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2020年1月31日 (金)

縄張り争い

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ピーヒョローと啼くトンビの声で裏を走る国道一号の高架に立つ照明塔の上を眺めると、二羽の鳥がとまっていた。

この場所は、時折トンビがとまっているところなので、もう一羽は何かなと思って目を凝らすとカラスであった。

このカラス、よほど気が強いカラスのようでちょう身体の大きさが倍に近いトンビに向かってちょっかいを出している。

口を開けて頭をまえうしろと動かしてみたり、隙あらば突くぞというような仕草で挑発している。

それをうけて、トンビのほうは微動もしないで時折鳴き声を上げたり睨み返したりと応酬している。

なんだか見ていると最近覇権争いをしているアメリカと中国か、映画で見やくざの縄張り争いのように見えてきた。

結局のところしびれを切らしたかのようにトンビがカラスのほうに飛び上がっていくと同時にカラスも斜め下に飛び下がりそのまま両方とも飛び立って元の場所に戻ってくることがなかった。

人間界でこのような事態はどう解釈するのだろうか、、、、、。

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2020年1月30日 (木)

ご常連

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この冬はあったかさが普通でないようで、庭の木の枝に刺しておいたハッサクが長雨もあってカビが生えてきた。

この雨の間中、メジロが食べに来ていたのを知っていたので木の枝から外して下に落としたのだが、山には食べるものがないのか落としたハッサクに番いで食べに来ている。

ちょっとかわいそうなので別なハッサクを代わりにおいていたのだが、どこがよかったのか、、、、

それとも、腐る寸前がうまいというのか、、、場所がよかったのか、、、、

とにかくカビの生えたものから順に片付けようという構えのようだ。

メジロのあごにあたる部分が橙色というのは柑橘類をたくさん食べたためと聞くが、このつがい二羽ともあごの下を染めているのは我が家のご常連さんなのかも・

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2020年1月29日 (水)

富士山測候所も

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天気予報通りあったかく晴れあがった空を見てひさしぶりに富士宮の朝霧高原へ行ってみることにした。

富士五湖付近は昨日まで35㎝の積雪があったというので、そこまで行く気にはなれなかったが、長野へ行った折履き替えていたスタッドレスタイヤを履いたままだったし、行けるところまでという当てのないドライブでもあった。

昨日までの雨で空気も澄んでいたようで朝霧高原に近づくにしたがって富士山はすっきりくっきりと山頂を見せた。

昭和の初めから観測を続け、2,004年から無人化するまで命がけの観測をしていた富士山気象観測所も遠望することができた。

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2020年1月28日 (火)

からし菜の花

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からし菜の花があぜ道沿いに咲いていた。

花の形色合いから蕪の仲間であるのは間違いない。

もともとは、辛子をを作るために植えられていたらしいのだが、生命力が強かったため今では野生化してほかの草よりもたくましく成長し花を咲かせる。

十年ほど前、山菜ブームがおきた時には畔に生えている野蒜などとともにからし菜の花茎も盛んに採られたが最近ではそのブームもなくなって自由気ままに育っている。

花茎は、軽くゆでてお浸しなどにして食べるのだが、少々苦みもあって酒の肴などにはおつなものでsる。

 

今年の冬はやはり異常なのではないかと思う。

例年、「寒のもどり」というのがあって、雪国の飛騨でも雨が降ることがあるがほんの一過性のものであり、日本アルプスや近くの山々に遮られて雪の降らない静岡などではこの時期晴れ続きの渇水期に入るのだが、先週今週と雨の日が多い。

今日も暑い雲の下外はいつまでも薄暗く家に閉じ込められていて、食っちゃ寝の生活では気分がうっとうしくなるし、体がなまってくるのがよくわかる。

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2020年1月27日 (月)

苦い味が好き

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先日来、もう出ているはずと思いながら探していなかったフキノトウを見に行った。

