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2018年5月31日 (木)

浜昼顔ポツポツと

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畑のニンニクを掘った後に何を植えようかと種屋に行ってみた。

そのついでにそばにある大浜海岸まで行ってみると、浜昼顔の花がポツポツと咲き出していた。

淡いピンクの花びらの中央に放射状の白い筋を走らせて、、、、

ヒルガオと同じ仲間だと言うが、ハート型の葉っぱ艶々と光らせているさまはまるで別種のようだが、塩気の多い海岸の砂地に合わせて変化したしたようだ。

花言葉を見ると絆、友情、交誼とあるが何処からとって来たのだろうか。

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a今日テレビを見ていたら、森友学園の文書改ざん事件で訴えられていた佐川元理財局長を大阪地検が不起訴と決めたことがテロップで流れた。

検察庁も忖度したのかと目を疑った。

これで、公務員は文章を改ざんしても罪にはならないとお墨付きを与えたようなものだから、今後日本の公文書は信用できないのが当たり前と言う事態に陥ってしまったも同然であろう。

話しは少々ずれるが籠池氏が保釈されたあと「これは国策拘留だ」と言った話しにも通じるものがありゃせんか、という気にもなる。

とにかく、権力者になると、何でもまかり通る世の中になること請け合いだ。

最近よく聞く話しの中で、野党が森友、加計ばっかりを抗議しているが、もっと重要な国会本来の審議をして欲しいと言う声を聞く。

しかし、森友、加計の問題に真摯に答えようとしない首相や麻生大臣の姿勢がそうさせていることを知らなければならない。のだが、、、。

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2018年5月30日 (水)

美しいけんど

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カタバミの仲間でオキザリスというきれいな花がある。

薄い紫や黄色などがあるが、カタバミの仲間だけあって一度生えたらなかなか絶えることが無いので始末に困る草である。

カタバミは古代から人間の近くの荒れ地に根付いていたようで、一見かわいらしい花とたおやかな花の印象から注目されていたようで、その葉の形を紋所として使われてきた。

そして、自分たちが子供のころ、食べるものが無い時代だったのでその葉を口にしたが、淡い酢っぱ味が良くて少量ではあったが、、、、、、

ただ、最近になって園芸品種として入ってきたようでその種類は豊富にあり、黄色からピンクなど数限りなくあるようだ。

この草が野生化して農作業の邪魔になるため除草しているのだが、茎がすぐ抜けて下の根をからすことができないし、草の下の球根とその下の大根のような根を掘って取らないと除草したことにはならないほど生命力が強い。

こんな草であるが、インターネットで検索すると育て方が載っている。

絶やすに苦労している草をなんで?と言うのが正直な感想である。

植えたら拡散しないようにすると言うのが外来生物の扱いであろうに。

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2018年5月28日 (月)

梅雨前線北上中

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畦道に咲く庭石菖の花。

草たけ十~十五センチ程度しかなく、花の大きさも五ミリほどの小さな花だが、人に踏まれるのはもとより耕運機の歯に削られようがしぶとく生き残って白い花弁を広げている。

この草も明治になって入ってきた植物らしいが、アヤメの仲間だろ言うのは、花の形から容易に想像がつく、、、、

とにかく小さな草だけに見落とされているが、かわいらしい花である。

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九州北部まで梅雨前線が上がってきたそうで、昨年より二十三日も早いそうだ。

昨年は例年よりかなり遅かったのでしかたが無いがそれでも、例年より早い梅雨入りとなり、この調子だと静岡は六月のはじめあたりが梅雨入りになるのではないかと言われている。

”さくら前線前線北上中”というのはなんだかうきうきするが”梅雨前線北上中”と言われると気が滅入ってくるのは避けられない。

しかし、雨は農作物にとって不可欠なものであり、ここしばらく雨が降っていなかったので毎日畑に行って水遣りをしていたが、大きな田んぼに比べれは屁でもないことだが、手間が省けることになる。

またこの予報を聞いて、梅雨入り前の行事としてやってきた裏の川の雑草を刈り取るため、梯子をかけて降りた。

一年ぶりの川掃除は、すすきを初めいろんな雑草がコンクリートブロックの隙間に硬く根を張り、その根を取ろうとすると目地まではがれてくるので始末に苦労する。

約三十mほどの壁を一時間ほどかけての草取りは、蒸し暑い気候もあって下着を汗まみれにしてようやく終えた。

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2018年5月27日 (日)

