今年もおしまい
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ナンキンハゼの実は、表面が蝋質の油だが種の周りにうっすらとついているだけなので食べても消化するのはごくわずかなはずである。
それでもこの実を食べるのはそろそろ山に食料が減ってきているためであろうか。
しかし、雪国と違って何かしら食べるものがある人里は、鳥たちにとっていいところなんだろうな。
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「あと二つ寝ると正月が来る」と子供のころは楽しみに待っていた。
お年玉をもらったのはいくつになってからのことだったろうか、山奥の鉱山社宅では店も無く買い物に行くところがなかったので、貰った記憶がないのだが、、、、、、食べることにしか興味のない身にとっては、正月の”ごっつおう(御馳走)”は楽しみだった。
しかし、その楽しみもいまではなくなった。
そんなに用意しなくても良いといったのに連れ合いは、毎年のことだからとか孫がきたときのためとか言って、おせち料理を作り味見をしてくれと食卓の上に出す。
すでに、田つくりと数の子、黒豆は味見と称して食べてしまった。
二十八日に作った餅は昨日小さく切って、その切れ端を雑煮にして食べた。
(そうそう、餅の大きさはいままで5センチ角で切っていたが、年よりは喉につめて、、、という記事を見たため、三センチ角ぐらいにしてみたが、これもおもしろいかな?ってとこ)
これで、鰤を食べれば年越しになるのだが、これだけは明日までとっておかなくてはなるまい。
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飽食の時代、年がら年中正月並みの食べ物を食べて過ごしているのだが、、、、
罰が当たりやせんかと気になるこのごろである。
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遅咲きの八重の花びらは、薔薇の花にも似て花の少なくなった庭の女王といった感じで華やいでいる。
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今日二十八日はわが家の餅つきの日である。
餅つきといったって”じじばば”二人所帯では二升の餅を搗くだけだし、電動の餅つき機こねるだけなのだから造作も無いことである。
これでも、孫が小さかったころは、その場で食べるのを含めて五~六升は搗いたものだったが、今年から頼まれて造った鏡餅も自分とこだけになってしまい、買っても良いのだが、もち米を三升も貰っていたので、そのうち二升を餅にしようかと言うことにした。
餅つきの日が二十八日というのは、八という数字が末広がりで目出度いという話も聞いているが、二十九日と三十一日が駄目というのは縁起とともに餅の固さなどもあるのではないかと思う。
餅つきで思い出すのは、一番食べ盛りだった昭和二十七年前後、一斗五升、(今の目方で言うと23kgほどか)を搗き、それを食べ切ってさらに寒餅を搗いたものだった。
なにしろ、高校一年のときまで、歳の数だけ雑煮をいっぺんに食べてのだから、、、、、さしずめ”餓鬼”という言葉がそのまま当てはまったころで、いま歳の数だけといえば、節分の豆の数になるが、それも数年前に終わってしまった。
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先日池ヶ谷の山から採ってきたツルウメモドキ、だれも花として欲しがる人もいない。
だもんで、少々邪魔っ気になって納屋の軒先に吊るしておいたら、ジョウビタキの雄が素早く見つけてついばみだした。
そばにミカンを切って餌代わりにしておいたのだが、彼にはこちらのほうが好みだったようで、こちらが見ているのを知りながら、満足するまではなれようとはしなかった。
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昨日、背中が痛くなったので連れ合いに言ったら、正月休みが間近だからそのまえに病院に行け行けという。
「嫌だ」といったら娘にまで電話して圧力をかけ、今日は買い物に行った。
帰ってきてから「どうだった」と言うので「行かなかった」というと「男はいつもそうだから、悪くなっても知らないよ!」って凄い剣幕。
しかし、ジョウビタキをを見ていたら、、、、、ひょっとしてこのツルウメモドキを採るとき、急な斜面をよじ登り、木に登ったことが原因で無いかと思うに到った。
つまり、普段使っていなかった筋肉の筋肉痛だったのではないかと、、、、
年寄りは困るよ!、筋肉痛が三っ日ほど立ってから出てくるのでまごついてしまうのだ。
しかし、今までに経験したことの無い部分で、背骨の奥の内臓が痛いような気がする痛みのため、筋肉痛だと思わなかった。
