またひと時代過ぎていく
このプロペラーような花びらを持つ花の名をテイカカズラという。
テイカは平安時代末期に活躍した藤原定家からとった名前だそうだ。
藤原定家と言えば式子内親王の懸想しその死後に内親王の墓にまとわり着いて咲いた花がこのテイカカズラだと言われ、内親王の霊が坊さんに頼んでこの蔦を取り払ってもらったという話しが残っている。
つまり、ストーカー的な執念深い花である。
そして、藤原定家が作った古今の名歌、小倉百人一首には式子内親王の歌とともに自分の歌もちゃっかり紛れ込ませている。
ちなみに藤原定家の歌は、来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ
そして、式子内親王は、 珠の緒よ たえなばたえね 永らえば しのふることの よわりもぞする
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昨日テレビを見ていたら、京マチ子さんが亡くなったという。
中学になったばかりのころ、三船敏郎や森雅之と共に彼女が出演した”羅生門”を見た覚えがある。
鉱山町なので映画はただで毎月洋画三回 邦画四回が上映され時々子供が見てはならないものがあるものの、当時最大の娯楽だった映画は数多くあった。
その中でもこの映画が記憶に残っているのは、京マチ子と女優の妖艶さといざ捕らえられて情況を白状しなければならなくなった時人はそれぞれ自分に有利なことしか言わないんだなってことを子供心に感じてしまった最初だったことである。
そして、この話しを連れ合いに話したところ、完全に京唄子とまちがって「ずいぶん前に無くなったんじゃなかったの?」とか「そんな人知らんかった」というに及んでは、、、、そんなに歳も違わないの「何をか言わん!」
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そして、海外ではドリスディさんも亡くなったとのこと、自分が一番最初に覚えたスペイン語”que sera sera"(ケセラセラ)を歌った人だ。
ケセラとは分からないと言う意味で、海外で仕事したときにはこの言葉と”アスタ マニアーナ”(明日の朝)と言う言葉で結構悩まされるとは思いもしなかった。
なんだか、またひと時代過ぎ去っていくような気がする訃報だった。
que sera seraの歌が流行したのはたしか高校生になってからだったかな?
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