六つ子を連れて

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何処から入ってきたのかわからない。

周りを家で囲まれた住宅地内の三面張りの水路なのにカルガモが雛を連れて入ってきていた。

ここ三日間ほどの間に生まれたばかりのように見える雛が親鳥の後ろを一列になってついていく。

昨日、大きな青大将がいて、毎日のようにカラスが鳴いている水路のなかに、、、

最近増えたとはいえ爆発的な増え方をしていないところを見ると、この雛たちの前途にはかなりの危険がはらんでいるはず、、、、決して楽観できるものではないだろうが、こういう姿を見ると心が和んでくる。

六つ子の雛の前途に幸多かれと

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2018年5月25日 (金)

白い睡蓮

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睡蓮の花が水辺に浮かび風に揺らされている。

赤い花はともかく、白い花はただ寂しげに見えるのは、気持ちが重なっているからであろうか。

この花、夜になって閉じるため再び花が開くのが遅く、未草とも呼ばれるのは、昔の時刻表示で午後になってようやく開くと言う意味があるそうだ。

実際にはそんなに遅くないのだが朝寝坊な花である。

ともあれ、三度開くとお仕舞いというから、まさに”花の命は短くて”といったところである。

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最近の話題はアメフトのルール違反から発した日大の対応をテレビ各社が袋叩きにしているが、一人で記者会見をしたアメフト部員に対してあまりにもお粗末な対応しかできない指導者と言われるおとなの会見。

自分の身を守ることだけに汲々しているさまは見苦しいが、これは長年にわたって実につけた知恵であろう。

今日も学長と言う人が出てきたが、見ていて何のために出て来たのか判らなかった、、、理事長と言われる人も別にいるらしいが、この人が出れば、服装と言い態度と言い世間ばなれをしているので、さらに一悶着起きること請け合いの御仁のようだ。

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2018年5月23日 (水)

Grai Skies

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杉苔の胞子がまるで気球のように空に向かって伸びている。

といっても地面から立ち上がることも無い苔なので、せいぜいが5cmもあれば高いほうである。

”一寸の虫にも五分の魂”と気張っていても、何時まで経ってもうだつの上がらない自分らの人生に重ね合わせて、、、、

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今日は空のように気持ちが GRAY SKIESである。

若いころの友達と言うか戦友みたいだった渡邉章さんが亡くなった。と言う知らせが入った。

彼と一番初めに会ったのは、中学でて高校通学のために入った美山寮という寮のそばのグラウンドで、親元を離れたばかりの自分に声をかけてくれた近所の社宅に住んでいた一級年上の仲間の一人だった。

以来二十三年間、鉱山で働いている間、労働組合の書記に就職した彼とはつかず離れずながら付き合いが続いた。

皮肉屋で毒舌家ではあった彼の言葉は時には耳が痛くなるようなときもあったが、組合運動や社会党などを通じて何かと接触があり、鉱山を離れてからも年賀状の付き合いは続いた。

最後に会ったのは十年前自分の先祖が代々住んでいた笈破のまつりである。

その後、一度ゆっくりと話したいということもあって、昨年夏に訪れてみたが留守だった。

そして、今年の年賀状には昨年ガンの手術をし、いま全身にまわったガンの抗がん剤の副作用に苦しんでいると言うのが最後になってしまった。

多分自分が訪れたときに入院でもしていたのだろうか、と思うと残念である。

しかし、なぜこの歳になって全身に転移した時点で手術をしたのだろうか、すこしでも良くなるとか、寿命が延びるとかを期待したのだろうか、、、、、

この歳になれば手術が身体に大きな負担になると思うし、抗がん剤の苦しみは大変だったと思う。

年賀状の最後に子供たちが世話してくれた北海道旅行の写真が切なく見える。

次から次へと訃報が届き、知り合い友達が減っていく。

いずれ行く道であるが、、、、、、、、、、

先立った人に月並みに”冥福を祈る”と言う言葉しかない。

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2018年5月21日 (月)

小満

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田んぼに写った富士山をかき消そうと

今日は小満。

”万物盈満すれば草木枝葉茂なり”と難しい説明があったが簡単に言えば春になって草木も勢いを増してきたと言うことか、、、、もうひとつの説明には小麦が穂をつけて順調に育っているのを見てちょっとホッとしたという意味だと言う説もあった。

