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2019年5月30日 (木)

栃の花

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かわたれどきの栃の花はまだ眠りから覚めていないようでなんとなくもやっている。

栃の花は素晴らしい蜜を持っているようでこの花からだけ採った蜜はかなり高値で店に並んでいる。

秋になると栗の実を大きくした茶色の丸い実を地面に落とし、それを求め人々が集まった。

栃の実は、縄文時代から食べられていたようだが、その渋抜きが難しく誰でもができるものではなかったし、食べられるまでの手間も大変だった。

しかし、この実を処理したものはむかしから飢饉食として蓄えられたし、この実を使った餅はその香りから自分も大好物の中に入る。

そして、木目の美しさや細工のしやすさから伐採が進み、いまでは、この木の巨樹は見ることが出来なくなった。

ちなみに、フランスにあるこの木の仲間はマロニエと呼ばれシャンソンなどに良くつかわれているが、実の形が違うのを、二十年ほど前初めて知った。

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川崎市でまた悲惨な事件が起きた。

この種の事件は相手が誰でも良いというところにやりきれなさがつのる。

再発防止といったって、「どうすりゃいいの?」って感がつのり、今後もこれに類した事件が発生することになるだろう。

それにしても、四十代からv六十代にかけて61万人とかの人が引きこもり親の世話になっているときくと、自分らのころはそんな話を聞かなかったような気がする。

学校を卒業したら、働くものと決め付けられてもいたし、自分たちも当然そういうものだと思っていやなことがあってもしがみついて頑張った。

それがそうでなくなったのは、社会が裕福になってからのことなんだろう。

武田鉄矢のお袋の歌の中に、母ちゃんが「社会に出たら働いて働いて働きぬけ! 休みたいとか遊びたいとか思ったら そんときゃ死ね」って言うようなセリフが入っている。

、親も優しくなったのかな、、、、

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2019年5月29日 (水)

双六谷

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「うん、たしかここだったよな」そこは、五十年ほど前と変わらぬ姿を残していた。

秘境の中の秘境と言った感じの双六谷の青く澄み切った淀みは深さ5mほどもあっても水底まですっきりと見える。

奥飛騨の霊峰笠が岳(2,869m)を源にもつ双六谷は、上流に人が住んでいないこともあって高原川と合流するまでその清らかさを失うことが無い。

広大な流域面積を持っているため、いざ雨が降り出すと水かさは急激に上昇し釣り人などが遭難したこともよく耳にしたくらいの暴れ谷でもある。

ここに、自分と弟、妹などの家族を連れて水遊びに来て、写真手前の飛び出した岩の上から飛び込んだり、甲羅干しをして楽しんだものだった。

水は、真夏でも冷たく泳ぐ泳ぐと言ってもすぐに冷え込んでしまうためと魚釣りなど水遊びが主であった。

今回ここを通ったのは、山の村に上がる栃洞からの道路が工事で五月いっぱい通行止めになっていたため、金木戸周りの道を使うしかなかったためである。

おかげで、普段は一番奥にある山吹峠が玄関口になってしまった。

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双六川沿いの金木戸集落はそのむかし小学校などもあって、図書室だったかに八寸(25cm)の岩魚を飲み込んだ尺二寸余(40cm)の鼻曲がり大岩魚が飲みきれずともに死んでしまった標本があったのだが、学校ともども何処かへ消えてしまったようで、学校跡地はきれいさっぱり何もなくなっていた。

ただ、校庭の隅にあった「鈴虫水車」のみを残して、、、、、

人の歴史は、簡単に変わり現況をとどめないが、あの暴れ川が流れる双六谷はいまも尚、五十年余も前の姿を残している。

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2019年5月28日 (火)

宝の山

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はあ~ 会津磐梯山は 宝の山よ、、、って歌があるが、飛騨神岡の二十五山は文字通り宝の山であった。

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この山の中に埋蔵されていた、鉛、亜鉛 硫酸 金銀その他鉱物はかなり古い時代から採掘され、江戸時代はここで掘られる鉱物と林産物のおかげで幕府直轄領となり、明治に入って三井組が手を入れてから、石炭と共に三井鉱山の屋台骨を担ぎ、さらには、戦後の復旧時には硫酸から作る硫安で貢献したものだった。

永遠に続くかと思われた鉱山も、昭和五十三年大規模な合理化で人員整理をした際に自分は二十余年勤めた坑内職場に別れをつけ希望退職、、その四年後再び合理化で人々が山を去ってから寂れる一方となり、その後、すこしして坑内での採掘が終了した。

