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2019年8月 6日 (火)

原爆考

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麻機田んぼから国一バイパスと賎機山  暑いながらも暑いながら平和の空

暑い暑いと言いながらも裏の畑のトマトやキュウリ オクラ モロッコ豆を収穫し、雑草をすこし引き抜いて帰る。

わずか一時間ほど、、汗でびっしょり シャワーを浴びる。

出がけに広報無線は「広島に原爆が落ちた日なので黙祷を、、、」と言っていた。

この放送を聴いたときおもわず昭和20年のこの時期日本中が焼け野原になっていて、静岡二千人あまりはもとより、3月の東京大空襲でも10万人と言われる人が亡くなっていたのに、と言う思いもした。

しかし、原爆は戦争が終わってからもその被害が続いていくことを考えれば、特別扱いにしても仕様が無い二のかも、、、、、

先の世界大戦は日本だけでも200万人、世界では何千万人と言う人がただそこに居たと言うだけで命を奪われてしまった。

そのひとつ、広島に原爆が落ちたあの日もこんなに暑かったのだろうか。温暖化が始まる前なのでそんなでもなかったのだろうか、、、、

今日、BSの放送で大岡昇平の「野火」と言う小説を映画化したものを見た。

見たと言っても後半の一部ではあるが最後の総攻撃で日本兵がばたばたと死んでいく様を映し出していた。

若いころ職場で、南方で戦った人から聞いた話しだが、「日本軍は補給と言うことが軍の仕組みから考えていなかったようで、現地のものを略奪して食料としたため現地の人から恨まれ、最後追い詰められてからは食うものもなくなって餓死者さえ出るようになると、鉄砲に当たって死んだほうが楽だという考えにさえなった」と言っていた。

この映画でも、泥だらけの軍服を着た兵士が手足をもぎ取られて死んでいくシーンや怪我をした傷口に蛆がいっぱいなど画面があり、小説を読んだとき以上の衝撃があったが、本当に戦争と言うものはこんな情況なんだったろう。

ほかの映画などでは、胸に鉄砲玉をうけて、その傷以外は五体満足で死んでいくシーンばかりだが、そんなきれいごとではないはずである。

原爆ばかりでなく空襲で焼け死んだ人の写真の中にも悲惨な映像を見る。

ネトウヨをはじめ、戦争を知らない世代は勇ましいことばかり言っているが、、、、、、、

自分が当事者になることがないと思っていたら間違いだよ!!!!!!

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