこれほど厄介な雑草は無い。
何億年も命をつないできただけに、その生命力たるや取っても取っても絶やすことが出なず、こちらが根負けしてしまう。
そんな厄介な植物でありながら、子供でも簡単に取れるところから、以前は幼児連れのお母さんがツクシ摘んで、食用にしてたこともあって見かけたものだが、今では誰もツクシ摘みなどしないし、これだけ生えていれば人間のほうが負けてしまいそう。
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今日は、朝からNHKで証人喚問の国会中継が午前二時間 午後二時間開かれたが、そのうち三時間ほど見てしまった。
その感想を一言で言えば、証人を主人公にした”籠池劇場”とでも言えようか。
以前の証人喚問では手が震えて署名さえ出来かねる人もいた中で、出だしにすらすらとサインをしたのは、彼が豪胆なのか、いまの国会の権威が低下して、緊張感が無かったのか。
とにかく最後まで、激昂したり取り乱したりすること無く淡々と終わらせたのは、安倍首相よりよっぽど格が上なのかなと言う気さえした。
国会議員の厳しい?質問に刑事訴追を受けるかもしれないのに、ほとんど即答しているさまは、よほど自信があるのか、それともやけっぱちかとも取れるのだが、かなり胆の座った御仁に見え、自党にかかった火の粉を振り払おうとばかりに枝葉の質問に終始した自民党と維新の質問時には籠池氏のほうを応援するくらいにしてみていた。
自民党の質問者が国有地払い下げ価格を高いくらいだと言ったのにも驚いたが、維新の下地衆院議員の質問は最低で、最後には証人のほうから「いまのは質問ですか要望ですか」と言われるくらい落ち着かれると、国会の質の低下をあからさまにしたようで、、、、、、、、なさけない。
明日の新聞の見出しは、どう出るんだろうか。
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先日藤枝に行った折、駐車場から、会場に向かう道のそばの家で鶏を飼っていたらしく、雄鶏がときの声を連続してあげていた。
そこに孫とおぼしき子供をつれた夫婦が通りかかった。
子供はその声を聞きつけて「あれはなに?」って聞いていた。
鶏は塀の内側いるらしく声が聞こえるものの正体は不明で、夫婦も説明に苦慮していた。
近頃では鶏を飼っている家は、養鶏農家以外にはまず見当たらないし、養鶏農家も鳥インフルエンザの予防のため外部から見ることが出来ないようにしている。
もし、「鶏ってなに?」って聞かれたら、どう説明するか。
スーパーで売られている各部位ごとに分けられた肉のことしか知らない人が出てくるような気がしてならない。
そして、鶏が生き物で卵を産むなんてこともわからなくなる。
「鶏が先か 卵が先か」って言う言葉や酉年に代表される鶏を見ないで済ます人さえ出て、これらの言葉は死語になる日も間近いだろう。
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今朝のテレビではブラジルで鶏の肉に防腐剤のようなものを入れたり、サルモネラ菌の付いたものなどなどを輸出し、日本にも入っているとのことであった。
このニュースを聞いて、不思議に思ったのは内偵捜査に二年ほどかけていたそうだし、すでに、何カ国ではその対策として輸入禁止の処置をとっていたと説明されていたことであった。
最初は、昨日今日の出来事かと思っていたが、長い間隠されていたことになるのだが、消費者は何も知らされないできたことに言及したテレビ局や新聞は無かった。
自分個人で言えば、約40年前、南米で仕事をしていたときに朝 昼 晩と毎食鶏肉が出されたことから、食べるのが嫌になり、帰ってきてからこっちほとんど口にすることが無かったので関係は無いのだが、毎年45万トンとかが輸入されていたと聞くと、食肉業者のモラルの低下は中国だけではなかったようだ。
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まるで、プラスチックかゴムで作ったような色合いと形の花、寒葵を見つけた。
今年の冬は、ことのほか厳しかったのか、かなり傷めつけられた葉っぱを見つけたので、花が無いかと目で探したのだわからない。
それでもと思って落ち葉をかき分けたところ、やっと見つけることが出来た。
