三本の矢は
宵待ち草のやるせなさ
今宵は月も出ぬそうな
むかし懐かしい"宵待草”という歌に歌われたのはこの花であるが、正確にはこの花は宵待草で無く、待宵草だという。
待宵草は大待宵草 待宵草 小待宵草 雌待宵草 荒地待つ宵草と五種類に分けられるそうだが、多分この花は待宵草か小待宵草のどちらかだと思うが、、、、わからない。
ただ、ここしばらく続く雨もよいの空のした、寝ぼけたような印象を受けるのは、こちらも寝ぼけ気味のせいかも知れない。
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昨日ようやくテレビが届いた。
自動車でもないし人気商品でもないのに、量販店にお金を払ってから一週間もかかった。
静岡に来たとき買い換えたテレビは、ブラウン管式のものだったが二十数年も持ったのに、次に買い換えたの液晶式は出始め立ったのか高額な割りに寿命が短かった。
今回、量販店に行ったのは比較検討して買おうかと思っていったのだが、どこの会社のも同じような画面で特徴が無かったので、そのことを店員に言うと「小型の液晶を日本で作っている会社は無いですよ」とのことだった。
その矢先新聞には、日立 三菱 NECの三社で作った中小型液晶を作る会社が国際競争に太刀打ちできず大規模リストラをに踏み切ると出ていた。
その原因として主導権争いから改革が進まなかったとある。
そこで思い出したのが、毛利元就の三本の矢の話し、元就病床に三人の息子を呼び出しそれぞれに一本づつの矢を折らせ簡単に折った後三本の矢なら折れないことから、兄弟仲よく団結せよと諭したそうだ。
しかし、現代においてはこの話しは通用しなかった。
アベノミクスでも三本の矢と言うものが喧伝されたが、経済の回復は大企業をうるおしただけで、我われのところには香りさえ届いたような気がしなかった。
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