今日は南岸低気圧が近づいていつ雨が降り出すかわからないうえ、冷たい風が野面を吹きわたっていたので厚い防寒具に耳隠しの付いた帽子をかぶって、麻機田んぼに繰り出した。

暖冬で、野菜の成長が早いとは聞いていたがいつもの場所に出るフキノトウはいつもより遅れ気味の様子。

桜などは寒さを経験しないと花が咲かないそうだが、それに倣ってフキノトウも芽を吹かないのだろうか。

10分ほど探し回ってようやく小さな花芽を10個ほど採ってき細かく刻み味噌和えにして食べた。

苦みの強いところがいかにも山菜らしくて自分好みの調理法である。

 

昨日、夕方になって本屋に行ってきた。

ここ何年かはまっている感じのパズル、ナンパㇻというやつの発売日だから、、、、

目的の本を買ったあと文庫本のコーナーであれこれ手に取って中身を見ていたら、無言で近づいてきた小柄な男性が自分の前の本を探し出したので少し移動して邪魔をしないようにしていたら、また近づいてきてどれを取るということもなしに身体で押すような動作をした。

一言何か言えばよいのに無言で圧をかけてきている。

さすがに腹が立ったのと喉がイガイガしてきたのとが一緒になったので、口にこぶしをあててせき込んでみた。

すると、かの男性、少しこちらを横目で見たがその場を立ち去った。

その様子から中国ではやっているコロナウイスルスとまではいかなくてもインフルエンザくらいに間違えたのではなかったろうか。

これからは冬の間この手が使えるな、と妙に納得して帰ってきた。

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2020年1月26日 (日)

せっと節

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木立アロエの花が真っ赤に咲いている。

この花が咲くのは、茎の高さが50㎝くらいまで育たないと花をつけないそうで、暖かい土地でないと花が咲かないそうだ。

筒状の細長い管のような花は特殊な虫か鳥を相手にしているようでアロエの実は見たことがない。

万病に効くといわれ、一時はあちこち植えられていたが腹が痛くなったことのない自分は、傷をしたときややけどをしたときに葉っぱを折ったり削ったりして患部に張ったり塗ったりみた。

ヌルヌルはしていたが、そんなに薬効があったとは思えなかった。

そのためもあってか、我が家でもかなり整理したが、ほかでもあまり見なくなったような気がする。

 

昨年だと思うが神岡にも”せっと節”があることがユーチューブに載っていたことからわかった。

”せっと”とはむかし鏨岩機が導入されるまえまで、坑内で穴を掘る鏨(タガネ)をたたく金づちで、一般には石刀と書いているようだが、自分は石頭だと聞いていた。

自分が坑内に入った昭和30年代は水を使わない乾式の鑿岩機などもあったがすでに鑿を使うことはなかった。

しかし、竪坑を掘りあがるときは足場などを作るため岩にくぼみをつけようとチンコタガネを石頭で叩いたものだった。

このユーチューブにも鑿で掘る時代が済んだころから、せっと節を知る人もいなくなったと言っているが、自分も聞いたことはない。

同じ石刀節に足尾銅山のものなどがあるが、神岡のものは泥臭くて節回しも随分と違う。

#一寸くったけ あの娘のためだよ。という囃子を入れながら歌われていくが、一番気に入った歌詞は下の二節だった。

 

  発破かければ切羽が伸びる 

       伸びる切羽が金になる

われわれの時代でも能率給という名のもと坑道を伸ばせばお金になったのはこのころと同じだった。

  坑夫さんとは名は良いけれど 

       行けば山奥 小屋住まい

ハモニカ長屋の社宅は山の中腹にあり、このころは九尺二間のしとみ戸が窓だった。

 

余談ではあるが、民謡の飛騨やんさの最後に「負んだ子も抱いた子も おまえさんの子じゃないか 可愛がってやらんせ せっと せっと」というのがあるが、英語のSETではないことは確実にしても、石頭である可能性は      どうかな?