寒葵は、葉っぱの形がわさびに似ているところから名づけらた草であるが、ウマノクサ科に属していて全然種類の違う草であり、徳川家の紋所になった葵の御紋は、この草の仲間の双葉葵だそうだ。
とにかく、花とはいえ地面に転がったようにして咲く花は、蟻などが花粉の仲介をしてくれるのを待つそうで、蝶やミツバチを相手にしているのではなさそうだ。
ただ、この草をギフチョウの幼虫が食草にしているため、時々ギフチョウが訪れるときがあると聞くので、注意しているが、なかなかお目にかかったことが無い。
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昨夜来激しくはないがずーっと雨が降っている。
そのため、体感温度も低くこの冬最後と思われる灯油を買いに行った。
この冬は、灯油を200リッターくらい買ったことになるか、、、、、
静岡の寒さに慣れるにしたがって、灯油の使用量が年々増えてきているようだ。
エアコンの暖房のほうが価格的には安いのだが、暖かさが違うと言うか、、、
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いままで、いろんな暖房で冬を過ごしてきた。
子供のころの囲炉裏は父親のひざに入り、前からホカホカと火を受け、背中には親父の体温があってすぐに眠くなったこと、その後薪ストーブになり、その横で腹ばいになって宿題をしていると、片側からぬくぬくと火照りはいり、ほっぺたが暑くなって眠くなり、宿題はおろそかに、、、、(勉強机などありゃしない)
学校では大型の薪ストーブ、薪の入れすぎで薄い鉄板は赤くなり轟々と音を立てて燃え盛る、教室中温かくなり、みんなでこっくりこっくり、、、、、、、
昼近くになると、そのストーブの上に網を載せ各自弁当箱を載せるため、いろんな匂いが立ちこめ腹はぐうぐうと、、、、そして、授業に集中できず、、、、、
その後の達磨式石炭ストーブは、煙突から吹き込む風で教室中煙幕が張られて黒板が見えず先生は室外に逃げ出す、、、そして、灯油になった。
薪のストーブが一番よかったが、その薪が手に入らない今、夢の中にさえ出てこない。
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花の真ん中と縁が紅色を濃くした花びらを持つ桜によく似た形をしている。
藤枝の葉梨川上流でアーモンド祭りをやるとテレビで言っていたので出かけてみた。
行って見ると会場のある公民館の駐車場はまだ10時前だというのに満杯で、離れた場所に誘導された。
これだけ人が集まっているのならと、期待して400mくらいの距離を歩いていくと、高さ2mあまりの小さな木の何本かにちらほらと咲いているほか、広場の周囲にいくつかのテントを張り、食べ物やおもちゃがすこし出ていただけ、、、、、、
なんだかだまされたような気がして、早々に引き上げてきた。
テレビでは、まだ咲きはじめで、花の数が少ないということであったが、ここがアーモンドの花の名所になるには、まだ10年以上は先の話かな?という感じがした。
写真は、数少ないアーモンドの花
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上着を脱いで畑で鍬をふるったが、いつも以上に汗をかいてしまった。
「”暑さ寒さも彼岸まで”って言うけれど、これからは暑いねっていうんだろうね。」
とにかく寒さに慣れた身体には堪えたようで、午後からはぐったりして昼寝をしたら二時間も寝たため、今度は寝すぎでくたびれたようで身体の調子がいまだにおかしいような気がする。
畑の近くの田んぼには、蓮華の花が勢いを増して咲き出し、ミツバチも出ていたが冬眠していたモンシロチョウも擦り切れた羽根を痛々しげにうち震わせて蓮華畑の上を飛び回っていた。
しかし、ミツバチに比べると蓮華の花につかまる頻度が少ないのは、はやく、卵を柔らかい葉っぱに産み付けて、役目を終えようとしているからであろう。
次世代に命を託すという至上命令は誰から受けたものだろうか。
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我が家の近所に月に二~三回交通標語の入ったのぼりを持った人がたっている。