大量に掘り出した鉱山の空洞を埋めるため山頂を削って今では富士山の頂上みたいに平らになってしまった。

今回、従兄弟の葬儀の後、わが家の墓の掃除をかねて立ち寄ってみると、以前は採掘した土砂などでかなりはげていたし、夜になると星かと思えるほど赤々と電灯の光で輝いた社宅郡も無くなり、自然に帰ったようで濃い緑に包まれた”宝の山”を仰ぎ見ることが出来る。

常々、「自分が死んだら誰も来なくて良いからここの墓に入れてくれ、自分が働いた場所を眺めていたいので、、、」と頼んではいるが、さてどうなることやら、、、

というのは、わが家の墓の隣には無縁仏になったらしく長い間手入れされず、薄などで墓が持ち上げられ横倒しになっている。

我が家の墓もいずれそんな状態になる可能性がある。

本家の墓がすぐそばにあり、従兄弟に当たる主人は「自分とこで面倒を見るから、動かすではない、、、」と言ってくれているが、その人はいま九十二歳。

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同級生の青〇くんは東京で亡くなって神岡に親戚もないそうだが、我が家の墓から直線で3kmほど離れた東雲に墓を建てて入っていると聞く。

そこからも、二十五山が見えるそうで、、、、ふるさとの山がこいしいのは自分ばかりではなさそうだ。

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2019年5月27日 (月)

気温の変動

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緑の草原の中にあって燃え上がるような真っ赤というより橙色がかった朱色の花、蓮華躑躅が真っ盛りであった。

全木毒性があるとかで牛や羊などがこれを食べると死んでしまうことから牧場などでは食べられることも無く大繁殖してしまうことがあるそうだ。

自分も子供のころ躑躅の花をすこし食べたことがあるので知っているが、この花はほかの躑躅と違って苦味が強くとても食べることが出来そうにもない。

こんな花木ではあるが、自然では樹高2mに達することはまれで、標高1,000mを超えないと無いようにおもう。

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ここ数日三十度越えの気温は暑さに慣れない身体にとっては深刻な打撃のようで、報道に夜と熱中症による死者が二人も出ているほか、救急車で運ばれた人もかなりいるそうだ。

自分も、連日の長距離運転の過労かと思っていたが、案外この暑さも影響しているようで、今日は初エアコンで過ごした。

先日もふるさとで「やっとこの間までストーブを焚いていたのが嘘みたい」とか「ジャガイモの芽が出てきたところで霜にあい真っ黒になってしまった」などと聞かされ気温の上下が非常に大きいようだ。

 

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2019年5月26日 (日)

従兄弟の葬儀

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残雪の北俣岳を望む福寿寺で

北俣岳を望む飛騨の山奥下の本で従兄弟の葬儀が行なわれた。

標高1,300m余の下の本集落は春本番と言った気候の中、過疎化が進んでいると聞いていたが、それでも葬儀には百人を超える人々が参集し盛大に行なわれた。

従兄弟の葬儀、本来なら自動車で六時間も車を走らせて行く時代ではないのかもしれないが、父親が分家でその総代が自分になるので兄弟代表と言うことで行っているのだが、一時は五十人余を数えた従兄弟も、今では半数を切りこの葬儀では第一世代つまり年寄り組になってしまっている。

集まった顔ぶれを見ても、その下の世代が沢山いて子供のころの顔しか知らない連中がほとんどなのでいま浦島状態。それでも、年寄りは顔が変わらないようで元子供だった五十代の連中が「おじさん おじさん」と近寄ってくれて親切にしてくれる。

鉱山に勤めていた従兄弟は、硅肺をはじめ振動障害などを抱えていたが八十八歳まで生きたことは、天寿と定めるしかないか。

久しぶりにこの葬儀に集まった親族は悲しみの中和気藹々と現況を語らい、悲しさ半分同級会並みの楽しさ半分と言った雰囲気で法事をこなしていく。

こんな葬式なら本人も喜んでいるのではなかろうかと、勝手に解釈しながら、、、、、、、、、

山奥の集落とは言いながら、ここにも近代化の波は世間並みにおしよせて、出棺、お通夜、告別式 初七日法要とと簡素化した流れの中で進められていったが、六時間の車運転と親戚にもみくちゃにされた疲れは昨日今日と終日半分横になって過ごさなければならないほど疲れた。

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2019年5月22日 (水)

杜若

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いずれがアヤメかカキツバタ。

どちらも美しくしい上、よく似ていて区別がつかない場合に使われることばである。

カキツバタはそのむかし花の汁で布を染めたため”書き付け花”と言われていたそうだが、次第にかきつばたになったと言う話が伝わっている。

しかし、杜若をなぜカキツバタと読むのかは分からないそうだ。

ともあれ、昨日の大雨を乗り切ったカキツバタは倒れもしないで水辺ですっきりと立っている。

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2019年5月21日 (火)

