あしたは同級会
いま住んでいた場所の地下深くに稼動しているカミオカンデ
自分の育ったところは元の山林に帰っているそうな。
ここを離れて六十五年、以来何回か帰ってはいたが、最後に訪れたのは、この場所から全ての人が退去する昭和五十年の式典だったと思う。
その場所は尾根の向こうが富山県と言う鉱山社宅だけが山肌のくっついているようなところであり、そのすこし東側に”池の山”という、鉛亜鉛を大量に含む大津山というところであった。
いまでは、この無住の土地の下に、カミオカンデとスーパーカミオカンデが建設され宇宙と向き合っていることでのみ名をはせている。
すぐ隣にある栃洞鉱山とならんで、三井金属の屋台を担ってきたが、世界の鉱山を相手にするには採算が合わず、鉱石の採掘をやめたのは平成八年。
明日はその学校を昭和30年に卒業したものの同級会である。
すべてが鉱山勤務者の子供ばかりの二十四名。
しかし、鉱山社宅の移転で学校はなくなり、全国から集まってきた鉱山労働者も定年とともにばらばらと散ってしまったいま、同級会を開く場所がなく、毎回あちこちを転転として行なうしかなくなった。
狭い地区に建つ学校のためずーっと一緒にやってきたため、互いの家庭状況まで知り合った仲間は今でも会えば一気に子供のころに帰る。
そして、人生を積み重ね七十八歳になったいま、すでに他界したものが六名、身体の調子が悪いもの、連れ合いの介護をしなければならないものなどがいて、出席できるものは四分の一の六名となってしまった。
その出席者も無理して来るものもあって、、、、、、、、寂しい限り
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コメント
岡崎在住さま
そうですね、全て平均ですか。
傘寿の生存率は、どのくらいなんでしょうね。
先日も話しをしていたのですが、次回は傘寿のしようよと言うのが合言葉でしたが、この歳になると明日目が覚めるかどうかさえ分からん年頃だから、、、、と、笑いあいました。
何でも笑えるうちが花よ。
投稿: オラケタル | 2017年5月12日 (金) 21時54分
オラケタ様
そうか、去年は喜寿やったんや。元気で何より。御目でとう様。👏👏。。統計的には、75歳で25%の死亡率やもんで、大体合致しとるね。また、オラケタを含む同級生、25%は78歳で健康寿命を全う中との事で、まずは傘寿をめざして健康寿命を伸ばして下され。オリは、まんだ働かんならんのやさ(笑)
投稿: 岡崎在住 | 2017年5月12日 (金) 20時29分