釣瓶橋考
#殿の若い衆に 吉田の小町
なんで釣瓶に 橋かけぬ
はしぃ~かけ~ぬ
船津の盆踊りに歌われるひと節だが、若いころ夏になるとふんどし一丁で釣瓶の橋の下の深みによく傍の岩からどぼしこんだ(飛び込んだ)り、川を流れ下って下流の八幡地獄あたり川から上がり、十六切から戻ったことがあるがくたびれてやっとこさの思いをしたことを思い出す。
そのむかし、飛騨の神岡と言われる前 このあたりは麻生野村と呼ばれていたころ、この水面から50m(もっと低かったかも?)ほど高いところに藤で編んだ危なっかしい橋が架かってはいたそうだが、この歌詞は橋がないと歌っているので、それ以前のものだとすると、、、、、、、
昭和30年代初めには、当然藤蔓の橋はなくなっており、狭いながらワイヤーで張った釣り橋がかけられており自動車は少なかったかのか通っていなかったような気がする。
ただ、年長者が言うには橋から川まで直接飛び込むものもいたやに聞いているが、自分が川遊びするころはとてもとてもと言った感じになっていたし、当然、両岸に住む殿村の若い衆と吉田村の小町は充分に行き来できた。
六月七日早朝散歩がてらに釣瓶橋の欄干越しむかし遊んだ淵を眺めてきた。
川の様子はむかしと変わらず、梅雨時なのに濁りもなく青々と流れており、今日見た安倍川のねずみ色に濁った安倍川とは印象が全然違う。
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