その人数はそのときによって違うが二十人以上になることもある。
いつのころから始まったのか定かではないが、はじめのうちは、となりの町内会の人たちだと思っていたが、青壮年の人が多いので、仕事を休んで交通安全のためたっているんだと思い「ごくろうさまです」と挨拶をして通り過ぎていた。
しかし、後から聞いたところによると、免停になった人がここに立つようになったそうだ。
そう思ってみると、なるほどとおもったが、不思議なことに、いま話題になっている認知症がらみの様子をした人や老人をみたことがない。
スーパーの駐車場などでは、結構運転して大丈夫かな?なんて人を見かけるのに、、、、、、
店に突っ込んだり逆走したりして新聞種になっている人は免許停止どころではないと思うが、軽い事故で停止処分を受けている人もいるはずなんだが、、、
寒空や炎天下に立たせるわけに行かないからだろうか。
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ことしから、七十五歳以上の運転免許の更新は厳しくなると言う。
認知症と思われる人たちを排除して、交通事故を減らそうとしているようだが、新聞の事故欄など見ていると、同じ事故でも年寄りには厳しい報道がなされているように感じるのは、自分も高齢運転者のせいだろうか。
もともとその気があったためかは分からないが、長野で自動車の修理関係の仕事をしている義弟は「自主的に免許証を返納した人にその後急速にボケる人が多い」という。
たしかに、することがなくなると無気力になり、ボケにつながるという話は聞いている。
”鶏が先か 卵が先か”
多分、夏になれば自分も免許書の更新通知が来るはずだが、はたして、ボケの審査は無事に通過するだろうか、いまから心配している。
ボケた人は、自分がボケている事が分からないそうだから、そして、娘は「じいじ、いつまで運転するつもり!」って言うんだもの、、、、、
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白い頼り気の無い薄い花びらを風に弄らせている。
この花をプラムと知っているのは、夏になると紫色の丸い実をつけ、毎年何個を口に入れるためである。
この木は、自分の家にあるのでもなく、自分が植えたものでもないが池ヶ谷の山を登る階段の途中にあり、誰も手をつけないので、カラスの餌にするのはもったいないからである。
プラムはその実の形からスモモの仲間だというが、桃や桜とはまた違った花であり、あじである。
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日ごろ病気をしていないと豪語していたご同輩、ここしばらく顔を出さないと思っていたらかなり深刻な流感に夫婦交代にかかったとかで、二月半ばから家に閉じこもっていたそうだ。
昨日になって心配して電話をしてみたら、「今週末には畑にいけると思うがまだ家には来ないで」とのこと、、、
「歳を取れば、自分はまだ若いつもりでも、身体は歳相応になっていると心がけなさい」と、医者に言われたのは十数年前のこと。
最近では、近所の山に登ることもなく、散歩の距離が短くなって、、、、
今日も今日とて池ヶ谷の350段あまりの階段を登って行くのに途中休憩をして息を整えなくてはならない。
夜桜お七の歌の中に”いつまで待っても来ぬ人と 死んだ人とはおなじこと”というのがあったが、この歳になると一週間も顔を見せないと死んだかと思われそうで、こまめにあちこちと徘徊してみる
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これで、この大根は根こそぎ掘られて食べられることを免れたようだ。四枚の花びらを持つ大根は、アブラナ科の野菜であるが、カブや白菜などと違って花びらの数と色でかなり異質のほうかもしれない。
その起源は、中東だそうでエジプトなどでも食べられたほど古くから食用に改良され、日本でも春の七草に”すずしろ”として使われていることから、古くに入ってきたことが分かる。
おろしは別にして、自分自身には何の味も無いことから、おでんなどにしてもほかの食べ物の味を吸い取り、なんにでも染まる。
