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2019年11月24日 (日)

わびし気に冬桜

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藤枝を流れる瀬戸川の上流に一本の冬桜が花を満開に咲かせていた。

と、いっても春のソメイヨシノや八重桜のような派手さがない小さな花なので通りすがりの人も見落としていくようで、とまって花を愛でる人はまずいない。

 

安倍首相が春に行った「桜を見る会」は18,000人も集めそうだが、これだけ人が集まれば花見というより人見だったに違いない。

何度もこの花見に行った人もいるようだが、えらいさんとは無縁な自分はまだ声さえ掛かったことがない。

しかるに、飲み食いに5000万円も税金を使っていたとなると、、、、、、、、

せめて、1000万円もあれば被災者住宅はもとより、自分の小さな家を建て替えられるのになあ~と思ってしまう自分がいて、、、、、、、

 

人の集まらぬ花見はわびしい。

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2019年11月21日 (木)

艶々と

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先日来椿の木の下で咲き出したツワブキの花。

花はキク科のどの花とも似通っているが、葉っぱは拭きの葉とよく似ている。

ただその葉が艶々と光っているところから艶蕗といわれたといえば誰しもそうだと納得する。

葉に劣らず花のほうも日の当たる時間には太陽の光を跳ね返し艶々と光っているが、日もかげりはじめるとその艶も薄れてくる。

人間もその最盛期にはスポットライトを浴びているように光り輝く時期があるが、、、、遠いむかしの思い出。

ただ、自分らのように無名に等しきものは光っていると自分で認識する程度でしかないが、著名なタレントや野球選手になるとその輝きはただならぬものがあり、その光が陰る際の騒動や衝撃は眩しければ眩しいほど激しいものとなって本人はもとより周囲に迷惑をかける。

その影響を散々見て来たはずの人々がなぜ禁断の薬に手を出すのか、、、、

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2019年11月20日 (水)

墨絵のように

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一見墨で書いた襖絵のようにも見えるが、午前中に近くに停めてあった自動車のフロントガラスに太陽光が反射し、家の庭の一位の木と軒先の干し柿が映っているのである。

初冬の日差しも今日のように晴れ上がるとかなり光量も強いようで自動車フロントとふすままでは二十m余離れているのだが、くっきりと途中の障害物を投影することができる。

今日は、最後のりんご配りに有東木に行って来た。

安倍街道からもう少しで有東木の分岐という所で通行止めになっていた、聞くとこの先で土砂崩れがあり梅が島方面はいけないということだった。

一昨日の雨はそんなたいした降りではなかったので不思議だったが、有東木なら行けるということで通過することが出来た。

りんごを下ろし、代わりにわさびを少々貰うという物々交換みたいな感じで帰ってきたが、夕方のテレビで見ると崩壊もそんなに大したものではなく時間帯を決めて日中何回か通行できるということであった。

しかし、例によって崩壊した土砂に混じって杉の木が何本か根こそぎに落ちてきているのが映っていた。

山が崩れるとき必ずと言っていいほど杉の木が混じっているのは、戦後の植林政策で植えすぎその後手入れをしなくなったため、根の浅く、表土が薄くなった杉林は災害をさらに拡大していくのだが、このことを誰も指摘しない。

もしかすると、政府の森林政策や手入れを放棄した地主をおもんばかってのことなのかと想像しているのだが、どうなんだろうか。

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2019年11月18日 (月)

つかれた~

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うらうらとした小春日和のもと、いかにも「疲れた~」といわんばかりにして赤とんぼが羽を休めていた。

実際にはトンボの気持ちなど分かるはずもないのだが、こちらが疲れているとそんな風に見えてしまうのだろう。

ここ三日間で長野往復450km、静岡に帰ってスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに交換して三重県まで行き返り430kmあまり、合計で900km近くを走り回ったことになる。

周りは電車で動けというが、時間や費用を考えるとどうしても自動車になってしまう。

しかし、魔のアラエイ(80)なので慎重に慎重にと心に言い聞かせながら途中何回も休みと仮眠を入れて無事帰ってきた。

歳を取ると疲れはあとから出てくるという話しのとおり、今日になって身体がだるく、終日うつらうつらで過ごし夕方になってようやくもとに戻った気がする。

すると現金なもので畑のほうが気になってしまう。

予報では「降る降る」と言われた雨も降る気配もないほど晴れ上がっていたので畑に行きキャベツの苗などを植えインゲンの手を助けたり水遣りをしてきた。

しかし、夜八時ころになって屋根を打つ雨音を聞き、なんだか無駄仕事をしてしまったような気がしてしまい、また疲れが出てきた。

今日も早々に寝ることにしよう。

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2019年11月17日 (日)