それでは、大満というのはあるのだろうか。何時のころだろうか。

富士宮の狩宿あたりの田んぼはすでに田植えの終わったところとまだ代掻きをしているところがあり、田んぼの区画でパッチ模様のような状態を呈している。

田植えは年々速くなっている傾向があるが自分の周りの麻機田んぼではまだ見かけることがない。

しかし、田植えが高冷地から次第に降りてくるのは夏が短いためのようで、まだ冷たい水を温めるのに苦労しているようだ。

今日も今日とて、暇人は日曜を避けて出かけてみた、そして、車で通りすがりに代掻きをしている人を見かけたので、断って畦道を通らせてもらった。

カメラを向けているとはじめは意識しているようだったが、そのうち気にしなくなったので何枚か写させてもらい、少し話しをして車に戻った。

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イギリスの皇室で王子の結婚式があり、従来のものと様式がずいぶんと違った格好で行なわれたとのことであった。

それは、妃になる人が黒人系のアメリカ人であることにも夜と思われるが、同じキリスト教でもイギリス国教会という独自の宗派を持つ国だが、アメリカの司祭が出てきたり、黒人系の歌い手がゴスペルを歌い、もっとも驚いたのはパーティーに招かれた200人ほどの人の中に王室関係者や各国の首脳がいなかった、ということだ。

イギリス王室は、先日も出産した妃を王子が出迎えに自動車で行き、生まれた子供ともども自宅まで運転して帰ったというニュースを見た。

その国それぞれの事情があるのだろうが、ヨーロッパの王室は国民と大差の無い生活を心がけているようだ。

それにたいして、日本の皇室で自動車を運転できる人がどれほどいるのだろうか。

ヨーロッパ皇室の映像を見て「うらやましい」とは思わないだろうか。

生まれてからずっとそんな環境で育った人はそれが当たり前と思っているかもしれないが、他所から入ってきた人は四六時中周りから見られていて気の休まることが無いのではないだろうか。

「楽は下にあり」と言う言葉をむかし聞いたことがあったが、、よかった よかった

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2018年5月20日 (日)

蚊には効果なし

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ドラキュラのモデルになった城

Img_0019朝テレビを見ていたらルーマニアを歩く番組をやっていた。

その中に吸血鬼ドラキュラ伯爵のモデルになった城と肖像画が出てきた。

吸血鬼と言えば、西洋ではにんにくと十字架が嫌いで、にんにくの首飾りと十字架をかざして悪魔祓いをするシーンを何度か映画などで見て来た。

悪魔祓いに十字架は判るが、にんにくはどうしてなのかと疑問を持っていたが、にんにくの殺菌作用とともに臭いを嫌うと言う意味もあったのかもしれないそうだ。

西洋に限らず日本でもやっとこの間まで、にんにくの臭いは一般家庭では嫌われてきた。

ただ、肉料理には不可欠なもので、肉を良く食べるようになってきてからずいぶんとにんにくの地位もあがり、すこしくらいの残り香は苦にされないようになってきた。

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いま、わが家はドラキュラから完全に守られている。
いわゆる、ドラキュラバスターってとこなんだろうな。

畑に植えていたにんにくの葉っぱが枯れて、採り入れ時になってきたため掘り起こして、軒下に吊るしているからである。

その数、六十個あまり、これだけあれば十字架は無いが、ちとやそっとのことで吸血鬼もばい菌も入ってこれまいといった感じである。

しかし、それだけ対策しているのに同じ吸血鬼である蚊には効果が無いようでにんにく干し中に今年初めてさされてしまった。

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さて、これだけの量が乾くとどう始末するかだが、さしづめしょうゆ漬け、焼きにんにくと、、、、、、、、それから、どうしよう。、

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2018年5月19日 (土)

柳に燕は

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早くも夏を思わせる蒸し暑い一日になってしまった。

池のほとりに立つ柳の木の下で涼もうかと近寄って行く道すがら不意に”胸の振り子”という大昔の歌がよぎってきた。

霧島昇のなんとも甘い歌声は子供のころ聞いたものだったが、いま思い出してもあのころの歌手の歌声は格調の高さを偲ばせてくれる。

”柳に燕は あなたと私 胸の振り子が鳴る鳴る 朝から今日も、、、”って、いま考えても自分の親父世代の人たちが書いた歌とは思えないほどロマンチックである。

そんな世代が、どうしてあんな馬鹿げた戦争に国民を導いていったのか、なんだか明治から大正の時代に生まれた人たちのなかに、馬車馬のように目隠しをされて周りを見る余裕の無い硬派の人と、軟派な人の両極端な考えを持つ人たちがいて、硬派勇ましい風潮に世間一般が引きづられていたのではないだろうか。

