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2017年4月30日 (日)

新聞記事を見て

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吉田町の林泉寺の藤の花が綺麗に咲いているという新聞記事を見て、物見高い夫婦は出かけてみた。

場所は案外簡単に分かったが、着いてみるとほかの名所の富士に比べると、幾分劣ると言う感じがし、聞いてみると、相良の長藤から分枝した木だとのこと、、、、道理でねって感じがした。

新聞などでは、どういう基準でこういう花などを紹介するのだろうか。

まさか、袖の下?

とにかくもの足りなかったので、先月も行ったことのある吉田公園に行ってみることにした。

ここは、前回来たときとは違って駐車場の料金はナシ

花の種類も今回のほうが多かった。

公園内は、海からの風が心地よく吹きつけ、今年一番の暑さを和らげていてくれる。

小さな子供連れが多いのは、安全だし、お金がかからないし、、、、

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(昨日も、島田市で水の事故があり三歳の子が亡くなられたとのこと、多分親は、自責の念を生涯払拭できないことと思うと、、、、、)

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2017年4月29日 (土)

虹の命は儚くて

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Img_0026しばらく雨が降っていないので野菜の生育が止まっているんで「少し欲しいもんだ」と言う願いがあったのか、午後になって二度激しく降った。

しかし、いずれも短時間であり、すぐその後から青空が追いかけてくるといった具合で、こちらの願いは満額回答とは行かなかった。

ただ、その晴れようから虹が出ているに違いないと外に出てみると一回目は出るには出たが程度に終わったのは、太陽の角度が高かったせいであろう。

二度目は、四時過ぎだったがまだ雨が降っているのに空が明るかったので、窓から覗いてみると、隣家の屋根の上にくっきりとかかっていた。

それも、二重虹が、、、、、

喜んで傘を持って外に飛び出したが雨雲の流れが相当速いようで、たちまち薄れてきて、虹も一重になり薄くなっていく。

虹の命は儚くて、年老いた駄馬では追いつけない。

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2017年4月28日 (金)

妄想は脈略もなく

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高い梢の先に桐の花が咲いていた。

高すぎて肉眼ではしかと見定められないが、子供のころから良く見た花なので花の形は良く知っている。

昔は、女の子が生まれると桐の木を植え、嫁入りするときにこの木を切って箪笥にするといわれていた。

桐の木は軽くて、水が滲みにくいうえ防虫効果があるところから中に入れた衣装が痛みにくいといわれて来た。

しかし、老木になると娘がいつまでも嫁に行かない印しとなるため、、、、、

このほかにも、桐の木は鳳凰が止まり木にする木だと言うことで、むかしから、この木をかたどった紋章は皇室が使い、いまは、内閣府が使い、パスポートなどにも使われる特別な紋章として知られている。

その一方で、家紋がわからないと言うと桐の紋は無難ですよと薦められるそうだから、庶民的なのかなと思ったりもする。

五三の桐、五七の桐という紋が多いが、日本では陰の数字が好まれるのはどうしてなんだろうか、、、、

きょうも、妄想は脈略もなく、そして、果てることなく飛んでいく。

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2017年4月26日 (水)

これで止めました

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庭のオダマキ、繁殖力がかなり強いようで、あちこちから芽を吹き、いま花盛りを迎えている。

長野から持ってきた一つまみの根っこで、移植できるかどうかなと思っていた。

普通は青が主体の花びらだが、この花は見てのとおり淡い紫と言うかピンクがかっている。

この花を、したから覗いてみると、太陽光線をを通して艶かしくみえる。

人間には絶対出来ないことだが、花が下向きに咲いていることからであり、上向きに咲くスカシユリなどならなんてことはない。

ちなみに花言葉は、”おろかもの”と言うことだそうで、艶かしい感じがするというのは、、、、、、、、、

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きょう、問題発言を多発した今村雅弘復興大臣が辞めさせられた。

そこで、思わず三十数年前に流行ったコマーシャルの文句を思い出してしまった

中年のおっさんが小指を立てて「私はこれで会社を辞めました」ってのを、、、、

この言葉がそっくり当てはまるのが中川政務官だが、彼の場合、口に両手を当てたポーズがあてはまりそう。

国会議員といえば、言葉だけで商売する人なんだから、もっと言動に気を使わなければならないはずであり、その中でも大臣ともなればもっと細心の注意をして話さなければならない人であろう。

