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2018年10月31日 (水)

着物を見せびらかしに

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秋も寒さを感じるころになると、きまってジョウビタキが庭にやってきて、小さな声でチッチッチッと啼く。

見れば、隣との境の塀にじっと立って上を見上げていた。

まるで、女の子が成人式の振袖を見せに来るような感じで「どう この色合い素敵でしょう?」といわんばかりに、、、、

こちらとしては年年歳歳花あい似たりではないが、どのジョウビタキも一緒に見えてしまい、どう返事してよいか分からない、、、、、

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今日は十月の晦日、西洋で盛んだといわれるハロウィンの日だそうだ。

軽薄短小の一部若者がこの日を利用して傍若無人な振る舞いをしているとワイドショーは各局とも放映していた。

ハロウインだクリスマスだバレンタイデーなどといって、その本質も知らず取り入れては大騒ぎをする。

混乱に乗じなければ騒ぐことも出来ないのか、仮面をかぶり仮装して自分が誰だわからないようにして、、、、

人がするから自分もしなければ不安を感じるのだろうか。

東京の人は行列があるとなんだかわからなくてもその後ろにくっついて並ぶというが、これも同じような心理なのだろう。

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2018年10月30日 (火)

文化遺産みたいに

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やっとこの間まで暑い暑いの連発であったがそれが懐かしく感じることさえある昨今である。

田んぼの稲も急速に稔らせて、はや稲刈をしてしまったのがほとんどになってしまった。

以前なら、大勢の人が田んぼに入って稲刈りをし、稲架にかけて、脱穀まで田んぼの中でしたため、しばらくこの流れの仕事を眺めることが出来たが、最近ではコンバインとやらであっという間に田んぼは切り株と細切れの稲が横たわってお終いになる。

稲刈りからあとの始末はその地方ごとに違いがあり、面白いものだったが、今では建物同様全国一様になって特徴がなくなってしまった。

そうした中で時たま夕日を浴びて藁ボッチを見たが、こんな風景もあとわずかなのであろうか。

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先日、市役所からの手紙を貰って耐震検査をしてもらった。

なにしろ、建築基準法が大きく変わった昭和56年以前の建物、ということで手紙が来たのだが、我が家はその11年前の建物なので、およそ五十年も経っていることになる。

官公庁の建物や道路橋などもこのくらい立つと老朽化が激しいと立て直すようだが、文化財でもないわが家も老朽化がいたるところに出ていることは言うまでも無い。

そんな建物だから良い結果が出るはずがないと思っていたら、市から委託を受けた一級建築士が見に来て、現在の建物を1とすると、その半分の0,5という数字が出た。

原因としては地盤が軟弱であること、屋根瓦なので重いということが大きな原因であり、震度六以上では危ういとのことであった。

そして、建築したあと建て増した部分に鉄骨が含まれるということで、耐震工事に市の補助は受けられないということだった。

つまり、地震が来たら倒壊した建物の下敷きになって死ねということらしい。

そのあと、慰めのようにこれは、今現在もっとも基準おたか建物に対してのはんだんであり、土台も鉄筋が入っていないが変形はないし、、、、、などとくどくどといって帰ったが、静岡県が進めるTOUKAI ゼロも掛け声だけなんだろうな。

自分らは前から言っていたように「地震で家がつぶれ、運よく助かったら家はそのままほったらかして長野にでも逃げていこう」

つぶれた家は文化遺産みたいに手をつけさせないで朽ちるまで、、、、

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2018年10月28日 (日)

忘年会?

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稲刈りの終わった田んぼにサギの仲間が集まっていた。コサギとチュウサギ、それにアマサギが入り混じって落穂でも拾っているかのようだ。

コサギとチュウサギは留鳥なので引き続きこの近くにいるのだろうが、アマサギは海を渡って避寒の旅に出ることになる。

なんだか見ていると別れの挨拶というか、忘年会でもしているように見えて仕方がない。

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さやけき空に架かる居待月はすこし欠けているとはいえ夏空の満月に匹敵するほどの明るさがあり、夜空の星星を隠している。

日本人は月の満ち欠けに敏感であったようで、新月から満月を経て次の新月になるまでさまざまな名前をつけて親しんできたが、満月から二日経た昨日は立待月といい、今日は居待月、明日は寝待月という。