ともあれ、土用の丑にはまだ間があったのだが、娘から電話があって「あなごや本店」に席を予約したからうなぎをご馳走するよって、、、、、、

暑さを予感して茹だっていたじいじは、否応も無く恵比須顔の二つ返事で出かけることにした。

静岡の名だたるうなぎ店の老舗で、坂東太郎と名付けたうなぎをいただく、やわかくて、たれも薄味でうなぎそのものを引き立てたうな重、 久しぶりの美味であり、いくつまで生きるのかわからないが、寿命が三年延びた思いである。

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2018年5月18日 (金)

竹笋生(竹の子生ず)

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a写真は真竹、早いものは五メートル以上に成長

暦の上では今の時期を”竹笋生”とあり、竹の子が生えてくるという時期になるそうだ。

最近では孟宗竹の竹の子が四月の終わりころ生えてくるので、季節が違うようだが、中国伝来の孟宗竹で無しに、日本古来の真竹やそれに続く葉竹(静岡ではハチコーと言う)の竹の子が生えだすのがいまである。

今日も今日とて暇人仲間が集まって「竹の子掘りにいかざあ~」ってんで、谷ひとつ隔てた山に向かった。

一週間ほど前に下見に行ったときには、まだ地表に顔を出したばかりのものをすこし掘っただけだったが、今日は違う。

竹やぶのあちこちに30センチ程度伸びた竹の子がずんずんと出ていた。

孟宗竹は地面から出るかどうかの時期が美味しいが、ハチコーは一㍍くらいに伸びていても、中身の先端がある部分だけを切り取っても美味しい。

アクが少なく、柔らかいのが取りえの竹の子は、手当たり次第鎌で上下を切り取って袋につめる。

持参した土嚢袋に薪ざっぽうのように詰め込んで帰れば、「こんなにいっぱい採ってきてどうすんの?」って叱られる。

「そうだよな」って言ったものの、採るときはそんなこと考えもしなかった。

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2018年5月17日 (木)

春の匂い

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ここ二~三日とても暑く感じられる日が続いている。

風薫る五月もそろそろ終わりになるのであろうか、吹き込む風に春の匂いを感じたことのある人はどのくらいいるだろうか。

自分が若いころ勤めた鉱山には1,200余mの山頂から、一番下の坑道まで約800mほどの高低差があり、その間いくつもの坑口があった。

そして、これだけ高低差があると気温の差のため夏は下の暖かい空気が上部の坑口に向けて吹き上がり、冬は冷たい上部の空気が下のほうに吹き降ろした。

春になって急に地表の空気が暖かくなると若葉の匂いを載せて吹き込んでくる空気を腹いっぱい吸い込むながら坑内から出てくるときの気分と言ったら、それこそ極楽気分になってしまうものである。

たぶん、今日みたいな日の午後三時仕事を終えて0m通洞坑口を歩いて出るときにこのかぐわしい風を感じているだろう。

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2018年5月16日 (水)

無駄?な花

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遠目には木の先端をうす紫に染めるほど密集して花を咲かせているセンダンの木。

花びらは十字の四弁花で中央が飛びだしている。

秋遅くまで白い実をつけているが、種が大きくて実が少ないのか、食べる鳥もいないようで、冬になると地面に落ちている。

そして、その実を食べる動物もまたいないようでいつまでもいつまでも転がったままである。

その実の発芽は稀なようで、センダンの木が何本も立ち並んでいる見たことが無い。

なんとも無駄な花なのであろうか。

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今アメフトのラフプレイというか、傷害事件といってもいいほどの後ろから関係の無い選手に後ろからタックルをして怪我をさせている画像が繰り返し流されている

