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2017年5月31日 (水)

ユズリハ

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ユズリハとは、毎年新しい新芽が成長してから、昨年の葉が落ちる常緑樹であることから、子供の成長を見届けた後引退する家に見立てて縁起のよい木だとして植えられている。

”年年歳歳花相似たり 歳歳年々人同じからず”というのは、花と違って人は年々成長するものだと習った。

しかし、この木を見ていると、最近では家の維持が出来にくい世の中になってきている。

静岡j県の高齢化率は28%になり、ある町では46%にもなると新聞に書いてあった。

ここ数年県全体でも人口が減ってきているところから、若者が相対的に減っていると言うことになり、求人倍率も1,5となり、いっとき就職氷河と言われたことが何だったのかという現象が起きている。

しかし、若者の賃金は低く、共働きでなければけ家庭の維持が出来ないので、結婚しない人が逆に増え、子供の出生率が少なくなる。

なんだか国全体の譲り葉が上手くできていないのだが、、、、、、

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2017年5月30日 (火)

ななつの子を連れて

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ことしも子連れのカルガモが裏の川にやってきた。

両岸はコンクリートの擁壁に囲まれているので、何処から入ってきたのか分からないのだが、、、、、

生まれて一週間に満たない可愛いななつの子供をつれて

まるで、うちの子を見てやってくださいと言わんばかりに、、、、ギャラリーはおひねりの変わりにパン屑をすこし  ほんの少し

カモの仲間は、例外もあるのかは知らないが生まれたときから自分で餌をついばむため、親がせっせと餌を運ぶと言うことはない。

ただ、そのカモを狙ってかカラスが上の電線にとまっているのだが、怖いもの知らずの雛たちは、あちこちに散らばりそうになると、親は気が気でない様子でまとめているのが見て取れる。

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今年の流行語に「忖度」と言う言葉が入るのは確実であろう。

籠池問題につづいて今度は加計学園と首相の周りはきな臭い。

内閣は臭いものには蓋をしようとにべもない態度に終始している、もし本当に関係がないなら、調査に応じて官僚の先走りを明らかにすれば済むことなのに、、、、

それでも、怒らない国民もそうだが、つくづく「人のうわさも七十五日」ということわざが本当だと言うことを思い知らされた気がする。

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2017年5月29日 (月)

妄想する

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ヤマボウシの白い花が咲き出した。

白い花弁の真ん中に将来赤い実になる小さな玉を乗せて。

その花の様子から平安時代、弁慶のような荒法師をイメージしたのか、山法師と名付けられたのは良くわかる。

花の形は街路樹としてあちこちに植えられている花水木に良く似ているが、実の形が全然違うものである。

子供のころ、この実がおやつ代わりになって、山に自生している木に登って食べたものだが、人に採られるのが嫌で、ブドウなどとともに一人で山に分け入ったものだが、親は何にも言わなかった。

いまなら、大騒ぎになりかねないのだが、あの時代親はどんな気持ちでいたのだろうか。

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またしても病院話し、入院中一日四回スバシリン静注液というペニシリン系の薬を静脈から入れた。

その間、動かれないこともないのだが血圧の関係もあってか立つと入るスピードがぐんと落ちたり、腕のほうから血液が管のほうに入ったりするので、ベットでじっと横になってポツリポツリと落ちる水滴を見ている。

一回、100ccなので一時間すこしで終わるのだが、その間妄想すること多々あり。

たとえば、ペニシリン系の抗生剤ということになれば、肺炎の元になっている細菌を殺すのだが、ほかの体内細菌まで殺してしまい、自己免疫が落ちてしまうのではないか。

まえに、横浜の大口病院で静脈注射液に界面活性剤が注入された事件はいまだ犯人が捕まっていないんだな、とか、、、、、

そして、二十五日退院する間際に最後の一本を注入したのだが、以後は薬は一切なく、妄想は終わった。

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何処で断層が

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庭の石竹が一斉に開花してきた。

あわいピンクのその花は、長野から貰ってきたものだったが、庭のあちこちの木の葉陰に縛り付けたり、吊るしたりしておいたものである。むかしこの花は、藁葺きの屋根の上などでふんだんに見られたものだが、どうやらバブルのころの盗掘などによって今では自然に見ることができない花になった。