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かなり前になるが、森繁久弥主演のテレビドラマで「大根の花」というのがあって、なにかというと自分の死に別れた妻のことを「素朴だが美しく控えめな人」といっていたが、、、、、、、、、
そんな人いるわけないだろう。
いたとしたら、怖くて、怖くて、怖いですよ~
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主目的は、畑に鋤きこむ藁をもらいに行ったのだが、ここまで来たのなら、もう少し足を伸ばそうということになったのだ。
地元の母さんたちが運営している”うつろぎ”ではいつもどおり、もり天を頼んだが、出てきたてんぷらにはいつものようなわさびの葉の天ぷらが無いなと思ったら、「時期のものなので、花をてんぷらにしました」とのこと。
途中のわさび畑には花が咲いているのを見て来たのだが、これが出てくるとは思ってもいなかっただけにうれしかった。
食感は、わさびの辛さは無かったが、菜の花とまた違ってもちもちとしてうまかったので、家に帰ってからもう一度食べてみたいと知り合いの家に行ってすこし分けてもらった。
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「類は友を呼ぶ」と言うことわざがあるが、森友学園と言うと安倍首相やその一番弟子とも言われる稲田防衛大臣など関係筋の人は感情を抑えられないようだ。
「教育勅語のどこが悪いのですか?」と時代錯誤の思想を持っているこれらの人たちはなぜ教育勅語が否定されたのかもう一度調べて欲しいものだ。
それにしても今日の稲田大臣の話はひどかった。
昨日、籠池裁判には行ったことが無いと完全否定していたのに、今日になって
「記録に残っているが出席した覚えが無いので嘘の答弁には当たらない」
と、詭弁を弄している。
忘れたことにすれば責任は問われないのだろうか。
こんな都合のよいことが通るなら、警察は要らない。
この問題に関しては、菅官房長官もかばっているし、公明党がぜんぜん無関心でいるらしいのが気になる。
ひょっとして、こちらも一枚かんでいるのだろうか。
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日中の気温も高くなって畑で鍬を振るうとたちまち下着が濡れてくるようになった。
鳥たちの世界でもこの暑さから、「水風呂にでも入って、体温を下げよう」と言う気分になったようで、小さな水溜りで行水を試みるのが出てきた。
たいていの小鳥は人影を見れば警戒するのだが、むかしから人にいじめられてこなかったセキレイの仲間は自分が見ているのを知っていながら水浴びを止めようとはしない。
ことわざの中に「カラスの行水」といって、風呂に入る時間の短いことを言うのだが、この鳥は違った。
はじめはチョコチョコッと入っては出ていたが、しだいに佳境に入ったらしく、頭を水の中に入れ、ずぶぬれになっても止める気配がなくなった。
世の中太平なればこそといった感じで、、、
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木蓮は木の蓮と書くが、もともとは木蘭だったとか、ただ、白い花の清楚な感じからいつとはなしに蓮の花に傾いていったとか、、、、、
先日載せた辛夷とよく似た花であるが、その一番の違いは花が開ききるか、半開きのままなのかですぐわかる。
その開き方も、太陽がよく当たるほうから開くので「磁石の木」なんて呼ばれ方をしているとも聞いた。
朴の木の仲間だけあって、その香りとhなの形がよく似ている。
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福島県に実家のある人から、スマホの画面を見せてもらった。
自宅の脇、車庫みたいなところに大型土嚢袋が九袋だか十一袋だかが置いてあるという。
家のそばの放射能汚染度だと言う。
場所を聞いたら原発からかなり離れた場所で、いままでの報道では汚染地区になっているとは聞いていなかった場所であった。
これの始末が出来ていないので、退職したら帰ろうと思っていたが、帰れないんだと言う。
「どこかへまとめて貯蔵しているとテレビで見ていたのにどうなっているの?」と聞いてみたが、周りの家では、地面を深く掘って埋めたのだけど、、、、とのこと。