つまり、月の出る時間が遅くなることから、立って待ち、座って待ち果ては寝て待つという順序になる。

そういえば、月の明るさのせいばかりでないが、夜空にかかる天の川を見なくなって何年たつのだろうか。

子供のころは、夜空を横断して淡い光の帯が見えたと思っている、、、いや、見えた!。

ヨーロッパではミルキーウエイというそうだが、40年余り前アンデスの山中で見たのが最後かもしれない。

そのくらい前のことで、長野でも見たことが無いということは、日本中何処でも同じかもしれない。

同じように、むかしともに働いた地上の星たちも次第に見えなくなった昨今,秋の寂しさは年毎に骨身に沁みるような気がする

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2018年10月26日 (金)

どうぞ

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「鳥さんたちどうぞ召し上がれ」と言わんばかりのクサギの実。

赤い苞を開いて、中の濃い青の実は完全に熟しきって美味しさを強調している。

若い葉っぱは虫の害を免れるために独特の臭みを漂わせているが、花と実はその虫や鳥を誘うため芳香を漂わせている。

なんだか、虫のいい話しに見えてくる。

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先日来マスコミを賑わわせているサウジアラビアのトルコ領事館での殺人事件。

本来自国民を守らなければならない公館で自国民を殺害するという異常事態が発生したようだ。

ロシアや中国などの大国も政権批判には殺害を持って口をつぐまさせるようだが、この事件の不思議さは、トルコによって完全といえるほどあけすけにされていることである。

トルコ自身もかなりの強権国花であるが、この事件を小出しに出しながら世界の反応を自分のところに有利になるように筋書きを書いている。

そこには、殺された人を哀悼する気持ちとか、報道の自由に対する配慮など一かけらも見えないことからも分かる。

”人の命は地球よりも重い”という迷言を言うつもりは無いが、もてあそぶのは如何なものか、、、、、、と

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2018年10月24日 (水)

本当に大丈夫?

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今年も山路のホトトギスが咲く季節になってきた。

この花は、かなり前に牧の原で自生していたものを移植したのだが、かなり丈夫な花で、その後長い間ほったらかしにしていても、絶えることなく毎年律儀に鼻を咲かせて居てくれる。

この花の名前の由来は、鳥の杜鵑の胸の模様に似た斑点を花びらに散らすことから名付けられたそうだが、そんなに似ているのかな?ってところが正直な感想である。

ホトトギスの仲間はいろいろとあるが、日本とその近辺のわずかな国にしかないと聞くと、なんだかありがたい花に見えてくるから不思議である。 

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台湾で、日本製の列車が高速で駅の構内を通過しようとしたとき、カーブを曲がりきれず脱線し、死者18名、負傷者を多数出してしまった。

原因は、運転手にあると報じられているが、ブレーキに不具合があったとような運転手の話などや最近日本で起きている一連のの不祥事を見ると、鉄道部門でも何か手抜きとかデーター改ざんなど不具合があったのではないかと気になってしまう。 

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2018年10月22日 (月)

海は広いな

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海は広いなおおっきいな 月が上るし日が沈む 

海にお舟を浮かばせて 行って見たいなよその国

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Img_0189そんな歌がふっと浮かぶような御前崎から見た富士山は、海に浮かんでいるようにも、空に溶け込もうとしているようにも見える。

先日の雪がなかなか溶けず残っているのは、その後強い風が吹かなかったを表している。

しかし、海岸には九月の台風で打ち上げられた砂が山盛りになっており、重機を入れて砂を片付けている。

いずれも、自然がなしたこと、われわれはじっと見つめていれば良い。

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2018年10月21日 (日)

物忘れ

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庭の片隅に茗荷を植えたのは何時のころだったか、、、、

今日見たら、ぽつんとひとつ狂い咲きの花を咲かせていた。

白いレースのように透き通った花びらを見なければ気がつかなかった。

親というか葉のほうは先日寒さがはいてから全て枯れ果てていたのに、、、、、

茗荷はわが家の家紋である。落語の”茗荷宿”でも知られるように、あまり食べ過ぎると物忘れをするという迷信があったが、香りといい、食べたときの歯切れの良いさくさく感といい、自分の好きな食べ物である。

