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2019年5月28日 (火)

宝の山

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はあ~ 会津磐梯山は 宝の山よ、、、って歌があるが、飛騨神岡の二十五山は文字通り宝の山であった。

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この山の中に埋蔵されていた、鉛、亜鉛 硫酸 金銀その他鉱物はかなり古い時代から採掘され、江戸時代はここで掘られる鉱物と林産物のおかげで幕府直轄領となり、明治に入って三井組が手を入れてから、石炭と共に三井鉱山の屋台骨を担ぎ、さらには、戦後の復旧時には硫酸から作る硫安で貢献したものだった。

永遠に続くかと思われた鉱山も、昭和五十三年大規模な合理化で人員整理をした際に自分は二十余年勤めた坑内職場に別れをつけ希望退職、、その四年後再び合理化で人々が山を去ってから寂れる一方となり、その後、すこしして坑内での採掘が終了した。

大量に掘り出した鉱山の空洞を埋めるため山頂を削って今では富士山の頂上みたいに平らになってしまった。

今回、従兄弟の葬儀の後、わが家の墓の掃除をかねて立ち寄ってみると、以前は採掘した土砂などでかなりはげていたし、夜になると星かと思えるほど赤々と電灯の光で輝いた社宅郡も無くなり、自然に帰ったようで濃い緑に包まれた”宝の山”を仰ぎ見ることが出来る。

常々、「自分が死んだら誰も来なくて良いからここの墓に入れてくれ、自分が働いた場所を眺めていたいので、、、」と頼んではいるが、さてどうなることやら、、、

というのは、わが家の墓の隣には無縁仏になったらしく長い間手入れされず、薄などで墓が持ち上げられ横倒しになっている。

我が家の墓もいずれそんな状態になる可能性がある。

本家の墓がすぐそばにあり、従兄弟に当たる主人は「自分とこで面倒を見るから、動かすではない、、、」と言ってくれているが、その人はいま九十二歳。

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同級生の青〇くんは東京で亡くなって神岡に親戚もないそうだが、我が家の墓から直線で3kmほど離れた東雲に墓を建てて入っていると聞く。

そこからも、二十五山が見えるそうで、、、、ふるさとの山がこいしいのは自分ばかりではなさそうだ。

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コメント

岡崎在住さま
あれ~、あんたんとこは旧東小学校の傍やったんかね。
そんじゃ、墓参りにちょいちょい行かにゃならんね。
そしたら、そのうちひょっとして会うこともあるかも知れんけど、親類があつまる葬式でさえがほとんど知らん顔になってしまって、今浦島太郎では分からんさ、、、

投稿: オラケタル | 2019年5月29日 (水) 21時32分

そういえば、かなり前にオリの仲人をしてくれた前平銀座(笑)の山田のアンマ(今は、小萱に在住)のところに寄ったら、「ここは栃洞が、よーみえるんやよ!」と自慢しておいでて、みょーに嬉しかった記憶があるさな(笑)オランドコの墓は、東小学校の近くにあり、やはり、三分の一はお墓がのうなってまっておるね^^;ホット寂しいことやね。

投稿: 岡崎在住 | 2019年5月29日 (水) 20時43分

前平T字路さま
そうですツトム君です。亡くなって今年が丁度十年になります。

ロクさんも早くに逝ってしまいましたね。塚中さんも、、、、
まあ、そのうちあの世に行ったら二十五山の同窓会にでも出て昔話に花咲かせようと思っています。

投稿: オラケタル | 2019年5月29日 (水) 16時47分

この写真は神岡小学校(旧・西校)から眺めた二十五山ですね、懐かしい風景です。
オラケタルさんが仰るように二十五山は低くなってしまい、その昔「二十五山のてっぺんに登ると、富山の海が見えるゾ」と悪童の先輩に教えられた山容とはまるで違った山になりましたが、それでもオオズリダシはそのままですし、ふるさとです。
そうですか、オラケタルさん宅のお墓は西校の下なのですか。二十五山が見えるアズモに墓を建てたという青〇さんとはツトムさんですか?
そういえば我が家のお隣だった小〇のロクさんが上村に新しいお家を建てられた時も「ここなら、毎日二十五山を眺められる」と云って決められたそうです。
住居跡は野に帰し森に復しても、生活した場所を望みながら余生を送ったり、あの世でも若かりし頃を思い起こせる場所を眺めながら雨露にぬれるのも、乙なものかもしれませんね。

投稿: 前平T字路 | 2019年5月29日 (水) 10時26分

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