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2019年8月31日 (土)

近所の花火

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また今晩も天の扉を叩くかのように花火が打ち上げらている。

今年は静岡市最大の安倍川花火は静岡空襲で亡くなった人々を供養するために行っていると言うが去年に続いて延期でなく中止になったが本来の主旨はどうなってしまったのだろう。

それもあって今年は県内の大きな花火大会はもとより近辺の小さな花火大会にも歳のせいか出かけるのが億劫になってしまった。

しかし、今日のはごく近く、流通センターの花火大会だったので家の外に出て眺めた。

蒸し暑い空気の中、団扇で扇ぎながら、、、、、、

そういえば、長野全てではないと思うが盆の行事の一つとして、夜墓の前に親族が集まり迎え火とともに花火を打ち上げるのを見たが、これなんかも天国に居る先祖に花火で合図しているのだろうか、、、

天国に居なかったら届かぬ思いになってしまうのだが、、、、、

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2019年8月30日 (金)

田口のおばさんのこと

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田口トシさん。105歳の人生を往ききって先日亡くなくなったと聞いた。

この人の人生の中で自分はほんの一瞬、ふたこと三言の挨拶程度のしりあいでしかなかったが、なぜか印象に残っている。

だんなさんが何時亡くなったかは知らない。

自分が見たのは、小さな家で子供相手の雑貨屋さんを営み、子供を育て上げた小さなおばさんだった。

その後会うことも無く忘れていたが、100歳のお祝いを市からしてもらったと言う話しを知人から聞いて、長生きしているんだ、と思った。

”袖すり合うも他生の縁”ではないが赤の他人がその死を悔やみ、思い出すのは徳人だったのだろう。

 

 

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2019年8月28日 (水)

経験したことのない

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いつもの時間に起きたのだが外の暗さは十一月ころを思わせるような暗さであり、室内の電灯を消したのが九時になってからだった。

頭上にはよほど厚い雨雲が掛かっていたことを表している。

朝のテレビを見ていたら、佐賀駅の前の路上に降りそそいだ雨が次第に深さを増していく様子を写していた。

テレビで見ていても、水が汚れおらず深さが膝を越すくらいになっても路面に書かれた区分線が映し出されていたので川から入った水でなく降った雨水で、他所から浸入した泥水ではないことが分かる。

気象庁は「いままで経験した事がないほどの降り方」だとか「今現在災害が起きていても不思議でない」などといっていたが、こんな文句が最近やたらと多くなっているような気がする。

それほど、気象の変化が極端になってきているのだろう。

北九州ほどではなかったが静岡市内もかなり激しい雨が午前中に降った。

自分が静岡に来る前だったが、七夕豪雨と言うのがあって自分の住んでいる地区では1メートルを越す推移になったと言うが、それからうん十年、来た当時電柱に水位を示す標識があったがいつの間にやら消えてしまった。

災害は忘れてころにやってくるとか、「ここ五十年経験したことのない雨が降る」と言う放送が流れてくる時期に入ったのかも知れないなんて思うと、、、、、、、、、、、ぞっとする。

 

 

 

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2019年8月27日 (火)

夢のまた夢でなかった

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一見マッチ棒の先のような花。    ワレモコウ。

とても花のようには見えないが、マジかで見れば細かい花が密集したものだとようやく分かる。

ワレモコウは 吾亦紅と書きその由来は臙脂色した先端の丸いボッチが自分も赤い花だと主張したと言う風に見立てた古人が名付けたことによる。

たしか、言われて見れば花の真情に沿った名付け方で、イヌフグリやハキダメグサのように哀れな名前をつけられた名前から見ればよい名前のように見えるが、花にとってはそんなことはどうでも良いことには違いない。

 

朝方三時に目が覚めた。

理由は、朝凪でじっとり湿った空気で寝苦しくなったためである。

起きて、暗闇の中で手探りで探し当てたエアコンのリモートコントロールを操作したが、ちっとも涼しくはならない壊れたのかといろいろいじくってもエアコンは機能しない、、、、、、