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2020年1月25日 (土)

一斉開花

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”梅一輪 一輪ほどのあたたかさ”という言葉があるが、今年の梅は一気に開花した。

長野へ行く十九日にはまだ咲いているかどうかわからなかったが、我らの集会場の上の小梅の木が見るも鮮やかにピンク色に染まっていた。

あまりの暖かさにびっくりしたのか一輪咲かせて様子見をしようという段階を吹っ飛ばしてしまったようだ。

今年のこの気候、この先どうなっていくのだろうか。

 

先日来テレビが騒いでいた中国武漢で発生したコロナウイルスによる肺炎が一気に拡大したようで、患者数はもとより死者の数も数十人規模になってきた。

しかし、この数字も病院で治療中に亡くなった人の数で、治療も受けられなかった人はカウントされていないなどの報道もあり、実際はどのくらいなのかわからないようだ。

もともと、この肺炎を隠しておきたい中国共産党も前のコロナウイルスで批判されたことをうけ改善するのかと思われたが同じような体質は変わりなかったことになる。

とにかく梅の花同様、一斉開花は困るのよ。

 

武漢といえば、三峡ダムができる前に一度立ち寄ったことがあるが、その前に自分の父親が支那事変と言われた昭和十二年に武漢三鎮に向かって戦闘中銃弾を受け場所でもあった。

このとき、父親が死んでいれば自分がこの世に生を受けることもなかったし、三歳年上の姉以外の兄弟もいなかったことになる。

ただ、この時のことは父親話しをすることがなかったが、その時の戦友の名前をそのままもらったということだけをまた聞きで聞いていたので、なにか因縁話があったのかと思うと聞いておけば、、、、

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2020年1月23日 (木)

今日は帰れそうだ

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二十一日、気温はマイナス4℃、雪がないだけに寒さを感じる夜明けであった。

昨夜はすることもなくテレビを見入っていたら九時過ぎには眠気がさして床に入ったので朝の目覚めはまだ外が暗い四時半。

外は風もないのか、夜明け前の星空は瞬きもほとんどなく、天に穴を開けたような星空が広がっていた。

しかし、大きな星しか見えない。

子供のころ大小の星の間を天の川うねっていたが、あれはどこへ行ったのだろうか。

天の川を見失ってから何十年経つのか。

やがて、白々とした長い時間を経て星たちは去り、太陽が浅間山の東肩から登って今日の一日が始まっていく。

天候が悪ければ、帰る日を繰り延べしなくてはならないと思っていたが、どうやら帰れそうだ。

 

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2020年1月22日 (水)

精気を吸い取られる

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一月二十日、温かい静岡になれた身にとって、例年より暖かいという長野はきびっしい朝を迎えていた。

フロントガラスを真っ白にしていた霜が朝日の当たったところから溶けて行きだすまでものの五分とはかからないのは、日の光のありがたさ、番犬も朝日に向かって太陽のエネルギーをじっと吸収していた。

 

今日は、義弟のかかっている佐久病院で脳外科の説明を受けるため姉妹が同伴して聞くことになっていた。

自分も待合室までついていったが診察室にまで入るつもりがない。

しかし、病院内で約二時間じっと過ごしているのはどの病院でもそうだがかなり疲れてしまう。

ひょっとすると、病院というところは精気をを吸い取るという力があるのだろうか。

食事をして義弟の家に帰る途中眠気がさして、途中にあった道の駅の駐車場に車を入れ、一時間余、あまり到着が遅いというので心配した義弟から携帯電話がかかってくる寝てしまっていた。

午前中、真っ青に光り輝いていた空も、起きてみたら一面の薄雲の下であった。

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2020年1月21日 (火)

野辺山越えで難儀する

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八ケ岳高原大橋の向こう南アルプスの展望

十九日、義弟の病気見舞いで長野は立科町へ向かった。

立科町近辺は雪がないという情報もあったが、その通り道の野辺山を越える道路状況が気になって、三日前に車検を通した車からタイヤを外しスタッドレスに履き替えた。

飛騨にいたころは、雪が降っていてもどうってことなかったが、ここしばらく雪道を走ったことがないので少々心配気味で向かった。

予想が的中したのは、長坂インターで高速道路を降り、清里に向かういつもの道すがら標高1,100mふきんの八ケ岳高原大橋脇の駐車場から急に5㌢ほどの圧雪状態になっていた。