安倍首相は、任命責任があるとは口にするが、ではどのように、その責任を取っていくのか、、、ただ首を挿げ替えればすむことではないはずである。

そして、一番驚いたのは公明党幹事長と自民党幹事長が、今村氏を許せないと一致した。とあったことで、まるで他人事で済ませていたことであった。

そして、つくづく思うのはこの大臣のみならず、閣僚すべてが劣化しているんでは無いかということに尽きるような気がしてならない。

国会議員はその国の民度を表すというのを聞いたことがあるが、そうなると、自分が大臣を嘲るその裏で同じレベルであることを自覚しなければならないのだが、、、、。

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2017年4月25日 (火)

放ったらかし

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君子蘭の花が今年も綺麗に咲きそろった、三十年近く前に母親が買ってきたものだがあまり大きくなりすぎると、鉢から出して株分けと機能しなくなった根を切り捨ててきたものだが、三鉢以上にはしないようにして後は捨てている。

寒さには弱いと聞いているが、十度以下の気温に60日さらさないと花がつかないと本に書いてあった。

そんなことも最近知ったことで、我が家ではただ霜にあわさないようにしているだけで後は放ったらかし状態で過ごしている。

花の名前が、とても立派であるのは常緑の立派な葉っぱと華麗な花の印象殻から来ているそうだが、蘭の仲間ではなく、彼岸花のほうに近いそうだ。

花の時期が終わると、桜桃の木の下に持っていって秋までお蔵入り状態と哀れな扱いを受けているが、毎年律儀に花を咲かせている、、、、、

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2017年4月24日 (月)

ちっちゃな花

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柔らかな萌黄色の紅葉の葉っぱの先に花が咲いている。

意識しなければ見えないくらい小さな花だが、五枚の花びらと何本かのおしべが見える。

こんな小さな花も受粉すれば、大きなプロペラーのような実に成って親元を離れるのだが、、、、、、、

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プロの将棋の世界にいま話題の新人が誕生している。

年齢は14歳だと言うから、二十一世紀になってからの生まれである。

この新人話題になったのは、若さゆえのせいもあるが、昨日羽生元名人に勝って負けなしの十四連勝していることにある。

「こうなると興味は、いつ誰に負けるのだろうか」ということになるが、この若さで、インタビューの受け答えが実に落ち着いていて、そんじょそこらの大人顔負けの受け答えをしていることにもある。

今まで若くして、頂点に上り詰めた人も多いが、どこかでスランプに見舞われることも多い。

以前にも、ハンカチ王子だのハニカミ王子だのと名付けられ、マスコミに持ち上げられてコマーシャルに起用されて、、、、

その後なんだか普通のプロになってしまう。

どうか、そんなことに惑わされないで、頂点に立ってもらいたいものである。

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2017年4月23日 (日)

桜前線山登り中

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桜前線も山を急速に登り始め、
安倍川の上流の赤水の滝近辺もすでに桜前線が通り過ぎようとしていた。

宝永年間に大きな地震があって、その上流で日本三大崩れとも言われる大谷崩れが発生し、この川筋を流れ下った来た当時はさぞかし凄まじかったことを証明する滝の両側の土砂、、、、、

当時は川が濁って赤く見えたことから、赤水の滝と名付けられたという話が残っている。

それから300年ほど、さしもの崩壊土砂は長年の治山工事で大規模なものは治まりつつあり、清流が周りの桜とともに一幅の絵のようになってきた。

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2017年4月20日 (木)

引っ込みがつかない

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今年は全国的に春が遅かったようだが、ここ、長野の立科町も同様だったようで行ってみたら、今が桜の満開日でありたびたびの桜見物になった。

弟夫婦の都合や天気予報の都合もあったが、例年この時期になるとジャガイモの種を植えるのにかこつけた、旅行で立科町に出かけているのだが、春は一週間ほどの遅れを感じさせる。

この日は朝は放射冷却もあってか、気温が五度ほどまで下がり、咲いた桜も引っ込みが付かないようなように見えたのは、朝日を見に出かけたこちらの気持ち。

ジャガイモ畑、十八日の大雨でまだ湿り気が多く、畝堀り機が重たげに動いたものの、何とか、あわせて15kgの種芋の植え付けと、長ネギそして、生姜などを五人がかりで済ませることが出来た。

久しぶりに、一日半がかりでの畑作業は身体に堪え、終わった後は動きたくないほどのくたびれかた、、、、、、、、

夜は近くの温泉宿に行き疲れを取ることにしたが、わずかな酒に酔っ払ってしまい、積もる話をするまもなく睡魔に沈没させられてしまった。

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2017年4月18日 (火)