お地蔵さんの涙

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十五日早く妹から電話がかかってきた。悪い知らせだった。

午前中に米とリンゴをもらい、出来ればもう一泊と考えていたが、昨夜遅くなって亡くなったという知らせ。

早速駆けつけなければならないが、長野の宿から直行することも出来ないので、いったん家に帰り支度してから行くことになるが、最近は夜中の運転はしないことにしているため、明日の早朝に向かうことにし、桑名では親戚が少ないこともあり頼りは自分しかないので、必要な助言をし電話を切る。

米とリンゴを積み込み長野を出発したのが午前十時、、気ばかりあせってしまいがちになる心を沈めながら帰宅する。

十六日昨夜は早く寝たが、途中で目が覚めて寝付かれず、その後、すこしうとうととしたと思ったら時計は四時をさしていた。

静岡から三重県へはどのくらい時間がかかるか見当がつかない。しかし、下手に事故でも起こせば、、、、、、

それでも、予定したよりも早く八時半ころ到着できたのは、土曜日早朝ということでトラックをはじめとする交通量が少なかったためであろう。

葬儀は家族葬ですることにし、葬儀屋主導でその手配も出来ていたので、ごく簡単にすることにし、お経は拙いながらも自分が詠むことにし、坊さんも呼ばないでやった。

亡くなった人には悪いかもしれないが、「こういうやり方も数多くありますよ」という葬儀社の話にすこしは安心しつつ、地蔵さんの目からこぼれるような涙のあとを見、、日ごろの葬儀は残されたもののためにするという時論を正当化させている自分がいた。

 

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2019年11月16日 (土)

月が出た出た

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十四日の午後六時半をすこしまわったころ、、、、、、、

浅間山の東側低くなったところから十六夜の月が昇ってきた。

暗くなった山の端は見えないが、対岸の小諸の町の明かりのすぐそばから登るさまは炭坑節を思ってしまった。

月が~出た出た 月が出た~よいよい

三池炭鉱~の 上に出た 

あまり煙突~が高いので~ 

さぞやお月さんも煙たかろ サノヨイヨイヨイ

この歌は盆踊りの歌としていまだにあちこちで歌われており、三池炭鉱がなくなっても歌は残っている。

そして、この歌につれて踊りのしぐさも簡単なのでどこに行っても同じしぐさで踊られている。

掘って掘ってまた掘って 担いで担いで後ずさり

押して押して 開いて ちょちょんがちょん    

 

そのむかし、日本にディスコ入ってきてないころ、ペルーのあるクラブに入って回転するミラーボールの下で踊ったことがあるが、初めのうちは基本で習ったとおり手足を動かしていたが、次第に盆踊りの所作が入ってきて品よく踊ってしまい、自分ながらおかしくて笑ったことがある。

しかし、向こうの人にはそれがまた奇抜で面白かったようで、教えてくれって言われたりもしたが、これがなかなおしえられないっだなぁ~

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2019年11月13日 (水)

どっちもどっち

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野菊という唱歌のなかに”きれいな野菊 うすむらさきよ”っていうくだりがあるが、野菊という種類の草は無い。

キク科の菊は中国を源にし日本にはそれから発展させたものしかないそうで、日本で一般に野菊といわれるものはそれぞれに別名を持っている。

その中でも多いのがヨメナとノコンギクであろう。

伊東左千夫の小説「野菊の墓」というのをそのむかし何度か読んだことがあったが、好きあっていた娘民さんの墓に詣でた際「民さんは野菊のような人だった」で締めくくっているが、このときの野菊は、、、、、、、、、詮索しまい。

 

予算編成を前にして「首相と桜を見る会」が従来の予算1700万円から一挙に6000万円近くに引き上げお画策したことで、首相に選挙違反疑惑がかけられるまでになり、国会で追求される羽目になり、今日来年の桜を見る会は中止にするという事態になった。

昔のことわざで言うと「藪をつついて蛇を出す」縮めて”やぶへび”ということになった。

しかし、この状態が永く続いてきたことなのに、いまさらという気がしないでもない。

と、どうじに、二階幹事長のまたしても世間づれした会見のしかたにはあきれ返ってしまう。

先日辞任した二人の大臣も世間づれしていたが、こんな人たちに政治を任せていいのだろうか。

もうすこし、国政といわず選挙をする際にはしっかりとした人を選ぶ姿勢が国民にあるのだが、、、、、、

どっちもどっちなのかな   身の丈にあった人を選んでいるのだから

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2019年11月12日 (火)

