忖度が万延
田植えの遅い静岡でも四日の日曜日が最盛期だったらしく、田んぼには丈の低い稲が風にそよいでいる。
今日も一日高めの気温だったが、田植えの終わった田んぼを吹き渡る風は日の入りとともにおさまり、遠く山のかなたに小さく見える富士山を写していた。
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a二月だったかテレビでよく見る茂木健一郎氏が「日本のお笑いは、上下関係や空気を読んだお笑いに終始し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無であり、お笑い芸人は終わっている」と言ったそうだ。
まさに当を得た批判だと思っていたら、松本人志や太田光、らに反論されてあっさりと降伏してしまった。
まったく、バカでないか。
江戸時代あんなに締め付けられた世の中でも、(漫才は今の形式ではなかった)落語や芝居ではあの手この手で権力者を批判し、コケにしていた。
明治に入ってからでも、オッペケペーをはじめいくつもの権力に抵抗する大衆娯楽があったが、太平洋戦争に入ってこれらを官憲が取り締まった。
しかし、名女優でもあった高峰三枝子の「湖畔の宿」をこう変えて歌われた。
#昨日生まれた豚の子は 蜂に刺されて名誉の戦死
その遺骨はいつかえる 四月八日の朝かえる
豚の母さん 淋しいかろ
小学校に入るかどうかの子供さえこの歌を知っており、そこらでは歌えない歌であることも知っていた。
そして、やっと最近まで、漫才はもちろん物まねでも政治がからかわれてきたものだが、安倍政権が誕生してから次第に笑えない漫才、コント、声色になってしまった。
芸人かタレント会社か分からないが、小粒になった芸人しかテレビには出演できないようで、例の”忖度”が社会全体に蔓延しつつあるのはなさけない。
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