その時は、「ああ積もっているな」程度の感覚しかなくて、駐車場からの景色を眺めてから、1,300m付近の清里へ向かう急こう配ながら直線に近い道路の左車線を走って登った。

と、その脇を諏訪ナンバーのトラックが勢いよく追い越していった。

途中でスリップして停車している乗用車もいる中でその速さは「さすが地元ナンバー」と感心していたがしばらくして急にスピードが落ちて追いついてしまった。

どうやら、昼近くになって雪が一部とけだし圧接状態のままのところ、シャーベット状態のところ雪のないところとまだら模様にあって片側は凍っているのに片車輪がシャーベット状というところでハンドルを取られたことで慎重運転になったようだった。

このトラックを追い越して、下りにかかったところで別なトラックが川上村方面から入ってきたが、今度はゆっくりゆっくりの運転だった。

まるで最近テレビをにぎわしている”10kmおじさん”さながらの運転、、、、、、、

追い越しもできず、道譲りもも無く、やきもきしながら10数km着いて行かざるをえない運転を強要させられてしまった。

結局最近三時間半ほどで佐久市到着したの四時間オーバーで、、病院に到着したもののつかれてしまった。

 

 

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2020年1月18日 (土)

スズメも寒そうに

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暗い空からそぼ降る雨は気温以上に冷たく感じさせる。

昨日の夕方から竜爪山(1038m)に薄い霧のような雲がかかっていたし今日の天気情報でも1000mを超すような場所では雪になると言っていた。

なので、雨の闇間を縫って麻機の田んぼ道へ出てみたが、こちらは雪が積もっているような気配を確かめることができなかった。

電線に百羽以上群がりつかまっているスズメもこの冷たい雨に打たれ、羽根を膨らましていたがこんな所より草むらのほうがあったかいだろうに、どうして??、、、

そう思いながらわが身を振り返ってみれば、昨日床屋で刈り上げてきた首筋が冷たくなっているのに気付いた。

同病相憐れむではないが、スズメの寒そうな姿は寒さをますます加勢させ、気温は八度を示していたが体感温度は二~三度低く感じられた一日だった。

 

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2020年1月16日 (木)

ジョウビタキ

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冬の貴公子 ジョウヒタキが今年もやってきていた。

繁殖地は中国などなので日本にではこの時期見ることがない。

そのため、どんな声で求愛の歌を歌うのか知らないが、日本にいるときは小さな声だが鋭くて短い鳴き声しか聞いたことがない。

生の由来は、オスの頭が白いところから翁を表す尉を使いヒタキは短く鋭い声の印象から火打石を打つときを思い出させるとして火焚きをあてたそうな。

いずれにしろ、気の強い鳥のようで、繁殖期以外でも縄張り意識が強いようで、むかし、現場に置いていたトラックのサイドミラーに身体をぶっつけるように何度も挑んでいたのを見ている。

 

妻の選挙のとき多額のお金を払っていた元大臣の事務所に家宅捜査がようやく入った。

大臣を辞任するとき説明するとしていたが、いまだに何の説明もないばかりか夫婦して雲隠れ。

そして、ようやく出てきたら家宅捜査を理由に説明できないと来た。

あまりにも国民をなめているのではないだろうか。

国会に顔も出さないで給料だけはきちんと受け取っている。

制度を利用した詐欺というしかないだろう。

報道で見るたびにむかむかしてくるので、、、、、、、

ほかにも、菅原元大臣も閣僚辞任後何の説明もないのは大本の安倍首相が自身の問題でろくな説しないのを見てのことだろうか。

とにかく、政治家というものに愛想が尽きているのだが、どうすればもう少しまともになるのだろうか。

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2020年1月15日 (水)