そんな折また目が覚めた、夢の中でエアコンをいじっていたことになる。

寝床の空気は夢の中と一緒である。そして、夢の中と同じように手探りでボタンを押すと今度は動いてくれた。

一時は、是も夢の中でのことなのかもしれないと思ったが、どうやら夢のまた夢ではなかったようである。

それにしても、この湿気は何とかならないものか、、、、、

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2019年8月25日 (日)

サギソウ

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家の軒下にサギソウが咲き乱れているを見た。

花びらの花弁が羽を広げて飛んでいるように見えるところから名付けられているのは説明を待つまでもない。

本来なら明るい湿地帯などで咲く花だが、保護地域でさえ盗掘にあうくらいなので、野生のサギソウはまず診ることができない花になってしまった。

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2019年8月23日 (金)

見得

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今日は処暑、暑さも和らぐころという暦どおりの気候になった。

ひさしぶりにエアコンの厄介にならずに済んだが、暑さにうだっている時間が少しでも少なくなれば幸せと感じてしまうこのごろである。

 

郡上八幡に行く前に関に住む姉夫婦と食事を、、、と連絡していたが、あまりにも早く着きすぎたので隣の美濃市で時間を調整しようということになり、ここの名所である「うだつの上がる街並み」を見に行くことにした。

美濃市はそのむかし美濃和紙で栄えた町で、大もうけをした町屋は競って隣の家との間に防火壁を造り延焼を免れるため、屋根の上にすこし高い壁を造った。

そして、その壁のことを”うだつ”とよび、金儲けの証しとした。

この壁くらいで、火事が免れることがないのは当たり前で、もし本当に延焼を免れたいのならこんな壁より家と家の間を離すことのほうがよほど効果がある。

つまり、うだつとは見得以外の何者でもない、その証拠にうだつの傍には火防せの神 秋葉神社の分社を祭って神頼みをしている。

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2019年8月22日 (木)

郡上踊り

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「ひさしぶりに郡上八幡に行って踊ってきたよ」って行ったら、踊りの感想より「自動車道を走ってだろ?あおり運転にあわなかったか」と言うのが相手の言葉だった。

「急な割り込みが二度ほどあったが、あれは自動車道を走り慣れていないやつで、煽りではなかったと思うがね、、、」って応えた。

兎に角行きかえりで500kmほど走ってきたのだが、あまり無茶運転には出くわさずに済んだのは運が良かったのか、テレビの報道が効いたのか、、、、それとも車の前後に貼り付けた年寄りマークのせいなのか、、、、」

行くときは雨も降っていて東海縦貫道はワイパーをフル運転しなければならないこともあったが、向こうに着いてからは青空さえ見える天気になった。

おかげで、いままで下からしか見ていなかったお城まで行って来ることができた。

こじんまりした城ながら石垣もしっかりとしていて、傍に行ってもかなりきれいな城だった。

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鮎尽くしの夕食のあと、宿のバスで郡上踊りの会場まで連れて行ってもらう。

ついた途端”春駒”が流れていたので踊りの輪に入って見たが、十分ほどで汗まみれ、おまけに息切れまでしてしまい以後の踊りは見物するだけにしたが、最初の踊りで身体は完全にアップアップ状態になり、待ち合わせ時間の三十分前には見物お出来なくなってベンチにへたり込んでしまった。

年寄りの冷や水とはよく言ったもので、汗まみれの下着は気持ち悪く、、、、、、、

あらためて体力のなさを思い知らされた一夜であった。

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2019年8月19日 (月)