なんだか全然聞いていない話に何のことだか分からないまま、話しは済んだ
今日は連れ合いの友達の五十日祭りと言うのに行ってきた。
一月末に七十四歳で亡くなったその人は、神式の葬式で済ませたため、仏教では四十九日の法事を行なうように、五十日の祭りで一応の区切りをつけたことになった。
自分も、神式の葬儀はいままでに三度あるが、五十日祭というのははじめてであり、仏教式の葬儀と比べてすこし物足りない感じがしないでもないが、、、、。
冥福を祈る気持ちには変わりない。
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結婚式や葬式などで時々霞み草を見かけてきたが、そばによってしげしげと見た覚えがないので、ただ、点々とした小さな花だなという印象しかなかった。
名前の由来は、細い枝先にぽつぽつと付いている白いかたまりがレースのように見えるところからなのだろうか、それとも、儚げに見えるとこからだろうか。
しかし、拡大してみたら白いさは変わらないものの、八重の豪華な花だったことが分かった。これを品種改良?して、大きくすれば、ムクゲや椿のような感じの花になるのではないだろうか。
しかし、そうなると競争相手が多くなって、逆に目立たなくなるか、、、。
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今日は二つの大きなニュースが入ってきた。
ひとつは韓国の大統領が弾劾裁判で罷免されたこと、もうひとつは森友学園の小学校が申請を取り下げ、理事長が退任したことであろう。
韓国初の女性大統領が韓国初の弾劾をうけたことで、「やっぱり女は」と言われるかどうか、日本でも首相ではないが女性閣僚の資質の無さが取りざたされているときに聞かれる言葉である。
もちろん、男性にも資質の無い国会議員がいて、長靴発言で更迭されているが、、、、
またもうひとつのほうも、記者会見で自分のことを棚にあげて辞任会見では時代錯誤の持論を展開していたが、聞くに堪えない言葉の羅列だったので途中でスイッチを切った。
あまりにも、引かれ者の小唄ではないが、見苦しいのひとこと。
まだ両者とも、自分らから見れば若いのだが、「晩節を汚した」というほかない。
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芳香の主は、道脇の建物の下に沈丁花の花。
花の時期は二月末から三月はじめにかけてというのだから、当然と言えば当然ながら、律儀に花を咲かせていることになり、「もう咲き出したか」と驚く自分のほうが月日の感覚をなくしていることになる。
花の香りで気がついたのだが、花はもっと前から咲いていたようで、咲く前の赤い蕾がほとんど見ることが出来なかった。
この花の花言葉は「不死」「不滅」だそうだが、別の項目を見ると、全草毒があるとか、、、、、なんか一致しない感強し。
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いわく「同一労働 同一賃金」いわく「時間外の労働時間規制」など、まるで、50年ほど前の労働組が行っていたことを、今の政府が言っている。
そして、今日、経団連と連合が繁忙期でも100時間以内の残業で手打ちしたそうだ。
一ヶ月100時間と言えば、何人かが過労死ないしは自殺した時間なので、まだまだこれからも何人か犠牲が出ることと思う。
それにしても、賃上げなどをふくめてこれらの問題は労働組合の主たる目的であるはずだが、それを保守政党に頼らざるを得ないと言うことは、アメリカのトランプ大統領の出現によく似た状況が日本でも起きているのではないだろうか。
自分が鉱山にいたころは、36協定で坑内勤務は時間外2時間までと制限され、月に10時間も残業すると職場委員から睨まれたものだった。
あのころは、春闘、期末手当のたびにストライキをしたが、自分が辞めた後組合も弱体化し、会社の意を汲み取ってお先棒を担ぐ執行部になったと嘆きの声を聞いたものだった。
一億総中流化といわれた、バブル期から組合員の希望がまとめきれず、組合活動も凋落して行ったが、これだけ打ちのめされても立ち上がれない労働者に成り下がってしまったのは、与えられた憲法でり、労働法にあったのだろうか。