落花知多少

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春眠不覚暁  處處聞啼鳥 

夜来声風雨  落花知多少

Img_0025春は眠むくて夜の明けたのもわからない 

ときどき鳥の啼くのを聞いていた

昨夜はかなり雨風が強かったようだ

さぞかし花も散っていることだろう

子供ころ習った”春暁”あまりにも有名な詩である。

昨日は夕方から降りだした雨が次第に激しくはなったが、裏の川も増水している気配もなく寝入ってしまった。

朝起きてからのテレビではかなり激しく降っていたようで、県内のあちこちで浸水や土砂崩れなどの被害がテレビに映し出されていた。

この分では昨夜の雨風は花散らしの雨と言うことになるとおもって、麻機近辺を歩いてみると、予想通りあちこちに花筏できていた。まさに春暁そのままの情景であった。

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いま、北朝鮮とアメリカが一触即発の危機を迎えているかのような報道がなされている。

自分たちは、アメリカ側から見た報道にしか接していないので北朝鮮が悪いと言う側でしかものを見ていないが、いざ開戦となればどんな状況になるのだろうか。

前回といっても昭和二十五年であるが、北朝鮮が突如南に進行してきたときには、自分は中学になった前後のころであり、毎日の新聞は朝鮮半島の地図に、北朝鮮が何処まで攻め込んだか、ラインが引いてあった。

一時は、南東の釜山付近の小さな場所に押し込められた南朝鮮軍もアメリカが本格的介入するにしたがって、そのラインは北に押しあがり、一時は中国国境付近まで攻めあがった時期もあったが、中国の介入によって、そのラインは地図の上で上下するようになり、子供ながらゲームを見ているような感覚で見ていた。

このときは、日本に被害が及ぶ可能性もなく軍事物資の調達と補給で日本は特需がおき、敗戦で疲弊していた日本が復興するきっかけになった。

その当時、銅や鉛の値上がりは、金属鉱山に未曾有の好景気をもたらし、当時父親が勤めていた会社は使い道が分からずアンケートさえとったぐらいであり、発電所の建設、東京やその近郊に土地を買い社宅さえ作った。

その戦いが一応終結して、六十五年、いままた戦いが始めれば、当時と違って、日本にも被害が出そうな雰囲気だと言う。

安倍さんははしゃいでいるが

夜来声爆風 落命知多少

と、言うことにならなければ良いが、、、、、、、、、

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2017年4月17日 (月)

踏まれてこそ雑草

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先月連れ合いが、どこからかルピナスの鉢植えを貰ってきた。

そのとき、寒さに弱いので霜にあわない場所に置いて、といわれて濡れ縁の下にしまっておいたところ、花穂が萎れて危うく駄目にしそうになった。

慌てて路地に出し、如雨露で水をかけたところ、手当てが早かったと見え元気を取り戻し、今日も激しく降る雨の中、葉っぱに水玉を乗っけて元気にそだっている。

ルピナスは中南米も原産地であり、花の付きようが藤の花をさかさまにした感じから日本名は上り藤ともよばれている。

Img_0012四十年余前になるが、アンデスの標高4,000mを越える仕事場の近くで見たことがある。

多分原種のひとつであり、これを改良?して園芸種になったもののひとつであると言うことは、花や葉の形がそっくりであることからも分かる。

ただ、大きな違いは、南緯九度とほぼ赤道直下ではあるが、標高4,600mには氷河もあり、現場では雨季になれば、雪やあられ、霜さえ降りることがある土地柄であった。

そんな中で、ルピナスはほかの草たちに混じって花を咲かせていた。

つまり、原種は寒さには強い草花である。

.アンデス4,000mで見たルピナス。雪の中に咲く花

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春も本番、草木の芽も一斉に息吹の季節を迎えているが、庭や畑の雑草も勢いを増してきたため、連日のように雑草抜きに精を出している。

この雑草抜きをしながら思うのは、雑草と言うものは「踏まれてこそ本当の雑草ではないだろうか」ということ。

以前プロ野球で”草魂”をキャッチフレーズにしたピッチャーがいたが、庭の雑草も人が踏まない場所はごく簡単に根っこから抜けてしまい、はかが行くのだが、硬くしまった場所では、根っこが必ず残り、何日かするとまた草だらけになってしまうしぶとさがある。

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2017年4月16日 (日)

今年は桜見物が多い

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Img_0026先日油山にイチゴを買いに行ったとき、「今年は松野の枝垂桜の開花が遅れているので、祭りを一週間遅らすことにしたから来て」と言われていたのを思い出し出かけてみた。

行ってみると、いつも車を止める駐車場が使えなくて、地元の世話役が四苦八苦している。

聞いてみると、駐車場にしていた小学校の校庭が、老人会のなんとかゴルフのため使えないからとのこと、、、、、こちらが一週間遅らせたことが原因だから仕方ないし、、、とのこと。