サボテンの花

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苦節十年、やっと家の庭に植えたサボテンが花をつけた。

本来ならこんなに掛からなかったはずだが、最初に植えたところが悪かったようだ。

というのは三年前日当たりの一番いいところに植え替えたのを機にサボテンは年々1メートル位の速さで伸び、今年初めての開花にもぎつけた。

花は、月下美人によく似ていて一夜花というところもおんなじである。

このあと年に何回か咲くのか、来年はどうなのかわからないのだが、親になった木は大きくなりすぎて切られたとか、、、、、、、、、

 

いま日本と韓国は最近居なく険悪となっていて、観光客も激減しているそうだ。

弥生時代というのは、朝鮮半島経由の人が入ってきて文化を作り上げて日本人の主体になったそうだから、二千年前には同族だったことになり、その前にいた縄文時代の人とは争ってきた形跡がほとんどないそうだから、今になって会い争う必要はないと思うのだが、、、、、

むかし言葉に「隣の貧乏鴨の味」と言うのがあるが、案外近所と言うことが根に持つ原因なのだろうか。

日本人から見ると韓国は日本に対して無茶の連続であり、韓国から見れば反省のない国にという刷り込みを政府、マスコミは煽っているような気がしてならない。

先日も、日本に在住している韓国の人と話す機会があったが、一般の人は反日ではないのだが、周りが許さないので意思表示がしにくいとのことであった。

ほかにもいろいろと新しい話しが聞けたので何時の日にか書いてみたいのだが、自分の意見を自由に言えないのは民主主義社会ではない。

そういう日本も、名古屋の展覧会などを見ると、近いうちにそうなりそうな気配は充分にあるのだが。

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2019年8月18日 (日)

量が多い

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暗い谷間から流れ下ってきた沢水が岩にぶち当たって急カーブを強いられ沸き立つ音があたりを圧倒していた。

久しぶりに有東木へ蕎麦を食べに行ってきた。

一昨日までの雨の影響で水かさが増していたので、水の量も多かったようだ。

それとともに、ここが地元テレビ放送されたとかで、普段なら五~六台しか見ない駐車場は満杯を通り越して、誘導員まで出ている騒ぎ、、、、、、こちらも量が多かった。

テレビで放映すると難民のようにあっちこっちへと巡り歩く人が多いのは好奇心が強い人が、、、、、、

 

食事のあと、腹ごなしをかねて森の鎮守へ出かけてみれば、ミンミンゼミに混じってツクツクホウシが合いの手を入れていた。

秋はそこまで来ているようだが、まだまだ蒸し暑い日が続くようだ。

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2019年8月17日 (土)

男と女の間には

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川辺に咲くコスモスの花。

水の落ち口に近くそのしぶきを受けて長い花穂の先をゆっくりと揺らしているのは見ているだけでも涼しく感じてしまう。

昨年に続き今年も暑い夏が続き、今日はこの夏一番の暑さになったとテレビは報じていた。

それでも、台風によるフエン現象で四十度越えをした新潟にくべれば天国のような暑さなんだろうけれど、、、

こんな日に山の畑に集まった面々の奥さんたちは一様に「こんな日には誰も来ないでしょう」と言ったという。

ところがどっこい男どもは台風の間外に出られなくて集まってきた。

「あんた 変わっているね」と言うことまで一様だった。

長い間夫婦をやっていても、男と女の間には分かり合えないことが何時まで経ってもあるようだ。

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2019年8月15日 (木)

海行かば

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のろのろとした台風10号が日本に上陸し山陰沖に抜けたようだ。

ここ静岡はかなり離れていたが影響範囲が大きかったため、風は幾分少なめだったものの、雨が激しく降ったり、青空が出たりなど変幻自在な空模様の一日だった。

麻機の遊水地でも。風に煽られて裏返しになる蓮の中で雄雄しく立ち上がっている蕾の花があちこちに突っ立っていた。

 

海行かば 水漬く屍

   山行かば 草生す屍

 