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「沢田研二さん、あんたは偉いっ!」

7000人もお客が集まったのに満杯ではないと、公演の一時間前に中止にしてしまった。

「お客様は神さまです」といった歌手もいる中で、7,000人のお客様と公演関係者と準備費用を一切チャラにしてしまった度胸は大したもんだ?。

いや、案外振り上げた拳を下ろすタイミングが無くなって、”勝手にしやがれ”と居直るしかなかったのかもしれない。

とにかく誰かが”格好をつけさせてくれ”るのを待っていたのだろう。

あとは、世間に沢山茗荷を食べさせて”時の過ぎ行くままにこの身を任せ”と行くしかない、、、、、と。

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2018年10月20日 (土)

もれいずる

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秋風に たなびく雲の 絶え間より 

     もれいづる 月の影のさやけさ

秋の土用に入って急に冷たい風が入り涼しさも一段と見に感じられるようになった。

気温が二十五度を超えれば暑いといい、十五度を割れば寒いといいだす。人間とは、本当に環境に耐える力が無い生物だと感じてしまう。

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いま、建築業界はKYBの免震装置のデーター改ざんにゆれている。

なんでも、この装置の市場占有率が70%にもなるこの業界ではトップ企業だそうだ。

建築業界では以前にも姉羽一級建築士の構造計算書の偽造、東洋ゴムの免震装置、旭化成のくい打ちデーターのごまかしなどがありそのつど世間を騒がしてきた。

そのほか、データのごまかしは自動車産業にも沢山あって姉羽一級建築士以外はいずれも株式を一部上場する大企業で行なわれたものである。

日本製品は品質において世界一流だという話しは過去のものになりつつあるのだろうか。

以前に政治は三流だが工業製品は一流だと威張ってきたが、こうも不祥事が出るようになったのはどうしてなのだろうか。

その原因としてあまりにも早急に成果を求めすぎるところから出ているようにしか思われない。

この調子では、ほかにも調べればびっくりするようなものが出てくるかもしれない。

何かといえば中国の製品を笑っていたが、その指は日本にも向けられるのはまちがいない。

秋も深まればさらに寒さは増してくる。

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2018年10月18日 (木)

台風で鮎下る

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愛知県矢作川水系には鮎を取るための簗場があちこちにあり、そのひとつの平瀬やなというのに出雲旅行に先立って行ってきた。

ここらからが良かろうと新東名の岡崎東インターで下りて、あとはカーナビにお任せでいったのが間違いの元だった。

曲がりくねった細い道をあちこち引きずりまわされて右に左にと、何処にいるのか分からないくらい走ってからようやく、足助からの道に出た。

約四十分、「こんなんなら豊田から足助周りで入ったほうがよっぽど早かった」とぼやきながら人気の少ない簗場に下りていくと、「つかみ取りは終わりました」の看板がたっていた。

聞いてみると先月末の台風22号で水かさが三メートルほど上昇しその影響で鮎がみんな流れ下ったようで今では落ち鮎がかからなくなってしまったとのこと、、、

鮎の下らない簗に行って見ると空の加減もあってかねっとりとした感じの水が、堰で集められて簾に落ちている。

「折角ここまで来たのに」とがっかりしてたら、「塩焼きは出せますよっ」とのこと、それではと”鮎の塩焼き定食”を頼みだしてもらったが、腹いっぱいの卵を持った鮎の味は焼き加減もあって美味しかった。

腹が苦い若い鮎に蓼酢をかけて食べるのもいいが、今の時期は子持ちのほうが美味いと思う。

それにしても、静岡ではどうして簗漁をするところが無いのだろうか。

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Img_0011そんなこんなで食事のあと帰り道、ちらほらと桜の花を見つけた。

車を止めてみると淡いピンクの花びら、、、、十月桜だ。

春の桜のように華やかさではなく、はかなさを感じさせる花の咲き方、、、同じ種類の花でも季節や空模様で感じ方はずいぶん違うものである。

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2018年10月17日 (水)

富士の白雪

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いつまで続くかと思わせた夏の暑さも、そのときを知ったかのように秋に席を譲ってここ二~三日冷たい風が入ってきて、半そでから長袖に代わってきた。