しかし、桜は今が丁度八分咲きといったところで、一番綺麗なときだった。

イチゴ屋のおばさんは、開始早々の太鼓を叩くとかで忙しそうに走り回っている。

「甘酒進上」といって渡された甘酒は、濃厚で甘すぎるくらいに甘い。

そんなこんなで、またしても桜見物。今年は桜見物が多い年である。

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今日の競馬のメインレースは皐月賞。

競馬場には行ったこともなく、もっぱらテレビ観戦である。

気温は昨日今日と二十五度越えの夏日、暑さに弱い馬ならずとも急な気温の変化にうだって半袖シャツのみになって過ごしたが、、、、、、。

レースは予想外の結果になり、三連単が106万円にもなる高額配当になった。

どんな組み合わせでも馬券を買っているものだなと思いながら、この券を買った人は予想屋の言うことの裏を買う人か、何かの語呂あわせで買ったのか、、、なんて想像の輪は広がる。

馬については詳しくないので分からないが、今日のような馬場状況では、芝生の上とは言いながら砂煙が高く舞い上がっていた。

騎手は、このことを知っているようでゴーグルの上に泥除けのプラスチック板をヘルメットにつけて望んでいたが、馬には一切の防具は無い。

馬の目はどうなったいるんだろう。

折からの風で、老いた顔の裸眼にごみが入ったようで、二度も目薬を点してしまったので、、、、、、

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2017年4月15日 (土)

善か悪か

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護国神社の鬱金桜が満開だと新聞が報じていたので、買い物のついでによって見た。

以前は、このあたりまでが散歩コースに入っていたので、ちょいちょい寄ってはいたのだが、一昨年あたりからなまくらになって散歩時間が短くなり、当然ここまで来ることはなくなっていた。

そして、今日も買い物のついでと言いながら、自動車で行くことにした。

行って見ると確かに満開ではあったが、自分同様くたびれてしまったのか花の付きかたがすくなく、花の付かない枯れた枝があり、木の根元も腐りが入っていた。

この調子では、自分同様あと何年かの寿命と見てとられ、、、、、ご苦労さんと幹に手を当ててきた。

鬱金とはハーブの一種ターメリックで染めた色合いを言うが、この花の淡い黄緑色と黄色みの強いウコン色との関係は結びつかない。

そうなると、自分の思い違いかウコンの葉っぱなどどこかにこんな色があるのだろうか。

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仕事で初めて海外に出かけたとき、現地で注意されたのは「世界では、物を盗むものも悪いが、盗みたくなるような環境を作るほうがもっと悪い。ということを念頭においてください」ということだった。

つまり、盗まれて困るものはそれなりの鍵をかけるとか、肌身離さず持っておけということであり、玄関のドアもたやすくは開けないこと、、、。

また、自分が経験した店では、買いたいものを注文すると売り子がレジに持って行き、レジで経営者と思しき人が品物と引き換えに現金を受け取る、、、つまり、売り子を信用していないそぶりさえ見られるな、日本の常識では計り知れないものがあった。

中国では、孟子の性善説と荀子の性悪説が闘われて来た。

人は根が善であるが世の流れに染まって嘘をついたり、盗みを働くものである。それに対して性悪説は生まれながらにして悪い根性を持った人間を教育で正しい人に育て上げると言うものであり、日本ではどちらかと言うと性善説を取りたがり、森友学園のように教育者はごまかさないと言う前提に立った、と言い訳している。

よく、海外で何か事が起きると、商店街を襲ったりして略奪が起きるというが、貧富の格差が大きくて日ごろから鬱憤をためていることもあるだろうが、宗教的事情もあるのかなんて思うこともある。

つまり、キリスト教やイスラム教のように一神教の世界では、他の宗教はもとより、宗派が違うだけで殺人や戦争にまで発展する。

日本でも近年、性善説を覆すような事件が多発している。

ベトナム人小学生が保護者会の会長に殺害されたのではないかと言う報道を聞くと、誰も信用できない世の中になってきた。

これも日本が欧米化したことの証明なんだとしたら残念である。

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2017年4月13日 (木)

予想を上回って

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新聞の桜の開花情報によると、御殿場の秩父宮記念館の桜は三分咲きと言うことだったので、あまり当てにはしていなかった。

十時すこし前になって、「天気も良いし何処かへ行こうよ」って言われたので、「そんじゃ久しぶりに御殿場でも行ってこようか。」と言うことで車を走らせた。

家から六~七分で新東名のインターに行けるので、この道路を使ったが、東に行くほど風が強くなり、二人が乗った軽自動車はときおり横揺れを起こす。

それでも、途中休憩を入れて十一時前には目的地に到着し、園内に入れた。

この公園は昭和16年から10年間名前の由来になった秩父宮が使用し、御殿場市に譲られた後平成15年から一般に開放された場所で、今でも使用した当時の建物が残っている。