今日は先の大戦で日本が無条件降伏をした日である。

j自分の周りでは父親が中国大陸で盲貫銃創で負傷し、戦争末期には27歳だった義理の叔父が輸送船の撃沈で、同じく従兄弟も海に沈んだまま帰ってこなかった。

この大戦での犠牲者は民間人を含めて300万人以上とも言われる日本人が死に、世界では数千万人とも言われる人々が犠牲になり、一人ひとりの記憶は何千万通りあったはずだが、全てを一緒くたにして闇の中に封じ込めてしまった。

いまの国会議員のうち先の大戦について肌身で感じた人はほとんど居ないそうだ。

ネットを見れば勇ましい言葉で、韓国と戦争したらとか、中国と戦わばなんて言葉が飛び交っている。

戦争とは、一方的に勝つものではない。

どんな小事件でも必ず泣く人が出てくることを知って欲しいものだが、、、、、、、、

 

今日はお盆、久しぶりに戦争の犠牲になった親族をおもってみた。

 

 

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2019年8月13日 (火)

シャボン玉

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夕焼けの空に向かって大きく息を吹きかけた。

それまで丸く浮かんでいたシャボン玉が大きく変形した。

意識して造ったものではなく偶然の産物であるが、なんだかこの女の子の魂を見た思いがした。

このごろ子供の数もめっきり減り、ひさしぶりに子供の歓声を聞いていると、、、、むかしを思いだしてしまう。

海へ海水浴に行ったのはいつが最期だったか知らん、、、

川へ行ってバーベキューに興じたのは何時ころだったか、、、、

すくなくとも孫たちが小学生のころだったから十年、いやもうすこし前だったようだ、、、、

”子はかすがい”ならぬ孫がかすがいだった。

子供の力をエネルギーに出来た時代は遠い昔のゆめまぼろしのよう。

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2019年8月11日 (日)

火もまた涼し

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あつく垂れ込めた雲の隙間が朝日が昇ってきたのを知る。

朝の五時すこしまわった時間東の空の一部が真っ赤に燃え上がり幻想的な様相をきたした。

その空もまもなく箒で掃いたように雲が片付けられて青い空には白熱電球のような太陽が空気を暖めだした。

テレビでは、各地の午前九時ころまでには三十度を越してしまったと放送していた。

そのむかし、武田勝頼をかくまったとして火を掛けられた快川和尚が「心頭滅却すれば 火もまた涼し」と辞世の句を歌ったとか。

その話しをしたら、日が暑く感じなくなるのは歳をとって知覚神経が鈍った証拠であんたもそうなったらお終いだよって言われた。

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2019年8月10日 (土)

日本の技術は

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天気晴朗なれど波高し、、、、

と、言うのは日露戦争の折、連合艦隊から発せられた電文であるが、今日の用宗海岸の波の様子はこの電文どおりの様相であった。

長らく進路が定まらなかった台風10号からの波なのか、それとも直近の8号と9号のせいなのかは知らないがかなりの高い波である。

それにしても、テレビを見ていたら今回の台風の進路は予想がしにくいと言うことであったが、非公式では日本列島の東の海上を行く予想を気象庁がしていたのに対して、ヨーロッパのコンピューターは早くから四国、九州を予想していて、今日になって気象庁も同じような予想に修正した。

また、前回の台風8号でもヨーロッパの進路どおり台風が進んでいったが、日本のコンピューターより地球の反対側に近いヨーロッパのコンピューターのほうが性能が良いのだろうか。

それとも、幾分博打的な予想をしたというのだろうか。

日ごろ日本の技術はすごいというテレビ番組が多いのだけれど、これはオリンピックなどでメダルラッシュと放送されているが済んで見るとそんなんでもなかったように、自己満足の一部なのだろうか、、、、、、

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2019年8月 9日 (金)

