花ぞむかしの香に匂いける
a百人一首にこんな歌があった。
人はいざ 心も知らずふるさとは
花ぞむかしの 香に匂いける と
ふるさと神岡は鉱山の城下町であった。
そこには、先祖代々過ごし、自分も鉱山で二十一年勤めててきたのだが三十九歳のおり、なんとなく風に吹かれるようにして静岡に流れ着いた。
そして、「ふるさとはどんなところ」と聞かれるたびいろいろと説明してきたが、最近ではスーパーカミオカンデのある町だと答えている。
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お経の中に延命十句観音経という短いお経がある。
そのむかし、飛騨の神岡では他所ではまず例がないと思われる通夜の行事(?)があった。
一般といえるかどうか知らないが、通夜は遺族がいる中を通り挨拶と焼香をしてかえるのだが、神岡では参列者が定時に集まると二時間以上かけて西国三十三箇所御詠歌を唱えるのが慣わしであった。
あまり長いので中休みがあり町内会がお茶の接待などし、同級会は下足番などしていたが、通夜の最後は先の延命十句観音経を三度繰り返すので、この段になって「ようやく済んだ」と、ほっとしたものだった。
自分が神岡を離れて四十年、今ではこの風習も廃れてしまった。
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今日は娘の命日。
ここのところの定まりの無い天候のためふるさとへ帰り墓参りするのをためらって行かなかったので、仏壇の前で御詠歌を早口に唱え、延命十句観音経を唱えて偲んだ。
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