ここには、季節をたがえて何回も来ているが、桜の季節は今回が初めてだった。

そして、その桜は期待を上回って記念館前の道路の桜並木と御用邸両側の枝垂れ桜ともども満開状態だった。

富士山はあいにくと雲ののなかだったが、それを気にさせないくらいの桜を見ほれてしばし休憩。

園内は、さすがにウイーデーと言うこともあり、年寄りばかりがほどほどに入っている状態だったこともよかった。

多分タイミングの問題もあったことと思うが、この後行った近くの平和公園には、中国人観光客のバスが六~七台来ており、その賑やかなこと賑やかなこと、、、、、、

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2017年4月12日 (水)

集団の力

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芝桜の花も満開を迎え、地面を明るく彩っている。

一つ一つではたいしたことも無い花だが、地面一杯に広がると、集団の力といったものを感じさせる。

昨日までの雨にも耐えて咲いているのだが、まるで「そんなこと無かったでしょう」と、言いたげに見えるのは、地面一面を覆って土が流れたような形跡も見させないところにある。

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四月に入ってツバメを見たと思ったら、ウグイスの初音も聞いた。上手に鳴いているところを見ると、かなり前から練習をしていたことになり、ケキョケキョケキョと谷渡りと言われる囀りさえ聞こえてくれば、巣造りの準備に入っているのかもしれない。

先日動物園のチンパンジーを写していたテレビを見ていたら、チンパンジーの子育ては本能によるものでなく、親から学習して憶えるものだといっていた。

たしかに、親が子育てを放棄したため、係りの人が家に連れ帰って授乳から離乳食まで世話をして成長させる話しを聞く。

白熊なんかもあったなぁ、、、。

それに反して、鳥たちはカナリアや文鳥のように人に飼われて何世代も立つのに子育てを忘れない。

この差は何処にあるのだろうか。

スズメからトンビまで野鳥の世界において、子育ては本能でしているようにしか見えないけれど、どうなんだろう?。

短命な鳥の場合、巣造りは習わないはずだし、自分の食事に優先して雛に餌を与えたいと言う気持ちが何処から来るのだろうか、、、、、

aそういえば、鳥の中にホトトギスなど計画的に育児放棄をしているのがいるが、これも、本能のひとつだとすると、これを考え付いた最初の鳥はどんな鳥だったのだろうか。

これまたおもしろい。

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2017年4月11日 (火)

思い出すままに

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末期のあだ花となったスクープトラム

先日、コメントをしてもらっている岡崎在住さんのコメントに、鉱山の摺り取り機械スクープトラムのことがあったので思い出したことを書いてみた。

自分が勤めていた鉱山が大きく変化したと思ったのは、昭和30年代初めと、43年からだった。

もちろん、それ以前も大きな変化があったのだが、昭和32年十七歳で入社し、下っ端のまま退職した身では知る良しも無い。

ただ、何事も人力が主に時代だったので、力持ち、酒豪が幅を効かす職場でもあった。

最初の変化は、レッグ式削岩機で岩盤に穴を開ける機械が非常に軽くなって、一人で運搬できるようになったここととそれまで導火線に火をつけて火薬を爆発させていたのが、電気点火になったことである。

入ったばかりのころは、カンテラの明かりで作業をしていたが、ヘッドランプに変わり、導火線に火をつけて爆破するのだが、25本から30本にもなる導火線に決まった順序で火をつけなけらればならないので、最初につけた導火線が穴の中に入って行ったときにはいつ爆発するのかと心配したものだった。

それが、1/10秒ごとに点火するデシセコンド雷管が出来、安全な位置まで下がってから電気で点火するようになった時代である。

そして、昭和43年から、トラックレスマイニングと呼ばれる時代になり、坑内にモービルジャンボと呼ばれる削岩機とスクープトラムと呼ばれる岩屑を掬い取るローダーや四輪駆動のジープ型自動車や運搬車が入り、火薬もANFOという粉状の火薬の変わった。

その結果、作業効率はかなり上昇したが、空気の循環の悪い坑内にジーゼルエンジン駆動の機械が入ったことによって排気ガスと油煙が充満し、防塵マスクがたちまち真っ黒になり、それまで岩粉に依る塵肺(硅肺)に加えての環境悪化につながった。

自分は、そのころ職種を変更しボーリング部門になっていたため幾分影響がすくなかったため、退職した今でも塵肺認定は受けていないが、同期生のほとんどが軽いながらも認定されている。

先日も同じ鉱山で大学を卒業して入り、のちにお偉いさんになった人の、”採鉱屋の半生”とかを見たが、やはり立場の違いか作業効率の上昇や、見た目の安全など都合のよい面を強調していたが影の部分(自分がいた間に20人は殉職していることを含めて)は意識的にだと思うがふれていない。