小満

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今日は小満、陽気が良くなって万物の成長する気が天地に満ち始めるころという。

y山の若葉にも緑が濃くなり、季節の変わり目のひとつであるが、それを表すかのように昨夜来激しい雨に見舞われた。

我が家の近辺の降水量は分からないが、安倍川上流部では236mmも降ったそうだから、、、、、、、

裏の川も一気に水かさを増し道路を窺うような気配を見せていたが、道路すれすれまだ来て雨が小降りとなり、昼を境に雨が上がった。

それから三時間後まだ川の水は普段より大目ながら下の写真のように引いていった。

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政府は今年一月から三月までの四半期のGDPが2,1%の増になったとし、昨年九月から連続して延びていると発表した。

その要因は輸入が輸出が減り、設備投資と個人消費が減ったものの輸入が大幅に減ったことが原因だそうだ。

実感なき好景気はこのようにして造られたいるのか。

昨年、厚生労働省のデーター改ざんもあることから、政府に都合の良い資料ばかりを選んだ恣意的なGDPではないのかと疑ってみるのは、なんでも都合の悪いことは隠してしまおうとする今までの姿勢からしようのないことであろう。

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2019年5月20日 (月)

エゴの木の花

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エゴの木に花が密集して咲いていた。

よく茂った葉陰の下で下向きの花は目立たないかと思ったが、熊ん蜂がブンブンと飛び交い、花の下に入って姿を消す。

エゴの木の名前の由来は、花のあとに出来た木の実がえぐいことからつけられたと聞くが、子供のころこの木をチシャの木という名前で習ったさい、毒があるというので味見はしたことが無い。

しかし、齧るとえぐいと言うことはそんなに強い毒ではなさそうだ。

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京のテレビは、執拗に八十七歳の老人を槍玉に挙げていた。

たしかに、両手に杖をつきよたよたと歩く姿はとても自動車を運転できるような身体ではないことが分かる。

しかし、三十年も前に退職した役所の名前を出して元工業技術院院長という肩書きをつけなければならないのだろうか、それより、天下りしてクボタの副社長という直近の肩書きをどうして言わないのだろうかと気になった。

”お役所憎し”の風潮があったのか、本人が元院長と言う肩書きをひけらかしていたのだろうか。

たしかに、自分の家の近所には元警察署長だの元学校の先生だの、市役所、県庁だのと過去の栄光(本人だけだけだが)を引きずっている人がいて煙たがられている向きもないではないが、、、、、、、

とにかく、退職したらただの老人になぜ出来ないのか、、、なれないのか、、、、

ちなみに、自分の場合はなんと言う肩書きをつけようか、「あるときは元鉱夫、またあるときはボーリング屋、而して遊び人の、、、」と片岡千恵蔵の多羅尾伴内(誰か分からない?)並みに言ってみるか。

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2019年5月19日 (日)

手もみの実演

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一番茶も一段落した今ごろは各地でお茶祭りを行い手もみ茶の実演即売会がある。

自分たちは、この時期になるといつも旧岡部町の玉露の里に行き、何がしか買ってくることにしている。

行ってみると、一回目を終え二回目の茶もみが始まった所で、蒸し揚げてまだ青々している葉を蒸篭の上でもみ始めていたが、その手つきはちょっと真似のできない手さばきであった。

両手ですくった茶葉を両手で持ち上げ、もやもやっと散らばかしながら撚りをかけていくのだが、その前段から見せてもらい、出来立てを三袋買って兄弟に送ることにした、、、、、、

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最近世間を賑わしているのに各地の交通違反というか危険行為がある。

曰く、松本走り、名古屋走り、伊予の黄走り、山梨ルール、岡山ルールなどなどが有るそうで、それぞれの土地によって危険な走り方があるそうだ。

もともとは、その土地の道路事情や気質に由来するらしいが、ほかの人が走るから自分もということがその土地の習慣になっているようだ。

自分も故郷に帰るときはほとんど松本経由で行っているがまだそんな危険行為を目にしていないので、すべてがそうだとはいえないが、市役所の広報に載るくらいだから、街中ではかなりの頻度であるのだろう。