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突然その人は、夕べも阪神が勝ったよ」って言った。

静岡の人は、巨人ファンが多いのだが、どうして、アンチ巨人の自分を見分けたのか不思議な気持ちで聞いていた。

その後もいろいろと話しかけてきたのは、ほかに話しの相手になってくれる患者がいなかったせいなのかも知れないが、かなり偏見と言うか独特な世間の見方をする人であった。

白髪頭で病棟の掃除をする人であったが、歳を聞くとまだ五十七歳だという。

テロ防止法案が通れば日本は安全になる。とか、静岡県知事選挙に絡んで現職知事は訴訟を起こされている。政府から嫌われている。などと、独自の考えを披露する。

ためしに「いざ戦争になったらいまの自衛隊員は職業のつもりで入ってきているのだから、、、、」って、水を向けてみたら「自衛隊は世界最強の部隊だから北朝鮮なんてイチコロさ、中国も時代遅れの武器しかないから、、、」って答える。

あまりににも、マスコミと違った意見なので、「そんな情報を何処から仕入れてくるの?」と聞くと、聞こえなかった振りして答えない。

ずっと昔のことだったが現場で一緒に仕事をした二十歳くらい年下の男もかなり右がかった考えを持っていたが、何処でこんな断層が生じてきたのだろうか。

我々の若いころは共産党とまでは行かなくても若者は現状を憂えて、世の中を改革しなければと言うのが周りのほとんどの意見だった。

つまり、左翼的だったのだが、、、、、、、、、

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2017年5月27日 (土)

肺に管を入れる

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今日もわが家の頭上を押さえつけるような音を響かせてヘリコプターが、県立総合病院に着陸した。

先週の日曜日、病室で本を読んでいたら、同じような音がしたので、病室に持ち込んでいた小さなカメラを持って屋上に飛びあがった。

と、言っても、すこし早く歩くとすぐに息切れをする身体だったので、外目にはさぞかしこっけいな姿だったろうと思うが、病室が六階にあり、そこからロビーに出て階段二十八段上がったところが屋上で、鉄柵の向こう、隣の建物の屋上がヘリポートでそこに回転翼を回したまま着陸していた。

自分がドアを開けて出たときにはすでに患者はヘリコプターから降ろされエレベター塔に入る寸前であったが、自分同様の野次馬はほかにもいて屋上には既に五人の患者が上がってきていた。

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ヘリコプターを見に屋上まで、階段を登るのが幾分楽になって自分自身では回復に向かっていると自信を持った翌日、「レントゲン写真を写して来て」と言われ、意気揚々と出かけ帰ってきたところ、すぐに主治医が屋上に迎えに来た。

胸の水が前より増えているので、午後から水抜きの手術をするとのこと、一瞬こんなに楽になったのに、、、、、とショック。

入った日の午後39,5℃あった体温も翌日の午後には38℃そして、37,5℃とすこしづつだが下がり、インフルエンザでもないし、結核でもないし細菌性らしいが、その菌は検出されないという、原因不明な肺炎だが、肺には水が溜まり一週間一日四回の抗生物質の点滴でも改善しなかった。

肺から水を抜くのは、エコーで水が一番多いところを確かめ、小指ほどの大きさの管を差し込むのだが、一日一リットルを限界にして抜くため、肋骨の間を部分麻酔、ベットの上で行なった。

「管を入れる穴は、一気にあけるのではなく最初に小さな穴を開けた後拡大すると言う方法をとります」という説明の後手術したのだが、上下の肋骨に触れるたび嫌な違和感があり、それでも二十分ほどで終了した。

術後赤い色をした水が一気に予定の一リットル噴出したが、急激な排水に肺が驚いて動きが鈍くなり、息が出来なくなった。

鼻から酸素を送り込んで、どうにか息継ぎを回復した。

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2017年5月26日 (金)