裏の川の向こうで啼き続けていた虫の声も昨日あたりからか細くなり途絶えるのも後わずかになってきたのが分かる。

海抜10mをすこし超えるだけの我が家でも一雨ごとに涼しさを肌身に感じ、とうとう昨日は富士山が真っ白になったという報道があった。

そこで、富士山が見える山の畑まで出向いてみたが、空一面雲が張り詰めて見るどころではなかった。

テレビでは河口湖からの映像だとあり、静岡側からは無理だったそうだ。

そして、毎年の例では初めての雪は一日限りと言うことが多く、風でも吹けばたちまち飛び散っていくので、今日はまず見ることが出来ないだろうくらいに思っていたら、午前中時折雲間から顔を覗かせることがあり、、、、、、

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2018年10月16日 (火)

素朴な出雲神楽

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十月十二日の宿は玉造温泉。

小さな川を真ん中にしてその両側に宿をはじめとして娯楽施設などが並ぶ町並みは、秋田の銀山温泉を思わせる。

宿は幾分古く、別棟は昭和天皇も泊まったというのが自慢の保性館という名の温泉宿。

はじめは宍道湖のそばとも思っていたが、ここに決めたのは、午後八時半から出雲神楽が催されるとあったからである。

宿から五分ほど離れた場所にある「ゆーゆ」というところで行なわれ、神楽はこの地方のあちこちのグループ五社中が交代に金 土 日の三日間十月一杯公演する。

そして、この日は雲南市の佐世神楽社中が公演した。

筋書きは子供のころからよく聞いた須佐之命が八岐大蛇を退治するくだりであり、これは何処の社中も同様であるそうだが、この社中の代表者によると古い形式を残したものであるという。

全部の神楽を見たわけではないので分からないが、以前何かで見たものに比べれば素朴な感じだったのは分かった。

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絵よりも庭で有名な足立美術館

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夜が明けて、ここにくれば必ず寄らなければならないだろうとおもわれる十三日は足立美術館である。

前の夜連れから、足立美術館にはどんなものがあるのって聞かれたが、美術館の外の景色が素晴らしいだと言うくらいしか知らなかったので答えることが出来なかった。

十時に到着してみると、すでに駐車場はかなり埋まり、入り口には行列が出来ていた。

その半分くらいは中国人か????みんなスマホをあちこちに向けて撮影に余念が無く、集団で移動するためその中にまぎれると押されるような動きしか出来ない。

そのため、ところどころで休んではやり過ごしながらの移動であった。

美術館の庭は確かにテレビで紹介されているようにすばらしいものであったが、館内の展示品は横山大観の作品を中心にしてあのころの日本の画家の作品が数多く展示されていた。

しかし、ここ三日の旅行で足が疲れ、展示室の椅子に腰を下ろすようになると、館内の展示物に集中することが出来なくなり、もったいないと思いながらも一通り目で追うだけの鑑賞になってしまった。

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外に出て、米子自動車道から中国自動車道~名神などを回って豊田市に帰り着いたのはやはり六時間後の七時すぎ、、、、、

無事事故も無く、喧嘩もしないで楽しく帰ってこられたのを感謝し、また祝杯で夜もふけ、いつの間にやらそのままぐっすりと寝込んでしまった。

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2018年10月15日 (月)

驚いた 驚いた

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十月十二日、この日の予定は国宝松江城と出雲大社、そして、夜は出雲神楽ということであった。

松江の城に着いたのは午前十時すこし前であったが、すでに駐車場は満杯であり、道路上に駐車待ちの車の列が出来ていた。

近くに民間の駐車場でもないかと捜し歩いたが分からず、裏手の駐車場に入れようとして近所の人に聞いたら、最初の大手門前の駐車場で待っていたほうが良いというのでまた元のところに戻ったが、それからが長かった。これだけ車で来る人が多いのに駐車場が少なすぎると文句たらたら、、、、、

ようやく順番が来て、大手門には入れたのは待ちだしてから四十五分後のこと、見事な城壁と樟を見て天守閣に行くには十五分ほど坂道を上った先で、案外城門を破られると持ちこたえられないような感じがした。