ただ、これらの走り方をされると他所から来たものには非常に迷惑なので、取締りをやって、少しでも減らしてもらいたいと思うのはよそ者たる由縁か。

そして、静岡はこれらの仲間になっていなかったので静岡ばかりではないのかもしれないが、静岡では方向指示器の出すタイミングが間違っていると言うことがあげられる。

右折、左折などをする前にブレーキーをかけ適度なスピードに落ちてからウインカーを点滅させる。

後ろを走っていたらなんでもない所でブレーキをかけてるので危うくて仕方がない。

ほかの人に理由を聞いたら「あまり早くから方向指示器を出すと田舎者と思われる」と言うことだった。

どうせ静岡なんて田舎ではないかと言ったが、岡山ルールもそれ以上でウインカーをつけないで右左折しないそうで恩何時理由だといっていたのには驚いた。

田舎者なぜ居直れないのか、そんなに都会人ぶってみた所で「俺って無い訛ってないべ」っていやあ、お郷が知れるよ。

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2019年5月18日 (土)

加茂荘花鳥園

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掛川加茂荘花鳥園へはこれまで何度も行っている。

一番最初は子供と母親を連れて、電車とバスを乗り継いで行ったのだからかれこれ四十年近く前のことになると思う。

当時は、観光地も少なかったためか、バスは一kmほど手前から渋滞に巻き込まれ難儀したものだったが、今回はそんなことは何時だったか?と思わせる雰囲気で、駐車場が広く感じられるほど車の数も少なかった。

もっとも広告では、”あやめの開花が盛ん”と言うふれこみだったがそれほどのことも無く場所によっては何も花の無い区域さえあるくらいだったから、すこし行くも見速すぎたのかもしれない。

Img_0052_4 そして、いまの時期はアジサイの花がメインの様子で店の人もその販売に力を入れている様子が見て取れた。

この花鳥園は、掛川の駅近くと、富士の朝霧公園のほか鳥取だったかにあるやに聞いているが、加茂荘が最初のは発祥地であり、むかし、庄屋だったときの建物が立派で見ごたえのあるものである。

しかし、一番最後に花鳥園のいわれとなったふくろうの仲間を中心にいろんな鳥を入れたことで、建物内部に鳥の糞の臭いが漂い、暑いので注文したアイスクリームの味が損なわれたのが残念だった。

次回は、いつになるのかな、、、、、、?なんて思いながら外に出た。

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最近駿河湾名物の桜海老の不漁が静岡では大きな話題になっている。

そしてその原因をこの近くに河口を持つ富士川の濁りにあるのではないかと地元静岡新聞を巻き込んでアッピールしてきた。

この一連の報道を見る中で、結論ありきで読者を誘導するようなキャンペーンを張っている様子が見て取れた。

いまの原因は、富士川支流の雨畑川にある砕石業者が砕石する過程で出来た泥水を川に放棄していることが最近分かったような書き方をしていたが、それは、かなり前から分かっていたはずのこと、、、、、、、、

そして、ここしばらく、同じようにシラスの不漁もたびたびあり、ことしもかなり少ないようで店頭には他県のシラスが並べられている。

これも、富士川の濁りだろうか。

もともと、年間何百トンも水揚げするほどの資源量があったのか、もっと科学的調査が必要なのではあるまいか。

 

 

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2019年5月17日 (金)

貸しきり状態

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遠州三山とひとつと言われながら油山寺は一番人が集まらないお寺で、今日も駐車場に一台しか自動車が入っておらず、それも、自分らと入れ替わりに出て行ったので、この広大なお寺は自分たちの貸しきり状態であった。

まず入り口にあたる山門が、むかし掛川城の大手門だったと言うこともあって、ほかの寺には無い荘厳さと言うか、異様と言う感じさえする山門である。

この寺には、およそ三十年ぶりといってよいかと思う、

母親が、飛紋症とかで目の前に蚊が飛ぶように黒い点が動く病にかかったとき、連れてきた覚えがある。

その後、その病は治らないまま他界したのだが、そのときから眼病に効験あらたかなお寺と聞いていた。

今回ここを訪れたのは、そのとき回りきれなかった場所があったのを思い出して、なんとなく、、、ただなんとなくだった。

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境内はそこここ風鈴を揺らす風とに緑の若葉を通した柔らかい日の光を浴びながらゆっくりとゆるい坂道、あるいは急な階段と歩き回り、最後は数珠玉のを鳴らして本殿の参拝を行なってきた。

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2019年5月16日 (木)

ミリオネア

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今日はガクウツギの花を紹介する。

ガクウツギは額空木と書き、空木のような紫陽花という両方の特徴を持った、つまり、どっちつかずの木を意味する。

花だけ見ていると貧相なアジサイであるが東海地方から西に自生する日本固有種だときくと、なんだか貴重な花に見えてくるから面白い。

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京の新聞によると、世界のミリオネア(億万長者)トップから26人の資産が、世界の貧困層36億人の資産を上回るそうだ。多額の借金漬けをのぞいているそうだから、36億人の人どんなに頑張っても、、、と言う数字をどう見るかであろう。