久しぶりの感触

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Img_0023久しぶりの雨が朝から耳に心地よく響き、庭の匂蕃茉莉(ニオイバンマツリ)の強い香りが寝床まで入ってくる。

出てみれば、雨に打たれて紫っぽい花びらが白く変わってきているが、二週間ぶりくらいの雨は、まさに”干天の慈雨”というべきだろう。

ちなみに花言葉は浮気な人や幸運と言うのがあるそうだが、色変わりを心変わりと見たか、、、、

では、幸運はどこからきたのだろうか。

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しばらくぶりの家は襤褸家でも居心地がいい。

無くなってありがた味を知るというが、三十数年まえ海外で仕事をし、帰ってきたとき以来の感覚で手足をぬくぬくと伸ばしてその感触に浸たっている。

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病院では、担当の医者が二人とも女性であり、看護婦のチームが全て若い女性であった。

ひさしぶりに若い人をと冗談交じりの話しが出来て、、、、などと、よい環境の中で治療することが出来たが、入院患者のほとんどが後期高齢者であり、ボケ気味の老人であったため、十日間の間に病室を三度移転した。

病室は、一部屋四人の大部屋であったが、夜中に大声で付き添いや看護婦を呼ぶ人、携帯電話をかける人、自分だけが病気をしていると思っている老人、、、、等々。

おかげで、夜も眠れず肺炎もだがストレスが溜まってこちらのほうで参ってしまいそうになり、一度は治療上の都合で変わった病室を翌日、変更するように病棟に申し入れ変更してもらった。

これは、自分のわがままだったのかな?

それにしても、つくづくと社会生活(人に迷惑をかけないなど)に順応出来てい人が沢山いるのは、ボケなどが入ると自制が効かなくなってしまうためだろうか。

とくに、奥さんに何でもしてもらっていた人とか会社などで持ち上げられていた人にその傾向が多いようで、付き添いの奥さんも「この人はしょんないよ」というだけで何もしようとはしていなかった。

また、さすがに大病院、同室であっても担当医師がそれぞれに違い、看護師も患者ごとに違うので、人の出入りが激しかったのは不思議であった。

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2017年5月25日 (木)

左肺まっしろ

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肺炎と診断され、即入院から十日間本日ようやく仮釈放された。

これまで怪我で病院に入ったことがあるが、内臓の病気で入院というか障害で医者にかかったのは初めてといっていいくらいである。(疑われたこともあったがすべて異常なしできた)

それだけに、見舞いに来た人たちには「この次は死ぬときなので、今回は病院と言うとこは、どんなとこなのか、体験入院をしているんだ」といって顰蹙を買ってしまった。

土日が休みの上、土曜のレントゲン写真では素人目には分からないくらいの症状だったが、土曜の夜にわかに悪寒と呼吸困難で救急車を呼ぼうかという寸前まで行ったが、遠い病院に連れて行かれたは困ると言う観点から我慢をした。

月曜日、かかりつけ医の紹介状を持ってすぐそばの県立総合病院にいくと、”即入院”と言われ、家がそばだから支度してくると言う願いも聞き入れられず、呼吸器病棟に入れられ、血の検査だといって十数本分抜かれ、やれ、MRだのなんだの、、、、、、、と

結局その日、ベットに入ったのは受付の来てから五時間後であった。

その日の一番早く写したレントゲン写真が上の一枚。

左肺の一部が黒いもののその七割かたは水で真っ白という状況であった。

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2017年5月13日 (土)

楽しみは忘れさせる

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Img_0020今では各地にその花の集団が見られるようになって不思議な気ではなくなったが。

木の先端を白く染めまるで雪が振り積もったかのような姿になるナンジャモンジャ

明治になってからと言われているがこの木を指差して「なんちゅうもんじゃ」と聞いた人がいて誰も答えなかったところから、ナンチュウモンジャがナンジャモンジャになったとあるが、こういう聞き方をする人は、関西か北陸の人だったのではないかと思う