そんなにも合理化したが、鉱山は昭和53年自分が応じた合理化で退職者を募り、その後、四年してサイド退職者をつのり、平成になって閉山し、いまは廃墟ファンの餌食になってしまった。

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2017年4月10日 (月)

霞か雲か

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Img_0036雨続きの毎日にうかうかしてたら今年の桜は見ないまま終わってしまうかもしれないと、県立美術館周りに行ってきた。

ここは、ほかの場所に比べて人手が少ない場所だし駐車場もあちこちにあるので、、、と思って、行って見たら一昨日あたりから、エジプト展が始まっていたため予想外に込み合っていた。

それでも、一角に止めてプロムナードを歩き、桜見物にむかった。

昨日までの雨は上がっていたが空一面に厚い雲がかかり、桜の花の色を吸収し空と花の境が判然としないように沈んでいた。

やはり、桜には青空が似合う。

歌の文句に”霞か雲か 入日に匂う”とあるが、”いざやいざや 見に行かん”とはならない。

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アメリカのトランプ大統領がシリアの空軍基地にミサイル攻撃をした。

毒ガスで反体制派の拠点を攻撃し、幼児たちが被害にあったことが一線を越えたと判断したからという。

本当にサリンガスだったかどうか、政府軍が使ったかどうかははっきりとした根拠は無いらしいが、テレビに幼児が殺され埋葬したニュースを見ても行為だとしたら、イラク戦争の原因となった大量破壊兵器と同様な処置としかいえない。

34%と言われる最低の支持率を回復させる手口だとすると、これもブッシュ大統領が使った手口に酷似する。

大体が、独裁政治に反発した市民を武力で弾圧するため国土を破壊し、何百万人と言われる難民を作る大統領なんて政治化の資質にあるまじきことである。

国が乱れるとイスラム原理主義者が入り込んで、国中カオスにしてしまった。介入するならその段階ですべきであった。

これまでも、一般市民はもとより、幼児が犠牲になっていたのは当然であるのに、テレビに映し出されたからと言うのはあまりにもお粗末に過ぎる。

ただ、「前の大統領と違うぞ」と言うことを見せたかったと言うだけとし、それに載せられた国民も単純でおめでたいといわざるを得ない。

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2017年4月 8日 (土)

雨がしとしとと

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朝から細かい雨が降り続け、満開を過ぎた桜桃の花には花散らしの雨になり、木の下に花じゅうたんを敷いている。

外は、暗い雨雲で外には出たくないが気温はかなり高いようで、暖房は一切使わないで済むところだが、習慣となってしまっているためか、時々入れては切るの繰り返し。

テレビでは”菜種梅雨”と言うのをかぶせて説明している。

例年ならこの雨が桜を散らしているのだろうが、どういうわけか早咲きの静岡はまだ満開を迎えている名所が一箇所もなく、五分咲きが精一杯の様子。

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先日の新聞に生涯未婚のの男性が四人に一人いるという。そして、女性では七人に一人だそうだ。

その数字を聞けば、自分の周りにも指折り数えただけでも、片手に余る数がすぐに思いつく。

非正規労働者が増えて、収入も少ないなど経済的な理由もあるのだが、経済的には充分なはずの人でも「友達がみんな離婚をしているのを見ると、、、」とか、「炊事 洗濯 掃除などの家事も苦にならない」などという。

草食系男子という言葉が一時はやったようであるが、男の人に積極性が薄れていることのほか、お坊ちゃん、お嬢ちゃん育ち人同士のわがまま育ちでは家庭を築くと言うのは難しいのは確かである。

このままでいくと、人口減はもちろんであるが、歳をとって病気でもすれば、即座に施設に入るしかなく、そちらの国民負担も重石になりかねない。

自分らの若いころはなぜあんなに結婚しなければと言う強迫観念に似たものがあったのだろうか。

「神田川」と言う歌にもあるように、三畳一間の生活、「赤提灯」では仕事が無いときはキャベツを齧って腹の足しにしてまで同棲をした。

以前の同級会で聞いたのだが、「二十六歳になっても相手がいないのであせった」といっていた女性がいた。

たしかに、そのころは男でも三十歳をこして独身だとへんな言い方をされたものだった。

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2017年4月 7日 (金)

首筋が冷えて

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そのむかし、日本人のちょん髷頭を見た外国人はかなり驚いたようで、頭にピストルを載せているようだといっていたとか、、、

それに比べると、女性の文金島田はかの国の女性たちも高く結い上げた髪をしていたためそれほどでもなかったようだ。

いつのころからちょん髷が、男の髪型になったのか知らないが、平安時代末期の公家なども、髪の毛を束ねて縛っていたところを見ると、一般の人も結い上げたのはその近くであったとすれば、数百年変わらぬ髪型で通したことになる。

