MAYDAY
名前の様子や花からは外来種には見えないが、日本に入ってきたのは1941年と言うから戦争中?らしい。ただ自分がこの花を意識したのは十年~十五年くらい前でしかない。
しかし、そのあとはあちこちで見かけるようになり今では雑草扱い、、、、さすがに外来種の底力と感心している。
細い茎の先に小さな青紫色の花をいくつもつけて風に揺られているさまは、将来ネモフィラなどを負かすかもしれない、、、、てなこたぁは無いだろうが集団で咲くさまはきれいである。
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#晴れた五月の青空を 歌声高く響かせて、、、、、、
五月一日、この歌を歌いながらデモ行進したのは今から六十年ほどむかしのこと。
当時労働運動は、むかし陸軍いま総評と言われたくらい高揚していた時期であり、戦後の回復期とともに将来が明るく見えた時代でもあった。
もっとも、デモ行進に参加した大きな理由のひとつは解散したあと、職場ごとに分かれて”山行き”と称する飲み会であり、心地よい春風の吹く中、賃上げなどを中心とする春闘や鉱山四柱神社の祭礼などの余韻を覚ます目的もあったと思っている。
そういえば、当時天皇制には比較的批判もあり、祝日にもかかわらずこの日を休まないで、メーデーを休みにしていたくらいで、郵政や林野などの組合が休んで参加していたことを不思議に思っていたくらいだった。
ともあれ、鉱山を退職した昭和五十三年を持ってメーデーに参加することが無くなったが、先年、駿府公園で見たメーデーは哀れの一言であった。
そして、賃上げさえ自力で出来なくなった連合が主催する早めのメーデーは、、、、、、MAYDAYではない
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