正式名はヒトツバタゴだそうだが、タゴと呼ばれるトネリコの仲間でもないらしい。

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それにしても驚いた、十日夜の同級会六人でビール中瓶が三本、銚子三本、イワナの骨酒多分二合、あとはウーロン茶を少々で済んでしまった。

以前なら、この程度のアルコール飲料は一人平均だったはずである。

歳は争えないのか、若い人のように無茶飲みして急性アルコール中毒なるまえにブレーキが、自動的に利くのか。

カラオケだって六曲と言うにいたっては、ほとんど笑って語っていただけのことになる、食事も少なめのコースを選んだのにかなりあまった。

宿のみんなが集まって三時間、缶ビールを飲んで語っていたはずなのに、それでも話しの種が尽きなかった。

また、家を出る二日前からわきの下から乳首の下にかけて痛みが走り、はじめは肋間神経痛なのかと思っていたが、黒味のかかった嫌な痰が出るようになって、無事到着できるか心配しながらの出発だった。

はじめは、胸をさすりながらの運転も、富山近くになって意識しなくなり同級会の間じゅうすっかり忘れていたが、生まれふるさと神岡に立ち寄り、東海自動車道を南下すると次第に痛みが増してきて、吐き出す痰に血が混じったのか桃色に変化した。

豊田市の弟の家に着くと、寝返りを打つたび肋骨がきしむような痛みが走る。

翌日、通算1,000kmほどの運転を終えて家にたどり着くともう駄目。

今日は土曜日なので半日営業のかかりつけ医に行って検査をしてもらったが、熱は36.5度で平熱、血圧も122~69といたって良好。レントゲンの胸部撮影では、指摘されなければ素人では分からないほど小さな白い斑点が三つあり、どうもこれは細菌性の肺炎ではないかという。

痰の採取は三度あり、これがなかなかでないので、朝早く行ったのに帰ってきたのは十一時過ぎになり、「検査結果を見てはっきりさせましょう」と薬も出なかった。

そうだよね、熱でもあれば、、、、、

それにしても、楽しみというものは、身体の痛みや不自由さを忘れさせてくれるものだ。ということを再認識させてくれた。

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2017年5月10日 (水)

ハンカチ振り振り

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そぼ降る雨のなか木の枝に白いものがひらひらとしている。

葉っぱの白化したのかなと、近づいてみてこれがうわさに聞く「ハンカチの木」であると見当が付いた。

ハンカチの木は中国の雲南で遅くになって見つかった木で、、植えてから十五年ほどしないと花を咲かせないそうで、この木に出会うことはかなり難しいそうだ。

フワフワ揺れる大きな白い花びらは上下に二枚しかないもので、いかにもハンカチを想像させるが、今日の同級会を前にしてこれが吉とでるか凶と出るか、なんだか判じ物のような気がして、、、、、、

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「君は太平洋を見たか 僕は日本海を見たい」いつのころだったかこんな標語を長野県で見た覚えがある。

五月十日朝早く静岡を出発した。新東名で清水インターを抜け、六郷から中部道に入り山梨の双葉ジャンクションから諏訪まで中央道そして長野道から上信越道を下りきると日本海が見えてきた、日本列島を横断するのに約五時間一気に一時間運転することナシ、休み休みの自動車運転だったが日本も狭くなったものである。

そこから、北陸道を富山まで着いたところで十二時すこし前である。

腹ごしらえをして、ここまで来たなら何人かの友達に連絡を入れなければ、と回ったがいずれも戸が閉まって留守。どの家も我が家より広い土地と立派な造りに連れ合いは「あんたの友達は金持ちばっかりなの?」と聞くから「富山県は持ち家率の高さは日本一だし、敷地面積もそれに近いはず、、」と説明にならない返事をする。