天守閣は同じく国宝の犬山城よりかなり大きいが松本城より小さ目か、、、、しかし、入り口から見上げた真っ黒な天守閣は威圧感充分である。

木造の急な階段を登って最上階に国宝認定書があったが、昭和二十七年かともったら平成二十七年とのこと、それこそやっとこの間のことに驚いた。

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Img_0094ついで、今回最大の目的であった出雲大社に向かったのだが、予想より離れていることに驚く、そして、駐車場脇の食堂に入って名物出雲蕎麦を食べたのだが、小さなおわん三個にそれぞれ違った具が載った”三色割りこ蕎麦”というのが思ったより美味しく安かった。

名物に美味いものなしとか観光地の食堂は、、というつもりだったのでこれまた驚く、、、

腹ごなしを兼ねて参拝のあと、あちこちを巡り歩いてみたがテレビでもよく見る注連縄は予想通り、本殿裏から格子越しに覗いてみるが全容がはっきりしない。

もし、神話のように十六丈(48m)もあったとしたら、さぞかし壮観であったろうがなんて考えてしまった。

十月は神在月とか、そこここに見物衆に混じって神さまもそぞろ歩いているんだろうか、どれが神さまなのかな、、、いや、ひょっとするとみんな神さまかもしれないし、自分も神様なのかもしれないなんて傘寿の老人は思いながら参拝者を眺めている、、、、、

ああ~あ、疲れた。今日はこの辺で、、、だんだん

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2018年10月14日 (日)

まずは鳥取へ

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雨の砂丘は人影も疎ら

世間的には十月を神無月というが、出雲地方では神在月というそうだ。

全国八百万の神々がここに集い、縁結びなど将来について話し合うのだという。

そこで、最近神さまになりかかっている我々も招待状が来ていないのだが、この集いに参加しようと鳥取経由で出雲大社に向かった。

この話しは、以前から自分が傘寿を迎え、弟夫婦が喜寿に、連れ合いが後期高齢者になった祝いをどこかでやろうということから始まった。

そして、計画が始まると自動車で行こうよと弟が言い出し、静岡に住む自分は豊田市までいってそこで合流し往復1,500kmという長旅を決行した。

自動車の運転は、四分六から七三くらいの割合で弟が多く受け持ってくれたが、大阪近辺の複雑な道もあって、順調に走ることが出来たものの、さすがに帰ってきた今日は疲れが溜まってしまった。

十月十一日、朝六時に出発、380km走って鳥取砂丘に到着してが、あいにくの小雨模様、、、、、、傘をさすかどうかくらいの降りだったので、折りたたみの小さな傘で海岸の小山を目指して歩いてみた、、、、、、

景色としては何度かテレビで見ている風景だったので始めてという気がしない。

「海岸そばの砂丘までの距離もよくテレビと実際の規模の差がありすぎてがっかり」ということも無いし、雨で湿気た砂丘は人も少ない上歩きやすいなど印象は良かった。

その後、砂丘美術館を見、白兎海岸を経由して宿のあるハワイ温泉に向かった。

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部屋と風呂からの景色は格別

Img_0057当初、ハワイ温泉という温泉地は聞いたことも無かったので、「なんじゃこりゃ」なんて思ったが、羽合と書いてハワイと読ませるようで、何軒かの宿が固まった場所、東郷湖の畔に立つ宿に入った。

この宿の特徴は、湖に面して四 mほどのガラス一枚を使った窓があり湖がすぐ目の前に広がっていることであった。

露天風呂も同様な設計になっており、景色を売りにした宿のためか、食事のほうは生きあわびなども出たが、、、、、、

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2018年10月 9日 (火)