蠟梅が

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蠟梅の黄色い花がさきだした。

この辺りでは、春一番に咲く木の花といっていいだろう。

新聞などでは、ふくいくとした良い香りだなんて言っているが、鼻が悪いのか花に鼻を近づけてもほとんど感じない。

蝋細工に似た花びらの様子から名づけられたのはよくわかるが、梅という名には似つかわしくない。

日本人はよほど梅や桜という字が好きなようでこの字がついた花は数限りなくある。そして、魚では鯛なのだが、これも、、、、、、

 

いま噴火中の西之島でゴキブリが数を増やしているという報道があった。

さすが、中生代から姿をほとんど変えずに生き残ってきただけのことがあると感心していたら、環境庁は除去するということで検討しているという。

西之島は一昨年あたりからふたたびはげしく噴火しだして溶岩がほとんどの地を覆いつくして動植物のほとんどはいなくなったとみられている。

ところが、そんな中でほんの少しだけが残っていて、以前にテレビで見たときには少しの植物と、海鳥が居ついていたように上陸した調査員が報告していた。

その時は、ゴキブリの話がなかったが、島の進化を調べるには具合が悪かったのだろうか。

どんな種類のゴキブリだったのかわからないがこのまま進化調べるのも一つの方法ではないだろうか。

もしそれがだめというなら、溶岩が覆いつくせなかったところを爆破して吹っ飛ばすか、道を作って溶岩が流れるようにするしかないのだが、、、、、

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2020年1月13日 (月)

十七夜の月

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十七夜の月が木の枝に引っかるようにして輝いている。

木の枝にはまだ幾枚もの葉っぱが残っているのは厳しい寒さとあまり強い風が吹かなかったせいだと思う。

今年は朝早く出かけることもないので霜が降りたかどうか知らないのだが、畑の野菜に生育具合からみると温暖な冬のようで、自分ら年寄りにはありがたい話である。

しかし、先日本家の息子から電話が来て「今年は流葉のスキー場も雪がなくてかか(嫁さん)の親類がスキー場で商売をしているんやけど困っとるそうじゃ」と言っていた。

 

昨日今日と静岡の高校が男女ともサッカーの高校大会で優勝した。

サッカーにはあまり関心がないので全戦通してみたわけではないのだが、昨日の女子に比べて今日行われた試合は見ごたえがあった。

とくに、勝ち越してからの戦いで、相手の高校が時間がないのでせめて同点にしようと猛攻撃をかけてきたがゴールキーパーの好守備で二度も守り切ったことが大きかったように思う。

J-1ではようやく残留を決めた清水、J -2に降格し主力選手が続々とこぼれていく磐田、ふがいない戦いぶりからみると、彼らがこのチームに入って活躍すればと思うがまだ何年も先の話だろうし、かならず地元のプロになるということもないだろう。

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2020年1月12日 (日)

田の神

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山の畑のメンバーのひとりが矢竹を数本切っていたので「どうすんの?」って聞いたら「田の神に使う」という。

「昨日は山の神にあいさつし、冬の土用のまえにしなければならない」そうだ。

なんでも、土用の間は土をかまってはいけないので、そのことわりだとか、、、、、、

そういえば、前にもこの時期田んぼに御幣の付いた竹やススキを見たことがあるのをおもいだした。

飛騨ではあぜ道に赤飯と酒をそなえて田の神に今年の豊作と無事を祈る神事があったが、それは春雪が解けて農作業が始まる前なのでところによっていろいろと風習があるようだ。

いずれにしろ、古いことは捨て去ることで有名な静岡に、こんな風習が残っていること自体がうれしい。

 

報道では最近の暖冬でスキー場が開設できないところが多く、冬野菜も成長が早すぎて一斉に出荷時期を迎えているため値崩れが起きているという。

世界でかなりの部分の二酸化炭素を排出しているアメリカは、地球温暖化と人間の活動とは関係ないと言って温暖化阻止には無関心であるが、五十年に一度 百年に一度といわれる災害が毎年のように起きている昨今、アメリカの農業にも深刻な打撃が来ることが予想されている。

