逃げ場の無い暑さ
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差し渡し1mm程度の小さな花ながら、黄色い雄しべが目立つ花で花を見ているとなんだか檜扇のようにも見えて、こちらから名前を取ったのかともおもえる。
そして、昆虫には人気があるようで、幾種類もの虫が花に取り付いているところを見ると、平安貴族を手玉に取った女房にも見えてきた。
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午後九時過ぎ、台風十二号は御前崎の沖を通過中とのこと。
夕方になって、自動車を避難させ、雨戸も閉めて万全と言えるかどうかわからないが、いつも以上に警戒態勢をとっている。
無線による警報は、自分の住んでいる地域に避難準備警報を出したと言っている。
しかし、いまのところ予想を裏切って雨はそんなに降らないで風が息をするように時々激しく吹く程度でしかない。
今回の台風は、東から西に向かうので経験した事がない台風になりそうだと言う。たしかに、いつもなら台風一過で急速に収まるのだが、今回は台風が去ってからも雨は止みそうもないことは明らかなのであるが、それ以外どんなことが予想されるのか何も言っていない。
警報の出し方も、何でもかんでも出しておけば後から文句を言われないという、いかにもお役所仕事、責任逃れとしか写らないのだが、、、、、、
はてさて
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明日早々に台風の先陣を切って大雨が降るというのに、西の空は晴れているようで、夕焼け雲がどす黒い感じで西の山を染めていた。
今回の台風はいつものように西から来て東に抜けるという通常コースとは違い、東から来るため西の空が晴れているためと見られる。
気象庁は経験したことのないコースなので、、、と警戒感をあらわにしているが、あまり何度も驚かしていると、、、、でも仕方が無いのかな~
とにかく、ベランダに掛けている日よけをたたみ物干し竿を下ろすなど、普段の台風ではしない処置をした。
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また文部省で高級官僚の不祥事が発生し、今回は収賄で二人が逮捕された。
先に逮捕された人は、息子の裏口入学で今日逮捕されたのはそれに付随して140万円の食事代などとされているが、実際は「それだけではないだろう」と思われる。
いずれにしても、天下り、退職金などを投げうってまでするだけの価値があったのだろうか。
官僚の最高職を前にしての自滅と言うにはあまりにも愚かな行為というしかない。し、肝心の息子も退学させられたとしたら、これから苦難の道を歩くしかない。
多分、学校を卒業し高級官僚の花道を歩くくらいの人は、勉強一筋で世間を知らず、周りからちやほやされて「自分は特別だ」と思っていたことがそうさせたのだろう。
結局大きな代償を払うことになったこれからの人生 お気の毒様
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あまりの暑さ続きに雨乞いでもしなければと言い合っていたが、今日は午後になって十二日ぶりに降り出した。
誰か霊験あらたかな行者様が雨乞いをしてくれたのだろうか。
それにしても、雨どいからこぼれるような降り方は、ちょっと度が過ぎているのだが、、、、、、、
従兄弟の子供(と言っても60歳に近い男だが、、)の見舞いで市立病院に行った帰りからぽつぽつと降り出していたものだったが、まるで、生ぬるいような水滴であり、こんな雨が降るようでは上空も相当暑いことをうかがわせるあめであった。
運がよいと言うか、バスを降りて家に入った途端本格的に降りだしたものの、気温は一向に下がらずエアコンは入れっぱなしで夜を迎えた。
そして、南方で今日発生した台風は今度の日曜日当たり静岡を中心とした地方に上陸をしそうだとテレビで報じていたが、これで暑さが収まってくれたらよいのだがと祈る一方で災害を伴うほど強烈でないのをいのるばかりである。
最近の気候は年々容赦の無いものに変わってきているので、、、、、、、
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a二年後のいま東京オリンピックが始まっていることと思うが、今年のような酷暑だとしたら果たして競技ができるのだろうかと思ってしまう。
競技する選手はもちろんだが、観客のほうにも熱中症が続出して救急車が走り回る大会として記憶されるに違いない。