とくに驚くのは、このミリオネアに中国人が急増しているそうだ

そのむかし、社会主義とは国民みんながそろって豊かになるための国づくりをする制度だときいており、一部働かないでも裕福な生活をするブルジョア階級を敵とみなしていた。

そして、それを実践していたはずの中国にミリオネアが急増しているということはどうしたことだろう。

ヨーロッパでは貴族などでは、ノブレス オブリージュと言う言葉があり、高貴な人(貴族など)は義務を強制されるとして戦争のときなどは最先端で犠牲を払うとか福祉など率先して施しをするなどの義務があるとされている。

そのため、そういうことに無関心で金儲けばかりに走る商人はいたしい存在として扱われ、ベニスの商人に見られるようにユダヤ人は嫌われてきた。

しかし、いまの世の中の風潮としてはらくして金儲けがほとんどの人の目標にさえなっている。

先年、執拗にユニセフから寄付をしてくれと手紙が年金生活者の自分の下に何度も来た。

何回か送金をして見たものの、ほんとうに届いているのかって、、、、、、、

もっと、ミリオネアから集めたらどうなのって言いたくなってしまったのだが。

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2019年5月15日 (水)

またひと時代過ぎていく

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このプロペラーような花びらを持つ花の名をテイカカズラという。

テイカは平安時代末期に活躍した藤原定家からとった名前だそうだ。

藤原定家と言えば式子内親王の懸想しその死後に内親王の墓にまとわり着いて咲いた花がこのテイカカズラだと言われ、内親王の霊が坊さんに頼んでこの蔦を取り払ってもらったという話しが残っている。

つまり、ストーカー的な執念深い花である。

そして、藤原定家が作った古今の名歌、小倉百人一首には式子内親王の歌とともに自分の歌もちゃっかり紛れ込ませている。

ちなみに藤原定家の歌は、来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ

そして、式子内親王は、 珠の緒よ たえなばたえね 永らえば しのふることの よわりもぞする

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昨日テレビを見ていたら、京マチ子さんが亡くなったという。

中学になったばかりのころ、三船敏郎や森雅之と共に彼女が出演した”羅生門”を見た覚えがある。

鉱山町なので映画はただで毎月洋画三回 邦画四回が上映され時々子供が見てはならないものがあるものの、当時最大の娯楽だった映画は数多くあった。

その中でもこの映画が記憶に残っているのは、京マチ子と女優の妖艶さといざ捕らえられて情況を白状しなければならなくなった時人はそれぞれ自分に有利なことしか言わないんだなってことを子供心に感じてしまった最初だったことである。

そして、この話しを連れ合いに話したところ、完全に京唄子とまちがって「ずいぶん前に無くなったんじゃなかったの?」とか「そんな人知らんかった」というに及んでは、、、、そんなに歳も違わないの「何をか言わん!」

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そして、海外ではドリスディさんも亡くなったとのこと、自分が一番最初に覚えたスペイン語”que sera sera"(ケセラセラ)を歌った人だ。

ケセラとは分からないと言う意味で、海外で仕事したときにはこの言葉と”アスタ マニアーナ”(明日の朝)と言う言葉で結構悩まされるとは思いもしなかった。

なんだか、またひと時代過ぎ去っていくような気がする訃報だった。

que sera seraの歌が流行したのはたしか高校生になってからだったかな?

 

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2019年5月14日 (火)

ユキノシタの花

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久しぶりにまとまった雨が降り、上空に寒気が入っているとかでうそ寒さを感じさせるいちにちになった。