夕焼け雲に

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#夕焼け雲に誘われて 別れの橋を超えてきた、、、、、

むかしから夕焼け雲は一抹に寂しさを感じるのは、これから闇の世界に溶け込んでいく空をことを感じてのことかもしれない。

今日も今日とて西の空を見上げれば、最も高いところの雲はまだ夕焼けには早いというし、中層の雲は橙色に染まり始めている。

そして、最下層の雲はもはや夜が来たとばかりに黒く沈み込んでいた。

それぞれの雲は7,000m、3,000m、300mといった分布と見たが、素人目は誤差が大きい。

ただ、橙色のタツノオトシゴのような雲は、見えない西の空に邪魔者が居たようで真っ赤な雲には返信できないで、したの雲に幕引きをされてしまった。

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元横綱の輪島さんが亡くなったとのこと。

結構自由奔放に生きてきた人だと思うので本人的にはどう思っているかしら無いが、今の時代から言うと2太く短い”人生だった。

同じ時期に同じ大学の相撲で活躍した日大の理事長はどう思っているかも知りたいような気がする。

先日の報道では、この理事長も大相撲に入りたかったようなことを言われていたが、、、、

もし、そうだったらいまごろ、相撲界のドンになって貴乃花と盛大なバトルを繰り返していたかもしれない。

そんなことを妄想しながら夕焼け雲を見ると、何が人生の分岐点になっていたのか、、、、

自分自身の人生もあそこでああすればどうなっていたのか戻るわけには行かないが、、、、また違っていただろう。

いずれにしろ人生は一回こっきりのことである。

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2018年10月 7日 (日)

今日も暑かった

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台風25号が呼び込んだ南方の気団が暑さを頭の上から押し付けるように気温を上げている。

昨日も三十度越えで暑かったのに今日はさらにその上を行く三十四度だと言う。

おかげで、久しぶりにエアコンのスイッチを入れてしまった。

その暑さに誘われたかもしれないホテイアオイがちらほらと麻機沼に花を咲かせていた。

ホテイアオイは薄紫と青の色でさわやかな感じの花を咲かせ、名前の由来となった葉っぱの付け根に楕円の浮きをつけることで水面に浮かぶことから、園芸店などで売られてきたが、その繁殖力の凄まじさから、他の水草を駆逐し、その枯れた草が大量のごみとなることから、外来植物として処分されてきた。

麻機沼でも沼の改修とともに処分されt来たが、なかなか仕切れないでいる。

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2018年10月 6日 (土)

台風の実況放送

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信州信濃の新そばよりも 私やあなたのそばがよい 

              エンヤサのエンヤサのエサッサ と飛騨ヤンサは歌う。

いよいよ新そばが出回る季節になってきて、先日も「新そば」始めました。ってのぼりを目にして店に入ったが、昨年取れた蕎麦とどう違うか判断できないで帰ってきた。

しかし、蕎麦の花にとまったアカタテハは、いかにも美味しそうに花から離れずに蜜を吸っていた。

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台風25号が日本海を北西に向かうそうで、久しぶりに気にしないで済む台風になりそうである。

今年は統計上はどうなのか知らないが、台風が身近に迫ってきた回数が多かったような気がする。

そんななか、先日テレビを見ていたらNHKのアナウンサーがなんども「私は安全なところから中継しています」といっていた。

たしかに、海の見えるホテルの窓からの放送が多かったような気がする。一方、民放の中継はというと合羽をつけて、街頭で必死の形相で風に耐えながらマイクを握っているのが多かった。

トタンや木の枝などが吹き飛んでいく中での現場放送は見ていて、そんなにまでしなければ現場の状況が伝えられないのだろうか、小柄な女性アナウンサーにいたっては、本人が志願したかどうかは分からないが、上司のパワハラではないかと見てしまっている自分が居る。

このごろでは、台風にかぎらず衛星放送をつかった雲の画像などで、世間はいっぱしの気象予報士になっているので、危険を冒してまで外に出ての画像は期待していないと思うのだが、、、、

また、台風の目を中心にして同心円で暴風域、強風域はいい加減よしにして欲しいものともおもっている。

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2018年10月 4日 (木)

女郎蜘蛛

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秋になると山の畑に行く道すがら顔にべっチャッと張り付く嫌な感触がたびたび襲う。

蜘蛛の巣である。一番先頭を歩くものは、木の枝を折りとった物を振り回して歩かなければならない。

巣に引っかかった虫を捕らえる仕掛けだから、目立つはずも無いがこの時期になると直径 2 mほどにもなる大きな巣をかけるのは女郎蜘蛛である。

秋も終盤になると2cmほどにもなる大きな蜘蛛だが、今は成長盛りと見えてまだ半分ほどにしかなっていないが、早くもこの蜘蛛を嫁さんにしたいとそのまた半分くらいの雄が何匹か同じ巣に住み着いている。

雌の女郎蜘蛛は、少しでも大きくなって子孫を残すという本能から、何でもかんでも手当たり次第食べてしまうそうで、同居している雄も雌から見ると餌にしか見えないようで、雄は戦々恐々として構えている。