前回の東京オリンピックは確か十月に入ってからだったように記憶しているが、今回この時期に出来なかったのは、アメリカの都合によると聞いた事がある。
なぜ一国の都合が優先されるのかと言うと、やはりテレビ収入など商業主義に蝕まれてしまったいまの体制あるというのを聞いた。
日本ではアスリート第一の大会などと美名に隠されているが、マラソンなど苛酷な競技では死者さえ出かねないことが予想される中、どんな対策で乗り切ろうとしているのかさっぱり判らない。
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今日は暦の上では”大暑”と言うことになっているが、それとたがわず日本各地は煮え立っており、熊谷では四十一度越えをはじめ各地で三十八度を越さないとベストテン(?)に入らないそうだ。
今年は、雨が降れば「経験したことのない降り方」晴れれば「命の危険がある猛暑になる」と極端な言葉で警告を受けている。
政治とともに、この先日本はもちろん世界がどうなっていくのだろうかと心配になってくる。
それにしても、こともなげにシャカシャカと啼く蝉は耳の内(難聴で)外で元気に歌っている。
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朝からの気温に負けて、「ひょっとしたら富士山麓の朝霧高原ならいくらかでも気分が晴れるかもしれないので行ってみようか」と言うことで出かけることにした。
内心では先日の長野経験から、日本中まっかっかの状態なので期待していないが、、、、、だった。
予想は当たった、エアコンの効いた自動車から外に出ればむっとした熱気が襲ってくる。
空は、この時期珍しく澄んでおり、雪が溶けて真っ黒になった富士山頂には剣が峰の観測小屋さえも見えるほど遠望が利いていた。
山梨との県境近くにある道の駅で、食事をし引き返して田貫湖まで引き返してくれば、地形の関係か時折さわやかな風が吹いてくる。
湖畔の東屋に腰掛ければどっと眠気が出てきたのでベンチに横になりすこしの間眠ってきた。
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十九日、昨日にまして暑い日になりそうな気配は真夜中からあった。
窓を開けると千曲川対岸の小諸市内とその上に浅間山が見えるはずなんだけれど、浅間は雲の中、、、いや、そのあたりにうっすらと、、、と思うのは見えて欲しいと言う願望が蜘蛛の形をそうさせるのか。
「牛に引かれて善光寺」で有名な布引の地に建つ布引温泉は値段の手ごろさと浅間山を真正面に見る高台にあり、これで四回目の泊まりとなる。
いままで、その絶景を全て見ることが出来たが、今回は残念、、、
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昨日、頑張ったおかげで農作業は無事終えることができたので、今日はもっぱら連れたちのお付き合い、まずは宿から八kmはなれた義妹の家で用意してくれたブルーベリー5kgを貰い、ついで十km以上はなれた従兄弟の家に行き野菜とトウモロコシ三箱、そして、立科町に戻りブルーベリー狩り、そして、収穫してしたままトラックの荷台に載せていたジャガイモを仕分けし、自動車に載せると小さな車は隙間無しの満杯状態になってしまった。
落語家の林家こん平のせりふに「知人友人からのお土産を一杯いただきましたが、まだ鞄には若干の余裕があります」と言っていたが、自分の自動車には積みきれないものが出てきて、積みきれないものを若干次に来るまでと言って置いてきた。
静岡への帰り道車載の温度計は、甲府盆地で三十七度を記録しており、息を止める思いで通過し、たどり着いたが、五時を過ぎても三十一度と、、、、、、
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薄紫と言ったらよいのだと思うが、適切に花の色を言い当てるのが難しく感じるヤナギランの花。
比較的高山と言われる地帯に咲いている。
高さは一㍍に達する一本の幹をスーッと立てて二~三十個の花をその周りにつけている。山が火事や水害などで荒れるといち早く咲き出すが、周りが安定してくるとほかの植物に負けて姿を消す。
したがって、毎年のように花を咲かせるには、そのような状態を維持しなくてはならない。
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十七日朝早く静岡を出発したのは、涼しいうちに長野に到着したいと言う気持ちからであった。
しかし、山梨県と長野県の県境を七時ころ通過した際の外の気温は二十三度であった。標高1,400mほどの高地で、この時間にこの温度は初めてである。
