従兄弟の葬儀
残雪の北俣岳を望む福寿寺で
北俣岳を望む飛騨の山奥下の本で従兄弟の葬儀が行なわれた。
標高1,300m余の下の本集落は春本番と言った気候の中、過疎化が進んでいると聞いていたが、それでも葬儀には百人を超える人々が参集し盛大に行なわれた。
従兄弟の葬儀、本来なら自動車で六時間も車を走らせて行く時代ではないのかもしれないが、父親が分家でその総代が自分になるので兄弟代表と言うことで行っているのだが、一時は五十人余を数えた従兄弟も、今では半数を切りこの葬儀では第一世代つまり年寄り組になってしまっている。
集まった顔ぶれを見ても、その下の世代が沢山いて子供のころの顔しか知らない連中がほとんどなのでいま浦島状態。それでも、年寄りは顔が変わらないようで元子供だった五十代の連中が「おじさん おじさん」と近寄ってくれて親切にしてくれる。
鉱山に勤めていた従兄弟は、硅肺をはじめ振動障害などを抱えていたが八十八歳まで生きたことは、天寿と定めるしかないか。
久しぶりにこの葬儀に集まった親族は悲しみの中和気藹々と現況を語らい、悲しさ半分同級会並みの楽しさ半分と言った雰囲気で法事をこなしていく。
こんな葬式なら本人も喜んでいるのではなかろうかと、勝手に解釈しながら、、、、、、、、、
山奥の集落とは言いながら、ここにも近代化の波は世間並みにおしよせて、出棺、お通夜、告別式 初七日法要とと簡素化した流れの中で進められていったが、六時間の車運転と親戚にもみくちゃにされた疲れは昨日今日と終日半分横になって過ごさなければならないほど疲れた。
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コメント
岡崎在住さま
若田兄弟は組合関係でよく議論をした仲で知っています。
ことに、恒さんからは皮肉交じりの小言はよくいただいたものでした、しかし、二人とも亡くなるまで年賀状ほかの交際がありましたから、、、
もう、年金を貰っているのですか。
そうそうすこしでも長生きして貰わなきゃ損ですよ。
それこそ、早死にしたら元も子もないのですから、、、、
投稿: オラケタル | 2019年5月28日 (火) 16時44分
若田君 父ちゃんは 恒雄、弟さんが 明でした🎵 オラケタルさんの記憶は 素晴らしいね⭕️
投稿: 岡崎在住 | 2019年5月27日 (月) 22時34分
オラケタル様、従兄弟様が取りあえず米寿(八十八歳)までお元気であったことは、大変嬉しいことやね。オリは六十二歳になり、ようやく年金をほんのチョッピリやさな(笑)ここで死んでまったら、今まで沢山払った厚生年金はパーやでな^^;
投稿: 岡崎 | 2019年5月27日 (月) 19時46分