一度壊れてわかったときはおそすぎるのだが、、、、、、、、

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2020年1月11日 (土)

笑ってにこにこ

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水ぬるむ春のような雰囲気の池に保育園児が来ていた。

おそろいの帽子はピンク。桃組さんなのかななんて思いながら池の反対側で見ていた。

最近では、プライバシーとか変質者対策とかでうかつに声もかけられない世相になってきて、遠巻きに見ているしかない。

 

世相といえば、最近は小売店で品物を見て購入はネットショッピングというのが普通になってきているそうだ。

そのため、近い将来小売店がなくなるのではないかと心配されている。

と、なると、手に取って品定めをするということができにくくなるという、まさに、「風が吹けば桶屋が儲かる」という図式が出来上がりそうで、それができない人はどうやって生活をすればよいのだろうか。

さらに、世界的な傾向としてキャッシュレスが進んで、そのどちらにもついていけない老人は生きにくい時代になっていくような気がする。

自分もいくつかのカードを持たされているが持ち歩くことはない。なので、電話や高速道路などを含めた公共料金以外は現金払いでやっている。

テレビでは「”〇〇ペイ”などで支払うとなん%もおとくです」なんてコマーシャルを入れ持っていない人に不安感を持たせているが、キャッシュレスではお金の感覚がなくなり、制限が利かなくなるような気がしてならない。

だから、財布には必要最低限のお金しかないのでたとえ落としたり、盗まれても損害は小さいし、カードの紛失届の心配もいらない。

「笑ってにこにこ現金払い」  これが年寄りの生きる道。

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2020年1月 9日 (木)

ひとり左義長

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生まれ在所の飛騨では”どんどやき”を左義長といって小正月の夜青年団が山から五mくらいの杉の木を切ってきて、その周りを正月飾りをはじめ金紙 銀紙 赤紙を張った書初めなどを括り付けて火を放ったものだった。

いつも書初めに赤紙を張られた自分はその字を恥ずかしいと思いながらも小さな鏡餅をもって燃え落ちた火の中に餅を放り込み外側だけが真っ黒けになったのにまだ中が固い餅をふうふうと吹きながら食べたものだった。

長じてそういう風習も廃れ静岡に来てからは自宅の庭でひとり左義長に興じている。

昨日は、風が強くて火を焚くのははばかれたので、今日になってしまったが日中の焚火はあまり迫力がないうえ、書初めも鏡餅もない静かな左義長にはむかしを偲ぶよすがもない。

夜になって娘が来て「今の時代そんなことしたら消防に通報されるよ」といったが、「盆の迎え火と送り火、それに左義長くらいは勘弁してほしい」と抗弁した。

いつまで続けられるのかな、、、、?

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2020年1月 8日 (水)

鬼の霍乱

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季節外れの暖かさも日暮れ間近の川では平年並みに寒さに戻っているようで鷺たちも動きを止めている。

いやあ、それにしても暑かった、寒暖計は日陰でも二十度を超えて上着を脱いて半袖にしたいくらいの時間まであった。

一年で一番寒い季節を前にして”鬼の霍乱”がそのまま当てはまるような気がした。

 

雨が激しく降る中外にも出られなかったのでテレビを見ていたらイラン国内からイラクのアメリカ軍基地にミサイルを飛来したという。

とたんに、株価が急落し円相場が上がったそうだ。

先日、アメリカがイランの軍司令官を暗殺した時から、このようなことが起きるのを想像していたが、その時すかさずガソリンの価格が跳ね上がった。

しかし、日本は同時に円高になったのだが、このガソリンはずっと以前に買ったのだから消費者には関係のないはずだし、百歩譲って先行きの不安から値上げしたというなら、円高を考慮して当たり前のはずである。

まさに、何があっても値上げして金儲けの材料にしようという魂胆からの値上げにしかうつらないの自分の思い過ごしか。

 