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トウダイグサの花が陽光を受けてまぶしいくらいに光輝いていた。
トウダイグサ、漢字で書くと燈台草となり、東大でも灯台でもない。
燈台とは、そのむかし部屋の明かるくするため、油を入れた皿に紐を入れてその先に火をつけたのだが、その皿に似ているということでつけられたそうだが、日の光を反射して明るく輝くさまは、そのすべてが燈台である。
葉の先端の苞葉のなかに、黄色い小さな花をいくつかつけているのだが、花が小さすぎてよく見えない。
草は折ると、白い乳液が出て被れるといわれているので、触らないようにしているが、全草毒だそうだ。
そのまぶしさと、毒草というのはミスマッチの感があるが、物は見た目では分からない。
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最近、フェイクニュースと言う言葉をよく聞くようになった。
なんでも、トランプ大統領が、気に入らない通信社が流すニュースを嘘っぱちなニュースだといって排除したがるときに使う言葉だそうだ。
どうも、今度の大統領はマスコミとの折り合いが悪く、普通は就任して100日はマスコミもその政策を大目に見るようだがそうでなかったし、大統領側も常に敵を作って攻撃をすることで求心力を高めてきたからやめられないようだ。
ともすれば為政者は、そのニュースが真実かどうかでなく、自分の耳に心地よいかどうかで決めている。
これは洋の東西を問わず、そうであることは韓国の大統領しかり、森友学園の安倍首相である。
むかしは、四月一日をエイプリルフールとして嘘をついてもよい日だったが、最近は年がら年中となってきた。
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本日は啓蟄なり、冬のあいだ穴にこもっていた虫たちが春を感じて這い出してくるころを言う。
昨年、秋に植えたえんどう豆の花が、一月半ばから咲き出していたが、仲介する虫がいないため、花だけで実が結ぶことが無かったが、、、、、そろそろ実が結ぶようになるのだろうな。
今日もうららかに晴れ上がり、気温も15度を越してきたので、散歩に出ていたら、すぐそばにカラスが舞い降りて、水溜りを覗き込んでいた。
10mくらい離れたところにいる自分を警戒しているようには見えなかったので、ずいぶんと大胆なやつ、と思っていたら、大きなザリガニを引っ張り出してきた。
たぶん、高いところから動き出したザリガニを見つけたのに違いない。
たちまち、いくつかに分解してくわえ逃げていったが、土の中から陽気に誘われて出てきたザリガニは、長い寝覚めからさめた途端の事故だったとすれば”啓蟄哀れ”と言うことなんだろうな。
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a最近朝起きると鼻を何度もかまなくてはならない状態が続いている、鼻水たらたら状態でくしゃみも出る。
そんなときは「おれも、花粉症になったのかな?」と思うのだが、ひとしきり出た後は収まってしまう。
以後は、外に出てもくしゃみをしないのだが、、、、、これってなんだろう。
耳鼻科の医院に行ってみる気もしないのだが、、、まぁいっか。
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陽気に誘われて雄しべと雌しべが外に突き出したのだ。
飛騨では”ねこねこおんぼ”というが、猫の尻尾から来ている名前。
雪が解けて、谷の川辺にこの花が咲き出すともう春はそこまで来たことを実感させてくれる合図である。
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チンオモウニコウソコウクニヲハジムルコト、、、、、、
もう七十年以上前のこと、何度か聞かされた言葉であり、その当時は何のことかさっぱり分からなかった。
久しぶりに当時の自分たちと同じ年頃の保育園児がいっせいにしゃべっているのをテレビで見て驚いた。
これは教育勅語というものであり、戦後の歴史で否定されたものであったが、一部とはいえいまごろになって復活しているとは知らなかった。
それにしても、戦時中に言わされたこの言葉を自分らは聞くだけだったのだが、これを暗証できる子供の記憶力の凄さにただただ驚くしかない。