登檣礼

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登檣礼とは、そのむかし船員をマストの帆桁に登らせることによって、大砲など武器を扱う人間がいないことを証明し友好的訪問であることを表したものだそうだが、以後その船を見る人に敬意を表する意味が主になってきた。

用宗公園の難破船を模した子供の遊び場でこの登檣礼に似た光景を目にした。

帆桁に並んでいるのは平和を象徴する鳩が等間隔にずらりと並んでいる。

鳩にしてみれば、ここにいれば天敵を早く見つけられるし、餌をくれそうな人間もいち早く見つけられるので選んだのだろうが、それにしてもこれだけ等間隔はどうしたことだろう。

もしかしてだけど、もしかしてだけど、これって自分たちを特別な存在だなんて思っているんじゃないのかな?

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2019年11月10日 (日)

雲の間に目を凝らす

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一面に広がった夕焼け雲の隙間から青い空が見えていた。雲の下は夕方なんだけれど、その上はまだ日が翳っていないいんだろう。

しかし、この隙間があの世とこの世をつなぐ通路のように見えて仕方なかった。

昨日朝早く神戸に住む小中学校の同級生の子供から電話がかかってきて「亡くなった」とのことであった。

彼は昨年暮れにガンと診断され、すぐに胃と小腸だったかの一部を切り取り、その後順調に回復、ゴルフが出来るほど回復したといっていたのだったが急逝したそうだ。

以前、自分は自分が死んだ夢を見たことがあり、その夢をこのブログに載せたところ同じ夢を見たとメールで知らせてくれたことがある。

その内容は、その日死んだ人が一箇所にあつまり、銀河鉄道999に出てくるような列車に乗って死後の世界に運ばれていくというものであり、「俺もそんな夢を見た」ということであった。

二人が、遠く離れたところであなじような夢を見るということは、ひょっとしたらそれが本当なのかという気さえしたものだった。

一足先に旅立った彼から「いま汽車に乗ったよ 夢はほんとうだった」そして「列車はいま夕焼け雲の間を通過している」なんていっていないかと雲の間の青空を目を凝らして見ていたが、、、、、、、、、、

十万億土まで行く列車はよほど小さいのか、目に入ることはなかった。

しかし、あちらからは見えているのではないかと人が見ていないのを確認して手を振ってみた。

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2019年11月 8日 (金)

山椒は

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山椒は小粒でもヒリリと辛い。苦い辛いはもともと毒気を表すもので動物はこの味がするものは避けてきた。

そのため、これらの刺激的苦さや辛さを楽しむのは”大人になって知る味”である。

人間が、わざわざこれらのものをすこしづつ楽しむようになったのは何が原因なのだろうか。

多分、飢えが一番の原因ではなかっただろうか。

そして、究極は猛毒といわれる河豚の内臓さえ食するように工夫するまで何人の犠牲者を出したことだろうか。

山椒の椒という字はハジカミというが、ハジカミといえばジンジャー に代表される芳香と刺激的な味を持つ植物のことで、山椒は山に自生する椒という意味か、、、

若芽や青い実はその香りを楽しみ、秋も深まる今時分は実を包む皮が弾けて黒い実が出てくる。

その皮はとても辛くすり潰して七味唐辛子の材料などにし、黒い種をすり潰したものはうなぎの蒲焼きなどに振り掛けて食す。

今日は立冬。暦どおり冷たい朝を迎えた。

やっとこの間まで暑い暑いと呪文のように唱えてきたがわずか、一ヶ月で重ね着をするようになって、季節のうつろいの早さにおどろいている。

連れも、病院生活に慣れなくて、「早く退院したい」と医者の顔を見るたび言っていたようだったが、今日目出度く退院の許可を貰いった。

となると、一刻も早く出たいようで食事も断わり脱走するようにして帰宅したが、思っていたとおり男所帯の杜撰さ、不備をあげつらい、入院していたときの感謝の言葉は様変わりし元の木阿弥になりはじめた。

             

           明日っからは、、、、明日っからは、、、、、

 

 

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2019年11月 6日 (水)

ラッキョウにシジミ

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あたっかいはずの静岡でも今朝の気温は十度を下回ったといっていた。

そんななか、ラッキョウの花にシジミチョウがやって来ていた。

花の少ないこの時期には貴重な食料源なのかしばらく夢中になって花にしがみついて離れないいる。

ラッキョウにシジミ、なんだか食卓に並びそうな組み合わせだが、、、、、、、

花が終わるとラッキョウは冷たい北風のもと、しばらくお休みに入り春になって急に太くなってくるのだが、成熟する前に市場に出回るときはエシャレットという名でスーパーの店頭に並ぶ。