そして、標高600mほどの立科町は九時前に二十八度と、暑い厚いと騒いでいた静岡となんら変わりの無い気温になっていた。
湿度は幾分低いが、風も無くこの気温ではとても畠に入ってジャガイモ掘りなんてしていたら熱中症間違いなしと判断して、、、、、
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十八日朝四時半におきて、五時から畠に入る。
前日のテレビでは今日も暑くなると言う予報なので、その前にと入ったのだが気温は最低気温が二十度もあり嫌な予感を感じながら入る。
例年のように重機で掘るのだが、今年は連作障害か気候の関係か作柄が良くなく例年の半分くらいしか収穫が無い、しかし、ジャガイモが不作であっても掘り出す手間は同じであり、八時半くらいまで作業を続けたが、体力が急速に衰え、朝ごはんをかねて休むことにした。
九時過ぎようやく弟夫婦が来たのと、幾分風があるので十時から再度畠に入り十一時までにようやく終了したときには、性も根も尽き果てたような感じがして、大の字にのけぞって一眠りしてしまった。
起きてから来年もこの調子なら出来ないね、、、、、と言うのが感想。、
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むかし、飛騨の国は”下下の国”と言われたそうだが、その意味は高冷地にあって水が冷たくなかなか水稲を育てるには困難であり、米を上納することができなかっためであると聞いた。
そして現在、気温上昇と品種改良は当時とは様変わりして稲の限界点はどんどん北上していき、今では北海道の米が美味いと言う評判さえ聞くようになった。
そんなことを思いながら朝の散歩。
稲の先端に張った蜘蛛の巣は朝日をうけて輝いていて、一瞬獲物をしとめるための罠であることを忘れさせてくれる。
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昨日携帯電話にメールが入っていて「アマゾンの代金未払いについて、、」と言う文字が入っていた。
すぐさま新手の詐欺と見破り削除した。
なぜなら、つねに「藁ってニコニコ現金払い」しかしていないので、アマゾンはもとよりテレビショッピングなどしたかことが無いからだ。
これで、何度かでも携帯などを使って取引をしていれば「はて?」と考えて染むのだが、、、、、、、、、。
詐欺屋さんもとんだメールを送ったもんだと連れに言ったら、「そんなメールなら、わたしんとこには三年も前から来ている」だって、、、、、
お粗末でした。 ハイさようなら。
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連日の猛暑で寝つけられなかったのか、日の出の太陽はぼや~っとした顔つきで、東の空から顔を出し、同じように睡眠不足のムクゲを照らしている。
ムクゲの花は、すこし紫がかった一重の花なので、原種に近いものなのだろうが、どうも暑さ慣れしていないのか、、、、、、
生物が生き残っていくのは、強いからではなくいかに環境に順応できるからだと言う。
自分の人生の中でも、こんなに暑さが続くのはここ十年ほどのことであり、静岡の人に聞いても、気温が三十度を超える日は一年のうちでも数日しかなかったという。
ここ数日を限っても、三十度を下回った日が無く茹だっている自分なんかはエアコンが無ければ、、、、、つまり機械によって生かされているんではないかと思う昨今である。
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最近になって気象庁は「いままで経験のしたことが無いほどの、、、」と言う言葉をよく発するようになった。
そして、今回の西日本の豪雨災害にも何度もこの言葉を使っている。
この予報が出た日の夕方、東京では「赤坂自民亭」なるものが催され、安倍首相以下自民党幹部も出席して大宴会が行なわれたそうだ。
また翌日、カジノ法案の委員会に石井国土交通大臣が張り付いての審議が行なわれたそうだが、災害に一番重要な閣僚が、陣頭に立たず、と避難されたと聞く。
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aいまから、十数年前、ハワイ沖で愛媛丸がアメリカ潜水艦の急浮上で沈没させられた際、当時の森首相が一報が入った後もゴルフを続けたため退陣する羽目になった。
しかるに、森友学園ほかの不祥事を数多く起こしている安倍首相は蛙の面にションベンとばかり責任追及をかわしている。