連れ合いには「そんな大ごとにするんなら、これから少々痛くても何にも言わないよ」って言ったけれど、内心は結構心配してくれているんだと、ほくそ笑んでいる自分がいた。
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本当にしばらくぶり! お情けのような雨が今朝方降ったようでしっとりとした朝を迎えた。
咲き出した柊の花に水滴がついて風情があった。
冬の木と書いてヒイラギとよぶのだが、若いうちは葉っぱの先端にかなり硬い棘がついているものの、古木になるとその棘が無くなる。人間で言うと角が取れて丸くなるのと一緒と言うそうだが、なかなか、人間はまあ~るくなれない。
以前なら、生活を子供たちに頼るなどコンプレックスや我慢をしたりしているだけだったが、最近では子供たちの厄介にならず生きていけるようになって、我慢と言うたがが外れてしまっているため、暴走老人が出てくるようになった。
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すこし前に煽り運転の挙句高速道路上に車を止めさせて夫婦を死なせてしまった事件をきっかけに、乱暴な運転者には免許証を規制しようとする法律が検討されているようだ。
自分もそんなあおり運転を受けたことがあり、いまでは、急速に近づいてくる車があれば道を譲るようにすることで、ここ20年以上はそういう経験が無い。
しかし、逆にしたくなるような衝動の駆られたことは何度かある。
たとえば、車の流れに沿えず前がどんなに空いていようとゆっくりと走る車などの場合だが、追い越し出来ない道路では腹が立って来てしまう。
また、最近大型トラックが直前に割り込んできたり、女性に多いのだが、止まらなくて良い交差点で急に止まって横からの車を何台も入れてやる車など、、、、、
結局のところ、車同士の意思疎通が出来ないところに大きな問題があるような気がする。
幸いというかここ20年余、免許証がゴールドのままであるのは、幾分まあるくなっているためかもしれないが、かなり我慢をしているところにある。
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山の畑のすぐそばに十本くらい育っているのだが、誰も植えたものはいないそうだ。
茶色い苞に包まれた塊の中からポロリポロリと言った感じで白い花を咲かせているが、まったく目立たないので気がつかなかったのだ。
この花も来年五~六月に賭けて小さいながら甘い実がなるのだが、だれも世話をする人が無いのでわれわれ老人がすこし、後は小鳥の餌になるのだが、、、、
しかし、不思議なのは今咲いているインゲンの花は虫が仲介しないので実に成らないのに、なぜ、枇杷は実をつけるのだろうか、メジロなどの気配もないのだが
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今年も後わずかになったので正月頭にするため床屋へ行って来た。
昔の人は、新年を迎えるに当たって必ずといっていいくらい床屋へ行くことだったが、最近ではその風習も途絶えたようで、床屋も混みあうことが無くなった。
しかし、床屋談義は相変わらずさかん。
今日の話題は、高尚にも日本の未来を心配する?というもの、、、、「今年 人口が40万人も減っているんだってさ、、、」
「四十万人~ 静岡県の富士市辺りがすっぽり消えてしまった勘定になるのかね」
「そして、この数がしばらく続くって言ってたよ、、、」
「そうなるとこの先どうなるんだろう」
我々が心配してもどうにもならないのだが、こんな話しが床屋で出るほど深刻な状態になってきたようだ。
我々が子供のころは、人口がどんどん増えて”産児制限”なんて言葉がはやっていたのはことわざにある「貧乏人の子沢山」とか「律義者の子沢山」といった類の言葉だったが、どうやら、貧乏と律義者が減ってきた証拠なのだろうか。
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連日の晴天続きで湿気が無くなったせいか霜柱を探してみたが、麻機周りの田んぼでは霜柱を見ることが出来なかった。
気温が低くて二~三度までなので、槌の温度も下がっていないせいもあるのかもしれないと思いつつ、落ち葉を白くしている写真で寒さを表すしかない。
ほかでもないが、最近朝を寒く感じると、肌のやわらかい部分に小さな半円球の蕁麻疹が発生して、かゆくてたまらない。
気温があがると消えてしまうので、我慢していればよいのだが、我慢をしたくないので皮膚科の医者に行ってみたら”慣例蕁麻疹”といわれ、飲み薬を調法された。
こちらとしては、塗り薬とばっかり思っていたので驚いたがこれが良く効く、夕食後一錠で全然でなくなった。
