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2018年8月30日 (木)

雲居の御殿

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#飛騨の神岡 雲居の御殿、、、と歌われるようにスーパーカミオカンデのある飛騨市の神岡は雲が立ち込めている。

久しぶりに墓掃除に帰った神岡は折からの雨のあと、山のさこさこから立ち上がる霧が雲となって空につながって行く。

懐かしの山 懐かしの川、姿は変わっていないが人は変わり、見知らぬ人ばかりしかいない、、、、いま浦島太郎といったところ。

むかし勤めた鉱山も様変わりし、「もう知った人は居ないよね」と連れがいう。

「当たり前だよ。鉱山を離れて四十年、そのときに入った人でも今居りゃ勤続四十年だもの、、、、」

本家にあたる従兄弟も今じゃ九十一歳になんなんとして、幾分ボケ気味だと息子は言い、話しはたびたび振り出しに戻る。

しかし、「ご飯は美味い」といい、血色は良い、この分ではまだまだしばらく顔を見ることが出来そうだ。

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細い縮れ麵のラーメンはつゆがたっぷり絡まり、いつになっても懐かしの味で変わらない。

宿は奥飛騨温泉を予約しているので、あわただしくあちこちを訪ねて、ふるさと滞在時間は五時間程度、、、

また次の機会に、早々の挨拶でふるさとを後にした。

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コメント

おばさま
よくふるさとは遠くにありて思うもの、、といいますが、あまり遠くなので、あと何回帰られるのかとおもうと、寂しさもまた一段と、、、、、

投稿: オラケタル | 2018年8月31日 (金) 16時37分

10年ひと昔って言いますね
40年 時間は流れて人は変わりお馴染みさんも
だんだん減って寂しさもありかしら
いつ行っても故郷は温かいのでしょうね
懐かしさが伝わってきました


投稿: おばさん | 2018年8月31日 (金) 13時13分

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