飛び道具とは卑怯なり
ブラジルの国花だそうで、葉のない枝の先で四方に向かってラッパ状に広がっているさまはいかにも南国と言う感じがするが、原産地でも葉が落ちてこんな感じの咲き方をするんだろうか。
むかし、沖縄に持ち帰った花が咲いていると聞いたことがあるが、静岡でこの花を見かけたのは、10年とは経っていないような気がする。
揚羽蝶のナガサキアゲハと言う種類が、次第に北上しているように、この花も温暖化で北上したのか、登山の高度順応のように沖縄で寒さ慣らしをしてきたのだろうか、、、、
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そのむかし「飛び道具とは卑怯なり」というせりふをきいた覚えがある。
自分の周りの誰でもがこの言葉を知っているところをみると、かなり有名なせりふのようだ。
刀同士の闘いのつもりが、横から鉄砲でいきなり撃たれて死ぬんでは面白みがないということか。
では、いつのころの言葉ができたのだろうか。多分江戸時代、怪我をしないようにと竹刀でバタバタ叩き合うようになり、なんでも「礼に始まって礼に終わる」という武術が”武道”と言う言葉になってからではないだろうか。
飛び道具の最たるもの鉄砲は、「これから撃ちます」とは決して言わないことから、ルール違反とみなしたのかもしれないが実際の闘いからはかなりずれた言葉である。
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いま、アメリカと北朝鮮の脅かしあいを見ていると、なんだか西部劇の一シーンを見ているような気がする。
相手に腰のピストルを抜かせようとお互いにののしりあい、先に手をかけるのを待っているような気がする。
その後ろの物陰から首だけ出して、けしかけている鍛冶屋のおっさんみたいな道化役が安倍首相の役割。
今日は、憲法発布の記念日。いろんな矛盾があり、なし崩しに崩されてきているが、鍛冶屋のおっさんにだけはこれを弄くってもらいたくない。
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