とにかく、従姉妹の子供が3時まで仕事で家にいないはずだからそれまであちこちを回って四時近く同級会会場のある春日温泉にはいる。

すると「皆さんすでにおそろいですよ」とのこと、部屋に向かうと「幹事が一番遅いとは何事だ」とすでに出来上がっているみんなが笑いながら言う。

そうこうするうちにフロントから「友達が来ているんでロビーまで来てください」と、、、、、、、

十年ぶりくらいに幼友達の来訪。またしても幹事の仕事放棄話が弾む。

部屋のほうは人数も少なく、地元の同級生に幹事役を任せて、、、、、

とにかくテンヤワンヤながら人数の少なさが幸いして、直接の批判は聞かずに住んだ。

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2017年5月 9日 (火)

あしたは同級会

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いま住んでいた場所の地下深くに稼動しているカミオカンデ

自分の育ったところは元の山林に帰っているそうな。

ここを離れて六十五年、以来何回か帰ってはいたが、最後に訪れたのは、この場所から全ての人が退去する昭和五十年の式典だったと思う。

その場所は尾根の向こうが富山県と言う鉱山社宅だけが山肌のくっついているようなところであり、そのすこし東側に”池の山”という、鉛亜鉛を大量に含む大津山というところであった。

いまでは、この無住の土地の下に、カミオカンデとスーパーカミオカンデが建設され宇宙と向き合っていることでのみ名をはせている。

すぐ隣にある栃洞鉱山とならんで、三井金属の屋台を担ってきたが、世界の鉱山を相手にするには採算が合わず、鉱石の採掘をやめたのは平成八年。

明日はその学校を昭和30年に卒業したものの同級会である。

すべてが鉱山勤務者の子供ばかりの二十四名。

しかし、鉱山社宅の移転で学校はなくなり、全国から集まってきた鉱山労働者も定年とともにばらばらと散ってしまったいま、同級会を開く場所がなく、毎回あちこちを転転として行なうしかなくなった。

狭い地区に建つ学校のためずーっと一緒にやってきたため、互いの家庭状況まで知り合った仲間は今でも会えば一気に子供のころに帰る。

そして、人生を積み重ね七十八歳になったいま、すでに他界したものが六名、身体の調子が悪いもの、連れ合いの介護をしなければならないものなどがいて、出席できるものは四分の一の六名となってしまった。

その出席者も無理して来るものもあって、、、、、、、、寂しい限り

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2017年5月 8日 (月)

着物の柄に見えて

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ニガナの花が密集して咲いている。

一つ一つは、花の中ではお粗末な部類に入るのではないかと思うが、このように地面を多い尽くすほど密生した場所では、緑の生地に黄色の花を配置しところどころに朱をいれた着物の柄みたいに見えてしまうところが面白い。

苦菜と漢字で書くところをみると、誰かが食べて名付けたものと思っていたら、これと同じかどうかは分からないが、沖縄ではこれを使った料理があると書いてあった。

ゴーヤ、別名苦瓜を好んで食べるのだから、沖縄の人は苦味が好きなのかな?

人間の味覚は、大きく分けて甘い、酸っぱい、塩味 苦味の四種類に分けられると言うが、甘いは子供のころから抵抗なく受け入れら、ついで塩味となるが、酸っぱい、苦いは大人にならなければ分からない味と言われる。

ゆえに、いつまで経っても甘い菓子パンなどを好む人は、脳と舌が幼児性を残しているといっても過言ではない。

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2017年5月 7日 (日)

竹秋

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孟宗竹の葉が黄ばみ、密集した竹やぶにはらはらと葉を散らしている。

この時期葉を散らすことから、竹秋とこの季節を呼ぶ。

その下では運よく掘られるのを免れた竹の子がすくすくと育ち、背丈をこう大きさになって、葉を散らす先輩の竹を見つめている。

そのむかし、わがままな母親が冬に竹の子を食べたいと息子の孟宗に言ったが、雪の積もった竹林にはそのかけらも見当たらなかった。

孟宗は嘆いて天の神に祈ったところ、雪が解けてすくすくと竹の子が生えてきたので、それを掘って帰りあつものにして食べさせたところ元気尾になって、さらに齢を重ねた、と二十四孝にある。