青空が悲しい

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こよなく晴れた 青空を

     悲しとおもう せつなさよ

長崎の鐘という歌の出だしである。

今日八月九日は長崎の原爆忌。

広島に原爆が投下されてから三日後、ここでも10万人を超える人が一瞬で無くなった。

投下予定の軍需産業の根幹を成す八幡製鉄がある北九州が雲に覆われていたので、同じく軍艦の造船場があった長崎に変更された。

基地や軍需工場があるから攻撃される、その分でいくとイージスアショアなどは真っ先に対象となるだろう。

住民が心配するのは今も昔も変わらない。空に雲が無かったばかりに運命は大きく変わったのは目視で戦う前の時代だったから、、、、、、、、。

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2019年8月 8日 (木)

立秋

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早いもので暦は今日から秋に入ったと伝えている。

どこかに小さい秋がないものかと見回したところオミナエシの細かい花が咲き出しているのを見た。

花だけを見ているとなんとなく涼しげに感じるのは脳に刷り込まれた印象からなんだろう。

しかし、現実は梅雨明け以来言って気の雨も降らず、地面は乾ききっていて畑に入れば土ぼこりが舞い、胡瓜の葉は枯れて茶色くなってきた。

何処まで続くこの天気、百姓ならずとも雨乞いに行事をするしかないかとおもっていたら、台風十号がお盆のころ来るそうで、それまで雨が降らないとしたら、お手柔らかな台風で来て欲しいものだが、、、、、、、、。

 

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2019年8月 7日 (水)

時代は変わっていく

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揃うた そろたよ 床搗きゃ揃うた

   稲の出穂よりよ~ぉ なお揃うた

鉛を精錬する溶鉱炉を造るとき、その基礎となる地面を固めるとき、大勢の人が槌を持って床を搗いたものだったが、その際調子を合わせるために歌われたのが、この床つき歌だったそうだ。

自分は鉱石の調査や採掘のほうだったので、実際にこの歌を聞いたのは組合の青年部、、、歌声運動の中から聞き覚えた歌だった。

今はどうなのかは知らないが、そのころ溶鉱炉は床搗きで締め固めた土の上に耐火レンガを積み上げて造っていたが、炉をとめるとレンガが崩れてまた造り直すしかないそうだ。

そのため、ストライキなどの際この炉を止めるというのが最大の圧力として争点になった。

実際何度かそんな事態になったが、会社は炉の運転を続けるため、組合員ではない管理職をかき集めて最低限の温度でこの炉を三交代で動かし続けたが、日ごろ肉体労働をしていない大学卒の管理職は大変だったようだ。

そのご、労働組合は世間の風潮に同化され、組合員の意見より会社の意向を組合員に伝達する機構に成り下がった結果、ストライキを打つ方法さえ分からなくなり、組合員の信頼を失ってしまった。

 

いま麻機の田んぼでは遊水地にするため買い上げられた場所と、高齢化や米の単価が下落していく中で放棄された田んぼも増え、マダラ模様が年々拡大していき稲の出穂は次第に少なくなっていく。

以前は労働組合の総評と並び評された農協はともに見る影もなく、、、、、、、、時代は変わっていく。

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2019年8月 6日 (火)

原爆考

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麻機田んぼから国一バイパスと賎機山  暑いながらも暑いながら平和の空

暑い暑いと言いながらも裏の畑のトマトやキュウリ オクラ モロッコ豆を収穫し、雑草をすこし引き抜いて帰る。

わずか一時間ほど、、汗でびっしょり シャワーを浴びる。

出がけに広報無線は「広島に原爆が落ちた日なので黙祷を、、、」と言っていた。

この放送を聴いたときおもわず昭和20年のこの時期日本中が焼け野原になっていて、静岡二千人あまりはもとより、3月の東京大空襲でも10万人と言われる人が亡くなっていたのに、と言う思いもした。

