是より山野村
「是より山野村」と書いた石碑が峠の清水脇に建てられている。
飛騨市の山の村は同じ市内にありながら一種桃源郷みたいなところである。
自分が始めてこの地に行ったときは伊西トンネルが出来たばかりの昭和三十二年だった。
乗用車がすれ違えるかどうかの小さなトンネルを抜けると目の前に大きく開けた海抜1,000mの高原が開け、カッコウがなき、雪をかぶった北アルプスが見えた。
この地は自分のおばあさんの出身地であり親戚が多数いると言うことが信じられない気持ちだった。
ここまで、自分が住んでいた聳南寮から一気に登ってきたため汗をかき喉が渇いていたので、今では水のみ場として整備されている脇の沢に顔を突っ込み山清水で喉を潤した感じは今でも憶えている。
このトンネルが出来てから、それまで大富経由のぼっか道はこちらにうつり、家計を助けるため従兄弟(亡くなった従兄弟ではない)が下の本鉱山と栃洞の間を文書など運ぶ常便夫とし通ったと言うの後から聞いた。
中国の桃源郷はトンネルをくぐってたどり着き、一度帰ってから二度と再びそのトンネルに行くことが出来なかったそうだが、伊西のトンネルはその後何度も行き来した。
しかし、今回 従兄弟の三十五日忌の法事でこの場所を通ったが、この年になると「また今度」と言うことが有るのか無いのか分からない、、、、、、、
下の本からの帰り、皆は前回同様山吹林道を通ったが、自分は森茂から伊西をゆっくりと巡りトンネルを通って船津座に向かったが、あまりの懐かしさに時間を使い、次の集合場所にすこし遅れてしまい、、、心配をかけてしまった。
出かける前に言ってはいたが、時間を勝手に解釈し申し訳ないことをしてしまった。
平成16年に拡幅してこんな立派なトンネルとなったが、当時はこの半分くらい、、、
昭和三十二年に完成した伊西髄道、郵便屋さんも雪道をこざいてたどる。
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