覚悟してお出で
父祖の地神岡は人が変わって見知った人には出会わず浦島太郎の気分であるが、山や川はむかしのままでやさしく出迎えてくれる。
墓地のある高台からは、むかし働いた二十五山がが遠望でき、向かいの台地には戦国時代あったと言われる場所に城が建っている。
信玄と謙信の勢力争いに巻き込まれ、そのどちらに味方するか悩んだ地方豪族江間氏が造った出城だと言われているがこんな立派な姿をしていたか、、、、、
ともあれ、再建されてから五十年ほど、今ではすっかりとなじんでいる。
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飛騨 信州と回って山梨まで戻ってきたとき、連れ合いの友達から電話が入った。
「いま何処?静岡は家の寒暖計が四十度だといっているよ。覚悟して帰ってお出で」
そのとき、車載の温度計は三十五度と出ていた。
車を止めて外に出ると、まるで蒸し風呂状態である。
それにしても、飛騨は涼しかった。長野県と岐阜県の境にある平湯温泉の気温は二十一度としばらく味わえなかった感触であった。
すこし小雨もよいの気候ながら、墓の周りの掃除と花などの飾り付けをしたが、汗も出ない、午後から、お寺の住職に来てもらい墓前での法事をしてもらった。
お昼は従兄弟の家に行って昼食をよばれたが、静岡では必需品のエアコンはいまだ据えつけてなく、扇風機さえ部屋の片隅に羽根を休めている状態であった。
改めて、自分のルーツがこんな地で生活していたことを思い出された。
自分が暑さに弱いのはこんな環境のせいで無理ないな
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