柳に燕は
池のほとりに立つ柳の木の下で涼もうかと近寄って行く道すがら不意に”胸の振り子”という大昔の歌がよぎってきた。
霧島昇のなんとも甘い歌声は子供のころ聞いたものだったが、いま思い出してもあのころの歌手の歌声は格調の高さを偲ばせてくれる。
”柳に燕は あなたと私 胸の振り子が鳴る鳴る 朝から今日も、、、”って、いま考えても自分の親父世代の人たちが書いた歌とは思えないほどロマンチックである。
そんな世代が、どうしてあんな馬鹿げた戦争に国民を導いていったのか、なんだか明治から大正の時代に生まれた人たちのなかに、馬車馬のように目隠しをされて周りを見る余裕の無い硬派の人と、軟派な人の両極端な考えを持つ人たちがいて、硬派勇ましい風潮に世間一般が引きづられていたのではないだろうか。
ともあれ、土用の丑にはまだ間があったのだが、娘から電話があって「あなごや本店」に席を予約したからうなぎをご馳走するよって、、、、、、
暑さを予感して茹だっていたじいじは、否応も無く恵比須顔の二つ返事で出かけることにした。
静岡の名だたるうなぎ店の老舗で、坂東太郎と名付けたうなぎをいただく、やわかくて、たれも薄味でうなぎそのものを引き立てたうな重、 久しぶりの美味であり、いくつまで生きるのかわからないが、寿命が三年延びた思いである。
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