文化遺産みたいに
やっとこの間まで暑い暑いの連発であったがそれが懐かしく感じることさえある昨今である。
田んぼの稲も急速に稔らせて、はや稲刈をしてしまったのがほとんどになってしまった。
以前なら、大勢の人が田んぼに入って稲刈りをし、稲架にかけて、脱穀まで田んぼの中でしたため、しばらくこの流れの仕事を眺めることが出来たが、最近ではコンバインとやらであっという間に田んぼは切り株と細切れの稲が横たわってお終いになる。
稲刈りからあとの始末はその地方ごとに違いがあり、面白いものだったが、今では建物同様全国一様になって特徴がなくなってしまった。
そうした中で時たま夕日を浴びて藁ボッチを見たが、こんな風景もあとわずかなのであろうか。
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先日、市役所からの手紙を貰って耐震検査をしてもらった。
なにしろ、建築基準法が大きく変わった昭和56年以前の建物、ということで手紙が来たのだが、我が家はその11年前の建物なので、およそ五十年も経っていることになる。
官公庁の建物や道路橋などもこのくらい立つと老朽化が激しいと立て直すようだが、文化財でもないわが家も老朽化がいたるところに出ていることは言うまでも無い。
そんな建物だから良い結果が出るはずがないと思っていたら、市から委託を受けた一級建築士が見に来て、現在の建物を1とすると、その半分の0,5という数字が出た。
原因としては地盤が軟弱であること、屋根瓦なので重いということが大きな原因であり、震度六以上では危ういとのことであった。
そして、建築したあと建て増した部分に鉄骨が含まれるということで、耐震工事に市の補助は受けられないということだった。
つまり、地震が来たら倒壊した建物の下敷きになって死ねということらしい。
そのあと、慰めのようにこれは、今現在もっとも基準おたか建物に対してのはんだんであり、土台も鉄筋が入っていないが変形はないし、、、、、などとくどくどといって帰ったが、静岡県が進めるTOUKAI ゼロも掛け声だけなんだろうな。
自分らは前から言っていたように「地震で家がつぶれ、運よく助かったら家はそのままほったらかして長野にでも逃げていこう」
つぶれた家は文化遺産みたいに手をつけさせないで朽ちるまで、、、、
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