七草
裏の空き地にフキノトウがかわいらしい蕾を付け出しているのをみつけた。
十数年も前山から採ってきた蕗の根っこを埋めておいたものだが、日陰の土地ながらけなげに命を永らえて範囲を広げてきているもので、春になるとときどき食膳にあがるようになっている。
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きみがため 春の野に出でて 若菜摘む
わが衣でに 雪は降りつつ 光孝天皇(830~887)
平安字代真っ盛りのころの天皇の歌である。
まさか、この歌のように天皇自らが若菜摘みに出かけたことはないと思う。
今日は七草。このころすでに上流 貴族階級で始められた風習で、一般に七草かゆを食べだしたのは江戸時代に入ってからのことだそうだ。
そして、わが家では静岡に来てからのことである。
雪深い飛騨の山奥では、今ごろ少なくても雪が積もり、七草なんて捜しようも無い。
あえて手に入るものとしては、畑に立てた四~五mの棒の下にあるスズナ スズシロ(蕪や大根)くらいしか手に入らない。
ただ、毎日のように食べさせられた、数の子 黒豆 田つくりで飽きが来ていた口に御粥は新鮮である。
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コメント
岡崎在住さま
あのころの鰤は美味かったよね。
太平洋側の鰤は、養殖ハマチのせいか、油ばっかりのぶよぶよって感じ。
まるで、私の腹みたいで美味いと思えない。
昭和33年は雪が早くて栃洞で10月半ばに振り出して、12月は根雪だったのを覚えています。
あのころはいまより寒かったのかな?
投稿: オラケタル | 2018年1月 9日 (火) 21時20分
栃洞の大晦日は、オランドコの父ちゃんが、「寒ブリ」を家族分(7枚)七輪で焼いておったのを思い出すな。そうそう富山の「寒ブリ」は分厚かったにけな。また、油が多いもんで、煙たかったな。12月はまんだ雪は少なくて、裏庭で焼いておった気がするな。1月、2月になると、裏庭は雪で埋まっておったな。(笑)
投稿: 岡崎在住 | 2018年1月 8日 (月) 21時41分