これを教えたと思われる森友学園の理事長はまだ、七十には手の届かない人であるが、どうしてこんなことを教えようという気になったのだろう。
戦前を懐かしむと言うだけではないはずだし、いまの天皇はこんな勅語を園児に言ってほしくないと思っているはずだが。
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ともあれ、自分にも人から言われてことがこんなスムースに頭の中に入る時代があったのだ、高校のころまで「ここを暗記して来い」と言われれば、次の日は暗誦できた。
それに反して、いまの自分は右の耳から左に抜けてしまって、脳内には何もとどまらない。
この秋には免許証の更新になるが、ひょっとして「ボケの検査を、、、」と言われないか心配をしなければならない状況である。
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梅、桃、桜の花と言えば春の幕開けがこの花の順に進むことから古くから日本人に愛でられてきた。
花の時期と季節があいまって、梅の花は凛として、桜の花は華やかにと言われる中で、間に咲く桃の花は温かな感じがするのは、桃色といった言葉の語源からも察することが出来る。
今日は上巳の節句、雛を飾って桃の花を愛でる日でもあるが、年寄り二人所帯では何てことも無い日である。
しかし、季節はめぐり温かさも一段とすすみ、軽装で出かけても下着は汗ばんでくる。
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かまやつひろしさんが亡くなったそうだ。
はや生まれなので、学年はひとつ上になるが同い年である。
彼が好きになったのは若いころ歌った「我が良き友よ」であり、せっかちの自分に比べてヌーボーとした雰囲気からである。
グループサゥンズで歌っていたころは興味が無かったこともあるが目だっていなかったような気がして覚えが無い。
そして、解散の後、ソロになって歌ったのがこの歌であったが、思っていたより遅く昭和40年であった。
自分たちがその10年前に通っていた学校は男ばかりの学校だったのでことさらバンカラを競う校風があり、学生服の洗濯などした覚えがなく、今思えば臭い学生だったであろう。
それだけに、卒業してしてから数年たってのこの歌は自分たちを歌っているようで、、、、、、、
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「もう咲いているのかな?」と麻機北側の銀葉アカシアを見に行ったらすでに何日かまえから咲いていたようで、4m以上の大木に育った木が真黄色に染まっていた。
そばによって見ると直系2mmほどのボンボンのような小さな花が藤の花のような房状になってぶらさっがっている。
そうなると、この木全体でいくつの花が咲いているのだろうか、神さまも手の込んだことをしてくれるもんだと感心してしまう。
折から低気圧が通り過ぎたとかで、今にも降りそうな曇り空ながら、この花の黄色さは周りを明るく照らし出しているような雰囲気がある。
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aマレーシアで殺害された金正男の実行犯として、二人の女性が起訴された。
この国の法律では、イスラム法で言う「目には目を、、」が元になっているのか、殺人と認定されると死刑しか選択の余地が無いそうだ。
と、なると、この事件にかかわったた他の容疑者は北朝鮮に逃げ帰ったり、治外法権の大使館に逃げ込んだりして捕まることはまず無いそうだから、この二人だけが貧乏くじを引いたことになる。
どこまで、知っていたか分からないが、まさか人殺しになるとまでは思っていなかったに違いない。
なんだか、”女の浅はかさ”と言う言葉が当てはまるようで、、、、、
それに比べると、日本は、、、、、、という思いがする。
殺人の後、変なことを言えば精神鑑定で責任能力が調べられて無罪になりうるし、過失致死という範疇に入れば人をひき殺しても三~四年程度で戻ってこられる。
人の命の重さは、国によって、法制によってずいぶんと差があるもんだ。
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