儒教が盛んだったころの中国では、これで通ったのかもしれないが、自分さえ良ければという風潮の強いいまの世の中、こんなことを言ったら、、、、、、

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今年は、何処の竹の子産地も不作だそうだ、先日のテレビでは、昨年の夏の暑さが原因だったというが、自分らも今年二回掘りに行ったが他所と同様の状態だった。

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2017年5月 6日 (土)

夏は来ぬ

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卯の花の匂う垣根に ほととぎす 

早も来啼きて 忍び音もらす 夏は来ぬ 

卯の花とは一般的に、芯がコルク状の白いものが詰まった空木のことをいう、この花が咲き出すと初夏の候だというが、色の濃いタニウツギを見かけた。

これだけ色鮮やかな花は自然界では見当たらないので品種改良とかで、作られた庭木には違いないだろう。

しかし、昨日暦の上で立夏を迎えたからって、律儀に気温が三十度近くになら無くてもよいのに、、、、、

こんなに早く夏日と言われる二十五度の基準をとっくに超してしまうと、身体が付いていかなくいのだが、タニウツギのほうはそんなことに意を解さないようにして花を爛漫と咲かせている。

前にも書いたのだが、この木の花のことを”ダニバナ”と習い、花の中にダニがすんでいると思って避けて歩いたが、タニウツギから変化した言葉に違いないと思ったのはそれからずいぶん後のことだった。

ただ、この花が咲くと1,000m級の高い土地に生える竹の子が芽を出すため、山へネコダと呼ばれるアケビなどの蔓で編んだ背負子を担いで山に入ったものだった。

この竹の子というものは、実際には根曲がり竹と言う正式名があったが、実際は笹でありこれの密集した場所に入ると方向感覚がなくなり、何年かに一度行方不明の捜索が行われた。

そのほとんどが中年のおばさんだったのは、竹の子を見つけるとずんずんと進んでいった挙句のことだと言うのは、なんだか女性の特色を現しているようで、、、、

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2017年5月 5日 (金)

海に向かって

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鯉は百瀬の滝を登って龍になると中国では言われていた。

日本では屋根より高い鯉のぼりと歌われた。

しかし、ここ、吉田公園の鯉のぼりは、海から吹く風に向かった口を開け、海で泳ぎたいようなそぶりを見せていた。

海に入ればなんになるのかな?  鯛やきくんはやっぱりそのまんまだったという。

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a昼ごはんが炊けていなかった、というので、近くの中華料理店に向かった。

チェン店なので、値段も安く種類が多かったので選んだのだが、子供連れが多かった。

あちこちで、子供用の椅子を出ないと食事が出来ない子がおおく、足りない様子だった。

そのほとんどに爺婆が付いてきていたのは、他所に行っている子供夫婦が孫を連れて里帰りをした家族なんだろうと察しが付く。

いずれも目じりが下がりっぱなしで、(昨日の自分もそうだったろうが、、、、)

いまの子供は少子化の影響もあって、正月のお年玉はいくつも財布があるというそうだが、この調子では財布の口が顔同様閉まる気配は感じられない。

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2017年5月 4日 (木)

緑色の見本

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今日は「みどりの日」とかで、祝日だそうだ。

近頃珍しくなった日の丸を掲げている家を見て、さて何かの記念日だったかと考えたが分からず、テレビを見てようやく悟った。

年寄りの常として、古いものは鮮明に覚えているが、最近のものは覚えられないといったら、「バカ それは年と言うよりボケだ!」とかまされてしまった。

しかし、周りの山々は「緑色といってもこんなに種類があるんだぞ」と言わんばかりに山を染め上げている。

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a昨日、浜松で勤めている孫娘から電話があって「帰ってきたから、明日の夕食をご馳走するよ」っていう。

気の早いジジババは、子供のように早風呂に入ってお迎えを待つ、、、、

「今日は私が中華料理を食べたいのでこっちにするね」っていう。

ジジババには否応は無い。「何でも食べるよ」って相好を崩す。

下司の極みではない、、、、幸せの極みを満喫する

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2017年5月 3日 (水)