自民党を絶対多数にしてしまった付けがでているのだが、これを先例として今後政治に責任を口にするだけで済ますことになるのではないかとおもう。
しかし、「猛き者もついには滅ぶと」平家物語にあるように、自民党もついには滅ぶのか、それとも国民が滅ぶのか、、、
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「ここまで来ると少しは涼しいかと思ってきたけんど、変わらないね」「そう 朝晩はこれでも涼しいんだけど、日中はどっこもおなじ、、」とのこと。
山葵畠発祥の地だというから、水の温度は低いのだけれど、暑い空気がしたから吹き上げてくるんだろうか。
轟々と激しい音をたてて急斜面を流れ下ってくる谷の流れにヒメヒオウギスイセンが良く映えて涼しげな雰囲気を出しているが、、、、、、、
天気予報はこのあと猛暑が続くのを予想しているが、これも、豪雨同様”五十年に一度の猛暑”と警報が出されかねない雰囲気になっている。
今日はいつもの場所に出かけ、みかんの木の下で涼もうとしたが、風に勢いが無く、もやっとした空気が漂っているばかり。
いまの日本何処に涼しいところがあろうや、、、、と。
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ヤブカラシの花に沢山のシロスジチョウが集まってパーティーを開いているような状況を目にした。
生命力が強く、畑や家の周りに生え出すとなかなか根絶やしにすることができなくて困るつる草で、その花もいたって小さくシンプルである。
そんな花のどこが良くて集まって来ているのかわからないが二十匹(蝶は頭でかぞえるらしいが)花に掴まっては飛び上がり、またつかまる。
なんだか、人間流に言うと「そこの喫茶店でお茶しませんか」とでも言っているかのよう、相手をとっかえひっかえ戯れていると、自然にカップルが成立するようで、メスのほうが尻を持ち上げてオスを誘い始めた。
何処の世界でもメスのほうが主導権を持っているようでオスはご機嫌取りに精を出すしかない。
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連日、湿気の強い猛暑で外に出たくないと身体が言う、雨が降れば散歩など行けるはずが無い。などとさまざまな理屈をつけてエアコンを入れた室内でお籠もりさんの毎日。
ただ、先日雨のために行かなかった畑では、キュウリが巨大化して食べにくくなってしまったので、畑だけは毎日行くようにしている。
大雨で被災した人々は、この猛暑の中片付け作業をしている映像を見るとただただ気の毒としか言う言葉しか無い。
ひるがえって食っちゃ寝~の自堕落な生活をしていると「いつか罰が当たる」んではないかと肝を冷やしているが、暑さに弱い自分は、、、、、、、、
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今年初めての月下美人の花が宵闇のはじまるころになって咲き出した。
長い間この日を待っていたかのように、十五個の蕾のうち十二個が固い蕾から純白のレースのような花びらと、舌のような雄しべと雌しべを見せてきた。
明日の朝までのまさに”花の命は短くて、、、」と言わんばかりの大輪の花である。
この花は十数年まえ、四国は愛媛から引っ越してきた人の置き土産、最初の出会いは彼が脳梗塞の後遺症で足を引きずりながら麻機周りを歩いていたとき話しかけたのが縁であった。
その後数年互いの家を行き来するまでの中になったが、彼の子供がアメリカ留学をすることになって愛媛に帰っていった。
そして、七年前に再度の脳梗塞で無くなったとの知らせが入った。
ちょうど、このように暑い季節だった。心なしか花の色も今宵は愁いを帯びているかのよう、、、、、、
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a西日本の豪雨災害の犠牲者の数は日を追って膨れ上がり留まるところを知らない。
テレビでよく聞いた言葉の中に「経験したことのない雨が降ります」や「五十年に一度の災害がでるおそれが、、、」などというのがあり、被災者がなぜこれらの情報を無視して動かなかったのかと言う報道もあった。
自分を含めて、とくに年寄りはいままでの経験から物事を判断し、警報は聞いてもいても自分のことと思いにくい面が多々あるのではないだろうか。
また、ひとつの問題点はしょっちゅう警報を出して「狼少年」のようになっていたきらいもありそうだ。
天気予報に関しては、晴れの予報が雨になるとお叱りを受けるが、雨の予報が晴れてもあまり文句が来ないと言うところから、天気の変化を悪目に言っておくということがあるのではないだろうか。