しかし、子供に多い症状だと言われまたびっくり。
寒いところで生まれ育ってきたものとして、いままで寒さには強いと思い込んでいたし、冬になっても軽装で過ごせたのに、、、、、、
歳を取ると子供に帰るって言うけれどこれもその一環なのだろうか。
皮膚の外は老化現象で鈍くなるのに、内側は子供みたいに抵抗力がなくなるのか。
あわてて、ズボン下を買いに行き履いてみたが、なんだか窮屈で仕様が無い。
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下田爪木崎の水仙が咲いているという報道もあったが、それに負けじ劣らじとばかりに家も周りでも水仙が咲いていた。
西洋ではこの花をナルシスというそうだが、うつむいて水面に写ったわが姿に恋をした青年に見立てた。
一方筑波山のがま蛙は、鏡に映った己が姿に脂汗をたら~りたら~りと流したそうで、自分はさしづめ筑波山のほう
しかし、ナルシスは毒であり、がまの油は傷薬、、、、、、、美しいものには毒がある
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未来の超特急リニア新幹線の工事でゼネコン各社が、談合の疑いで東京地検特捜部の捜査を受けている。
いずれも巨額工事であり、もしこれが有罪となれば、リニアの完成はかなり遅れてしまうだろう。
なにしろ、ゼネコンがこれだけ挙げられたとすると、指名停止となり、かわりにこの工事を引き継ぐ会社出てこない可能性がある。
いまから、四十年くらい前だったが、静岡に来たとき役所を定年になった人たちが再就職した会社の営業担当になり、風呂敷をもって談合を重ねていたものだったが、、、、、
その風習は、いまでも変わらず続いていたことに驚くばかり、これからも、日本的風習として続けていくんだろうか?。
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富士五湖のひとつ、西湖のそばに野鳥の森公園と言うのがあって、これからの時期になると餌を求めて山ガラや四十雀などの小鳥がやってくる。
それを目当てに行ってみたが、休園だったのか建物中に人影もなく、餌台にも餌がないのを知ってか小鳥の姿は陰さえ見えない状態であった。
ただ、正月を控えてか、積み上げた木に水をかけて凍らせていた。
このときは、寒波の襲来もあってか気温は日中でも零度を指していたので、太陽が出ているのにもかかわらず氷は発達しているように見受けられた。
雪国の飛騨でも同じような趣向で凍らせていたが、積もった雪の中にあるのとちがって、周りが芝生というのが少し違和感があったが、仕方のないことか、、、
それにしても、今回は当て外れ
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目的のひとつに、漬物にする白菜がないかと思って、、、、
しかし、途中の野菜売り場では地面が凍ってしまったとか言って、よいものが出ていない。
朝霧高原にかかると、強い風に吹き飛ばされたようで、富士山は地肌をむき出しにして、まだらに白くなっているだけ、気温も冷蔵庫並みに零度までしかあがっていない。
心はあったかいつもりだが、財布も気温も低く過ぎて侘しくかえる。
結局は最後の道の駅で一個300円の白菜を二個買うだけにしたが、これでも家の周りで買うよりかなり安いとのこと、、、、、
政府は2%の目標に達していないというけれど、わが家の経費はとっくの昔に過ぎている。
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晴天のもと風もない中で寒気だけが入ってきていたようで、寒い一日であった。
窓の外では色づいた南天の葉に太陽の光が反射してきらきらと輝いているさまは、外の寒さを感じさせない。
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きのうテレビで、中国の歩きスマホの映像が流れていた。
亡くなった人もいたのだろうが、画面では自動車に引かれたり駐車場のエレベータに入り込んで挟まれたりなどを写していたが、半分中国をバカにしたような編集の仕方であった。
そして、中国では歩きスマホをする人を”低頭族”と呼んでいるそうだと説明していた。
はじめは、意味が分からなかったが、スマホに熱中する人は頭を下げて歩くことから付けられたと聞くとなるほどとおもってしまった。
身近でも、通学時間帯に遭遇する高校生のかなりの人にスマホから目が話せない人がいると思っていた。
そんなに熱中するほどの魅力が何処にあるのだろうか。
先日も渋滞している車を見れば、五十歳くらいまでの若い世代の運転手がながら運転をしている。
そんなことを感じていた矢先、川崎で女子大生がぶつかるまで知らなかったといって、77歳の婦人を死なせてしまったというニュースが入った。