 

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2020年1月 7日 (火)

松の内を終える

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今日は七日正月、七草がゆを食べるのが常であったが朝飯抜き。

そのわけは血圧の薬をもらいに行く日なので、前から「今度来院する時には血液検査をするので朝は食べないで来てください」と言われていたためである。

血圧は十年ほど前子供に勧められて以来のものであるが、いまでも最高血圧が140㎜に達することはまれだし、今日も132㎜~63㎜だからほかの同年齢に人と比べたら「まあまあ いい加減ではないかと自分なりに思っている」

それでも、医者は心配して「三~四か月に一回くらい血液検査をしましょう」というのでしていて、今回は昨年六月にしたのを気付かれて受ける約束をしていたものである。

 

昨日、畑に行って大根と小蕪を七草の材料にするため抜いてきていた。

しかし、後の五種類(セリ ナズナ 五行 はこべら 仏の座)は近所の田んぼ脇にあるものの、犬や猫の小便などががかかったいるからダメというのでセリをスーパから買ってきた以外は省略した。

   きみがため 春の野にいで 若菜摘む

         わが衣手に 雪は降りつつ   光孝天皇

百人一種にこんな歌があるが、西暦800年くらいの時の天皇は実際にこんな春の菜を摘んでいたのだろうか、それとも言葉遊びだったとしたら、、、、、

 

診療所から帰ってきてから七草がゆを食べ、玄関及び神棚、仏壇まわrの飾りを外して、今年の松の内は終わった。

  

 

 

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2020年1月 6日 (月)

小寒

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燦燦と降り注ぐ太陽の光は輻射熱となって黒い防寒着に染みとおり気分までがあったかくなる。

頭上の槇の木の葉っぱはその下でどうでもよい話をしている老人たちをやさしく見守っているかのようだ。

今日で正月休みも終わったようで、街中も裏の国道一号も久しぶりにトラックの走る道路になった。

テレビでは、九連休で休みボケした勤め人のインタビューが行われていたが、我々としては観光地などの交通渋滞や食べ物屋での行列がなくなりホッとしているところである。

ともあれ、今日は”小寒”という言葉が全く似あわない日であった。

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2020年1月 5日 (日)

天狗さん

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#大洞山の天狗さん 今日の試合はどうじゃいな、、、、

 

ふるさとの飛騨神岡町では昭和30年代中頃までだったと思うが、町内をいくつかに分けて対抗の運動会を行っていたが、その時の応援歌の出だしが上のようなものだった。

町を包むかのように聳え立つ大洞山には天狗がいるといわれ、そのむかし天狗にさらわれて神隠しにあった子供がいたとも伝えられている。

その時の天狗はどんな天狗だったかは聞いていないが、鼻の高い大天狗か、嘴の尖った烏天狗だったか、、、

そして、その麓に建つ大津神社の何かに羽根で作った天狗の団扇を模した印があったような気がしている。

とにかく、小学校一年生の時ここの境内でセミの羽化したばかりのものを見つけ。持って帰る途中天狗のような年上のものに取り上げられて悔しいというのもあったが、オッカナイという気のほうが強かった。

 

アメリカがまた中東でへまをしでかした。

イランの軍司令官を多分無人機だと思うが攻撃し殺した。

イラン側ではこのまま引き下がれないだろうことが分ってやっちゃったのだろうか。

両国の間で戦争になる可能性が大きく、また、何十人 何百人、、、、いやもっとかもしれない人間が死んでいくことになりそうだ。

トランプ大統領は「アメリカの国民が狙われている。戦争を止めるためにやった」と日本に原爆を投下させたトルーマン大統領と同じような理屈をつけた。

もしこれが逆だったらどういうだろう。

ブッシュ大統領のように大量破壊兵器を持っているとしてイラク戦争同様なことをはじめるだろう。

大体が、イランと協定を結んだ核開発を制限する協定を勝手に脱退したことに始まる今回の騒動は、後ろにイスラエル(ユダヤ人)が糸を引いていたような気がしてならないという気がしてならないのだが、、、、