明治になってちょん髷が禁止になり散切り頭になったあと、戦後いろんな髪型が流行し、黒髪を脱色しいろんな色に染めたり、アフロヘアなど奇抜な髪型が出てきたがそのたびにびっくりし、そのたびに拒絶反応を持ったのは、かなり保守的な部分が自分の中にあることに証明であろう。

そして、最近驚いているのが上記の写真の髪型。

頭の両脇を刈り上げているのは、本人の好みなんだろうけれどどうしてこんな髪形になったのだろうか。

この写真は数年前のものであり、最近ではさらに後頭部の髪を刈りあげているのは、髪の毛の下が熱を持って暑苦しいのだろうか。

何年もこのスタイルを続けているのは、ほかの人とは違うぞと言うことの誇示かもしれないが、その風貌に反して気の小さい面があるようで、国から出ることが出来ない上、身内のものも信用できないようである。

この人の親も国外に出るのを恐れていたようだが、自分の身を守るために原爆やロケットなどを開発しすぎたおかげで、国際的危険分子と見られて首筋が冷えているのは皮肉なことである。

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あした四月八日は潅仏会。

お釈迦様は、生まれてすぐに甘露をいただき、四歩歩いて「天上天下唯我独尊」とおっしゃったそうである。

最近では、自称お釈迦様みたいな人が増えているようだが、くれぐれもオシャカにならないように、、、、、、

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2017年4月 6日 (木)

この程度か

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ミツバツツジの花がすっと伸びた小枝の先で翻っている。

春の山に明るい紫の花を一番に咲かせたそのさまは、葉を落とした広葉樹のなかにあって明るい彩のアクセントになっている。

しかし、この木も園芸用にと持ち去られた結果、いまでは、人が入りにくい場所でしか見られないそうだ。

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今度は今村復興相がトランプ大統領を真似したような暴言を吐き、翌日早速あやまっている。

お友達内閣と言われる今の内閣の中には、稲田防衛相をはじめ、金田法務大臣をはじめ、資質に劣る人たちが多い。

そして、もっとも近しいと言われている麻生財務大臣の委員会席でのニヤニヤ笑い。100万円疑惑の消えない本家安倍総理と、、、、

こうした不祥事が続きながらも、国民は怒ることも無く、内閣の支持率は50%を割らないのはどういうことだろうか。

自分の周りでは安倍首相をはじめ閣僚を評価する人はほとんど聞かないのに、、、、、

アメリカ大統領選挙では”隠れトランプ”というひとたちがいて、報道機関はほとんど把握できていなかったが、自分の周りでもこんな現象が起きているんだろうか。

「人の心は読めないものだ」とともに、国民の背丈にあった政治家しか選ばれないんだとすると、日本人の民度もこの程度かとおもってしまう。

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2017年4月 5日 (水)

桜を探して

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広見公園からの富士山

あちらを立てればこちらが立たずという言葉がソングり当てはまるのが富士山と花であろう。

今日は、例年よりかなり遅くなった静岡の桜を探して富士市まで行ってきた。家から新東名のインターまで五~六分と近いこともあって、ちょいちょい使っている。

今日も富士市まで行くのに使ったが、下の道を行くと一時間ほどのところを三十分かからないで行く、遊びに行くので急ぐことはないが、出勤時の交通渋滞にはまりたくない。と言うのが大きな理由。

富士インターを出てすこし下ったところに広見公園と言うのがあるのでそこの桜はまだかいなと言う気分で登れば、登りきった場所から直線で伸びた先に富士山が聳えている。

道路幅三~四十メートルほどある、この道路の中央にはバラが植えてあり、花の季節には花回廊となるのだが、そのころは霞がたって、晴れていても富士山にはお目にかかれない。

そして、今日はまだ薔薇の木も新芽を出したばかりなのだが、富士山のほうはベールを掛け始めていた。

目当ての桜、ソメイヨシノははっきりしたことは分からないが全体で三分咲きと言ったところか、通りがかりの人が「中央公園のほうが咲いているよ」と教えてくれたがありがたく聞き捨てにし、岩本山公園に向かう。

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a岩本山公園の桜は、芝生に生えて

ここの桜は、五分咲きを超えており、あたり一面にピンクの霞を立てていた。しかし、こちらはほかの木の枯木立が富士山をさえぎりコラボレーションとしては、うまくいかない。

それでも、温かい日差しに恵まれ、ベンチに腰かかけての花見は、仕事をしていないものの特典として、ありがたくいただいてきた。

帰りは旧東海道をはしり、由比で桜海老のから揚げ定食を食して帰る。

総経費、2,330円で御帰館する。

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2017年4月 4日 (火)

お茶かね?