この名前で出回りだしたとき、まさかラッキョウと同じものだとは知らなかった。

カタカナ文字で並んでいるのは、外来植物のためだとしか思わなかった。

 

午後になってテレビのチャンネルをBSにすると、幾つもの韓国ドラマが放送されていた。

いま韓国から日本に来る観光客はかなり激減し、静岡の空港に着陸する飛行機はほとんどない状態だと言う。

そして、韓国へ輸出するビールは昨年の1%にも見たなありいさまだという。

朝鮮はむかしから”恨の国”だと聞いた事があり、文化 思想の根幹を成しているという。

古来漢民族にモンゴルに女真族そして日本と主権を奪われたけっか、感情的な考え 痛恨 悲哀 無常観などが入り混じって国民性を作りあげて来たと書かれていた。

自分が知っている韓国人にもすぐ感情的になってしまう人も幾人かいるが、いまの韓国情勢を新聞などで見る限りそんな感じを強くしてしまう。

それにしても、豊臣秀吉時代のことまで取り上げて日本を非難するのなら、それ以上に長い間征服していた中国に同じような感情を示さないのだろうか。

モンゴルや女真族を非難しているとは知り合いからも聞いた事がない。

結局のところ、政府あたりが自分の失敗などに対する批判を回避するため、叩きやすい日本に向けさせているのではないだろうかと勘ぐってしまう今日この頃である。

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2019年11月 4日 (月)

いずくも同じ秋のゆうぐれ

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気が付けば十一月、晩秋もいいとこだ。

毎年の例から行けば駿府城公園を中心に行なわれる大道芸に行くはずなんだけどどうも出て行く気がしなくって、最終日も終わってしまった。

山の畑の仲間内の話しだが、最近の気力体力の衰えは目に見えて分かる。

この時期から始まる山芋掘りで藪をかきわけたり、階段を登るのが億劫になって、この秋はまだ行っていない。

わずかづつでも畑が耕やせるのだから、充分い満足しなければならないのだが、水や空気に例えられるように身体が動かせて当たり前みたいなところがあっての贅沢な悩みなのだろう。

気が付けば、ススキの穂も出揃って”、、、、、、いずくもおなじ秋の夕暮れ”。

明日からは寒くなると天気予報が言うが、、、、、、、、、、、、人生は????     

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2019年11月 2日 (土)

ぼや~っと

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霞める空と同化しそうな富士山。

我が家の近所からはぽかぽけとした陽気で寝ぼけたような山々の奥に淡く雪をかぶった富士山が見える。

この方向にあると知っているものでないと気づきにくい。

街中は大道芸が始まって混雑していることと思うが、その喧騒はこちらまで来ないし、連れへの差し入れも遠回りにはなるが三連休ということもあってか、スムースに行くことができる。

へんなもので、普段ならあまり言葉を交わさない夫婦でも、こんなときは案外しゃべるもんだと感心している。

病気のほうも、順調に回復しているようで身体につけられていたものが全て撤去され、トイレまでは行けるようになった。

そうなると、早く帰りたくてたまらないようだが、、、、

帰れば、また自分の身の回りが目に付いて口出しをし、それを「うるさい」とかえすことで口喧嘩が始まり、わが家の平和もつかの間のことになりそうだ。

今日の天気のようにぼや~っとしていれば一番なのだが、、、、、

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2019年11月 1日 (金)

ふさわしい

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一番下の孫がひさしぶりに福井から帰ってきて、自分の家より先に我が家にやって来た。

「「じいじ これみやげ」と言って差し出したものの包装紙を破ってみたら、桐の箱に入ったいかにも高いぞうって言わんばかりの酒が出てきた。

「おう、ありがとうよ でもこれはどうしたんよ」って言ったら「いつもアルバイトに行っている店においてある酒で旨いいって評判の酒だよ」 んでもって土産にした。

「どんな酒でもよい父さんにはもったいないからね、、、」

じいじ ほろりと来たね。ちかごろ酒はもちろんビールさえ弱くなって飲まないんだけれど、これはガラスの小さなコップに注いで冷酒で飲むことにしよう。

誰にもやらないで、、、、だって、この孫が始めて買ってきてくれた酒なんだから。

連れが入院してがらんとした家、一人で飲むには甘口のこの酒、もっともふさわしい酒だと思ったのは孫馬鹿ちゃんりんかな?。

 

福井永平寺町、 九頭竜川のそばには古い酒造所があり、白龍と黒龍というよく似た名前の酒があるのは知ってたがまさか別のべつべつの酒造所だとは知らなかった。

 

 

 

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