 さて、これからどうなることやら、天狗さんに聞いてみなければなるまい。

 

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2020年1月 3日 (金)

ちぐはぐ

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今年は暖冬だといわれながらそうでもなかったようで、いつもなら咲き出しているはずの梅はまだつぼみが固いし、フキノトウもまだごく小さい。

そうしたなか、水仙も同様におくれていたようで、庭先の一株にはまだ三輪~五輪とまばらに咲いているのみ。

しかし、今日のような陽気になるとどこかに隠れていたアブも出てきて水分補給ならぬ蜜を吸いに寄ってきていた。

 

正月恒例の箱根駅伝の中継放送に女房殿が夢中になっているのを他所目に山の畑に行って八朔を摘んできた。

こちらは実の熟れるのが例年より早くいくつかはヘタのところから自然落下を始めているが季節感としてはちぐはぐな年になるのではないだろうか。

みかんどころ静岡では、ヘタのないミカン類は地面に落ちた実を拾ってきたといわれきらわれるが、自分は完熟したしるしととらえている。

リンゴと違って、落ちても中身まで傷がつくことがないのと手で八朔を引っ張るとここではがれてくるでそのまま送っているのだが、他所の人には事を荒立てないようにその辺の事情は言わないことにしている。

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2020年1月 2日 (木)

正月ぁ~ええ

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「今日はぬくといね」っていうのが挨拶だった。

お穏やかに晴れ上がった空は雪や曇り空を一切引き受けてくれる日本海側の人たちには申し訳なく思う。

これだけ日差しがあると、スズメたちもススキやガマの間から飛び上がって葉を落とした落葉樹の枝先で日向ぼっこを楽しんでいる。

 

昨日は雑煮、今日は汁粉というのが飛騨の風習というか我が家では親の代(それ以前かも)からの習慣である。

そして、昨日今日と気になったのはひょっとして喉に詰まらせるのではないか、、、、ってこと。

新聞やテレビでときどきそんな報道がなされているのだが、いつ何時自分の番になりかねないと危惧した。

3㎝X5㎝ほどの小さな餅を箸で二つにも三つにも切り口に入れてよく噛み喉へ流しこむ。

今まではこんな心配をすることもなかったのにと思いながら、、、、、、

食糧難の昭和20年代、歳の数だけ餅を雑煮にして食べたのを自慢していたが、これを作るもち米を親がどんだけ苦労して買っていたのか、思い至らなかった。

そんな時を経てきたからではないだろうが、七十歳以上の人の九割が正月に餅を食べるという。

「正月ぁ~ええ あっぽ食ってええ、、、」

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2020年1月 1日 (水)

厚い雲のもと

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初日の出が見られなかったのは何年ぶりのことだったろうか。

低気圧の移動が遅れていたようで、天気予報とはちがって、青空が出てきたのは八時すぎだった。

それでも駿河湾方向は朝焼けで、厚い雲の下はオレンジ色に染まり日ノ出の時刻がせまっているのをしらせていた。

ここ十年余恒例となっている八朔の木の下に寄って少々のお神酒をあげ、ご相伴にあずかった。

 

2020年、年も改まり日本では年号も変わったが実感としては暗い夜明けが象徴しているように、おめでたく祝う気もしないでいる。

樹下の話も元日産の社長がどうやって日本を脱出できたかで盛り上がった。

一人でできる話ではないので、かなり前から綿密に計画し協力者がいたに違いないが、その人たちはどんな人なのか、、、、

ただ金で雇われたのだろうか。

パスポートを所持していたらしいが、一人で何通も持てるのか

なんだか、むかし「大脱走」という映画で見た場面が浮かび上がった。

日本の警察などの監視体制はどうだったのか、これを機に保釈された人にマイクロチップでも埋め込むか?

そうなると、推定有罪になるが、、、、

樹下では結論が出ないし、酒がまずくなる。

 

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