また、大雨注意報などでも行政区画で赤くしたり、黄色したりしているが、県境で雨の量が違うなんてことがあるはず無いことは誰でも知っていることであり、もっと決めの細かい予報が出さなければ、われわれが信用しないことぐらい、、、、、、、、あまり文句をいってもしようが無いか。
日ごろから、人の運命はどこかで決めれていると言う運命論者としては、、、
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朝四時すこし過ぎ、起きるにはまだ早いと思ったが尿意には勝てず、もう一眠りするつもりで外を見たら、異様に外が赤かった。
久しぶりの朝焼け! 眠気も吹っ飛んで外へ出てみると、あだ明けやらぬ雲と山の隙間がどす黒い血の色のように染まっている。
「朝焼けに川を越すな」のことわざもあるように一時の雲の隙間で、まだ雨雲が残っていて、今日も雨が降るのかなという感じさえさせる夜明けだった。
昼過ぎ関市に住む姉から電話が来た「家のすぐそばまで川の水が来て、怖かったよ」という。
テレビは関市の北、旧板取村の付近が豪雨に見舞われ川が氾濫したと言っていた。
すぐそばのひるがの高原あたりでは1,000mmを越す雨が降ったそうだから、あのあたりもそれに近い雨量だったのだろう。
五十年くらい前下呂のすこし南でバスが豪雨で川に流された事故があったが、やはりこういう天気だったのだろう。
地震 雷 火事 親父 そのむかし恐いものの順序であった。いま、親父の権威は下がったけれど、天災を前にすれば人の力は無に等しいものを感じさせられる。
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ここ三日ほど日本列島に居座り続ける梅雨前線からの豪雨は、各地に激しい被害をもたらしているようで、死者 行方不明者は合わせて百名にもならんとしているようだ。
今日のニュースでは、ふるさとの岐阜県でも1,000mmを越す雨が降った地域もあるとのこと、何とか人命にさわることの無いことを祈りたい。
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そのむかし、”土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればよい”と言う文句があり、土方に限らず戸外で働く人たちに言い換えて使われた。
日銭払いが主であった当時の職人はその日暮しの稼ぎは貯蓄にまで回すほどの賃金にもならず、当時は貧富の差が大きく先の希望が見えなくて自堕落になってしまう原因にもなっていた。
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昨日、オーム心理教の幹部で死刑判決の出ていた人のうち七人が一斉に処刑された。
自分の知る限りではこんなに大勢が一日で行なわれたのは初めてである。
どうして、こういう事態になったのだろうか。主犯である麻原死刑囚は当然であったろうが、他の死刑囚も同じ日と言うのはいかがなものかと思ってしまった。
これでは、昔流にいう赤穂四十七志と同様であり、ボスに対する殉死に近い形態になっているような気がする。
事件当時二十代から三十代にかけての青年がなぜこうしたオカルト宗教にのめりこみ周りが見えなくなっていったかと言う過程がわからないままだと言う話しは聞くに値すると思う。
人間形成がまだできていない時期、とくに、勉強一筋で来た若者には社会に出てはっとした瞬間に入った知識は真理のように写るというのは判る気がする。
自分も二十代はじめに見たマルクス論には感動した記憶があり、共産党には入らなかったが社会党左派くらいの思想にかぶれた時期があり、いまだに保守系と言われる考えに受け入れがたいものがある。
そして、まとめて死刑にしたことは、オーム心理教の思想が忘れられたころ、鎖国時代はじめに処刑されたキリスト教徒の長崎の二十六聖人や白虎隊にならって、2018年7月6日は七聖人の日なんていわれるのかもしれない。
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平安時代末期に後白河法皇というその時代のとてつもなく陰険な権力者がいたが、その法王が「自分の思い通りに成らないのはさいころの目と賀茂川の水と山法師」だったと嘆いたという話が残っている。
日本の最高権力者が、日本全体のことをそっちのけにして目の届くところにしか興味が無かった現われであろうか。
そして今日、豪雨と長雨により全国の河川とともに賀茂川もかなりの出水で濁流は堤防を越えそうな勢いを示している。