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柳につばめは あなたとわたし 

胸の振り子がなるなる 朝から今日も

ひさしぶりの麻機沼周りの散歩。すこしに見ない間に季節はまた一歩進み柳の木は一番と緑が深くなっていた。

そして、春を告げるツバメも帰ってきて高く低く飛び回っている。

季節のものが季節どおりに来ると言うのもこれまた安心感がある。

帰って霧島一郎の”胸の振り子”を聞いてみた。

昭和22年の歌だと言うから、かなり古い歌なのだがそのテンポのゆっくりした歌い方は、いまの早口歌に慣れない耳には安心感とともにこんな歌のほうが歌唱力が必要なんだなって気がした。

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テレビを見ていたら、何処の地方(多分京都)か分からなかったがお茶漬けを出されたら「帰りなさい」という意味を持つといっていた。

飛騨でも北部の自分のふるさとでは、禅宗の影響からかご飯が済むとその茶碗にお茶をいれ残った飯粒と茶碗をゆすぐためにお茶をだした。

そのため、御替りをしようと茶碗を差し出すと「お茶かね?」と聞かれることが多々あった。

飛騨は、山また山の国であり、米を作る田んぼの少ない土地柄だったので江戸時代には米なんぞはめったに食べられない食物だったので、御替りをされては困るので、これで切り上げてくれと言う意味で、茶碗をゆすぐ「お茶ですか?」と聞くのだが、他国者には分からない言葉である。

自分もこの風習を今でも捨てきれず最後にはお茶を使っているが、静岡ではお茶が茶飲み茶碗に入って最初に出てくる。

ところ変われば品変わる、他国者はそれが分かるまでにいろいろと恥をかく。

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2017年4月 2日 (日)

名残り惜しいは

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孫の家の隣に庭に花韮が咲いていた。

すこし、青みのかかった白い花は小さな植木の陰に隠れていたためもあってか寂しげな感じがする。

草からは韮に匂いもするようで、花の咲く韮と名づけられたが、韮の花とは全然違う咲き方からも分かるように全然関係の無い草である。

この花の印象から花言葉は「悲しい別れ」といい、。摘んで人にあげる花ではないそうだ。

しかし、そんなことは人間の勝手で、花には関係の無いこと、、、、

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今日は、孫が両親と一緒に福井の大学に進学するため、親子で荷物を車一杯に積み込んで向かう。というので、見送りに行った。

この孫も、ほかの孫同様自分が病院以外では一番に産湯を浸かわせた子であるが、はいはいも出来ないくらい、八ヶ月のときから我が家に一人でお泊りをした変わり者であり、最後の孫になっただけに一入の感がある。

自分の場合、中学卒業と同時に寮暮らしをし、十七歳から仕事をしてきたのだが、この孫を見ると自分が寮暮らしをしたときはこんな感じだったのかな?なんて思ってしまったが、お別れの記念にと一緒に並んで写真を撮れば、すでに自分身長より15センチは高くなっていることに驚く。

とにかく、父親が当直開けに帰ってきてからすぐに旅立つと言うので、八時に孫の家に行き旅立ちの支度をぼ~っと眺めていた。

十時、あわただしく、父親の自動車に乗って向かう孫を見て、昨日は「近所に聞こえるくらいでっかい声でバンザ~イって叫んでやるぞ」とからかっていたが、涙を抑えるのがやっと、、、

名残惜しいはおたがいさ 涙は門出に不吉だよ

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2017年4月 1日 (土)

外を映し出して

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終日小ぬか雨のような状態が続いて、寒の戻りの一日は暗く暮れていった。

庭の桜桃は満開を迎えているが、この気候の中虫もなりを潜めているようだ。

しかし、満開を迎えた花は引くに引けないといった感じで花びらを閉じることなく、細かい雨粒をためて外の景色を映し出している。

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今日は、近所の知り合いが酒を持ってやってきた。

最近、連れ合いをなくして寂しそうにしていたのだが、月日が癒してくれたようで元気を取り戻しつつある。

しかし、最近の悩みは長男の嫁との付き合い方にあるようだ。

ここで、本格的に衝突もしたくないが、時代の感覚の違いというか、歯がゆいことが多々あるそうだ。

このまま、我慢するしかないのだが、、、と本人は自覚しているようだが、、、やりきれない思いがのこってしまう。

ひるがえって、自分ら夫婦はどちらが先に逝っても出来るだけ一人で生活し、どうしようもなくなったら、家を処分し何処かの施設に入るようにしようと思っているのだが、この先どうなるのか分からないので、その時点時点で考えることにするしかないね。

こうした場合、未来を映し出す鏡はないほうがよい。

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