まるで、人間同様だが人間の場合食べられないだけでも良いのか、、、と、思ったら、そうでもないようだ。

いずれにしても男は哀れである。

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流行言葉とは、時期が来れば廃れるもので、後世に残る言葉はわずかである。と、思ってはいるが、今ではむかし人間になってしまった自分の耳にいやらしく付きまとう。

「千円からお預かりいたします」などの言葉は最近ではあまり耳にしなくなったが新しく「、「こちら何とかになります」というのが気になって仕様が無い。

「何とかになります」という言葉を「何とかでございます」とか「何とかです」と昔は言ったはずである。

食べ物屋などでよく耳にする「何とかと何とかでよかったでしょうか?」という言葉なども含めて一見の店だけで使っているのではないところを見ると、誰かがこんな言葉遣いを指導しているのだと思うが、、、、、、

果たして何らかの意図があるのかと考える昨今である。

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2018年10月 2日 (火)

天高く

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Img_0011天高く馬肥ゆるの秋、空には青さにとけもむかのような半月がかかっている。

あまりにもさわやかな風を受けて、家の中でじっとしているには難しく、広野の海岸公園に行って来た。

空は秋特有のまき雲がかかり、日光をすこし和らげていてくれたおかげで、芝生を散策するにはちょうど都合の良い天気であり、先日の台風で波しぶきがかかったと思われるすこし丈の高い草が変色して萎れかかっているのも苦にならない散歩道である。

今日はウイークデーなので子供もほとんどいない中、難破船も本当と思われるくらい静まり返っていた。

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今年もノーベル賞に日本人が輝いた。

本庶佑さん、文化勲章をすでに受章している人ながら全然知らない人だったが、ガンの高価な薬であるオブジーボに関係していると聞くと大変な人なのだと認識させられた。

各ワイドショーは、早速引っ張り出して質問を浴びかけていたが、一番耳に響いたのは「教科書を疑え」という言葉であった。

まさに、京都大学だなって感じがした。ものを覚えるだけの秀才が集まっている東大ではこういう言葉は出てこないとおもう。

教科書や常識をを疑うということは、ガリレオのむかしから「地球はまわっている」に通じるものがあり常識に凝り固まっている人には無い発想であろう。

しかし、これでまた人の寿命が延びたとしたら、死ねない世の中になっていくのではなかろうかと余計な心配をしてしまう自分が居て複雑である。

先日無くなった樹木希林さんの出たコマーシャルではないが、「死ぬときくらい好きにさせてよ」っていうのがあったが、、、、、

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毎日毎日をボーっとして生きている身としてはチコちゃんに叱られそうで

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2018年10月 1日 (月)

風台風だった

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昨夜、このブログを書いた時点で台風がたいした事がないと書いていたが、寝ようと思った十一時すぎから風が急に激しくなりだした。

最高潮は、十二時から一時にかけてで家の回りでトタンが煽られるような音がし、家が揺すられることたびたびといった状況になった。

まさか、突風とか竜巻の類ではないかと、何度も窓を開けて外を見たが被害は確認できなかった。

窓から見える国道一号の街路灯は横殴りの雨が濃淡織り交ぜて吹き飛んでいくさまを浮かび上がらせている。

通り過ぎるトラックはいつもより少なく疎らに行き過ぎているが、こんな時間に運転しないといけないような重大な仕事なのかと疑問に思う。

嵐が収まったころ寝付いたようだがいつもは五時に目が覚めるのに、六時半まで寝てしまったのは、寝つきが遅かったためであろう。

外は、東に雲がある以外すっきりとした青空が広がっていた。

十時になって例のごとく山の畑に行ってみたが、いずれも風が凄かったという話ばかり、久々の風台風だったようだ。

昨夜と一転して、下に見える国道一号が渋滞して動きが鈍い、そのときは「先のほうで事故でもあったんじゃない」なんて話していたが、テレビでは東名が通行止めになっていると言っていたのでやっと理由が分かった。

静岡に来た当時、東名の日本坂トンネルが火災事故でしばらく通れなかった時も大変だったが、あれから道路事情がかなり良くなってもやはり大動脈の通行止めは影響が大きいようだ。

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