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昨夜来ときどき激しく降る雨の音に裏の川の状況が心配になり外に出てみたが思ったより水かさが低かった。
しかし、テレビの画面の左下に静岡県の降水量を示す画像を見ると、浜松から静岡市内にかけて赤い線がつながっていた。
「これが最近あちこちで集中豪雨を連続的に降らせる線状降水帯ってやつか」となると、これから大雨になるのかなと身構えて待っていた。
しかし、幸いなことに二時間もそんな状況が続いたのに雨の量はすくなく、気宇に終わった。
こんなときは、まるで先日批判した日本外交みたいに「自分のところだけは勘弁してください」と言う気持ちになったけれど、、、、
”とくダネ”の小倉メインキャスター達と違って、影響力はもちろん権力も何も無い身だから許してもらえるだろうか。
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昨日から日本海に入った台風は雨台風だと言われていたが、その割には雨が降らなかった。
しかし、台風の中心が能登沖から佐渡沖に向かう午後になって風がつよくなり、麻機のレンコン畑では大きな葉っぱが風にあおられて裏返し状態に、開花した花は花びらがもげてしまっている。
そのなかで、明日当たり開花するであろう大きな蕾はかなり首をかしげて耐えている。
三十センチほどに伸びた水田の稲は、目に見えない風をとらえて右に左に道筋を示していた。
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昨年、県立総合病院に入院する際、いろいろと書類を書かされた。
いわく、医療行為に対する同意書、緊急連絡先、そして保証人などなど、、、さすがに翁病院は面倒くさいことを書かせるもんだ、とおもっていた。
ところが、昨日の新聞によると医療機関の65%がこれ以上のことを要求し、場合によっては受け入れ拒否さえしているという。
その内容は、入院保証人、入院費の支払い者、緊急連絡先、債務保証、遺体遺品の引き取りなどがあるそうだ。
まったく世知辛い世の中になったというか、医療費などを払わない、もしくは払えない人が多いためだろうか、と思ってしまう。
しかし、身寄りの無い人などは入院を拒否されて野垂れ死にするしかなくなってしまうのだろうか、
憲法25条に国は社会福祉、釈迦保障、公衆衛生の向上の増進に努めなければならない。とあり、こんな風に寓されるとは書いてない。
裏返しの葉っぱを見ながら考えた、、
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明るい黄色の花の印象から見立てて名付けたらしい。
水引は日本独特のものだというのを聞いた事があるが、その結び方や色などで祝儀不祝儀の区別、結びを上向き下向きなどやはりかなり難しい作法があって面倒なものである。
しかし、野の花はそんなこと何処吹く風とそよいでいる。
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タイの北部の洞窟に入った少年たちが、折からの出水で十日間閉じ込めれあと、ようやく無事が確認された。
テレビで見る限りでは、よき指導者がいたらしく少年たちはかなり冷静に十日間を耐えてきている様子だが、もしこれがひ弱になった日本の少年だったら「どうなんだろうな」という気がしないでもない。
救出までまだ紆余曲折があると思うがひとまずは安心した。
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初めて就職した鉱山で坑内に入ったのは十八歳になったときだった。
労働基準法で坑内の仕事は十八歳以上の男子と決められているので、それを待って仕事についたと言うことである。
坑内で仕事する二日前に二年先輩のNさんが落盤事故で死亡するということもあり、「これから長い坑内勤務を無事勤められるかどうかわからない」と言う覚悟は持っていた。
そして、その後二十年に及ぶ坑内勤務の間何度か危険な目にはあったが、何とか切り抜けて現在に到っている。
ただ、坑内勤務の間何時落盤などで出てこれなくなったとき、少しでも身体に脂肪があれば持ちこたえられるのではないかと、朝ごはんは腹いっぱい食べて出かけるのが習慣になり、仕事をしなくなった今、必要以上にたべているようで、食べ過ぎた分が全て皮下脂肪として腹の周りに蓄えられれている。
周りの人はその腹を見て笑うが、「これは弁当だよ」って腹を叩いている。
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