「我々選手一同はスポーツマンシップに乗っ取り、正々堂々と戦います」というのは高校野球ばかりでなく選手宣誓にのときか有らずといっていいほど使われる言葉である。

スポーツというものは、、、って改めて言うほどのものではないが、ルールを決めそのルールに従って競技をしないと大怪我の元になる。

しかし、勝ちにこだわるあまりそのルールを自分の都合で逸脱したり、筋肉増強剤を使用したりしては元も子もない。

この騒動で、日大の監督は「自分に責任がある」と言ったとか言わなかったとか、、、とにかく、雲隠れして姿を見せないそうだ。

選手層の厚いチームに有っては監督のご意向は絶大なものがあり、その意向次第では選手として出場できるかできないかとなると、言うことを聞かざるを得ない。

これは、日大ばかりでなく先のレスリングで伊調選手がこうむったパワハラやその前に起きた柔道界の出来事に通用するものがある。

まるで、政府の不祥事の際、「任命責任は自分にある」と言いながら、その責任を取ろうともしないのを見習っているようだ。

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2018年5月14日 (月)

一瞬の輝き

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Img_0020夕方から振り出していた雨も日の出前には上がり、すっきりとした青空をのぞかせていた。

そして、朝日は庭の山茶花の水滴に当たりまぶしい第二の太陽を作り出している

この水滴も日が当たりだしてすぐに蒸発して消えていくため、二分とは持たない短い寿命である。

刹那的なるが故の美しさか、、、、

古への英雄、豊臣秀吉も「露と落ち 露と消えにし わが命 難波のことも夢のまた夢”と辞世の句に歌ったそうだが、儚い露を人生にたとえた歌はほかにもある。

しかし、一瞬でもいいから輝きたいと願うのも人間であり、ほかの生物はそんなことを考える余裕も無しに消えていくのが常である。

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2018年5月13日 (日)

水玉を膨らまかせて

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天気予報よりも早く雨雲が近づいてきたようで、十時過ぎから雨模様となり、いつもの暇人集会を解散して家に向かった。

庭先の南天はまだ蕾のままだが、粉糠雨を受けて水玉をあちこちに膨らませていた。

水玉はその向こうの景色をさかさまに映し出しているが、なんだかうつつの世界のような雰囲気を醸しだしていた。

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テレビによると、トランプ大統領は北朝鮮との首脳会議を前にして舞い上がってしまっているようだ。

たぶん、今までの歴代大統領がなしえなかったことが出来そうだということのみにであろう。

しかし、今まで何度も騙され続けられてきたかの国に、再び騙されるとは感じていないのだろうか。

かの国だって、自分の都合だけで長年にわたって築き上げてきた世界基準や同盟国との交渉を反古にしてしまう大統領との交渉に全幅の信頼を寄せているとは思えないからである。

そこには、従来の外交で培われた”狐と狸の化かしあい”などという高等な戦略でなくその場その場の思いつきや、一部支持者受けをする成果を誇示するための外交でしかない、と見ているのだが、、、、、、。

いずれにしろ、シンガポールでの会談はその後の世界情勢を変えるとは思えない。

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2018年5月12日 (土)

老人閑居して

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セッコクの花が朝の光を通して清らかに咲いている。

別名を長生蘭という東洋ランの仲間でこの花の愛らしさから古くからめでられていたようだ。

しかし、かっては何処にでもある平凡な花だと思っていたのだが、何時のころからか目につかなくなってしまっていた。

藁屋根などがなくなったせいか、野草を採取して商売にする人が増えたためかと思っていた。

この花は長野の義妹の家にあったのを持ってきて、増やしたものだが、むかし萱の屋根や木の幹にくっついて咲いているのを見ていたので根の部分を棕櫚の皮で包んで籠に入れておくという簡単な仕掛けで育ててみた。

すると肥料もやらないうえときどき水をかけるだけ成長し、今では五つに株分けするなど増え続けている。

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a今日も今日とて、われらが年寄りグループは真竹の竹の子採りに山に入った。

例年なら直径5~10センチほど高さ2~30センチのものがにょきにょきと出ているのだが、今年は芽を出したばかりのもの僅かしか見当たらない。

一昨日偵察に来たときもこんな具合だったので、、、と、仲間が言う。

「今年はやっぱしなんか変、、、」「変なのは竹の子ばっかでない、、頭もだよ」

そんなことを言いながらも”老人 閑居して山遊びをす”

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2018年5月11日 (金)

薔薇よりも

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Img_0020_2富士市広見公園に行ってきた。

新聞によると薔薇の花が今盛んとのことだったので、、、、、

行って見ると駐車場が一台分を残して満杯状態、「わしらみたいなものがいっぱいいるんだなあ、、、」なんて感心しながら。

階段を登り、薔薇の花が続く丘の上につくと正面に富士山がすこし霞みながら屹立していた。

今まで何回も来ているのだが、薔薇の花咲くときに富士山が見えたのははじめてである。

”君は薔薇より美しい、、、なんて歌がすっと浮かんだ。静岡市内にはこれだけの薔薇を管理する余裕は、、、場所は、、、ないようだがうらやましかった。

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多分市内の小学生だと思うが100人以上子供がはしゃぎ、、、走り回るが苦にならない。