飛び道具とは卑怯なり

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イペーの花が黄色く揺らめいているような感じで咲いていた。

ブラジルの国花だそうで、葉のない枝の先で四方に向かってラッパ状に広がっているさまはいかにも南国と言う感じがするが、原産地でも葉が落ちてこんな感じの咲き方をするんだろうか。

むかし、沖縄に持ち帰った花が咲いていると聞いたことがあるが、静岡でこの花を見かけたのは、10年とは経っていないような気がする。

揚羽蝶のナガサキアゲハと言う種類が、次第に北上しているように、この花も温暖化で北上したのか、登山の高度順応のように沖縄で寒さ慣らしをしてきたのだろうか、、、、

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そのむかし「飛び道具とは卑怯なり」というせりふをきいた覚えがある。

自分の周りの誰でもがこの言葉を知っているところをみると、かなり有名なせりふのようだ。

刀同士の闘いのつもりが、横から鉄砲でいきなり撃たれて死ぬんでは面白みがないということか。

では、いつのころの言葉ができたのだろうか。多分江戸時代、怪我をしないようにと竹刀でバタバタ叩き合うようになり、なんでも「礼に始まって礼に終わる」という武術が”武道”と言う言葉になってからではないだろうか。

飛び道具の最たるもの鉄砲は、「これから撃ちます」とは決して言わないことから、ルール違反とみなしたのかもしれないが実際の闘いからはかなりずれた言葉である。

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いま、アメリカと北朝鮮の脅かしあいを見ていると、なんだか西部劇の一シーンを見ているような気がする。

相手に腰のピストルを抜かせようとお互いにののしりあい、先に手をかけるのを待っているような気がする。

その後ろの物陰から首だけ出して、けしかけている鍛冶屋のおっさんみたいな道化役が安倍首相の役割。

今日は、憲法発布の記念日。いろんな矛盾があり、なし崩しに崩されてきているが、鍛冶屋のおっさんにだけはこれを弄くってもらいたくない。

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2017年5月 2日 (火)

無茶苦茶

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夏も近づく八十八夜 

野にも山にも若葉が茂る トントン 

あれに見えるは 茶摘みじゃないか 

茜襷に菅の笠 トントン

今年の芽生えは、桜同様すこし遅いようで、近辺ではまだ茶摘みが始まっていない。

しかし、細工した茶園のお茶には初せりで1kg108万円というべらぼうな値段が付いたとか、、、

近年お茶離れが激しく、若い人を中心にお茶を飲まない人が増えているそうだけど、「ご祝儀相場にしても無茶苦茶じゃござんせんか?」って言いたくなる。

いずれ、帳尻を合わせるために、ほかのお茶を安く買い叩くのだろうけれど。

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2017年5月 1日 (月)

目には青葉

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目には青葉 山ほととぎす 初鰹

山笑う季節がやってきた。

若葉がみずみずしい萌黄色に染まり、柏の木の仲間が白い花を咲かせ、周りに艶かしい?匂いを発散させている。

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晴れた五月の青空に 歌声たかく響かせて、、、、、

そのむかし、神岡鉱山は四月二十九日の天皇誕生日を休まないかわり、五月一日を休みにしてメーデーを祝った。

小さな町だったが、ほかの労組や主婦会も集まって1,000人以上が長蛇の列を作って行進した。

もちろん、保守系の商店街は面白くなかったことだろうが、デモ行進の後、職場ごとに集まって”山行き”と称する宴会を野外でするため、酒や肴などを大量に購入するため、嫌な顔は出来なかったというか、商人根性を発揮してニコニコ顔の応対であった。

あのころのことは、いま呼び戻すすべも無いが労働組合がもう少し原点に戻って、非正規労働者の改善、同一労働同一賃金を政府に頼らないで自力で勝ち取って欲しいものだ。

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いま聞いた話だが、韓国ではこの日を「勤労者の日」として休みにしているとのこと、、、日本にはそんな話しはないよね。

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