庭木の下に咲くユキノシタも五弁の花びらを精一杯開ききって雨風になぶられている。

下の花弁二枚が穂の花びらよりも長く伸びているため、漢字の”大”に似ているところから大文字草とも言われている。

この草はどくだみとともに古来薬草とされ、家の近所に植えられているが、どちらも繁殖力が強いので一度繁殖すると、今度は採っても採っても絶えることがない。

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今朝のワイドショーを見てぶっとんだ。

大坂維新の丸山穂高議員が北方領土回復するにはロシアと戦争するしかないと元北方領土に住んでいた人の会長に執拗に主張していたそうだ。

大坂維新の会はもともと右翼傾向の強い人ばかりと思っていたが、ここまで分けのわからんことをいう党だと思わなかった。

この人の年齢は三十五歳だそうだが、この年ごろの人は、戦争と言うものがどんなものだか想像がつかないようで、”平和ボケ”もいいとこだと思う。

戦争と言うものは、必ず人が死ぬと言うことを前提に考えることが頭に無いのだ。

まして、一時期に比べれば衰えたりといえど軍事力はロシアのほうが巨大であり、戦争を仕掛ければどうなるのかが分からないような人に国会議員を務める資格がない。

戦争を知らずに僕らは育った なんて歌もあったが、それで許されるものではない。

いま世界は、そうでなくても分けのわからない政治家が指導権を握っている中で、この先どうなるのか慎重に見極めなければならない時期である、

令和は輝かしい未来があるなんて暢気なことを言っているが、令和という言葉を最初に聞いたとき、自分は〇輪を想像してしまった。

レイワ ”〇輪”=”〇〇”  むかし算盤が全盛だったころ、一回立てて珠を下に下げると「ご破算で願いましては」の掛け声で上の珠を小指でずーと横に引いたように、

すべてがチャラになるような、年号にならなければ良いが、、、、

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2019年5月13日 (月)

桑の実

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ヤマグワの実が黒く色付いてきていたので、つまんで食べてみた。

ほのかに甘く懐かしい味である。

子供のころおばあさんの家の前にあったので、登って摘まんで食べていると、その家の上にあった小学校の生徒たちが「食べるな~」って言いながら石を投げつけてきた。

どうも、その学校では何か食中毒か木から落ちるなどの事故でもあったらしく生徒に「桑の実を採るな」と言うようなことがあったらしく、桑の木も無く当然禁止されていな隣の学校の子供が桑の実を食べているのにうらやましく感じたのか、事故のことを教えたかったのか、、、、

あのころの子供は、すぐに石を投げるのが常道だったように思う。

当時おばあさんの家は、蚕を飼っていたので桑の木が幾本もあったし、写真のような山桑ではないのでもっと粒が大きかったので沢山食べたためばかりでないのだが、摘んだ手はもちろん口の中を紫色に染めていい訳のできない証拠を残した。

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そういえば昭和30年代、鍬野みゆきって言う女優さんがいた、いかにも日本風な顔立ちで、、、、、あんなタイプ好きだったなあ、、、、、いまどうしているんだろう。

おばあちゃんになって「見る影も無い」なんてことにはならないと思っているが

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2019年5月12日 (日)

アザミの歌

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植物学的には日本に六十種ほどのアザミがあるそうだが、その区別は難しいそうだ。

その辺のことは分からないが、この花はたぶん”ノアザミ”と見て間違いないだろう。

日本人は、水族館で魚を見ると「美味しそう」と思う人がかなりいるそうだが、自分は戦後の食糧難を体験していて、先日のカタクリもそうだがイタドリやノビルなどのほか、かなりの野草を食べてきたので、このアザミなどをみると若い芽を食べたくなってしまう。

アザミは、全身にまとった鋭い棘ゆえに、採取するときなど痛い思いもするが、いったん茹でればその棘は気にならなくなって、おひたしや汁物に入れてもよいし、天ぷらなども良い味をだしている。

若いころ、北アルプスの縦走などの折には下のほうでアザミを摘んで夜の味噌汁の具にしたものだった。

花言葉のひとつに「触れないで」というのがあるそうだが、これも棘ゆえにつけられた言葉であろうが、その味を知ったものには何の効果も無い。

アザミの葉っぱを茹でながら「アザミの歌」を鼻歌でうたう。

山には山のうれいあり 海には海の悲しさが、、、、、、

今日、北海道でギョウジャニンニクとイヌサフランを間違えて食べ、食中毒が発生したそうだ。

若芽のときはよく似た形をしている草だが、畑に植えている場合はその区別はわかっているはずだし、野生の場合は採ったときその切り口の匂いを嗅げば分かるはずと思うのだが、、、、

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2019年5月11日 (土)

ひのひかり

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あらとうと 青葉若葉に ひのひかり     ばせう

連日の夏日で木の芽もどんどん成長し、青葉がまぶしい季節になってきた。

昨夜はすこし雨でも降ったのか、葉先に溜まった露に朝の光が差して宝石のように光っていた。

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むかし官庁では六月に入ると衣替えと称して夏服に着替える風習があった。

女学生なども、白い水セーラー服に着替え、見るからにまぶしげで涼しげでさわやかな感じになったものだった。

しかし、こんなに暑い日が続くとわが家でも絨毯をしまい、この間買ったばかりのへっとりに敷き変えた。

新品のへっとりを広げると、イグサの匂い部屋中に充満し、「日本に生まれてよかった」なんて感じがするが、はたして世界標準で見た場合、この香りはどんな風に映るのだろうか。