二十二歳のこの加害者、一生悔やみきれない深い傷になって、これから先の運命は過酷なものになることが予想される。
まだガラ系の携帯しかもっていない自分には、スマホノ魅力が分からないでいるが加害者にならなくても、被害者になる資格は充分に持っている。
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#俺は川原の枯れすすき おなじおまえも枯れすすき、、、、って言うのが自分が生まれる前に歌われた枯れすすき。
#貧しさに負けた いいえ世間に負けたって言うのが”昭和枯れすすき”
で、”平成枯れすすき”って言うのが出るかと思っていたら、これが出そうもない。
なにしろ、平成もあとわずかになったようだから、、、、。
じゃ、平成は歌になるほど貧しい人がいなかったのっていえば、そうでもなかったはず、、、、
夕陽が沈むすこし前の麻機田んぼ、逆行が全てを見えなくしたように見えたが、”貧乏の象徴”枯れすすきの穂は隠しきれなかった。
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公務員のボーナスも出て、新聞の折り込み広告が分厚くなった土日。
ショッピングセンターの駐車場は混雑が激しくて、ボーナスのないわれわれは近寄ることが出来ない。
師走も半ば、いつ病院に行ったらよいかだけに神経を集中している。
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久々に寒いと感じたのは、体調だったのか、静岡の気候になれたためかと思っていたが、静岡でも霜が降りていた。
テレビでは、最低気温を二度といっていたのだが、春を先駆けて疎らに咲いた蓮華草とその葉に霜とも氷とつかないものが白く付いていた。
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夕食も済んで最後の日課である風呂に入っていて思った。
子供のころは風呂に入るとすぐに額あたりを中心に水玉のような汗が一杯出てきたものだが、自宅の風呂はおろか温泉に行っても汗が出てこない。
鉱山に勤めていた二十代三十代は、仕事上がりにすぐに風呂に入って汚れを落としたものだったが、いち早く入っている五十代前後の先輩が風呂に首まで浸かってニヤニヤと熱くて二の足を踏んでいるわれわれ若造をながめ、水を足すことを許さなかった。
あのころは、五十代というとすでに老境に入っており皮膚感覚も鈍くなっていたのか、それとも我慢してはいるのが自慢だったのか、、、、、
気分はまだ老境に入っていないつもりだが、自分の風呂もかなり熱いようで、よく注意をされる。
昨日、シャープが一年四ヵ月ぶりに東京証券取引所の復活を果たしたそうだ。
こんなに早く戻ってくるとは思わなかっただけに、どんな秘策があったのだろうかと興味を持ったが、人間の場合はこの歳になると復活しようにも土台が前のままだから、、、、、ね~
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底冷えのする曇り空のした落ち葉があちこちと転げまわった挙句、道路の片隅に吹きだまっていく。
紅葉やケヤキの木はほとんど昨日今日の風で葉を落とし空の雲を透かして見せている。
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今日十二月八日は日本軍がハワイ島を奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まった日だが、新聞やテレビは何も報じていた様子はなかった。
いじめではないが屈辱を受けたものはそのことを忘れないが、そのことをなしたものは割合と忘れるものである。
日本人が原爆投下の日を忘れないように、アメリカも真珠湾攻撃を忘れないよう”りメンバーパールハバー”を忘れない。
この奇襲攻撃は、投じの国際連盟が日本の中国占領に対する制裁として、経済封鎖をしたため、石油を求めてフイリッピンやインドシナ半島を得るための攻撃であったと聞いている。
いま、北朝鮮に対して同様な処置を講じているが、北朝鮮が日本同様に無謀な攻撃を起こしかねないような雰囲気になっていると思うのは自分だけだろうか、、、
どんな局面になるか分からないが、日独伊の枢軸国の状況が、中露北の元共産連合となれば、前の朝鮮戦争の比ではないほどの惨状になるだろうし、最初の打撃は基地の周りの一般住民になる可能性が大である。
くわえて、思いつきで行動するアメリカ大統領の下ではこの危険性は先が見えないだけに予測の範囲外といわざるを得ない。
いつか、この衝突が”りメンバー〇〇〇”にならないことを願っている。