しかし、原爆は戦争が終わってからもその被害が続いていくことを考えれば、特別扱いにしても仕様が無い二のかも、、、、、

先の世界大戦は日本だけでも200万人、世界では何千万人と言う人がただそこに居たと言うだけで命を奪われてしまった。

そのひとつ、広島に原爆が落ちたあの日もこんなに暑かったのだろうか。温暖化が始まる前なのでそんなでもなかったのだろうか、、、、

今日、BSの放送で大岡昇平の「野火」と言う小説を映画化したものを見た。

見たと言っても後半の一部ではあるが最後の総攻撃で日本兵がばたばたと死んでいく様を映し出していた。

若いころ職場で、南方で戦った人から聞いた話しだが、「日本軍は補給と言うことが軍の仕組みから考えていなかったようで、現地のものを略奪して食料としたため現地の人から恨まれ、最後追い詰められてからは食うものもなくなって餓死者さえ出るようになると、鉄砲に当たって死んだほうが楽だという考えにさえなった」と言っていた。

この映画でも、泥だらけの軍服を着た兵士が手足をもぎ取られて死んでいくシーンや怪我をした傷口に蛆がいっぱいなど画面があり、小説を読んだとき以上の衝撃があったが、本当に戦争と言うものはこんな情況なんだったろう。

ほかの映画などでは、胸に鉄砲玉をうけて、その傷以外は五体満足で死んでいくシーンばかりだが、そんなきれいごとではないはずである。

原爆ばかりでなく空襲で焼け死んだ人の写真の中にも悲惨な映像を見る。

ネトウヨをはじめ、戦争を知らない世代は勇ましいことばかり言っているが、、、、、、、

自分が当事者になることがないと思っていたら間違いだよ!!!!!!

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2019年8月 5日 (月)

クマゼミ

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突然傍のタラの木の中からクマゼミの声(?)が聞こえ出した。

シャリシャリシャリとすこし難聴の自分の耳にも痛く感じるような音が、、、、、

見れば、タラの鋭い棘のある幹に掴まっていたが、この棘は全然気にしていないようだ。

聞くところによるとクマゼミの分布は東海地方以南の太平洋岸にしかいないそうだが、、、、、、

そういえば、子供のころ聞いたのはミンミンゼミが夏の暑さを感じさせる蝉だったように覚えている、しかし、この蝉も頭の芯まで響かせる声の持ち主である。

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2019年8月 3日 (土)

朝ぐもり

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暑い夏を迎えて子宝弁慶草がますます元気になってきた。

この草はよほど暑いのが好きなようで葉の両側にびっしりと自分のミニチュエアを付け散らばかす時期を狙っている。

元の親を離れたミニチュアは根付きがよく何処ででも枯れずに生育していくさまはまさに子宝といってよいとおもう。

ただ難敵は寒さのようで、冬になるとたちまち凍みて勢力を交代させる。

無事生き残った場合、アロエと同じような橙色の釣鐘形の花を咲かせることから、その一族なのであろう。

 

ここ二~三日空が晴れ上がり暑さが続いているが、麻のうちは厚い雲の鍋蓋をかぶったような雲が懸かり日のでは見えない。

多分富士山の頂上の登山客に雲海から出る日の出を見てもらおうと神様が細工しているに違いない。

神さまも お も て な し をするようになってしまったようだ。

h富士山頂から「万歳 万歳」という声が聞こえるような気がする朝ぐもり。

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2019年8月 2日 (金)

水浴びのし過ぎ

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裏の川で水浴びをした白鶺鴒、

羽根を乾かすため敷衍巣の上に飛び上がったがあまりにも長い水浴びで白鶺鴒かどうかも分からないほど色合いも違い見る影もない。

子供のころ冷たいプールで身体が冷えすぎ、自ら上がったあとぶるぶると震えが来て困ったときによく似ている。

日本全国猛暑日が続いている中、静岡は幸せなことに気象台の百葉箱の温度計は32度ほどしかないようで、岐阜やながやんdに比べれば5~6度は低いことになっている。

自分の兄弟たちはこの一番暑い地方で暑さに耐えていると思うと、「俺たちはまだ良いほうなんだよな」なんて言い合っている。

 

 

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