あしたは、しまう前に絨毯を洗濯するつもりだが、半年余の汚れがどんなものか、、、、、

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2019年5月10日 (金)

車輪梅

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初夏の花、車輪梅が白い花を付け出した。

枝の先端から四方に花茎を広げ咲く形を車のスポークに見立て、その先端に五枚の花弁が梅に似ているので名付けられたようだ。

日本人はことのほか梅が好きなようで、このほかにも梅が付いた名前が幾つもある。

そして、鯛の名前が付いた肴も数知れず、〇〇銀座はどのくらいあるのだろうか、、、、

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滋賀県大津市の保育園児巻き込み事故は悲しい限りである。

朝元気に預けた子供がその後まもなく命をなくした親の喪失感は察するのあまりある。

そして、事故を起こし逮捕された女の人もまたやりきれない気持ちで留置されているだろう。

この事故、はじめに聞いたとき、自分の身の回りにも良く見る形の事故とだけ思っていたが、今朝のテレビによると対抗の車の往来が激しく、なかなか右折することができず、対向車の隙を狙って右折しているような交差点だったことが分かった。

放送では、信号を何回も待って右折するとのことだったので、後ろの車の無言の圧力を感じて注意がおろそかになったり、前はこのタイミングで曲がれたなどがあったのではないだろうか。、

せめて、信号に右折の矢印が点くようになっていたらよかったのだが、その辺のところはコメンテーターの誰も言わなかった。

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2019年5月 8日 (水)

また 観光渋滞にはまる

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連休もおわっていよいよわが世の春になったとおもっていた。

今朝方の空の青さと真っ白な富士山を見て家を出、比較的空いた国道一号を東に向かい富士宮に行った。

途中、長野から電話が来、その話しの中であちらもかなり冷え込んで、蓼科山のほうに入った田んぼに氷が張ったという。

そのせいで富士山も白くなったのかと理解できた。

あちこち立ち寄りながら、峠を越えて鳴沢村の道の駅まで行っては見るがどこもこれといったものが無いし、帰りがけに近年評判の芝桜と富士山が見える公園があるのを聞いていたのでそちらへまわって帰ろうかという話になった。

それで、本栖湖のほうを回る道を選んだが、すぐに渋滞にはまってしまった。

「えっ 今ごろなんで?」と思いながらも車を進めると西湖入り口の手前で乗用車三台を絡む事故がありそこで一車線ふさいでいたのが原因と分かった。

しかし、それを過ぎて尚精進湖の東側入り口に付近に来ても動き出す気配は無いので、痺れを切らして精進湖に路線を変更し、鰍沢方面に抜けてきた。

この渋滞何が原因だったか分からないが、芝桜公園だったとしたら、五km以上の渋滞であり、普段なら駐車場から15分ほどの距離を渋滞三十分以上かかって二kmほどしか進んでいないことになる。

連休が済んでもこんなんではどうしようもないはた迷惑と言うことになるのだが、遠方からここ目当てに来た人は見ないわけには行かないし、どうしてもここを通り抜けなければならない人は、、、、、、

ということで、写真は精進湖から見た富士山、八重桜と、、、、、、、

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2019年5月 7日 (火)

ニオイバンマツリ

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ニオイバンマツリの花が今年も盛大に樹を覆い始めた。

ニオイバンマツリは漢字で匂蕃茉莉と書くのだが、この字を翻訳すると匂いのする外国産のジャスミンと言うことになるそうで、かなりきつい香水のような香りを漂わせている。

もともとは暖かい土地の樹だけに、5℃を下回ると葉っぱを散らし木の勢いが衰えるそうだが、自分の母親が生前に買ってきたものだから樹齢は三十年近くになり、樹高も毎年先端を刈り込んでいるが2mに近くなったいる。

そして、このあたりでは外に出しておいてもあまり堪えないようで毎年濃い青紫花を咲かせ、次第に白い花となって散っていく。

 

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2019年5月 6日 (月)

何処にも行かないと

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世間は長い十日間の休みも終わって虚脱状態のようだ。

さて明日っからと気合を入れてもとの生活に戻るわけだが、しばらくは遊び疲れで元に戻らないことだろう。

一方、わが家はと言えば人ごみがいやで、連休には出歩かないと決めていたのだが、連休前になって連れの咳き込みが激しくなり、かかりつけの医者に行ったものの「ただの風邪」と言う診断受け、それから直らず、さらには当番医のにも行ったが同じ診断だったようだ。

