ひとり左義長
生まれ在所の飛騨では”どんどやき”を左義長といって小正月の夜青年団が山から五mくらいの杉の木を切ってきて、その周りを正月飾りをはじめ金紙 銀紙 赤紙を張った書初めなどを括り付けて火を放ったものだった。
いつも書初めに赤紙を張られた自分はその字を恥ずかしいと思いながらも小さな鏡餅をもって燃え落ちた火の中に餅を放り込み外側だけが真っ黒けになったのにまだ中が固い餅をふうふうと吹きながら食べたものだった。
長じてそういう風習も廃れ静岡に来てからは自宅の庭でひとり左義長に興じている。
昨日は、風が強くて火を焚くのははばかれたので、今日になってしまったが日中の焚火はあまり迫力がないうえ、書初めも鏡餅もない静かな左義長にはむかしを偲ぶよすがもない。
夜になって娘が来て「今の時代そんなことしたら消防に通報されるよ」といったが、「盆の迎え火と送り火、それに左義長くらいは勘弁してほしい」と抗弁した。
いつまで続けられるのかな、、、、?
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コメント
岡崎在住さま
静岡は週二回がごみの出す日です。しかし、正月は一回やめましたのでそれはそれは仰山なゴミが出ていました。
そういえば、むかしはゴミの量が少なかったね。
今のように、過包装もなかったし、プラスチックも少なかったんやね。
投稿: オラケタル | 2020年1月12日 (日) 21時26分
確か、30年くらい前の「ダイオキシン問題」の関係で、自宅でのゴミ焼却が厳しくなってまったね。栃洞に居るときは、ゴミ捨てに行った記憶はないけど、やっぱ生ごみは父ちゃんが畑で処理したんやろね。^^今年の正月は、子供が孫を連れてオランドコに集合したもんで、そらまーごみ袋の量がすごかったわな。(笑)
投稿: 岡崎在住 | 2020年1月11日 (土) 20時50分