墨絵のように
一見墨で書いた襖絵のようにも見えるが、午前中に近くに停めてあった自動車のフロントガラスに太陽光が反射し、家の庭の一位の木と軒先の干し柿が映っているのである。
初冬の日差しも今日のように晴れ上がるとかなり光量も強いようで自動車フロントとふすままでは二十m余離れているのだが、くっきりと途中の障害物を投影することができる。
今日は、最後のりんご配りに有東木に行って来た。
安倍街道からもう少しで有東木の分岐という所で通行止めになっていた、聞くとこの先で土砂崩れがあり梅が島方面はいけないということだった。
一昨日の雨はそんなたいした降りではなかったので不思議だったが、有東木なら行けるということで通過することが出来た。
りんごを下ろし、代わりにわさびを少々貰うという物々交換みたいな感じで帰ってきたが、夕方のテレビで見ると崩壊もそんなに大したものではなく時間帯を決めて日中何回か通行できるということであった。
しかし、例によって崩壊した土砂に混じって杉の木が何本か根こそぎに落ちてきているのが映っていた。
山が崩れるとき必ずと言っていいほど杉の木が混じっているのは、戦後の植林政策で植えすぎその後手入れをしなくなったため、根の浅く、表土が薄くなった杉林は災害をさらに拡大していくのだが、このことを誰も指摘しない。
もしかすると、政府の森林政策や手入れを放棄した地主をおもんばかってのことなのかと想像しているのだが、どうなんだろうか。
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