そして、連休半ばになって今度はその風邪みたいなのが自分に移ったようで痰のなかなかでない咳が続く症状が出た。

体調としては、咳が出かけると連続してでて、最終的に痰だでるまで咳き込むと言う以外に熱も無く、したがって連れのように寝込むことも無い。

おかげで、連休中何かを予定していたとしても何もできなかったことになるのだが、自主的か、他動的かの違いは大きいものがある。

 

 

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2019年5月 3日 (金)

風にゆらゆらと

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昨日ほどでもなかったが、今日も暑かった。

連日の夏日は、身体に堪える。

そんななか、荒れ地に咲くヒナゲシが心を慰める。

すこしばかしの風になぶられてゆらゆらと薄い花びらをそよがせている様は、浮世の苦労に立ち向かうのではなく右に左にと受け流しているようにも見える。

若いころは、風に立ち向かうのが雄雄しく見えたものだが、雄雄しいとはやせ我慢であり骨身に沁みるものだった。

この歳になれば、足腰も衰え”風吹きゃ倒れるいのの爺”と言う悪態がそっくり自分に帰ってきているようだ。

この花、そんなに見栄えはしないが、中国では虞美人草と呼ばれスペインではアマポーラ、フランスではコクリコと呼ばれているそうだが、同じ名前の花の名がこんなにも使われているのは日本だけなのだろうか。

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今日は、ちょっとした買い物で4kほど離れたホームセンターに行くことになりいつものように国一のバイパスに乗ったところ渋滞にはまってしまった。

これではならじとインターで降りようとしたところ、これまた本線上にまで渋滞がつながっていたため、もうひとつ先のインターで下りて逆戻りをして目的地に入った。

いつもは十分とはかからない目的地に三十分ほど、、、、げに恐ろしきは大型連休か

 

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2019年5月 2日 (木)

花橘も茶の香り

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駿河路や 花橘も 茶の香り    ばせう

例によって年寄りがあつまる山の畑に一本の甘夏の巨樹があり、これからは暑い日差しを遮ってくれる大事な樹である。

今日五月二日は立春から数えて八十八日目であり、むかしから新茶の出回り始める時期になり、その香りで橘の花の香りをお茶に負けてしまうと言うことなのだろうか。

しかし、高齢化もあって山に植えられている茶の樹の手入れも出来なくなり、この樹の回りの茶の木は放棄されたうえ茶工場も傍にないところから、山の畑は馥郁としたかんきつ類のさわやかな香りが漂うのみである。

この花ももう少しすれば、落花し秋にはピンポン玉からソフトボール以上に育ってくれる。

去年は、裏年で数も少なかったが、今年は付き過ぎるくらいについている。

素人摘果が功をそうすれば、100kgを大きく超える収穫が出来そうだ。

 

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2019年5月 1日 (水)

エイヤッと

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庭の木に縛り付けているセッコクの花が咲く出した。

日本近辺にしかない野性のランということで以前はあちこちに見られたが、山草ブームとかで取りつくされたのか、今では自然界で見ることが空くなってしまったようだ。

この花十年ほど前人から貰ったものだが、その後株分けなどして今では庭のあちこちに七株が花を咲かせる準備をしている。

ただ面白いことには、この花が咲き出したあと寒気が入ってきたためか、ほかの株は蕾のまま開こうとはしない。

この花もフライイング気味に咲き出したので、エイヤッ!とばかりに満開に到ってしまったもよう。

後に続くのを待ち焦がれて、、、、、

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晴れた五月の青空に~~~とまでは行かないものの、午前中はすこし薄日も差して裏の畑と山の畑に行って、キュウリの苗を植えつけてきた。

平成から令和になって一億総浮かれの様子。(天皇精度反対の人もデモしていたみたいなので全てではないだろうが)

テレビも新聞も良くネタが尽きない模様で一日中放送をしていて、そうでない番組を探すのに躍起となり、諦めて外に出た。

山の畑に集まったご老人たち、いずれも興味が無い様子で集まってはいるものの話題にはならない。

マスコミがこれだけ総騒ぎをしているのは、昭和から平成になったのは前天皇が亡くなっての改元だったが、そのときと違って、喪に服す必要がなかったためであろう。

多分大正から昭和のときもそうだったに違いない。

明治はうわつかたが勝手に決めたもので国民は天皇たるものを知らなかったようで、その権威を高めるため、各地を巡幸してその名を知らしめたとある。

そのため、年号は大正から一代となったのだが、今後どうなるか、、、、

それにしても、年号で計算すると自分の歳がわからなくなるのは年寄りの常、このまま続けてよいのだろかといえばあちらの筋の人に睨まれそう。

 

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