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小さな子が、補助輪もペダルもない自転車をすいすいと乗りこなしていた。
足こぎ自転車っていうそうで、補助輪のない自転車に比べると早く覚えるそうだというのを後から知った。
「坊やいくつ?」って聞いたら、なかなか曲がらない指を突き出してくれたがどの指がが折りたたまれているか分からない。
そばにいた友達の母が代わって「二歳だと教えてくれた」が、その母親の子供もすこし下手ではあったが同じような自転車に乗っており、今日で三日目だという。
二歳でこんなに上手に自転車に乗れるっていうのはよほど運動神経が発達しているのかと驚いた。
山の斜面で育った自分が始めて自転車に乗れたのは高校に入ってからのこと、このころになると理屈で憶えようとするようで、なかなか乗れなかった。
また、そのころの同級生三十人中自転車通学は一人しかいなくて、自分をはじめ残りの生徒は、全て歩きであり、自分の場合、寮から学校まで毎日四十五分かけて通学した。
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曇り空ながら風もないので海岸から一kmほどの沖合い小さな漁船があちらに二~三隻こちらに数隻と固まって漁をしている。
船の後ろに網を垂らしているのもいるところからシラス漁だとわかる。多分船上では忙しいことと思うが、海岸から見る分にはいかにものんびりと、、、、
しかし、ときおりその中の一隻が急に波風を蹴立てて港に戻ってくるさまは、漁船レースのようにみえるが、痛みやすい小魚を一刻も早く届けたいというおもいからであろうか。
港に戻ってみると岸壁につけた船から、コンテナーに入ったシラスをその場で競りにかけているようで10人ほどの人が周りを取り囲んでいた。
それにしても、先日の新聞では黒潮大蛇行でシラスが獲れなくなっていると書いてあったが、大蛇行は収まったのだろうか、、、、
こんなに獲りすぎては、シラスの成魚の鰯に影響がないないのだろうかなどと考えていながら、漁協に行って生シラスを買ってかえる。
先日貰った山葵をすりおろし、ご飯に載せて醤油をすこしかければぜいたくぜいたくの声が出てしまう。
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周りをコスモスに囲まれて悦に入っているような雰囲気がおかしかった。
十二月に入ってまだ霜も降るほど気温が下がっていないので、枯れてはいないのだが夏と秋が同居している風景も暖国ならではの景色であろう。
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今日静岡市は”防災の日」と言うことで、各家の門ごとに黄色い旗を出して、家族の無事を知らせるとともに、集合場所に集まることを町内会から要請された。
実際に地震などが起きた場合の訓練になるのかどうか分からないが、今年は自分が出る日だと連れ合いに言われて集合場所に行ってみたが、女性と違って男は参加者も少ないし、日ごろの付き合いもほとんどないため知らない顔が大半、、、
言われたとおり、参加者名簿に署名して帰ってきた。
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「あすこんちの子は飛ぶんだもんね」と聞いたときは、どう解釈したらよいのか分からなかった。
静岡に来た当初それまで聞いたことのない言葉をいくつか耳にした。
全国から人が集まっていた鉱山町で育ったため、いろんな土地言葉は耳にしてきたが、初めて聞いた言葉の中でいくつかどう解釈していいか分からなかったもののはこのほかに「おだっくい」「空を使う」「ちんぶりかく」「ぶそくる」ぼったっている」「ごせっぽい」「なりき」「みるい」などがあったが。
このなかで、一番困ったのは「おだっくい」であった。
面と向かって言われたときには、褒め言葉かけなし言葉か分からず、、、、その何年か前にアンデスの山中で現地の人に”トント”って言われたら毅然として怒れという言葉を思い出していた。
結局、飛ぶという言葉は走るという意味のことだと分かったのは、それからしばらくしてからのことだったが、静岡の人は自分の言葉が標準語だと信じている人が非常に多いことであった。
そのため、自分に向かって「あんたは訛っているね」といったので、「そういうあんたも訛っているよ」といったら「うそ どこが」とのたまわった。
標準語とは、明治になって全国共通の言葉を話すため造られた言葉なので、江戸っ子だって訛っており、訛りのない標準語を話す人はいない。
今日、十二月二日は静岡県市町駅伝大会が開かれ、各市町の代表が市内を跳んで覇を競った。
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