そのうち、それぞれが茣蓙を敷いて木陰で弁当を食べるのを見ていると「おれもこんなときが有ったのだが、、、」と霞のかなたになったころを思い出そうとしたが何も思い浮かばないのは食べるものの無い時期だったせいかも、、、なんてこじつけている。

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広見公園でお昼まで過ごした後、折角ここまで来たのならと、市内の中央公園の薔薇も見ていかないと片手落ちになると寄ってみたが、ここは広見公園に比べるとそよ風も無く、薔薇の香りとともに場所によっては公園片隅のトイレの臭いが感じられて、、、、、、、ちょっと残念だった。

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2018年5月10日 (木)

お茶の入れ方を習う

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静岡に来たばかりのころ同僚だった男がお茶を飲みながら「茶色って言うけんど、どうしてこんな色を茶色っていうんかな?」という言葉に驚いた。

自分らにしてみれば子供のころから、囲炉裏の上に自在鍵でぶら下げられている鉄瓶に入ったお茶は茶色そのものだったので、こんな考えを一度たりともしたことが無かった。

逆に、ペットボトルに入ったお茶が何時までも緑色っぽく、いつまでも変わらない色をしているほうが怪しげに見えたものだった。

そんなこんなで幾年もあちこちでお茶を出されたことがあったが、その中で一番美味しかったのは引佐町渋川の農家で出されたお茶に勝るものに出会ったことが無い。

農家のおかみさんが無造作に見えるような入れ方で出してくれたそのお茶は、ぬるめで色は勿論だったが鼻先をくすぐる香りもよく、喉越しにふわっとした感じがたまらず二杯目をすぐに頼んでしまった。

次は、春野町の宿で女将さんが出してくれたもの、、、、、、、

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そして先日、川根本町の茶茗館というところに立ち寄った折、「お茶の入れ方を教えます」と女性職員に誘われ二人で毛氈を敷いた座敷に入った。

川根本町のお茶といえば、茶所静岡県でも一番といっても良いくらいの茗茶の山地なので期待して入った。

まず、お茶道具一式を前にして熱い湯の入った器から、お湯を茶飲み茶碗に半分くらいいれすこし冷ましたところで、その湯をお茶の入った急須に入れ良しというまで待ってから茶碗に戻す。

そのさい、完全に出し切ってからお茶を飲むのであるが、かなり渋かったうえ香りも少なく自分の鼻では判別できなかった。

そのあと、二煎目は直接急須に入れて飲んでみたが、これが名にしおうお茶という感じしかしなかった。

しかし、指導してくれた女性は「美味しかった」という答えを希望しているのがありありとしていて、答えを求めてきた。

「まあ、入れ方は良くわかりましたが、体調もあってか一番美味かったとは言えませんね~」といって退出、、、、、

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2018年5月 9日 (水)

酔っ払いのたわごと

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Img_0020池のほとりの黄菖蒲は今日みたいな曇り空には映える。

黄菖蒲は虹の花といわれるほど花の色が沢山ある花菖蒲の中のひとつであるが、なんとなく青から紫系がおおいなかで、一線を画して別種のように扱われている。

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きのう、午後になって雨のため身の置き所が無くなった、と、近所にすむ知り合いが連休中に行ってきた栃木土産を持って尋ねてきた。

そんじゃあ、家にある酒の肴にしてと酒を酌み交わすことにした。

飲み始めると、最近に無く酒量がすすみ、どうでもいい話しで盛り上がったが、その中で、おばさん批判が吹き出る吹き出る、、、、、

運転ルールの欠如、外食でのマナーやトイレ問題まで、、、、

”赤信号 みんなで渡れば怖くない”と言う標語があったが、この人栃木からの帰り、サービスエリアのトイレ入ろうとしたら、おばさん連中がどやどやと入り込んでいて男性用トイレの前で列を作っていたそうで、はじめはトイレを間違えたのかと一瞬考えてしまったそうだ。

そのとき、大をしたかったのだが、おばさんの後ろに並ぶのがはばれて戻ってしまったとのこと、、、

「これってセクハラじゃねえ???」っていう。

「そうだね~、男が間違えて女性トイレに入れば大騒ぎになり、下手すると逮捕されかねないんだけど、女性の場合は許されるんだよな、、、」

「そういえば、むかし風呂の番台におじさんが座っていることがあって両方の着替えを見ることができたんだけど、、、」

「風呂の番台どころではないよ、三助という人は平気で女風呂に入れたそうだよ」

「いまじゃ女性用トイレでも男性が掃除に入れないんだろ?」「そうなんだろうね」

そして、八時過ぎになって右に左にと道路を大きく利用しながら帰っていった。

おりしも、九時からのニュースで麻生大臣が「セクハラ罪ってものはないんだ」っていう発言が物議をかもしている。といっていたけれど、逆セクハラも含めて法律を作ったらいいんじゃないかって、、、、、、、、、、

朧とした考えが頭をよぎった。

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2018年5月 7日 (月)

縺れ合って

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クロアゲハ

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ナガサキアゲハ

五月に入った途端、園芸種のつつじは終わりを迎えたようでここの生垣は一部分を残して花を散らしてしまっていた。

そのため、アゲハチョウは今のうちにと思ったかどうかは知らないが、この花に集まり、蝶合戦をはじめていた。

クロアゲハとナガサキアゲハ、種が違う揚羽蝶はたがいに追い払おうと縺れるように上空に上がったかと思うと隙を見つけて舞い降りては蜜を吸い、また縺れる。

みんな仲良く蜜を吸えばよいのにと思うが、相手が吸うのを我慢できないようで邪魔するかのようにもつれ合う。

お互い牙や爪を持っていないのでよそ目にはじゃれあっているかのようにしか見えないが当の蝶たちにしてみれば真剣なのにちがいない。

人間の争いも宇宙規模で見ればなんともチッチャイことかもしれないが、当の本人たちにしてみれば、蝶同士の争いと違って相手どころか自分まで死滅させてしまう可能性があるところが馬鹿馬鹿しい。

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2018年5月 6日 (日)

ようやく終わった

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長かったゴールデンウイークも一段落した。

半ばに荒れた日もあったが、まずまずの天気だったのではなかっただろうか。

ただ、荒れた日を除いていずれも快晴のよい天気だったので、年甲斐も無くそわそわと何処かへ出かけたい気分に誘われたが、観光地は何処も人ごみが激しく、渋滞や行列嫌いの我がままじいさんは二の足を踏んでしまう。

それでも、、、と、出かけた先が藤枝の玉露の里。長屋門の入り口で手もみ茶の実演があり、それを眺めることしばし、、、、

自分より年配と見られる人の熟練の手さばきを見入ってしまった。

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2018年5月 5日 (土)

空飛ぶ鯉はいない

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今日は端午の節句、空はすっきりと晴れ上がり心地よい風が吹き渡る。

古来子供の日には、勇ましい人形飾りや鯉のぼりが、、、、、のはずだが。

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自分たちが子供のころ、兄弟が平均5人はいたと思う。

戦争中は男を戦地に送るため埋めよ増やせよと言う号令の下、十人以上の兄弟を持つ家さえあった。

そのため、小さな集落でも賑やかな子供の声がそこかしこで聞こえていたものだった。,

今日の新聞によると、日本ではこの三十七年間子供数が減り続けているそうで、最近では一年あたり百万人を切るほどにまでさがり、十四歳以下の子供は人口の12、3%しか居ないとのこと、、、。

自分が住んでいる町内は二十軒になるが子供と言えば小学生が一人居るだけ、あとは爺婆の二人っきりの所帯が半分となり静かなことこの上も無い。

したがって、鯉のぼりは目の届く限り見ることができない。

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せっかくの祝日、心から祝ってあげたいが、自分の周りには、、、、居ない。

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2018年5月 3日 (木)

野中の薔薇

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童は見たり 野中の薔薇

Img_0021「野ばら」と言う歌の出だしだが、シューベルトとウエルナーの二つの曲があるのを知ったのは中学になってからである。

はじめは、二つの曲に同じ詩を載せたのかとさえ思ったが、逆で作詞は文豪ゲーテ度と知って驚いたものだった。

(日本にも北原白秋の砂山という詩に中山晋平と山田耕作が別な曲をつけているように)

自分の散歩コースの大半を占める麻機田んぼの回り道。

最近、遊水地のため県に買い上げられた土地や耕作が放棄された農地が多くなって原野に帰りつつある。

その中でかなり勢力を伸ばしつつあるのが野茨(野ばら)であり、これからあちこちに野ばらが白い花を群生させていくようになる。

こうしたなかに、稀ではあるが桃色がかった花も見受けることができる。

たぶん、こんな花を品種改良して、いまでは花の姿も色も数限りなく咲かせている薔薇ができたと思うのだがどうなんだろう。

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今日は憲法発布記念日。

敗戦により天皇を中心とする大日本帝国憲法が廃され国民を主体とする日本国憲法に変わった日である。

それから七十年余、一語たりとも変えることなく守られてきた憲法であったが、右翼保守系の人たちがむかしの憲法を懐かしがり憲法を変えようと言う運動を進めてきた。

そして、ここ二回の選挙で憲法が変えられる国会議員の数を2/3以上としたため勢いを増してきた。

できてから七十年も経つと世の中変わりようについていくのは難しいと言うことは誰しも判っていることと思うが、この憲法があったからこそ日本はこの間戦争に巻き込まれずに来たのだと思う。

しかるに、森友学園の教育勅語に感動するような安倍首相をはじめとする日本会議など右翼的な人たちの下での改憲は危うさばかりが先走って反対の声を上げなくてはなるまい。

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2018年5月 2日 (水)

八十八夜

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粟が岳に茶の木で大きく書かれた「茶」

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茶の芽も萌え出て摘みごろに

今日は立春から数えて八十八日目、年によって違うが新茶の初摘みの日であり、この日摘んだお茶を知り合いに配るのが静岡流だそうだ。

と、言うことも有って長野と愛知に200グラム入りのたとう紙入ったものを送った。

お茶の難しいところは、知っている人でないとその価値がわかってもらえないので、番茶程度しか知らない人に送っても、、、、というところがある。

静岡ではおもに煎茶が”お茶”といわれているが、玉露や番茶、ほうじ茶、そして、ほかの草を使ったものなど多種多様である。

その、むかしお茶は薬として高価なものだったようで、中国にわたった僧侶などによって日本にもたらされたころは、庶民には手の届かないものだったようだ。

いま自分が飲んでいるのは、安倍川筋のいわゆる本山茶といわれるもので、毎年知り合いが、10kgほどを何回かに分けて持ってきてくれる。

そのため、毎日欠かしたことなく飲んでいるのは「お茶はその日の難逃れ」「朝茶は七里帰っても飲め」といわれたことにもあるのかもしれない。

とにかく、お茶と味噌汁は三度三度の食事かかせないものであり、この歳まで何度も難を逃れ、比較的健康を保ってきたのは日本古来の飲み物のおかげと信じている。

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2018年5月 1日 (火)

MAYDAY

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この花、松葉雲蘭という。

名前の様子や花からは外来種には見えないが、日本に入ってきたのは1941年と言うから戦争中?らしい。ただ自分がこの花を意識したのは十年~十五年くらい前でしかない。

しかし、そのあとはあちこちで見かけるようになり今では雑草扱い、、、、さすがに外来種の底力と感心している。

細い茎の先に小さな青紫色の花をいくつもつけて風に揺られているさまは、将来ネモフィラなどを負かすかもしれない、、、、てなこたぁは無いだろうが集団で咲くさまはきれいである。

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#晴れた五月の青空を 歌声高く響かせて、、、、、、

五月一日、この歌を歌いながらデモ行進したのは今から六十年ほどむかしのこと。

当時労働運動は、むかし陸軍いま総評と言われたくらい高揚していた時期であり、戦後の回復期とともに将来が明るく見えた時代でもあった。

もっとも、デモ行進に参加した大きな理由のひとつは解散したあと、職場ごとに分かれて”山行き”と称する飲み会であり、心地よい春風の吹く中、賃上げなどを中心とする春闘や鉱山四柱神社の祭礼などの余韻を覚ます目的もあったと思っている。

そういえば、当時天皇制には比較的批判もあり、祝日にもかかわらずこの日を休まないで、メーデーを休みにしていたくらいで、郵政や林野などの組合が休んで参加していたことを不思議に思っていたくらいだった。

ともあれ、鉱山を退職した昭和五十三年を持ってメーデーに参加することが無くなったが、先年、駿府公園で見たメーデーは哀れの一言であった。

そして、賃上げさえ自力で出来なくなった連合が主催する早めのメーデーは、、、、、、MAYDAYではない

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